立候補予定者説明会。私で40番目。

朝から雨降りの一日。午後から予定されていた4月の多摩市議会議員選挙立候補予定者説明会でした。政党に所属をしなくなってから、2回目の選挙です。政党名を名乗っていなくても…党員であったり、あるいは、政党の所属はあっても、労働組合や政治団体、あるいは何らか団体の推薦や支援を受けて立候補される方もおられますが、私は完全に無所属と言いますか、特定団体からの推薦や支持もなく、選挙戦に臨みます。もちろん、助けてくれる人があっての選挙で、たった一人で活動をするわけではありませんが、でもやっぱり「基本は自分で」と思っていて、立候補するために法務局へ行って納めてくる供託金30万円の手続きはもちろんのこと、立候補届なども含めて、いろんな事務手続きの必要な書類についても自分で記入するところから間違いのないようにやらねばならじ、結構、緊張します。

それにしても、今日は市役所の駐車場がいっぱいで、止めるところがなく5分以上も市役所周辺を迂回したりして、ウロウロ…やっと見つけた駐車場に車を停車した時にはホッとしましたが、2分くらい遅刻して会場に到着。それで、一番最後に到着したので「40番目」となりました。

40名の立候補予定者がいるということですものね…。予定ですから、もちろん、検討中の方もおられると思いますが、それでも「40」という数字に驚きました。

はい…それで、着座する席も満員過ぎて、40番目でしたので、端っこの席に座ることができ、会場の様子がよーく見えたのは良かったかもしれません。

時代は昭和から平成へ…そして令和へ…となっていますが、選挙のやり方というのはホント…定型と言いますか、古典的とも言えますが、インターネットを活用することができ、そしてまた、インターネットを利用した情報収集をされる方は格段に増えているなあと思います。私が初めて立候補した時よりもです。あれはもう21年も前のこと…。あの時から今、私がやりたいことはどう変化しているかなあと最近考えるのですが、立候補した時からずっと「投票率を上げたい」「市政への関心を高めていきたい」という想いは振られっぱなしのような気もしていて…というか、投票率も下がり、市政への関心もそれほど高くない状態が継続中で‥‥そこには、ただただ力不足も感じていますが、こればかりは、私一人だけの力では如何ともしがたく。そういう意味で、立候補する人が増えると、若干ではあっても投票率が上がる傾向があるので…もしかすると今度の4月の市議選は雰囲気的には盛り上がり、市政や市議会への注目が集まることが期待できるかもしれません。そうあってほしいです。

同じ志を持ち、一緒に活動できる仲間を増やすために、私も今までと変わらず、日々を大切にしながら、精進していきたいと思います。

 

 

通いの場があること。

「お茶を楽しむ会」があると伺い、桜ヶ丘にある集会所に足を運んできました。30年もののプーアール茶で、その間、ずーっと寝かせて発酵させてきたというお茶をいただいたり、白毫銀針という白茶をいただきながら、お茶にまつわるクイズを解いて、「烏龍茶」の名前の由来が「色と形」であることや、椿が「お茶の木」と同じ種類であることなど豆知識を伝授していただける中国茶のコーナーで、ちょっとだけ賢くなり、さらには八女のお抹茶と煎茶をいただくコーナー…とまさに今日のテーマ「お茶を楽しむ」の通り、存分に味わい、充実したひとときを過ごすことができました。

高齢化が進めば進むほどに、「歩いて行ける範囲」が狭くなってくること。そしてまた、近い場所でも坂道が険しく、その高低差に幅阻まれ、行きたくても行けない方もいらっしゃる…という話しもあり、この街にとって「移動」を支える公共交通の仕組みづくりは以前にも増して、力を注いでいかねばならない問題ではないかと思うものです。若かったときには気にもしなかったことも、だんだんと歳を重ねる体力の低下とともに気がつくことも多いという話しはしょっちゅう耳にすることでもあり。ただ、気力たっぷりとお持ちの方も多く、あとは、ほんの少しのフォローさえあれば、在宅引きこもりにならず、「行くところ」を見つけて、外の空気に触れることができ、コミュニケーションもできる。高齢になり、運転免許を返納し、暮らし方のスタイルを変えていくとき、躊躇うことにないような環境にしていけると良いのに…と痛感するのは、やっぱり自分の両親もその年齢の域に達しているからですね。

