現水展に行ってきました!

都立美術館へ行ってきました。現代水墨画協会が主催する全国公募の作品展です。そして、今回うれしいことに、文部科学大臣賞を受賞された方が大学の先輩です。「コロナだから、作品展への応募もいつもよりも数少なかったのではないかしら」とおっしゃるものの、そうは言っても、会場の作品だけでも200点以上あるので、きっと応募作品はそれ以上ということになるでしょう。会場で展示される作品として選ばれること自体大変なのです。

目利きではない私にはどれもこれも大作です。その中にあっての受賞とは、「すごい!」の一言しかありません。おめでとうございます。

白と黒で表現をする。そこに濃淡をつけていくことくらいはわかりますが、和紙のうえに「ポトリ」と筆から一滴…誤って落としてしまっただけでも大変ですよね。昔、書初めの練習などのとき、半紙に誤って墨を落としてしまったことのこと思い出します。こうした作品の場合には「白」の空間はとても大切ですから。汚すことはできませんね…。書道のときのように書き直しも許されないですから。慎重にというか、集中して作品作りをされていくのだろうと思います。しかも何日もかけて。そして、作品のサイズがとても大きいので、広々した専用ルームでもなければ仕上げまでするのも難しいだろうとも思います。全体の構図など離れて捉えることが必要でしょう。距離感などを出すためにも遠目に見て、微修正をしていくのかななどと思ったりしました。光加減を表現する難しさなど、長年やっていても思い通りにはいかなさそう。試行錯誤を重ねながら、表現の技法を取得していくのだろうなあと思うものです。とはいえ、普段、絵を描くときと同様に表現というのはいつも「一度キリ」のものですよね(ピアノも同じです)。その時の気持ちがそのまま表現につながっていくんだろうな…とか思いつつ、多くの作品を鑑賞させていただきました。

さて、上野公園。様変わりしていました。晴れていればもっと散策してしまったかもしれませんが、雨が降っていたこともあり、ただ横を急ぎ足で通過しただけなのですが。駅前などあまりにもすっきりしてしまって、私の知っている上野駅ではなかった…。前の上野駅は上野駅でそれなりに味があったようにも思いますが、しかし、あまりにもきれいになりすぎて、清潔感がアップしていて(それはそれでいいのですが)…びっくりしました。

公園があちこちでリニューアルされ、民間事業者とのタイアップも図られていて、それはそれでいい面もあるのですが、しかし、もともとその場所にあった「個性」をどう活かすのか?という視点、ますます必要な気がします。どこの駅に降り立っても、駅前風景が同じで面白みを感じないというか、駅前がリニューアルされるたびに多少の差はあれ、面白みが失われてしまったと感じることも多い…上野に限らずです…。まあ、同じ路線であれば、同じ鉄道会社で企画や運営をしていくわけなので「そうならざるを得ない」のかもしれませんが。

今日は雨だったので、また、いつか晴れだった時、そしてまた目的地以外にもふらふらしても不安の少ない時期に足を運びたいですね。都立美術館での企画展は軒並み中止になっているようで、がらんとしていました。カフェは閉鎖、レストランもほとんどというか、全くお客さんがいない状態…初めてみた光景でもありました。

人が多ければ多いでにぎやかすぎて、混みすぎていて…なのですが、人がいなければいないで…寂しさを感じるというのもまた勝手ですが、空いていてよかったのかわるかったのか…複雑な心境にもなったのでした。

こうして機会をいただかないと、なかなか遠くまで足運ぶこともなく今日は貴重な一日でもありました。文部科学大臣賞の受賞、本当におめでとうございます!(思わず、あの大臣の顔が頭に思い浮かびましたけれど)

東京都ろうあ女性のつどい@恵泉女学園大学

久しぶりのお仕事再開…というのか、なんと…鬼の攪乱を実感するわけですが、先週…突然体調を崩しました。いつもどおりに起床し、駅頭宣伝に外出しようと思ったところで頭痛と悪寒で起き上がれなくなるという…ああ、びっくりしました。単なる発熱とでしたが、なかなかきつかった。もっとタフにならねばいけないと思ったわけで、体力づくりをせねばと自覚しております。それにしても、「まさか…え?」という感じでしたが十分すぎるくらいの休養をいただいておりました。

昨日は諏訪中学校の運動会で子どもたちからのエネルギーをもらい、午後は娘の学校の保護者の集いに出席。そして、今日はご縁をいただいて、多摩市聴覚障害者協会のみなさんや手話通訳のボランティアの皆さんが協力をされ、恵泉女学園大学のて開催の運びとなった「第34回 東京都ろうあ女性のつどい」に出席する機会を頂戴しました。何だかとても充実した週末でした。

