2010年12月13日

「心の病って言わないでほしい。」

 今日は朝の永山駅からスタート。私は思ったよりも寒くなかったのですが、どんどん冷え込んで足元ストーブ欠かせない一日でした。「カイロ使って!」と寄附をしてくださった方があり。寒い時にほっとする一言が心身を温める気がします。

 さて、今日は南多摩保健所が主催をする「統合失調症の理解と対応」という学習会に足を運びました。講師は駒木野病院の院長の菊本さん。もともとは東京都職員で旧府中病院や松沢病院、多摩の精神保健センターにも勤務経験があるお医者さんです。講演は主に家族向きで、豊富な経験から、「接し方」「考え方」などを中心に話をしてくださったのですが、その内容は私自身も仕事をしている中で配慮をしなければと気づかされること、そしてまた子どもに接する時にも気をつけなければいけないなと思わされることなどたくさんのヒントがありました。

 全国では300万人を超える患者さんがおられ、少なくともその背景にいる家族の存在も考えれば約1千万人以上、「統合失調症」に苦しんでいらっしゃるかたが存在すること。ごくごくありふれた病気であること、薬と上手くつきあっていくことの必要性、そしてやっぱり「人権尊重」という視点をきちんと持った対応ができなければいけないということを強調しておられました。家族も含めて、地域で孤立し、親戚づき合いをなくしてしまったり、取り残されていってしまう状況などのエピソードなど、事例の紹介もありました。今日の参加者は患者さんの家族会の方も多かったので、休憩時間に集められた質問用紙は20を超えているという状況。そのくらい悩みが深いということなんだろうと察した次第です。もちろん全ての質問に回答できる時間がなかったのが残念だったくらいです。


 伺った話の一つとして患者さんが「心の病って言わないでほしい。」というのがありました。「ちゃんと病名で診断されれば、治療しよう、治そうという気持ちになるけれど、『心の病』と言われると治療しようがないように思えてしまう。」と。「なるほどなあ」と先生は理解が出来たとおっしゃっていましたが、確かにそうかもしれませんね。
 よく「心に風邪をひく」という言い方をすることもありますが、私自身は統合失調症の治療をなさっている方には、「心がちょっと疲れすぎちゃったんだね」という気持ちで接するようにしています。悩みを一人で抱え過ぎてしまったり、気持ちの表現ができなくて重くなってしまったり、鉛の塊が心にどーんとのしかかってしまったらどういう気持ちになるだろう・・・当事者でなければわからないはずですが、寄りそって話に耳を傾けることのできる自分になりたいものです。


 悩みのつぼに入り込んでしまう前にどこかでホッとできたり、周りが気がついてあげたり・・・そうすることで統合失調症の症状を緩和することにつながることもあるようです。先日話を聞いてきた自殺対策にもつながっていく話だと思いますが、やっぱり地域全体の包容力が問われている気がします。ギスギスしない社会環境を目指したいですね。忙しすぎ、スピードが求められすぎる・・・みんなが余裕なくなる中で失われてしまったものが見えてくる気がする講演を聞くたびにそう思います。

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2010年12月10日

「合理的配慮」という考え方

 今日は総務委員会がありましたが案件は請願と陳情。結論を見届けてから、パルテノン多摩で行われた障害者支援についての講演会に行きました。この講演会は「関東信越ブロック精神保健福祉センター連絡協議会」の公開講座と言う位置づけになっていたようです。全国には精神保健福祉センターが67か所あり、関東信越ブロックには17カ所。ここが情報交換や研修などを行っていて、今回は都立多摩精神保健福祉センターが幹事を務めていたとのことで会場がパルテノン多摩だったようです。

 講師は藤井克徳さん。現在、国の障がい者制度改革推進会議議長代理を務めていらっしゃるとのプロフィールでしたので、自立支援法の行方も含めて、話を伺いたいと思ったので参加をしました。講演の内容はとてもわかりやすく、議長代理をなさっている会議の紹介なども含めて、考え方の整理をすることができました。この会議では当事者が半分以上、会議進行の工夫もなされていて、進行がわかりにくい場合には「イエローカード」、ちょっと理解ができない場合には「レッドカード」を用いて意思表示をする、部屋の温度調整など等ととても配慮に行き届いて会議の運営が行われているそうです。多摩市でも障害者の計画を策定する際には当事者参加の視点を入れようと努力をしていますが、やっぱり国の方はそのモデルになるような会議進行が行われているんだなあと思うと、このやり方が広く普及することを願うものです。
 それにしてもまだまだ知らないことが多く、新たな制度改革ではやっと「手話」が言語として認められるようになるという話にはただただ驚きました。


 新たな制度改革が進むとなれば、そこに「合理的配慮」という考え方が位置づけられ、みんなが対等になるための支えあい、合理的配慮が欠如していることが「差別」に認められるようになるとか。そのために、個々に応じての支援が行われることになる・・・・ことを目指すものですが、そんな話し合いをしているところにすでに財務省は・・・・・「これを法定化すると金がエライかかるようになる」と横槍を入れるのだそう。ルールとして定めるということの意味の大きさを感じさせるエピソードです。