「一人ではなく、誰かと一緒に」

というのがポイントで、次はみんなで映画を見る会が企画され、プロジェクターでスクリーンに投影して、映画を見るそうですが、「ひとりとは違う」としみじみと語ってくださったかたの声、コロナ禍にあり、「つながる」と隔たりあった時期があり、その一言に込められた実感がとても印象的でした。

地域の中にこうした「通いの場」があることも当たり前ではなく、何しろ支え手の存在があってこそ。他の地域でもこうした場を主宰されている方がいらして、お招きいただいたこともありますが、「みんながより良くなるために」という純粋な気持ちで取り組んでおられるみなさんのところには、本当に素敵な方が集まるものだなあ…今日もまた、そのことを確認できた有意義な時間でした。

 

プーアール茶(黒茶) とても好きなお茶。

白毫銀針(白茶) ふんわり甘さを感じます。茶器がかわいらしい。おままごとを思い出しました。

抹茶(八女) 八女の抹茶は珍しい感じ。器も素敵。

煎茶。自分の雑な淹れ方を反省。丁寧に入れると深みが増すのですね。

毎週1回開催されているそうです。「また、よろしくお願いします。」と深々とお辞儀をされる姿に「来週もまた、いらしてくださいね」という声をかけずにはいられないだろうなあ…と支え手である世話人の皆様の気持ちを想像してみたりして、それだけでほっこり。ありがたいなあと‥‥感謝の気持ちでいっぱいになります。これからもこうした場が続いていくように応援したいですね。支え手の皆さんが息切れせず継続していけるようにサポートしていけることが大切。

「地べたから」はじめる。

今日は、市長の施政方針が議会に示され、これから会派でも打ち合わせをしつつ、施政方針に対する代表質問づくりが始まります。阿部市長らしいというか、大胆な発想で取り組むというよりは、とても慎重でこじんまりと言ったらなんですが…当たり前ですが、継続的と言えば継続的で、従来をそのまま継いでいます…というなかみです。

杉並区長の岸本聡子さんには注目をしていますが、「地域主権という希望」というタイトルの著書が発行されたので、ようやく読み始めたのですが「地域主権主義」‥‥ヨーロッパでの経験と照らし合わせながら、日本の政治や地域を捉えられる視点がうらやましいです。

 

「地べたから、私たちの民主主義をはじめよう」

 

すごく共感できる響きです。「政治的に右か左とか、そんなレベルではなく、住民がこれほど地域のことを考えて行動しているのに、それを行政側が聞いたり、活かしたりしていない」というくだりがあり、そのことを「昭和の時代そのままの政治」と表現されていましたが、多摩市の場合はどうでしょう。

多摩市の場合には「政治的に右か左か」があったとしても、一旦はそれをさておきで行政が市民の声を聴いてくれ、受けとめてくれるような風土はあるように思います。最初から「政治的なスタンス」で市民を色分けしたり、色眼鏡で見るようなことは少なく、そこは私は阿部市長だけでなく、前市長の渡辺市長もそうだったと感じていて、良いところだと思っています。

一方、最近の多摩市は「市民の声を聴いてくれる」けれど、その先が…という指摘の声が市民からも上がっていて、確かに対話の場をなるべく設ける努力をしていて、市民との合意形成を重視しているような表現はされているのですが…しかし、最後の最後まで、合意形成を詰め切れずに時間切れで、次に進まざるを得なくなっていたり、タイミングを逸して判断や決断が下されていることもあるのでは?…と感ずることもあります。

なんか、後手後手じゃない?

みたいな感じで、せっかく「いいなあ」と評価できるようなことに取り組んでいても、その印象が最後まで続かないという残念さがあるというのか。そこは行政だけでなく、議会の在りようも振り返っておかねばと思っていますが、もう少し突き詰めておけば‥‥というようなこと多いんですよね。突き詰めると却って難しさを孕むので、あえてそのままにしておく…というのもあるのかもですが。

今までも、そしてこれからも、何か新しいことに取り組もうとか始めようとすれば、それと引き換えに、何かをやめるとか諦めることをしていかなければならない時代。何かの予算を増やすなら、別の何かの予算を減らさなければならない時代。多摩市は他の自治体と比較して、財政的には優良なんだから、多少の借金をしても大丈夫…そんな時代でもありません。世代間の公平性‥‥なんてことで、世代間負担はあっていいようなことも言われていますが、はっきり言って、若い世代には極めて迷惑なお話しでしかなく、ホント「世代間不平等」の状況をなるべく早く解消させることを優先させるべきですし。