今日、参加をしました女性のつどいですが、落ち着いた佇まいの恵泉女学園大学。非常にいい会場でした。大学のみなさまが全面協力を下さったそうですが、他市区からも含めて200名以上の方がお越し下さり、みどりの美しいキャンパスはもちろんのことですが、多摩市にもいらしていただけたことをうれしく思いました。世田谷からいらして下さった方は、恵泉女学園の中学高校が立地しているということもあり、「ここに来れてうれしい」と話してくださいました。なんてありがたいのだろうと、そう思いました。

 

朝から夕方までの長丁場のイベントでしたが、内容が非常に充実をしており、もともと手話劇をなさっていた方が撮影されたという「卒業~スタートライン」の上映があり、映画監督をされた谷監督からの撮影にまつわるエピソードなどの裏話を伺うことができ、さらには日本手話研究所の高田先生からのご講演でも映画の内容に通じる「ろう教育」の歴史が触れられ、改めて、過去からの運動の一端を学び取ることができた気がします。


映画は実話に基づいているもののシナリオはフィクションということですが、「3.3声明」のことがテーマになっており、ろう学校で学ぶ高校生たちの行動力を描くものです。映画の描写はそれほど深刻ではなくとも、ここに渦中にいた現実の高校生たち、当事者の想いはいかばかりか…と思います。この時代のことを体験されている方が映画を見ると、悔し涙がぽろっとなるような、そんな映画だと思います。もう一度じっくり見たいと思います。

監督さんは決してプロではない。でも、多少プロではない感じがあっても、そんなことは気にならないほどに見入ってしまいました。この映画が伝えようとしていることは何か、そのことを自分なりに一生懸命に捉えたいと思いました。きっともう一度見れば、そしてもう一度見ればと…回数を重ねるごとに、何か自分の中でもっともっと掴めるものもあるかもしれない。

一度見ただけで、知ったかぶりはできない。ただ、ちょっとだけ、その一面に触れただけの話です。差別の歴史、そこで味わった屈辱…わかったなんてとてもとても言える立場ではなく。ただ、こうした歴史があることに学び、新しい時間をしっかりと重ねていきたいものです。

 

今、多摩市でも、障害者差別解消をめざした条例を制定すべく徐々に前進しています。でも、それと並行して、きっと必要になるのは聴覚障害者のみなさんの母国語とも言える「手話」を言語として認めていく、確立させていくための条例ではないかなと思っています。全国的には「手話言語条例」と呼称されていますが、多摩市でもぜひ制定に向けた取組みを進めたいものです。そして、昨年、市議会健康福祉常任委員会がその動きをリードしてきたわけですし、今任期でも引き続き、その想いをつないでいけるといいなとも考えています(議長でもないのに、そんなこと言ってもねえ…なのですが)。

 

いずれにせよ、私、ようやく元気にシャキッとしてきました。一般質問の通告書の提出締切日も目前。2年ぶりに一般質問するんだなあと思うだけで緊張しています。明日は月曜日!いつもどおり、永山駅の街頭宣伝から始まる週明けです。

今日の集い…素敵なコサージュをいただきました。参加できたご縁に感謝感謝。とても意義深い時間であったとしみじみする夜です。

 

昭和の日。

今日は昭和の日。明日で平成が終わり、5月1日から令和が始まるのですね。時間はいつもつながっていく。どんな時も途切れることもなく…。ただ、つながっていく時間の中に、個々人それぞれにはそれぞれの、いろいろなことがあって、その人なりの節目もあって…。

私にとっては平成から令和に変わる瞬間に、議長という役職が静かに終わり、そして、その役職に自分自身が感じていた緊張がきっと解けていくんだろうなあという感じ。自然にすーっと。

ということなのですが、すでに乞田・貝取コミュニティセンターの運営協議会定期総会にて私の議長公務も最終最後を迎えております。まだ明日まで一応…任期内にもかかわらず、突然…ガスの抜けた風船のようになっております…この寒さに体調がややダウンしております。さらに、選挙直後の蜂窩織炎で抗生物質やらを服用したことが原因?…めちゃくちゃ胃が荒れてしまったのか、ただならぬ口内炎に悩まされております。今は、少しずつおさまっていますが、なんか、私…病気かも?と思うくらいの口内炎でした。

 