 当事者でなければわからない気持ち、感覚が制度づくりに反映されるべきというのは当然のこと。でも「当事者性」をどう捉えるのかと言うのは難しいことでもあり、一口に「障害」と言ってもケースは千差万別、百人百様で十人十色。でも、人権を尊重するとの視点を追求するならば、「大多数」の平均的なところ、水準でサービスをしていても保障されていかないことは過去から今までのさまざまな問題をみていてもわかることでもあります。とはいえ、その保障をいかに進めていくのかしかも税金を使いながら公平性も担保しながら進めていくとなれば、またものすごく難しい。悩みぬいても答えが出ないのかもしれません。


 明日は第3回目のタウンミーティング。会場を桜ケ丘周辺へと移します。
 日時:12月11日土曜日 14時から
 場所:関戸・一ノ宮コミュニティセンターつむぎ館会議室
 主催:民主党TAMA くしぶち万里衆議院議員 しのづか元都議会議員
        遠藤めい子市議会議員(司会)
        大野まさき市議会議員と岩永ひさかが参加します!

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2010年11月12日

「ここに来ているから、元気になれる」その③

 今日は唐木田駅で議会報告会の宣伝活動をしてからスタート。唐木田周辺を活動エリア(別名:テリトリー)にしている議員さんを中心にチラシを配布しました・・・・これらの宣伝効果が本当に気になるところ。明日明後日がいよいよ議会報告会の本番です。

 にも関わらず、私・・・・相変わらず扁桃腺が弱いので・・・・ウイルスがひっついたようで数日前から喉が痛く、今日はついに声がガラガラ・・・・。明日までに何とかなりますように。本番にめっちゃ弱いです。


 さて、訪問シリーズの生きがいデイサービス体験の最後の施設。白楽荘に訪問してきました。白楽荘は幅広く高齢者に対するケアサービスを展開しています。そんな施設の一角にある生きがいデイ。やはり通ってこられる利用者の方には欠かせない居場所となっているようです。


 今日は特にパワーのある利用者さんが来られるとのこと伺っていたのですが、その通りに圧倒されるくらいのご達者ぶり。「女子高のよう」という職員さんの表現がまさにぴったり。私の女子高時代を思い出しました。「ここにきているから、元気になれる」「ここに来るととっても疲れるけれど、でも帰りたくない。」「ここに来週も必ず来たい、来よう!と思うの。そのことが本当に気晴らしだし楽しみ。」そうお話してくださる大先輩達。生きがいデイに来ることが生きる目標の一つになっている方もおられるように感じました。


 70歳を過ぎて、もっと言えば80歳を過ぎて、家族の都合で多摩市内に転入されてこられる方にとっては、「いくら地域にたくさんの活動場所があったとしても、敷居が高い」という実情は想像に難くありません。地域に引っ越してきて、自治会のシルバー会に入ってはみたものの、既に完成しているコミュニティには入りづらい、話の内容についていけない・・・・だから足が遠のいてしまったの・・・こんな実際の体験談も伺うことができました。


 「まずは引っ張り出す、家族は押し出す。」・・・・いい意味でプライドを持っている高齢世代の方を地域参加させるところに並々ならぬ苦労があること。「やっと、ここに来てくれた。だから引きこもり防止をすることができた。」・・・高齢になり住み慣れた地域から移動してきた方の精神的な気力の衰えは体力減退にもつながっていき、やがては介護にと陥りやすくなるところを、まずは生きがいデイに参加することにより、友人ができ、話をする場所ができ、居場所ができ、気力回復していくこと・・・ここが何よりの、何かデータや数値では掴みにくい生きがいデイの存在意義になっているような気がします。


 ちゃんとスタッフが見守ってくれる。だから、つまらない小競り合いもないし喧嘩もないし、「本当にいいところ。」「生活のハリ。」・・・週に一度のこの日を心待ちにしながら他の日々を過ごしている利用者さんは他は病院以外には居場所がなかなか持てずおられるのが実際。ここに来ることを何よりの楽しみにしていることをその姿全体から感じることができます。スタッフの方にお話を伺えば、「グレーゾーン」の方にどこまで頑張ってもらえるのか、そこにスタッフとしての見極めがあるのだということを感じます。介護保険に移行しないようにスタッフと家族とでおじいちゃんやおばあちゃんを支えているんだと思います。


 いきがいデイサービスについては議会内でもさまざまな意見もありますし、私ももっと有効有意義に活用できるような気がしてなりません。そうすることで地域に不可欠な場所としてもっと認識されていくようにも思います。「今の若い世代が15年後20年ごと高齢の両親の介護し、面倒みることをあてにはしない。」それを前提にした高齢者施策の展開を考えていかねばならないと思います。その時にいきがいデイサービスがどう位置づけられるのかを考え直すことが必要なのかもしれません。