そうしたことを「地べたから」きちんと対応し、国のように雪だるまのように後の世代にツケを送り込むようなことはしたくないですね。

ということで、人口増時代に必要に応じて増やしてきた公共施設の老朽化、床面積や数を減らしながら、背負ってるリュックサックのなかみを軽くしましょう…という方向性が、施政方針からはどこにも見えてこず。阿部市長は「次世代への負担を先送りしない」ということを掲げて、市政運営に臨んできたはずなので、その視点から再奮起してもらいたいのです。その心意気、意気込みがじわりとでも感じることができない施政方針。持続可能な市政運営の視点が、気候変動やらを念頭に置いた「多様な生命と暮らしを大切にした分かち合いの環境共生社会」という「持続可能な社会」とかSDGsの「誰一人取り残さない社会づくり」ということにすっかり覆われてしまい、行財政改革が見えてこず。行財政改革、度外視できないはずなんだけれどなあ。

市役所の建替え。全員協議会が行われました。

市役所の建替えが進んでいるのですが…公式ホームページでも情報掲載されているところのタイトルが「市役所のあり方について」になっていて、なんか、オープンじゃない印象があって、もっとはっきりと「建替えを検討しています」がわかるようなタイトルに変更した方がいいのではないかとずっと思っているのですが…。

それはさておき、全員協議会が開催され、「多摩市役所本庁舎建替基本構想(素案)」について、市民から寄せられたパブリックコメントの内容も反映させた内容について報告がありました。各会派、所属議員一人当たり5分の持ち時間で質疑。フェアな市政は4人なので20分の持ち時間があって、何となくそれをシェアしながら質疑しようということをなっていました。他の会派も主に質疑する人を決めて、あとは残り時間を分け合っていた感じでした。

私は今日の全員協議会に臨むにあたり、過去からの「市民アンケート」に目を通していたのですが、公式ホームページ(平成28年度までの庁舎など整備の取組みの経緯(概要))を通じてみることのできるアンケートを踏まえれば、過去2回のアンケートについては「市庁舎の場所」に関する質問項目がありましたが、直近のアンケートには同様内容で市民意向を尋ねるための設問項目が外されていたりで、ちょっと意図的なものを感じざるを得ず、そこはとてもモヤモヤしています。

全員協議会では基本構想の考え方など、あとは今後の進め方などについても質疑がありましたが、それぞれ質疑をされた方の立場の伺い知れるなとも思いました。

「場所のアクセス性」ではなくて「市民サービスのアクセス性」と強調されていて、今の時代、場所の利便性は度外視でも対応できる…と言う考え方に基づいているようですが、私はやっぱり「そうは言っても、立地」は大事ではないかなと思っていて、現在地はいずれの場所に住む市民にとっても「等しく不便」であって、そこに平等性を見出せる…のかもしれませんし、実際、地図上でも多摩市のちょうど真ん中あたりに位置していることを考えれば、「平等」になるのかなとも思いますが、一度、建替えると50年では済まない、もっと長きにわたって使用することになる建物でしょうから…そのことを考えると、現在地で本当に良いのかと思案しないわけがない…。

当面を見据え、10年後とか、20年先というのではなく、もっともっと先を展望しながら、考えていくことが求められる気がしていて、その時には人口も減少し、市職員の数も減っていくでしょうし。それから、例えば健康センター、子ども家庭支援センター、教育センターなどのある建物についても、いずれ老朽化し、建て替えが必要になってくることを思うと、そうした施設を建替えなくても市役所本庁舎に機能を寄せれば、足りるようになるのかなあとか…その先まで考えて、どうしていくかを検討しておきたいものです。また、現在、示されている構想では、駅前の出張所を充実させることで現在地の不便さをカバーすることが想定されているようですが、聖蹟桜ヶ丘には出張所を入れることを前提にした設計がされているけれど、永山の場合には一応、ベルブ永山に公民館があるものの、出張所として機能させていくにはそれこそ狭小、さらに、多摩センターの出張所は賃貸していて、その賃貸料もいつまで支出し続けるのか?という課題もあります。

そうした課題や問題が解決されるような構想にはなっていないので、私としてはもろ手を挙げて賛成とはいかないなあと。とは言え、すでに「現在地の建て替えで良いと思っている」と明確に述べられている方もいらっしゃいました。しかし、現在地で建替え、そこに「職員の労働環境のことも考えて、食堂が必要。」という意見については、食堂の採算性のこととかどう考えるんだろう?と思います。駅前であればまだしも、わざわざ現在地の食堂に来てまで食事をする人がいるのか?という話しです。以前、現在地にやまばとホールや図書館があった時には食堂がありました。子どものころ、そこで「うどん」を食べるのが楽しみだったことを思い出しますが、人が行き交わない場所で食事処を経営するのはそれこそ厳しいでしょう。