さて、この2年間と言えば、まずは、「議長として選んでくださった同僚議員の皆さんに恥をかかせるようなことはしてはいけない」という思いでいっぱい…「議長は挨拶要員」という言われたりもしますが、議会代表として挨拶をする場面を多くいただきました。その度に…ものすごく緊張していました。特に1年目は、見知らぬ場に出かけていくわけですから、いつもドキドキしていました。何と言っても、自分を通じて多摩市議会が評価されていくのだと思うと常に手に汗握る感じです。「自分が恥をかけばいいだけ」では済まされないのだから…と思うと余計に緊張もしました。

自分のことであれば、自分が恥をかけばいいだけですが、議長としては、やっぱりそれは許されない…そのプレッシャーが一番大きかったなと思います。議会を代表するということの意味を考え続けました。そしてまた、市議会と市民を身近にできるにしたい…という思いも持ち続けていましたが、なかなかそれを実践することは難しく…「議長」という肩書の大きさを痛感しました。同時に、より市民に信頼される市議会をつくるためにはどうすべきなのかを考え続ける日々が重なってきたなあと振り返っています。

そんな私の一番最後の公務が、乞田・貝取コミュニティセンターのふれあい館で締めくくれたというのは、私にとってもうれしいことでした。何よりもここで引退される増田議員と一緒に最後の記念撮影をしたこと・・・このめぐりあわせにもありがたく思いました。増田さんのおかげで、私は既存区域で多摩村、多摩町、多摩市…その変遷を目の当りにされてきた皆さんともご縁をいただき、視野がとても広がったと考えているからです。

「地域のために、ふるさとのために汗をかく」…増田さんの議員活動はその思いを貫き、その思いに正直すぎるくらい真っ直ぐ。とかく私は増田さんから、多くのことを学んできました。「まちの歴史を背負う」ということの意味を常に常に考えさせられたのは増田さんが同じ会派にいてくれたから。まだまだ聞くことができていない話もたくさんあると思っていますが。ただし、議員としての活動スタイルは全く異なっていました…でも、だからこそ学べたのだと思っています。「いろんなことを知ってほしい。」と地元神社のお祭りにもいつも声をかけて下さり、一緒にお神輿を担いだことは何よりの思い出!

 

増田さんは私の父と同級生!

そういう意味では議会と言うのは面白い場所、議員と言うのは面白い仕事ですね。ホントなら、「上司と部下」みたいな感じですよね…でも、議員と言うのは「期数」でカウントするので、補欠選挙で当選してからの1年分だけ私の方が長く議員をやっているため、私の方が増田さんの先輩になってしまうという…。

「もう時代は変わっている。ニュータウンとか既存区域とか…そんなことを言っている時代ではないから。みんなでふるさとを良くしなければならない。」…というのが、事あるたびに増田さんがおっしゃっていたこと。その想いをつないでいきたいなって思います。一議員としてというより、一市民としても。

そんなことで、いつのまにか「みどりの日」から「昭和の日」になっていたわけなのですが、「平成の日」も設けられるのだろうか…?

正副議長室にお別れ!新しい会派はいかに?!

4月末までが今の議員任期、そしてまた議長の任期ですが、実質的には今日が平日最後の登庁。議会事務局の皆さんにありがとうと感謝の気持ちでいっぱいで、ご挨拶と思っていたところ…。

「事務局からも議長と副議長に挨拶をさせていただきたい」と。とかく、立つ鳥跡を濁さず…とばかりに、議長の机を片づけ、そしてまた、会派についても今日が新しい任期に向けた会派設置届の提出日だったことから、控室の片づけなどバタバタしていたところでのサプライズ!

局長をはじめ、議会事務局職員の皆さんがずらりと勢揃いをして下さり、「ありがとうございました。おつかれさまでした!」とそれぞれに花束をくださったのです。ありがとう…というのはむしろこちらの方。私、事務局にとっては今までになく…「厳しい」議長だったと思います。たくさんのことをやってもらったように思います。表に見えること、見えないことと…あるわけですが、いろんな意味で厳しさがあったと振り返っています。

そして、「一緒に考え、仕事を支えてもらってきた」とも考えていて、3月末で退職された局長の顔が思い浮かぶわけですが、常に私、局長の仕事ぶりにも目を光らせていたというのか、もちろん、局長にもたくさんの助言をもらってきたのですが、「あーでもない、こーでもない」という私のあれこれに、ホント、議会事務局がよくつきあってくれたなと考えています。

いよいよ、時代は令和に変わり、新しい議会がスタートします。そして、会派の様子も変わっていきます。これまで「改革みらい」ということで最大会派をつくっていましたが、私は「フェアな市政」という会派に所属します。メンバーは折戸小夜子、大野まさき、しらた満、そして私の4名です。一応、まだ新人さんは「議員」ではないので、あえて敬称略しております。

他は…。

自民党・新生会は「新生会」に名前を改めた(と聞いていますが)、メンバーは飯島文彦、桐木ゆたか、藤原マサノリ、松田大輔、山崎ゆうじ…そして、今まで私たちと一緒に会派を組んでいた無所属の遠藤ちひろ、日本維新の会の藤條たかゆきが加わり最大会派です!