 他の自治体ではどうなっているのだろう?それも調査しなくては・・・やること山積み。

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2010年11月08日

「ここに来ているから、元気になれる」その②

 先月訪問した諏訪の「みのり」、永山の「よりあい」に引き続いて、今日は桜ケ丘の「さくら」を訪問しました。

 「一日社会科見学」という気分で、利用者のみなさんと一緒に健康体操をしたり、歌を唄い、そしてお食事をいただきました。「さくら」の場合は受託しているのが医療法人なので、健康体操は同じグループ内から介護福祉士の方がいらっしゃり、指導をしてくださっています。歌などについても音楽療法の方が来てくださっているとか。介護予防の健康体操は好評で、「この体操のおかげで」とにこにこされている方が多いのが本当に印象的です。「全く動かなかった指先、手が動くようになったのも病院のおかげではなくて、この体操のおかげ!」と何度も繰り返しお話をしてくださったおばあちゃんは86歳でした。ちなみに、「さくら」ですが、利用者さんの平均年齢は9月の時点で87.4歳とのこと。今日も92歳の方が数名おられた様子です。

 「いきがいデイサービスは介護予防のためにどのくらい貢献できているのか?」

 そんな質問も議会では行われますが、実際に利用者の方々の様子を見ていれば、そしてまたお話をすれば理解できる気がします。職員の方からは「さくらを利用するようになって、生活リズムが整い、再び台所で家事ができるようになった方がおられる。」という話も伺いました。貢献度を数値化することは当然ながら難しいわけですが、「ここにきているから、元気になれる」というのが利用者の皆さん共通の思いではないかと感じます。

 議会では、高齢者が増える時代に高齢者施策全体を見直し、「いきがいづくり」がデイサービス事業なのかといえば、もっと他の展開があるのではないかとの意見もあります。確かに財政的に余裕が有り余っている時代ではなく、趣味・スポーツなどいわゆる生涯学習と言われる分野に重点を置いていくことを優先させていくというのも考え方の一つだと思いますし、そう考えてきました。

 でも、デイサービスセンター3か所目の見学でも感じたことは、「ここに来なければ、閉じこもりになってしまう」高齢者が多いということです。そしてまた、今日の場合強く感じたことは・・・・利用者の皆さんは10年、20年前は地域の自治会やコミセンで活動もされてきて、いわゆる「卒業組」の方であったということ。「うちのお嫁さんくらいなら、コミセンでもいいかもしれないけれど、私はもう無理ね。」とおっしゃる気品のあるおばあちゃんは90歳!とか。


 ご家族の方と一緒に過ごしていても、やっぱり・・・遠慮があるようです。「息子夫婦のところに口を挟んだら申し訳ないから、家に帰ったらほとんど自分の部屋にいる。」ということをおっしゃった方に他の方も「私も」「私も」・・・と。「ここに来ているから、お腹から笑うことがあるの。お家ではなかなか笑わないでしょ。」。


 「いきがいデイサービスのおかげ」


 ということで、仮にもいきがいデイを整理してしまうとしたら、それに変わる地域資源を見出さねばなりません。やっぱり運営主体の責任という観点から考えて、利用者のご家族の「安心」をつくりだすという点で言っても、今のところ、変わる地域資源があるかと言えば、「あるようでない」というのが現状とも言えます。いきがいデイは65歳以上が対象と言うことですが、利用者さんの年齢層はぐんと高いことを考慮することも必要かもしれません。地域のケアシステムを考えた時、「いきがいデイサービス」をどう位置づけていきたいのか、むしろ行政に問われている気がします。


 「ここはとってもいいところだから、近所の方もお誘いするんだけれど、何か老人の施設だからなのか、体験しようともしない方が多くって。だけど、犬の散歩しかしないようだと体に悪いと思うし。お友だちができるし、やっぱり人とお話をするというのが一番ありがたいこと。」


 私の祖父や祖母と同じくらいの年代の利用者の皆さんから、いろいろなお話を伺うことができました。施設にいる祖父は、家族が少し訪問しない間に「言葉を忘れてしまう。」状態になってしまいます。実際にも祖母がなくなり、昼間の自宅で会話する時間が減り、そして記憶に障害が進みました。


 「日曜日になるとね、明日は『さくら』に行けると思うから、とってもわくわくして嬉しいのよ。」


 本当はもっともっと地域に利用されてもいい場所の一つ。聞くところによれば、ようやっと「いきがいデイサービス」の紹介パンフレットのようなものを作成したんだとか。厳しい財政状況と環境があり、サービスのあり方に見直しが迫られているとはいえ・・・・・では、果たして、一番最初に整理統合、廃止をするのはどのサービスなのか?を考る時、「いきがいデイサービス」が優先されるべきものなるのか?熟考していかねばなりません。次は「白楽荘」にも伺います。「ちょっと見る」だけではなく、一日体験してみると違った捉え方もできるようになるので。


 前回にしろ、今回にしろ・・・・とにかく受託している事業者は努力に努力を重ねて、利用者の皆さんにホスピタリティを尽くしていることだけは事実。ここはやっぱり評価されるべきだと感じます。「できれば、地域で見てあげたい。」とベストを尽くして何とか介護保険に移行しないように踏ん張っている職員と利用者のご家族と・・・・そこにある努力は凄いもの。いろいろなレクリエーションなど、講師の先生方も全てがボランティア。運営状況を想像することができますね。

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2010年10月21日

「ここに来ているから、元気になれる」

 今日は諏訪・永山のいきがいデイサービスセンターの一日体験。健康体操のプログラムをご一緒させていただき、その後、利用者の皆さんとお話をしたり、運営しているNPO法人あいファームの理事長をはじめスタッフの方との意見交換をしました。