駅至近に移転すれば、食事をする場所は解決。食堂は要らないし、駅前などの飲食店も利用者が増えそうですね。現在地で食堂がなくとも、もちろん最低限、職員の皆さんの休息所は必要だと思いますし、そのスペースは不可欠と思いますが…四六時中‥‥職員同士でいるよりは、休憩時間くらい市庁舎から解放された方が…気持ちもリフレッシュできそう。私はそっちの方が働く環境としてはありがたい気もします…。

また、「市民協働を進めていくためのオフィスなどを設置することも大事ではないか…」という提案もありましたが、それにしても市民が出入りしやすい立地にあってこそ活用度は当然に上がります。不便な場所だとなかなか…。日常的に人が出入りできる、行き交う場所…、そういう意味では現在地ではなかなか厳しくて難しい。

私は市役所の建物を未来永劫、多摩市役所だけで使うのか?…とも思っていて、いずれ(近い未来ではないかもしれないけれど)、市役所として不要になったフロアなど、駅前オフィスとして活用できるようなことも想定するとか‥‥他にも知恵がないものかとも思ったりして。合同庁舎みたいなことも想定できそうな気もするんですよね…将来的には。

市役所の立地については、過去からも話題に上り、なかなか決めきれずに今に至る。一時は、永山駅前のURの跡地の話しも浮上していましたが、いつのまにかというか、時は経過し、とうとう多摩市は取得をしたのに、そこは日本医科大学多摩永山病院の建替えの予定地…。なかなか適地がなく、「現在地ありき」の発想で構想が策定されたんだなあと…これが私の偽らざる感想です。そのために理屈づくりをしてきたというのか。

ただ、そうであるならば、その先の計画というのか、多摩センター駅前の出張所をずっと借りっぱなしのままいくのか?とか、永山駅前に出張所を設けると言っても、それも賃貸するつもりなのか?(今、ベルブ永山には多摩市が賃貸し、多くの機能が集まっている。教育委員会も移転しましたし。)とか、そんなあたりもきちんと説明されなければ不十分過ぎて、私が市民に堂々と説明できないな…と思っております。何でもかんでも、そう帳尻が合い、上手くいくことはないのかもしれませんが。

結局、いろんな意味で…議論を後回しにしてきた結果の現在…とも言えるわけで、この状況を引き受けてやっていかなければならない行政も議会も実は追い詰められた状況の中にあることを感じています。それでも、最良の選択をしていきたいものです。

「やってみる」から見えてくることがある。

先日、とても素敵なチラシに魅せられ、ぜひ参加したいと思ったのですが…「親子で」ということなので、諦めていたイベント。一ノ宮児童館と関戸公民館とが連携して初めて実施した取り組み。このチラシのイラストと言うか、描かれているのはまさに「寝ころびプラネタリウム&星空観察会」のイメージ図なのですが、めっちゃくちゃうまい!クオリティ高。

もしかすると、外から見学だけでもできるかもしれないと思って…問い合わせをしていたところ、たまたま通りがかった人としてその様子、見せていただけました。

この天井がどんな風になるのだろう…ととても楽しみで。ワクワクしながら足を運びましたが…私のワクワク感とは比べ物にならない興味津々の子どもたちが保護者の方と一緒に参加していて、会場に到着して受付する様子を見ていると、うれしい気持ちになりました。ちなみに、参加者受付が始まって、ものの何分…と言う感じで、あっという間に満席になったそうです。

だんだんと夕暮れ時になり、日も落ちてきたころにスタート。

ただ、都会の夜はやっぱりネオンで眩しくて…。

でも、それが都会の空なので…寝ころびながら天井を眺める空は「いつも見る空」のようで、星が降り注ぐ真っ暗な空じゃないところも私はいいなと感じましたが、もう少し、暗がりだった方が天井に映し出される空の景色がきれいに見えたかもしれません。

個人的には公民館と児童館との連携で事業ができていくと良いなあと思っていたのですが、関戸公民館でこの企画を担当した職員さんが「ここはみんなに開かれていて、中学生とか高校生が勉強にしにきたり、おしゃべりしに来たりもしていて、自由に使えるフロアになっているよ!」と案内をしていたりもして、今はまだ、保護者とともに行動する年齢の子どもたちですが、「気軽に来てもいい場所」であることがこうした形でじわりじわりと子どもたちにも伝わり、いつかに役立ったり、つながっていきますように。