公明党は荒谷たかみ、池田けい子、三階みちお、本間としえ、渡辺しんじ。

共産党は安斉きみ子、板橋しげる、大隈真一、小林憲一、橋本由美子。

生活者ネット・社民で伊地智恭子、岩崎みなこ、岸田めぐみ。

単独、それぞれ一人会派で、篠塚元、斉藤せいやとなります。多摩市議会では久しぶりの諸派の誕生ですね。3人以上が交渉会派になっていて、代表者会議や議会運営委員会の議決権を持ちますが、諸派の場合はオブザーバーというかたちで議会運営には参加することとなります。でも、多摩市議会の場合、少数会派の意思も大切にした議会運営が行われますので、少数会派だから不利になるということはないと思いますし、そんなことは許してはいけないと…私は考えています。

いずれにせよ、会派の顔ぶれも決まりましたので、ここで新体制も決まってくるかな。議長、副議長、監査委員という三役についてもどうしていくのかが決まっていくことになるでしょう。議長の選出は最大会派からというのが何となくの決まりでもありますが、必ずしもそうではない場合もありますね。私の前任者である萩原重治さんが議長だった時にも、最大会派ではありませんでした。いかに議会運営を安定させていくのかが大事。そのためには多くの議員から支持される方が議長や副議長に就任するということが必要だと考えています。「この人が議長だったらいいなあ。」というのは自然とまとまっていく場合も多いです。さてどうなるやら?

 

今日は夕刻からは多摩稲城防犯協会の懇親会がありましたので出席してまいりました。多摩中央警察署管内ということで、多摩市と稲城市の関係者の皆さんが集まります。今回は多摩市議会議長が乾杯のあいさつを担当しました。稲城市の北浜議長さん、私、いつもお話しをさせていただくたびに、その洞察力と言うのか温かさというのか、周りへの気配りなどなど…とても尊敬できる方だなと思っていますので、本当は私よりも北浜議長にこそ挨拶をしていただきたいなと思うわけです。でも、これは順番になっているようなので、僭越ながら…お引き受けいたしました。挨拶している写真は北浜議長が撮影してくださいました。

一年に一度、お招きをいただく懇親会ですが、地域の方にもお目にかかることができる大事な機会の一つです。会長さんを囲み、先般の選挙で当選をされた高橋稲城市長、北浜稲城市議会議長、そして飯島文彦議員(多摩ロータリークラブ会長として出席)、私で記念撮影。

2年間を振り返ると、ホントいろんなことがあったなあ。そして、机に置いてあったの花束。改革みらいの代表…大野議員から「議長おつかれさまでした!」と。私が議長となり、改革みらいの代表を大野さんにバトンタッチし、いろいろ苦労おかけしたなあと思っています。「最大会派なんだから」と言われるのはかなりプレッシャーなんですよね。所属議員が全員同じ政党のメンバーとかではなく、個性豊かなバラバラなメンバーですので、それこそまとめていくために、見えない苦労たくさんあったはず。これは察するが易しですね。

2年間、通いつめた(笑)…議長室にも別れを告げ、心機一転。新しい活動を始められることにワクワクしています。とは言え、明日は最後の議長公務がありますので、それが終わってから・・・いよいよ本格始動です!でも、連休中は少し、頭休めしますけれどね。

 

 

ラスト近づく議長公務。

いよいよ議長公務もラストに近づいております。肩の荷がすっと消えていく感じがあるのですが、いえいえ、まだあともう少し残ってる…と気を引き締めております。

今日は多摩消防懇話会、多摩災害防止協会、多摩危険物安全協会…多摩消防協働三団体の合同懇親会に出席させていただきました。多摩消防署と協力関係にある団体のみなさま方で、地域の企業、事業者の皆さんが参加をされています。議長公務を通じて初めて知った活動でもあり、多摩消防署が中心となっています。一議員として活動していただだけでは、きっと知ることがなかったなと思う場の一つ。よい経験になったなと思っている場の一つです。防火あるいは防災…たくさんのかたが関わり、地道な活動が重ねられているわけですから、やはり、感謝の気持ちをお伝えすべく、今日は最後の参加になるのでみなさまにご挨拶をしたかったのですが、次の予定が入っていましたので、残念ながら時間切れ。ごめんなさいという気持ちで向かったのは第72回都民体育大会選手結団式でした。