 いきがいデイサービスと言えば、議会でもたびたび話題として、そして改善が必要だと指摘されている高齢者への福祉サービス。今後ますます高齢化社会を迎え、高齢者が増える中で、高齢者の生きがいづくりのためにデイサービスが必要なのかどうか、もっと別の形で税金を有効に活用すべきではないかとの視点から、見直しの方向が示唆されているサービスの一つです。

 私はちょうど大学を卒業し、就職をしてから間もなく、何となく仕事に悶々としている時に出会ったのが「いかに引きこもりの高齢者を減らすのか」という市民の意見交換の場でした。高齢者社会参加拡大というテーマで協議会が行われていて、そこに参加したのがきっかけで地域活動にちょっぴり目覚めたと言ってもいいと思います。ちょうどその協議会で一緒にテーブルを囲んだ一人にあいファームの理事長さんがおられました。今日はちょっぴり原点の原点の原点に立ち戻った気分で、高齢者福祉の分野、それも議会でも話題になっている「いきがいデイサービス」のことをもう一度、自分の目で確かめてみたいとの思いから見学をしたのでした。


 実際の利用者のみなさんは、本当に喜んで通われています。特に今日のプログラムである健康体操は大人気のようで、私もストレッチなどしたのですが、かなりハードで息切れしましたし、体の衰えを実感したのでした。ストレッチやらないと、加齢とともに大変だ!とちょっと危機感を持ちましたが、そんな体操を週に1度でもやり続けているおかげで、病気知らずでいられると話をされている方が多かったのが印象的。かなりきついプログラムだと思うのですが、時にはスタッフの手助けも借りながらも、全身を動かす体操を約40分~50分くらい(途中の休憩は1回)こなすって凄いと思いました。「はじめは、こんなんじゃなかったのよ。」・・・・とにっこりほほ笑みながらお話を下さった方もおられますが、テンポのいいリズムに乗せて歩いたり、手を上下させたりなど・・・・私でもヒーヒーでした。


 利用者の方がここを居場所としている様子。ここがあるから、引きこもらないで活動できる、社会とつながっていられる・・・・そんな雰囲気を感じながら、いきがいデイサービスセンターの役割と存在意義を再考する時期に来ているのかもしれないと思っています。もちろん高齢者がどんどんと増えていく社会で、定員制で運営されているいきがいデイサービスセンターのあり方そのものの見直しが余儀なくされていることは確かです。けれども、だからと言って、すぐに無くせるようなものではなく、今日の場合には永山と諏訪の地域で10年間ほどの着実なる経験を積み重ねてきたNPOという事業体そのものの存在意義が同時に問われているような気もしました。ある意味で、NPO事業者と行政とのパートナーシップという点でも先駆的な取り組みです。NPOでの活動は介護保険制度の導入とともに一気に広がりを見せていった、介護保険の担い手としてのNPO活動、NPO事業として成長してきたとも言えるので。まさに老舗?!


 そもそも「いきがいデイサービスセンター」そのものの成り立ちの経緯も考え合わせつつ、今後最も最良な選択を進めていきたいわけですが、地域で展開されている他のいきがい活動(公民館、図書館、コミセンなどなど)とはまた違った役割があるような気もしています。まだ言葉にできないで、脳みそと心にいろいろと今日聞いてきた話や見てきた状況などさまざまな景色が散らばっているのですが、このまま「不要」としてしまってもいいのかどうか躊躇するなあと・・・そんな気分です。


 とても金食い虫のサービスのように見られているいきがいデイサービスセンターですが、実際の運営は実態として「ゆとりある」ものではありません。一人ひとりの人としっかりと向き合っていく、話に耳を傾けていく、健康状態や心の状態を見極めていくところへの労力は並大抵のもではありませんし。


 いろいろ考えさせられるなあ・・・・ということで、帰り道には、お隣の「若人塾」さんにもお邪魔をしました。若人塾さんとも実はちょっとしたご縁があるので。


 どこかに居場所がある、家の中ではなく、外の社会とつながっている・・・その必要性を今日はたっぷりと感じた一日でした。

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2009年08月07日

ワクチン後進国日本

 先日、VPDの勉強会に参加して以来、関係する情報収集をしています。今朝の朝日新聞の朝刊28面に記事が掲載されていました。木村盛代さんのサイトをはじめ、日本のワクチン行政の遅れぶりは市民にはまだあまり認識されていないかもしれませんが、医師などその道の専門家の多くが指摘するところのようです。

 我が家のかかりつけ医まえはら小児科の前原先生のところに行ったついでに、VPDのことを話をしてきましたが、先生自身が個人的な活動としてパンフレットなどを市内の保育園幼稚園などを中心に配布し、理解を広げていきたいと考えているとお話されていました。

 多摩市も啓発活動に力を入れるべきだと思いますが、やはりそこには重しとなっているのが厚生労働省?!「国の方針通りにやっています。」と言われるがオチなのかもしれません。もう少し自治体財政に余力があれば、独自での予防接種奨励、そのための助成も可能だと思うのですが、そこまで踏み込んだ対応ができないことも腰が上がらない要因だと感じます。