とにかく、やってみないと分からないことがあるはずで、最初から思い通りにいかなかったり、もう少しこうしたらよかったかも…が見えてくるのだとも思いますが、目的意識と言うのか、「何のために連携し、こうした取組みをするのか」について共有しながら、この街の中で、子どもたちの育ちやその保護者への支援をフォローするためのチャレンジが感じられる企画のように思いました。一見、「お楽しみ企画」のようにも思うわけですが、決して、それだけではなく…児童館や公民館の存在意義が意識されているように思った次第です。

さて、今日は3年ぶりに東京都26市の市議会議長会主催の研修会がありました。講師は牛山久仁彦先生でした。「地方分権と自治体議会」と言うテーマでした。今まで「自治体議会とは?」を自分なりに考えてきたことを整理できて、おさらいできるような内容でしたが、ここへ来てやっぱり、多摩市議会も改めて、「何のために議会があるのか」を問い直しながら、市民のためにもっと必要とされる議会になるためにチャレンジできることもありそうかなあ…というのが感想です。確かにコロナ禍でしたから、傍聴席もクローズしたり、市民との意見交換会も開催せずの状況のまま…市民との距離が隔たっているように思うので、そこは挽回していかなければならない点ですね。これから、行財政運営的にももっともっと厳しくなっていくはずなので、それこそ自治体議会の役割がもっともっと重視されていくでしょうし、その機能を果たしていく必要があるとは思っているので。

「やってみるから見えてくることもある」…自分にも今、一番言い訊かせるべきことかもなあ。

今年は、南南東へ。

節分でしたね。豆撒きはせず。でも、色とりどりの恵方巻。南南東を向いたつもりでいただく。今年の恵方巻は食品ロスを意識しながら販売されているようなことを聞いたのですが、結果はどうだったのかなあ。

ここのところパソコンを見る時間が長すぎて、目の疲れを感じるのですが、ブルーベリーよりも枸杞の実が優れているのではないかと思っていて、とても気に入っています。有機栽培、無農薬の商品を選んだ方がもちろんいいのですが、レーズンよりもおいしいのではないかと思っています。

昨日、今日と打ち合わせなど続きで過ごしていますが、そろそろ3月議会に向けて一般質問を作成にも取り掛かる必要があり、会派の代表質問の内容とも調整して、つくっていこうかなと思います。先日来、気になっている日本医科大学多摩永山病院の件も、これまでの経過を市民にもわかりやすく共有しておく必要があると思っていて、そのためにも議会の議事録に記録しておいた方が良いのでは?と考えています。代表質問で取り上げるべき内容になるかな。

任期最後の一般質問ですし、改選後のことは考えず、ここできちんと活動を締めくくれるように質問づくりをしなければと思うと、いくつか取り上げておきたいテーマがあり、どれにしようかなあと迷っています。

さて、これからの時代はますます「違いを力に変えていく」が大事だと思っていて、そのために子ども時代から「違いを大事にする」「違うことに面白さを感じる」「違って当たり前」などなど「違い」を認め合い、受け止めあえる関係性をつくること、そして「違い」を活かしあえる社会にしていく必要があると思っていますが、そのために今、どんなことに取り組んでいくべきなのか。

これを話し始めると、ホント…時間が尽きなくて困ります。4月に選挙があるので、それにまつわり、いろいろなご相談もいただきます。立候補したいのでどうすればいいのか…とか。でも、それぞれ背景も異なっていて、アドバイスといっても、ほとんど役立ちは市内のではないかと思うことが多いです。地域のよっても全然異なりますね。都会と地方でも異なりますし、同じ多摩市内であっても地域によって全然雰囲気が異なります。新しく選挙に臨む方へのアドバイスについても、私の場合には市長逮捕による突然実施されることになった補欠選挙が初めての選挙でしたので、参考になるようなアドバイスが何一つできない感じなのですが、お問い合わせいただけるのはありがたいことかなと思います。そんな相談もチラホラあり、対応しています。

現職の議員は日ごろの活動を市民に評価していただく機会だと捉えています。「選挙の前だけ、その時だけ」と言われるような活動は日常に継続できないので、そうではなく日々を大切にし、自分のキャパシティーをオーバーフローしてしまわない程度に、増やせる活動は増やしたり、付け加えていくことがいいかな。なかなか、心がけをしても、「増やす」というのは難しいことだったりしますが。