こちらもまた、議長公務として参加して初めて知ることになったセレモニーです。今年は多摩市体育協会会長=選手団団長のもと、261名の選手の皆さんが多摩市の代表として都民体育大会に臨まれます。去年はゲートボール女子、ハンドボール女子が見事に優勝されています。「参加することに意義がある!」という会長の挨拶から始まった結団式でしたが、各種目に参加されるみなさんからはそれぞれの決意表明があり、「去年よりも勝ち星を一つでも多く!」と意欲的な皆さんばかり。

私、その様子を見ながら…「健幸都市の実現」の立役者の皆さんばかりだなあ!と思ったのでした。もちろん年齢問わずです。スポーツ愛好家の皆さん、背筋がピンとされているなあと感じました。私もそうあらねばならぬ・・・ということで、蜂窩織炎が完治しましたら、ランニング(ランニングマシーン使用)を再開しようと思っています。顔見知りになっている多くの皆さんとご挨拶もさせていただき、いくつか宿題もいただいてきましたので、さて…どうしようかなーと考え中です。

今週も残すところあと2日。明日と明後日にもそれぞれ議長公務。2年間、みなさんにお世話にもなりましたし、多摩市議会のことをこれからもよろしくお願いします!という気持ちにて、立つ鳥跡を濁さず…、次の議長さんにもきちんと引き継いでいけるようにしなくっちゃと思っております。

あと、今日は新しい?というか、次に始まる任期に向けた説明会が開催されました。フェイスブックページも更新されています!

東京都市議会議長会の臨時総会でした。

今週はまさに…私にとっては今の任期最後…議長の仕事をしっかりと完了させる締めくくりの一週間です。蜂窩織炎(読めない…)になってしまった左足も何とか復活!ちょっとした痛みは残っておりますが、初期対応ができたおかげと抗生物質によって見た目は普通です。

今日は東京都市議会議長会の臨時総会でした。町田市議会の委員会室で開催されたのですが…多摩市議会の委員会室の3倍?4倍?…あまりにも立派…そして、26市の議長、事務局長がずらりと並んだ光景は…壮観というのか…やっぱり凄味があるなと感じた次第です。

今年度の予算などについて確認などをして、会議そのものは滞りなく終了しました。その後、町田市議会の議場見学などもさせていただきましたが、ふと頭をよぎるのは、わが多摩市の庁舎の建て替えのこと…どうなるのでしょうね。いったい…。平成41年には新しい庁舎にするという予定になっているわけで、つまりはそれは「令和10年」ということになるのでしょうか?あっという間にその時が訪れそうで、今からしっかりと取組みを進めていかねばならないでしょう。「今のスケジュールを変更しない」ということならばです。庁舎の建て替え問題などについても、他市の議長さんなどとも情報交換ができるような繋がりをつくることができ、そうした意味で、私にとって「議長」というお役目をいただけたこと、本当にありがたいことだったと感謝するばかりです。このご縁をこれからも活かしながら、多摩市議会の運営の在り方、市長と市議会との関係性のつくりかた等などよりよい地域政治を構築するという視点から、市民に信頼される多摩市議会をつくるために努力を重ねたいなと考えています。

今朝は聖蹟桜ヶ丘駅の東口で選挙後の挨拶をさせていただきました。いつものメンバーというか、荒谷議員、本間議員、そして今日は飯島議員も加わりにぎやかでした。八重桜のピンク色、好きだなって思いました。

【今日の一枚】4月14日

いよいよ統一地方選挙後半戦!多摩市議会議員選挙が始まりました。一週間、市民のみなさまに選挙戦へのご協力をいただくことになります。候補者勢揃いで32名かな?私は立候補受付は一番最後で32番目だったのですが…。もしかすると、その後にも申し込みがあれば、増えているかもしれません。

今日は東京土建の多摩・稲城支部の定期大会がありましたので議長として出席をし、議会を代表して挨拶をさせいただきました。立候補受付を済ませてからの会場の京王プラザホテルへ。阿部市長、菅原重美議員も来賓挨拶をされていました。挨拶がひととおり終了したところで、たぶん、来賓者への配慮があったことと思います…休憩をとってくださり、退席を促してくださるという心遣い…ありがたいと思いました。そして、その後…選挙の時に有権者に送付することのできる「公選ハガキ」を出しに行ってくれたスタッフの皆さんと合流。