 だから、国の姿勢を変えていく必要がある!国政が変われば、この分野でも大きな方針転換が期待できるのかなあと思います。

 今日も午前中は宣伝カーに乗車をしました。選挙の時には多摩地域全体を統括する民主党の「三多摩事務所」というのが設置され、そこから民主党の政党カーがやってくるのです。私たち多摩市が所属をしている23区総支部の宣伝カーはお馴染みのイエローカーです。どうしてイエローなのかはわかりません。虫が寄ってきそうな車輌の色は私好みではありませんが、すっかり慣れました。


 というわけで、明日も宣伝活動をする予定になっています。

 

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2009年04月24日

救急車足りない。

 以前から指摘をされていたことだけれど、多摩消防署には救急車が1台しかなく、救える命への対応が万全とは言えない体制になっています。
 一方で「つまらんことで救急車を呼ばないでほしい。」という言い分もあるようですが、だからと言って、適時適切に対応できないことの理由にして、万全な体制を整備しきれていない状況を正当化するものではないのでしょうね。

 今日は救急車の到着が遅れ(町田から来た)、救命救急センターを5か所もたらいまわしにされ、ようやく病院にたどりついてからも2時間ほど待たされ・・・・という話を伺い背筋が寒くなりました。ようやく一命はとりとめたものの・・・・救急救命体制の不備への怒り、憤りを抑え、状況をお伝え下さり、同じ思いをする人がいないように何とか状況改善できないものだろうかとのお話でした。救急救命センターも休日対応でいえば不十分にしか受け入れ態勢ができていないことも実感したといいます。「何のための救急救命センターなのか。」看板に偽りありとも言いたくなるのは家族であれば当然のことでしょう。


 緊急医療体制といえば、妊婦さんが都内8か所の病院をたらいまわしにされたあげく死亡した事件も記憶に新しいですが、病院そのものの受け入れ態勢を整える以前の問題にあるのが救急車の配備数の問題かもしれませんね。高齢化社会が進んでいくと、それこそますます救急車へのニーズは高まるでしょうし、せめて多摩消防署にも「もう一台」と言いたいところです。こちらもやっぱり行政の効率化合理化云々のしわ寄せ、公務員削減のあおりを受けているのでしょうか?何だかおかしいですよね。


 今朝は朝日新聞の朝刊にも「公立病院の3割 病床削減」という見出しでトップ記事に調査記事が掲載されていましたが、医療問題・・・・なぜこんなにまで命を救えない状況になっているのでしょう。多摩市だけでどうにも解決できない問題とも言えますね。まさに都政や国政との連携で解決していくべき課題だと思っています。

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2009年04月23日

公立病院についてちょっと知識を得る。

 東京自治研究センターの月例フォーラムに参加しました。テーマは「都立病院・公立病院の果たすべき役割」。講師は星和夫さん。星さんは元青梅市立総合病院長をなさったあと現在は別の病院に移られていますが、病院経営という視点で財政環境厳しい青梅市の病院で「黒字経営」なさっていたという実績があり、都の医療関係の審議会その他でも委員をつとめられ、今でも特に公立病院改革という点では各地から引っ張りだこなよう。さすが・・・・元気。高齢でも頭脳明晰で闊達と言えば思い出す日野原重明さんと同様に、パワーポイントの資料を使いながら明瞭明確に講演なさる82歳のお姿にはそれだけで圧倒されます。

 星先生は医師不足、看護師不足を招いている状況は厚生労働省の原因でこうなることは最初からわかっていたことだと指摘されていました。公立病院はさらに総務省の公務員改革=削減の余波も大きく受けていて、病院職員である医師その他の数もその一環で減らすこと余儀なくされているという全くおかしな状況になっているのだそうです。つまり、公務員改革で人員削減迫られている自治体・・・・病院で雇用する職員を減らさなければその分事務の一般職員を減らねばならず、なかなかそれもでききらないから同じように医師数も看護師数も減らすということになっているわけです。
 そのため例えば看護師一人あたりの患者数にしても民間病院では1:7なところ、公立病院の平均は1:10で、改善もできなかったり、また医師などの給与も人事院勧告に基づくため一般職員の給与と同じように賃金カットが行われてしまい、人材が民間に流出してしまうとか・・・・制度そのもの根本からあり方を考えないとそれこそ疲弊するということでしょうか。


 多摩市には幸か不幸か公立病院はありませんので、公立病院の赤字会計が財政を逼迫させる状況は免れていますが、全国自治体病院を所有しているところはどこも厳しい環境で経営改革のための処方箋が描けないまま暗礁に乗り上げているところは多そう・・・・それは見聞きする報道などからもわかることです。市議会でも病院経営や病院改革が話題になることは少ないですが、実は公立病院改革の話題は決して他人事でありません。市内には「多摩南部地域病院」という実態は東京都経営としても過言ではない施設が存在します。・・・・ちょうどタイミングよく情報を伺ったのですが、産婦人科の医師確保が困難な様子でこのままでは閉鎖の危機?!(6月末以降)の様子。女性外来も同様。さらに小児科も本来は4名定員であるはずが2名体制になっているのだとか。地域で安心して医療が受けられる環境を整えていく、しかも南部地域病院は都立病院改革の中でも「地域病院」としての位置づけがされており、その視点からの充実は市民にとっても不可欠なことです。