「結局、選挙の時だけだね」

と言われたことがあり、とても印象に残る言葉です。それ以来、新人と現職とは違うことを意識しているので。でも、あっという間に時間が過ぎていき、このまま4月になってしまいそう。私の目下最大の悩みと言えば、セキュリティ対策ができていないホームページのことですね…。この間、「httpsになっていない」と教えていただいて…。

子どもの感性にハッとさせられる。

先週末から開催されている市内小中学校の美術作品展。久しぶりのパルテノン多摩ギャラリーとオープンスタジオでの開催でしたが、全体的には小学校からの出展作品数が少ない感じがし、何となくボリュームが絞られた?それは会場の関係なのかしら?それでも、子どもたちが自分自身の想いを込めて、一生懸命仕上げた作品ばかりが並んでいて、どれも素晴らしい。

「順位をつけないのがいい」

会場でご覧になっていた方々の会話が耳に入りましたが、私もその通りだなあって。子どもがその子なりの表現で精一杯、完成まで取り組んだんだろうなあ…と思うとそれだけで尊いですね。得意や不得意ってあって当然…にもかかわらず、「上手とか、下手とか…」…順位づけされてしまうと、ただ嫌いになるだけ。「苦手=嫌い」ではないはずなのにな。

自分の住みたいなあ、理想の家を表現した作品。机の上にはケーキやプリンが置いてあって…すごく細かいところまで。お菓子づくり好きなんだろうなあと。

ムーミンの物語に出てきそうなかわいらしいお家。このお家の住人の顔を思い浮かべながら作品づくりしているのかなあとか。

小学生の作品には夢とか希望とかを感じます。低学年であればあるほど「自由」も感じます。一方で、中学生の作品に表現されている心や想い…「なぜ、この作品を描いたのか」という一言が付されていたり、作品に「ことば」「詩」をつけるような課題にも取り組んでいるようで…一つ一つを見始めると時間が本当に足りない。

『自分の手』。「夢にむかっていく手」「必死に努力した手」「ともに歩んでいく手」「にぎりしめた未来」「一生のパートナー」「過去をのりこえる」と作品につけられたタイトルに凝縮されている「今」を感じますね。こちらは東愛宕中学校の1年生の作品。全部の学校が集まるだけあり、学校ごとの温度差を感じるのも事実。東愛宕中学校は美術の先生が熱心で非常にていねいな指導をされているのかなあと。中学校3年生の『目のある自我像』もなかなかの作品が揃っていて、「自画像」ではなく「自我像」となっているのもポイント。

 

自分と向き合うことの大切さ、心のひだを自分自身で捉えてみることの難しさも含めて、絵を通しながら子どもたちに学んでほしい…そんな先生の想いが伝わってきた気がしました。私もそういう先生に出会いたいし、学んでみたいなあと思ったりして。

やっぱり会場にいらしていた方が「これは先生がすごい」っておっしゃっていて、「作品もすごいけど、この詩もすごい」とか驚きの声を上げながら、一枚一枚を鑑賞されていました。和田中学校3年生のスクラッチボードの作品も同様。『心の中の風景』を子どもたちが描き、そこに綴られている子どもたちの心の声…いつか大人になった時、「成長の記録」としてとても大切な宝物にもなるのではないかって思ったりしました。

残念ながら…ということで、あまりにも上の方に展示されている作品だと綴られている言葉が読めなかったり。そこは展示の仕方によると思いますが、来年から改善してもらいたい。アンケートに書き忘れてますが。

その日、その時間…その時だから、その時にしか表現できないことがたくさんある。ある意味、人生の一瞬一瞬がこうした作品に表現されていくような気がします。作品作りを通して、子どもは確実に成長していくんだろうなあと。

そして、私たち大人は子どもたちの数々の作品を見ながら、自分の若かかったころとも重ね合わせ、何となく子ども時代の自分とも対話をしながら、作品を鑑賞していくのかなあ‥‥と思ったりもします。子どもの表現にハッとさせられ、私自身も特に中学生の綴っている言葉に自分を振り返るひとときをもらえたことは何とありがたいことなのでしょう。

今日から2月。今朝は唐木田駅前で、中学受験の子どもたちを多数見かけました。いつの時代も子どもたちは一生懸命に必死に生きているんだなあ…そんなことを思った一日でもありました。