そして、私の選挙活動もスタートです!市議会議員なのですが、「市議会議員候補」でもあります。今日は自転車で地域を回ることにしました。午後からのスタートでしたので、あまり多くの地域を回ることはできませんでしたが、永山地域では国際交流センターでお目にかかったことがあり、とても上手な日本語スピーチを披露して下さったご家族にお目にかかることが出来ました。多摩市の環境を気に入って下さり、住んでくださっていることもうれしい。今日も桜の花が舞い散り、それこそ春の風情を感じずにはいられない昼下がりでもありました。おそらくお客様と一緒に地域を散策されていたのだと思います。

「写真を撮っていいですか?」

堪能な日本語にて求められまして、ちょっと照れくさくも…うれしかった!一緒に撮影をさせていただきました。ですので、これを今日の一枚にします。

桜残って…入学式。

 

本日は市内中学校の入学式でした。諏訪中学校へ伺いました。荒谷議員、橋本議員、向井議員とご一緒…さらには、今日は阿部市長も同席されるという当たり年でもありました。市長は、市内10校を順番に出席されているのです。そしてまためぐりあわせとしては・・・私がたまたま議長でもあるため・・・「市長も議長もいるなんて…」と周りの皆さんがおっしゃってくださったわけですが、何ともこうしたときに「議長」という肩書きに重たさを感じるわけです。私にとっては毎年変わらずで、地域の一議員として出席をしているからです。

新入生、そしてまた去年から1つ学年が上がった2年生、3年生にも小さい時からを知っている子どもたちも多く、みんなそれぞれに大きくなったなあと感激する式でもありました。

そして、桜がまだまだ残っている入学式もここ数年では意外と珍しいかもしれない…。道路に舞い落ちている花びらのピンク色と、まだまだ咲いているお花とのコントラストと晴れた空、入学式にはぴったりの一日でした。

入学式に合わせてのアート。特別支援学級の生徒の皆さんが作成したもののようです。方向を違えると、浮き上がってくる絵が違っているというわけですね。こういう作品、素敵だなあと思うのですが、動物の絵がなかなか癒し系な感じで、とても気に入りました。ハリネズミがかわいいですね。

それにしても、今日は朝から冷たすぎました。風の冷たさというのか、かなりの冷え込みにはまいりました・・・。今朝は桜ヶ丘東口で荒谷議員、本間議員と一緒に活動をしていたわけですが、冬に逆戻りを感じずにはいられませんでした。そしてまた、朝に身体がずいぶんと冷えすぎて、貼るホッカイロの枚数を増やさねばならないとも思ったのでした。

今日は東京都消防庁第9方面本部長さんが交代されたとのことでご挨拶にいらっしゃり、副議長と対応をしました。議長、副議長、やっぱり何かといろいろ用事が入りますし、対応しなければなりません。その合間を縫いながら、お声かけをいただいたりしますので、対応をしたり、あとは・・・自分のニュースをポスティングしたり。

何だかんだやっているとあっという間に一日が終わるのでした。睡眠をきちんととっておかないと、次の日…朝から元気になれないですからね。さらに早寝早起きしないと。

 

さくら満開!

市内は満開で、ゆっくりとお花見をしたい…という気分はさておきの議長公務の一日でした。多摩センターさくら祭りの開会セレモニーでは、春の光が降りそそぎ、ポカポカを超える暖かさというのか暑さになり、むしろ陽ざしに日焼けを心配しながら、ご挨拶をさせていただきました。乞田川のせせらぎと満開の桜、そしてまた時折風が吹いたら、舞い落ちる花びらと…。多摩センターのさくら祭りの主催者は多摩センター商店会のみなさんですが、どちらかと言えば、古くから多摩に所縁のある方々で、‘地元愛’というのか、とにかくも地域を良くしたい、盛り上げたいという気持ちで取組んでおられることが伝わってくるのです。ただ、商店会の活動も会員になっているみなさんそれぞれが本業でお忙しいということもあり、イベントをまわしていくことも大変だという話しも伺ったことあります。こうしたお祭りにも最初から最後までお付き合いすることが出来ず、せっかくお招きをいただいたのに…と思うわけですが、どこかでまたお手伝いしたいなあという気持ちになりますね。頑張っておられる皆さんの心意気に触れると、一緒に活動したい、応援をしたい気持ちが自然とわいてきます。