 先生は公立病院は民間病院ではできないことをやるべきで、採算取って云々と考えるとでき得ない高度な医療など公立病院はもとから採算合わない治療を行うような場だと指摘しています。特に都立病院は地域の病院ではできない高度・先進医療を行うべきであり、その点では東京都の病院改革は賛否両論あるのかもしれないが、考え方としてはあるべき姿にむかっているのではないかと高く評価されていました。


 例えば今でもまだ反対の声もありますが、都立小児病院の統廃合問題についてもそれは決して否定すべきことではなく、統廃合して格段に病院としての質の向上が保障されるといいます。治療のための検査機器その他を考えても、高度医療拠点として新たに位置づけされた病院が併設されている方が都合もいいのだと。いわゆる合理化のための「集中化」になるわけで、そのことへの懸念はあっても確実に水準高い医療を提供するとの視点に立てば十分であり、そもそも初期段階での地域医療と都立病院がが果たす役割を考えても間違った方向で都立病院改革が進んでいるわけではないとの見解を述べておられました。


 でも、南部地域病院は高度・専門の病院と言う位置づけではないところがミソ。ここの認識は持って、行方を見ていかないと。

 何はともあれ、地域医療をどう確保していくのかについて公立病院が存在しないだけに議会全体として問題意識を共有する場面は少なかった気がしますが、市民の安心をつくるという視点では無視できないところ。「あー、勉強しないと。」・・・・。地域課題として共有化していかないと。

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2009年01月29日

「なかまの樹」を訪問しました。

 昨年7月に総合福祉センター内に開所した重症心身障がい者通所施設「なかまの樹」に伺いました。これは東京都の事業を多摩市が受託して、さらに民間事業者に委託をし運営されています。都内では6番目に開所したということですが、単独で開所したところは多摩市が初めてではないかというお話でした。他の場所では他の事業と「併設」で運営されているのだそうです。

 施設は指導員と看護師の2名のスタッフ体制で、島田療育センターから作業療法士、理学療法士を派遣してもらいながら、対応をしているのだとか。定員は5名ですが、現在は2名が医療的なケアを受けながら日々の活動に取り組んでいます。

 今日の活動メニューは午前中は「スプラウトの栽培」で午後は「絵画」というもの。訪問したのは午前中だったので「スプラウト栽培」の作業を見ることができました。痰の吸引などをしながら、持っている力で行う作業・・・・・「自分にあったペース」で進む作業をスタッフの方が励まし、じっと見守っている姿がありました。
 
 とにかく医療的なケアが欠かせないため、そして体調変化が突然に起こるかもしれないということでスタッフに求められるスキルは相当なものだろうなあと・・・・それは素人目にも伝わってくるものです。コミュニケーションをとることも簡単ではない彼らの気持ちをゆったりと受け止める・・・・スタッフと通所者の間の信頼関係がしっかりと育まれていることがわかります。
 途中、通所者のご家族の方にもお会いできたのですが「本当に感謝をしている。ありがたい。」ということを繰り返しおっしゃっていました。ここに通うようになり生活リズムが整うことで、体調も安定し風邪もひかなくなったこと、他の施設にも見学や体験に行ったけれど「子どもが合わないと思っている、行きたくない場所には行かせられないし、この子はずっと家にいなければならないのか・・・・」と思っていたことから考えると「夢みたい」となるのでしょうね。そして、「他市に引っ越しをすることも真剣に考えたこともある。」とのお話もされていました。「ほんの少しの力でも、ここに来て、少しずつ引き出してもらっていることがうれしい。」この施設に通っての成長もご家族には感じられるのかもしれませんね。
 
 施設設備的には・・・・もともとここは「事務所スペース」であった場所なので水回りその他では不自由をしているようです。特に排泄への対応は少し大変そうです。総合福祉センターの他の利用者の方々との共通設備になってしまうので、そこには色々と難しい問題もあるような気がしました。
 この「なかまの樹」の自慢は「畳プラットホーム」と呼ばれている一角。ここは床から50センチくらいのところにある畳スペースで通所生たちが横になれる場所でもあります。通所生たちが横になったときにでもスタッフと同じ目線になれるようにと床面が高くなっている特別注文品。「なるほど」と思いました。

 さて、一番難しいのは「食事」。食事も一人ひとりの障害に寄り添った対応が必要なので、今のところは「お弁当」で、通所生がご自宅から持参している状況です。養護学校で以前に「給食」の話を伺ったことがありますが、それはそれは一人ひとりにきめ細かな対応をしていることを思い出しました。「一人ひとりに」・・・・つまり、そこ必要なのは「人員」。きめ細かな対応にはそれだけの人手が必要です。でも、人手を確保するには欠かせないのが現実的には「人件費」で、それを捻出していくことがなかなか厳しく難しい台所事情も抱えているのが実際のところ。障害者自立支援法で「応益負担」になってから、施設の運営存続がシビアになっている現状があります。「なかまの樹」の場合も「できるだけのことはしていきたい」という運営者側の思いが実現していけるように、そして障害があっても地域生活を豊かに送っていけるようにするためのサポート体制が必要です。