ところで、多摩センターのさくら祭りではオープニングの太鼓がすばらしく、聴き入ってしまいました。幼稚園くらいの子どもがちゃんとリズムを刻み、太鼓を打つ姿がかわいらしかったです。

乞田川に浮かぶ花びらがまた、いいのですね。味わい深い感じです…それにしてもお花見日和でしたので、乞田川沿いを歩きたいなあと思いましたが、そうこうしていられず…せいせき桜まつりへ。まずは、お目当ては「浪江焼きそば!」だったのですが、既に長蛇の列…。

ですので、開会セレモニーが終わってから…残っていますように…と願いつつ、とりあえずはその場を去りましたが、やはり200食はあっという間に完売してしまったようです。来年はもう少し、食数を増やしてもらいたいなあ。食べて飲んで、東北を応援すること…それほど大きな胃袋は持ち合わせていませんが、それもまた私のできることかもしれないなあ。

九頭龍公園でも満開の桜の木のもとでレジャーシートを広げた家族がたくさん!

 

そして、開会セレモニーでご挨拶をさせていただいたのちに、恒例の交通安全のパレードに参加。ハローキティちゃんも参加して、とても華やかで賑やかでした。

 

私も市長や商店会連合会の平会長、社会福祉協議会の伊藤会長をはじめとするみなさんと一緒、見事な桜のアーケードのもとで歩かせていただきました。その後は、観蔵院の会場に足を運んだり、九頭龍公園会場に戻り、「お茶っこサロン」にご挨拶に行ったりして…ちょっとプライベートに戻るひととき。

と言っても、娘のボーイスカウトの保護者会。「あなたは、私のことは忘れているのではないか?」という辛辣な一言を遠慮なく言い放つようになった成長ぶりを歓迎し・・・?とりあえず出席してきました。そうはいっても、次の公務がありましたので、途中までで退席したわけですが。

そして、ブラスフェスタ多摩2019にお招きをいただいていましたので、ありがたく鑑賞させていただきました。突然に、「挨拶をお願いします。」と言われてしまい…焦りました。というのも、昨年はお招きをいただくも、伺うことが出来なかった記憶ですし、これまで一度も足を運んだことのないコンサートだったからです。自分がよくわからないままに挨拶だけをするというのはとても苦手なんですよね…私。実際に経験したことないことを、あたかも経験したことあるように話すなんてこと、とてもとても私にはできないことなんです。一番苦手。心無い挨拶というのか、うわべだけの挨拶は人には伝わらないような気がしてなりません。そんなわけで、私は挨拶をするときにはある程度…事前知識を頭に入れることにしているんです。そしてまた、私が失礼なことをするというのは「私が」ではなくて、「多摩市議会議長」がですので、そこにはやっぱり、多摩市議会として恥ずかしくないようにせねばと、それこそ、見た目以上に私はいつも緊張をしています。

ですので、私…ものすごく慌てました。大丈夫かな…私とか思いながら、冒頭で挨拶をさせていただいたのですが、なんと私…思わず、「ようこそパルテノン多摩へ!」ということを言ってしまいました。こんなこと言うつもりなかったのに…(笑)

ちょうど朝日新聞の朝刊に、ブラスフェスタ多摩のことが掲載されていましたが、ここで、稚拙な文章でつづるのは申し訳なさすぎますが、すばらしいコンサートでした。そしてまた、パルテノン多摩に定着してきたコンサートをこれからも継続させていかねばならないと強く感じました。私たち多摩市の文化政策を語るのであれば、まずは何を見て、何を感じて、そしてまた何を考えるのかが大事であることも改めて認識させられたひとときでもありました。

コンサートが終わってから、控室にご挨拶に伺いました。わざわざ大阪からいらしてくださってブラスフェスタの合同バンドの指揮をとってくださった丸谷昭夫先生です。先生は片倉高校の演奏の際にも指揮をとっておられたのですが、譜面台にはプログラムがのっていただけ…「あら?楽譜は?」と思ったので、そのことをお伝えしますと…「そんなところ見ていたの?」と驚かれました。でも、驚きますよね。指揮者のみなさんの譜面台…楽譜がのっているのが普通ですよね。そんなわけで、丸谷先生と数分だけのご挨拶をさせていただいたのですが、とてもありがたくうれしい出会いになりました。「また多摩市で再会したい!」と思います。そのためにはブラスフェスタ多摩が継続されなければなりませんから。

これで私の日曜日が終了…ということです。平成最後…なんてことを言い過ぎているかもしれませんが、平成最後の日本の春…今年は…考えてもみれば長く桜を楽しめてよかったなあ。

ささやかだけれど、私たちができること。

明日のせいせき桜まつりのプレ企画として実施された「3・11後を語る会」にお招きをいただきました。毎年、プレ企画として浪江町からのゲストをお迎えしています。ちょうど、明日のせいせき桜まつりでは九頭龍公園に「うまいもん屋台村」が出店し、いつも大賑わいになっているのですが、東日本大震災の復興支援として東北に所縁のある飲食ブースが開かれるのです。

浪江町と言えば…「なみえ焼きそば」ということで、これがまた大人気!なみえ焼きそばをお目当てにしておられる来場者もいるくらい。明日も楽しみです。

ということで、今年も、浪江町商工会前会長の原田雄一さん、浪江焼麺大国の鈴木昭孝さんがお越し下さり、さらに、今回は浪江町副町長の佐藤良樹さんも加わったミニシンポジウムに、「復興」のことに想いを馳せ、改めて支援の在り方を考えるひとときを持つことができたように思います。多摩市からは阿部市長がプレゼンターに。原発問題、あるいはエネルギー問題にはかなり想いのある阿部市長は…議会の時とは異なり、何だか伸び伸びと発言していたのが新鮮で、印象的でもありました。

シンポジウムのファシリテーターをつとめられたのは、東北復興支援の取組みを牽引されてこられた桜ヶ丘商店会連合会の平会長。「商店会連合会としてもこうした取組みを今後もどのように継続していけるのか、支援のかたちをどうしていくのかが課題」というご発言もあり、時間の経過とともに私たち一人ひとりの日常やくらしのなかで、「東日本大震災被災地の復興」がだんだんと風化していることにどう向き合っていくかと投げかけてくださったように思います。

私はずっと話を伺いながら、「自分ができることは何か?」と考えていたんですね。大上段から構えて、偉そうなことは言えませんし、自分自身の日常を考えても、四六時中「復興」のことを頭の片隅に置きながら、何か行動をしているというわけではありません。もちろん、何かの時には「あの時は…」と思い出すわけですが、日々の暮らしは…自分を取り囲んでいる環境に対応するので精一杯です。考えてもみれば、私の日常の中でできることって…「なんて、少ない」…と思っていたわけで、せめて今年は少し時間に落ち着いたら、浪江町に足を運べるかな…と思い巡らしていたのでした。

そんな私に…「議長さん、何か、ご意見は?」などと感想を求められ、あまりにも不意だったもので…。

思わず口に出た言葉が「忘れない…これが私ができること」なんて呟きのような感想を述べてしまいました。また、こうしたシンポジウムに参加することを通じて、考える機会を持てることはありがたいなあとしみじみと思っていたことから、ついつい「もし、来年も同じような企画があれば、私だけではなく、もう一人一緒に連れてくることが大切かな」と…何と、気の利いたことが言えなかったものだと後から反省と言いますか、恥ずかしくなるようなことを述べるにとどまってしまいました…。終わったことですので、仕方がないのですが、私一人にできることはホントに小さいことであり、ささやかなことだなあと思うものです。

復興支援に投じられている税金のこと、被災地のみなさんのくらしの再構築…もっともっと当事者の立場に立った、現状に寄り添う取組みが進んでいかなければならないように感じています。浪江焼麺の鈴木さんは飾らない言葉で今の現状を語ってくださり、それを横で聞いておられる佐藤副町長さんの表情を眺めながら、「現場で起きている矛盾」に向き合う苦渋を感じてしまったのは私だけでしょうか?

もっともっと話しをつっこんで伺えるようになりたいと思いましたし、そのためにも現地に足を運び、見てこなければならないと感じました。昨年、同じ会派の折戸議員、増田議員、藤條議員とも福島第一原発を遠目にみるところまで足を運んだのですが、私たちは自分のためにも学び続けていかねばならないのだと考えています。

桜ヶ丘商店会連合会の皆さんが浪江町との交流を中心に、東日本大震災のことを風化させてはいけないと取り組んでおられること、時がたてばたつほどに意義深いものになっていくような気がします。記憶はいつしか風化してしまう…でも、交流や支援の取組み一つ一つが記録されていくこともまた大事なことになっていくでしょうね。自分自身に何ができるか、大したことはできないわけですが、ささやかながらも自分ができることは怠らず…ここを心がけながら、日々を過ごしていきたいものです。

今年は満開の桜に迎えられるお祭りになりそうですね。明日もまた、お祭りの開会セレモニーに参加させていただく予定ですがとても楽しみです。