 「行政も財政的には厳しいからね、あまり無理は言えないんだけれど。」・・・と運営事業者の方がおっしゃっていました。

 「自分のやりたいなって思っていることができる。」・・・・通所生の一人は「なかまの樹」をこのように表現しています。地域で活動できる場所に選択肢が狭く、「自分のあっている場所」を見つけることがどれほど大変なことか・・・・。なのでここが本当に価値ある場所なのでしょうね。「なかまの樹」という地域活動に新たな選択肢が一つ増えたことの意味の大きさを思わずにはいられません。

 なので、ご家族の方の「多摩市には本当に感謝をしている。」という繰り返しのお言葉になるのでしょうね。重度の障害をお持ちの方が地域で暮らすための資源はまだまだ不十分であることを感じますし、どう取り組んでいくことができるのかを考えさせられた訪問でした。

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2008年08月19日

みえないこころの声を聴く

 東京都と東京都発達障害者支援センターが主催の学習会に参加をしました。発達障害のある人への理解や支援をしていくための啓発講座という感じです。これまでにも、さまざまなテーマで開催しています。今回のテーマは「みえないこころの声を聴く~発達障害のある子ども・その親の気持ちが分かる人になる~」というもの。講演者は東京都発達障害支援センター長の石井哲夫さんでしたが、実際の相談事例など具体例を挙げながらのお話はとてもわかりやすいものでした。

 発達の気になる子どもたちを抱える保護者の悩みをどう受け止めればいいのかについて相談支援者としての心構えが主にレクチャーされた感じでした。「人間は人間の中にいないと人間になれない」ということで、人との関係や人との付き合いの中で使える知能という話はなるほどなと思います。自閉傾向にある発達障害のある子どもたちは「シングルフォーカス」で自分自身の世界しか持つことができず、人間との付き合いを上手に育めない、努力をしてもできないことを支援者は理解をしなければならないということを繰り返し話していたのが印象的でした。

 発達障害を抱える子どもたちは実は人間関係を育もうとそれなりに「みえないところで努力をしている」からこそ、「みえないこころの声を聴こうとする努力」が求められるということですね。

 私としては発達障害があるとかないとかではなく、自分の気持ちをまだまだ表現することができない幼児と接する大人全てに必要な態度かなと思いながら話を聴いていました。紹介された具体的事例の中でも、ある子どもの場合には保育園が面倒を見切れず、転園を繰り返し繰り返して・・・・そのことが保護者の心にも不安定感をもたらし、子どもにもさらに悪影響を及ぼしてしまったの話がありましたが、「手に負えない」ということで保育園がギブアップしてしまうようなこともあるのですね。実際には発達障害を受け入れる社会の側にその環境整備がなされていないことがわかる事例です。多摩市でもこのような事例があるとすれば、非常に悲しいことですね。ノーマライゼーションという言葉も空しく響く感じ。


 この事例にも明らかなように、保護者・家族の心の安定がとても大事で、まさに家族支援が必要になってくる。親子関係が上手くいかなくて思いつめて悩んでしまう、ひいてはそのことが虐待につながっていく事例もあると聞いています。


 ちょうど、厚生労働省でも先月末に「障害児支援の見直しに関する検討会」の報告書がまとめられましたが、ここでも「家族支援」の方向性がしっかりと明示されています。今後、多摩市でも力を入れていかねばならない点です。発達障害児・者の支援ということで、いよいよ「ひまわり教室」も教育センター内に移転をするわけですが、「家族の支援」ともなれば、子ども家庭支援センターとの連携も視野に入ってくると思われますが、内容の充実を図るとしている「ひまわり教室」での展開が期待されるところです。


 多摩市内での具体事例を聞くとなると、個人情報やらの関係で微妙に難しい点があるので、今日のような具体事例の話が聞ける講演は貴重です。もし、私の理解を深めるために参加するとよさそうだと思われる講演会や学習会がありましたら、ぜひご案内をいただければと思います。

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2008年04月23日

後期高齢者医療制度

 今日は午後から会派で集まり、後期高齢者医療制度のことについて担当課長さんより話を伺いました。多摩市にも既に1000件以上の電話が殺到し、もちろん窓口での対応もあり、とかく担当者がその対応に追われている状況は新聞報道などのとおり。制度に沿って言うならば、本来は東京都後期高齢者医療制度広域連合が受付すべき内容の問合せ電話も市にかかってくるらしい。広域連合のほうはフリーダイヤル対応をしていて、コールセンターを配置しているのに。

 これ・・・・私がかつて2年前ほどに厚生産業常任委員会でこの制度の説明を受けた際の懸念が当たりました。市民はフリーダイヤルのコールセンターではなくて市に直接問合せをするのではないか、その対応は大丈夫なのか?って担当に確認をしたことがありますので。なんと実情を伺えば、広域連合のコールセンターに市民が問い合わせたことへの回答を市の窓口に回してくるようなケースもあるとか。この制度で市が行うべきことは「保険料の徴収」。しかし、「保険料」そのものの金額設定等の問合せについても当然にあるわけで、それへの対応に担当セクションは追われている様子。受話器を置いたら、また次の電話対応ということでひっきりなし。
 縦割り行政の中で後期高齢者医療制度のことにたずさわっていたのはほんの数名。つまり、問合せの電話があったとしても、それに回答できる職員にも限りがあるということですね。応対に人手が足りないからと他から人員を投入して即座に何とかなるような問題でもなし。しかし、これではどうしようもないと人事課が緊急対応し、再任用職員として新たなスタートをきったばかりの元管理職(制度に精通している)が応援に加わって少しは落ち着いたのかな?・・・・・と議員はみんな心配の眼です。こういう状況ははじめから想定できたことのような気がしますが、職員不足で万全に職員を配置できなかったのかもしれません。いずれにせよ、緊急対応でも一名の応援が加わりよかったと思います。


 それにしてもこの制度。ぎりぎりになるまで制度の概要が固まっておらず、自治体としては本当に迷惑しているんです・・・というのが事実。議会でも何度か話題になっていたものの市側の答弁は「もう少ししないとはっきりしたことはわからない。」としか言いようがない状況が続いていたので。市に責任を追及しても仕方がなく、むなしい限り。

 でも、最終的にめぐりめぐって誰が責任をとらなくてはいけないのかを突き詰めて考えたところには、有権者一人一人の存在が見え隠れしてしまい、結局は私たち自身の問題になるような気がしてならず、「知らなかったでは済まされない」ってこういうことなんだなと痛切に感じます。ちゃんと伝えないほうにも責任があるのだと思いますが・・・・。マスコミの報道一つとっても誤りではないけれど、正確ではない場合も多く、新聞・テレビ情報でいたずらに不安を煽り立てられた市民の方からの問合せも少なくないようです。・・・・今頃になって問題にするのではなく、もっともっと以前にこのことを取り上げて報道してくれたなら、状況は違っていたのかもしれないと思わずにはいられない今日この頃なのです。

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2008年01月29日

10年後の介護問題。

 市民福祉情報オフィス・ハスカップが主催の「安心して利用できる介護保険を!」国会集会に参加しました。介護保険制度は2009年度に次期見直し時期を迎えます。それに先立って、地域で活動をしている市民団体の方々が現場で感じている課題、その実態を踏まえて発言をするというものでした。

 介護保険制度は「施設から在宅へ」を謳い文句にスタートした制度。しかし、実態はほど遠いのが現状で、必要なサービスも財源不足・給付抑制の旗印の下で制限されてしまい、利用者が選択し納得のできるサービスが受けられていないとのこと。もう一度、制度の原点や本旨に立ち返ってもらいたいとの声が強く出されていました。法律そのもの云々の話は国政の現場で大いに議論してもらいたい。もちろん制度の在り様で地方自治体が右往左往することも事実なので、制度改正の状況をウオッチしていかねばなりませんが・・・・。


 ところで、介護保険については「法律にのっとって粛々と取組んでいる。」という優等生な多摩市ですが、やはり地域主権やら地域の実情に沿ってとするならば、保険者として独自にできる対策があるのかないのかを考えることも必要でしょう。しかし、独自にやることについては絶えず付きまとう財源問題が悩みの種。
 こんなとき、「議会」としての本来の役割が発揮できると望ましいですね。議会として独自の調査をし、多摩市に必要な対策を財源問題の克服も含めて議論できるとすれば理想です。(あくまでも理想にすぎないと言えてしまうのがなんとも悲しいところですが。)

 私が今一番心配しているのは将来のこと。それは介護労働の担い手不足ということです。今、例えば地域で介護労働を担っている人材の顔ぶれを見てみると、女性が圧倒的に多い。そして団塊世代、それよりも少し年代の若い女性たちがほとんど。でも彼女たちの10年後・・・・・自ら介護が必要な状況になっていないとしても、今と同じように介護労働を担いきれるだけのマンパワーにはなりきれない可能性が大きいでしょう。誰しも年を重ねれば体力の限界と言う壁にぶつかるからです。では、そのかわりにマンパワーとして活躍できる人材が育っているでしょうか?私たちと同世代やそれよりも若い世代が介護労働の現場から離れていかざるを得ない状況もある。労働は厳しくて報酬は低い。「志」だけではやっていけないのが実情でしょう。そこで、報酬をもう少し引き上げれば、若い世代は介護労働に留まることができるのか・・・・?社会全体、さまざまな場面で人手不足が生じているときに、若い世代が介護労働を積極的に選択するのかどうかは疑問です。


 10年後。団塊の世代がゴソッリと70歳代になっていくわけですね。そのときに介護問題はどうなっていくのか、、、、想像したくない現実があるわけですが、想像に難いとも言えず、人手不足や給付抑制の渦に巻き込まれ、「介護の社会化」とはかけ離れた状況を余儀なくされるのかもしれません。その時・・・・介護を担う家族の顔ぶれは?「仕事も育児も介護も」みたいな三重苦に立たされてしまう人が増えてしまうかも。そうならないために、何とか地域での人材確保や人材育成を進めておきたいものです。多摩市独自な対策を求めるにしては課題が大きすぎるのかなあ。

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