「食」を学びの中心に。

ちょっと用事があり、恵泉女学園大学へ。いつ足を運んでも、広場のお手入れが行き届いていて、季節の変わり目、植物も疲れてしまうような時期で、お花もそれほどきれいに咲かない時期のような気もしていますが、大学内に入り景色を見るだけで、心地よい気分になれる場所だなと思います。

先日、土曜日になりますが、愛和小学校に続いて、エディブルスクールヤードの取組みを始めることになる中央区の阪本小学校が活用するガーデンへ行ってきました。

ガーデンは空に近いところ、東京証券会館の屋上にあります。中央区ならではというか、ニョキニョキと立ち並ぶビルを眺めながらの園芸作業。多摩市とはまた違う文化を取り入れながらのエディブルスクールヤードになりそうですね。すごく楽しみなプロジェクトになりそう。愛和小学校と阪本小学校で交流ができるといいなあ‥‥と思ったりしつつ、いよいよ始まる阪本小学校のガーデンクラスに備えた準備作業を手伝ってきました。

 

久しぶりにエディブルスクールヤードジャパンの堀口博子さんにお目にかかることができましたが、「愛和小学校の実践無くして、次はなかった。」とおっしゃる言葉どおりで、公立小学校で取り組めたのは当時の校長先生の着眼点が素晴らしかったから。そしてまた、当時の教育委員会もいろんなことがありつつも、取組み自体を見守る姿勢があり、当時の教育長もまずは受け止めていたことが大きかった気がします。

 

しかし、校長先生が交代し、教員の人事異動があるたびに存続が危ぶまれるような状態にもなり、多様性が大事とか、個性は大切と言いつつも…横並びが求められがちな日本の公立学校文化の中で、愛和小学校だけが「特別」になりそうなところを認めたがらない管理的な発想に翻弄されてきた経過もあります。とにかく管理したがる教育委員会で、「受け入れがたし」と捉えられてきたことは否めません。

 

でも、こうして継続してこれたのは「無くさないでほしい」と願う子どもたちと支える保護者達の存在があったからこそ。エディブルスクールヤードの取組みが始まったころから、ずっと見守ってきた私は、今もなお愛和小学校で継続されていることに感慨深ささえ覚えます。やっぱり、この取り組みの本質を否定など誰もできないと思いますし、そこに誰しもが共感すると思っているので。もちろん、これを実践するとなれば、「大変そう」…との思いが先立ち、やる前から重荷を感じることもあるだろう…想像に難くありません。ただ、エディブルスクールヤードに込められている哲学は今の時代にこそ必要なものだと思っていますし、アリス・ウォータースさんに私も共感するところばかり。多摩市の学校で取り組んでいるESDとか、そしてまた、SDGsとか…「食」に寄せた取り組みにしていくことが求められるような気がしています。「おいしい革命!」っていいなあ。

ちょうど、タイミングよく…島根県の離島…隠岐の島の海士町にある出版社「海士の風」さんからサンプル本が届きました。「スローフード宣言 食べることは生きること」アリス・ウォータース著です。ご縁のある出版社さんが、版権を得たと伺って、本当に驚いたのですが、日本の公立小学校でエディブルスクールヤードの実践をどう重ねてきたか、海外でやっていることをそのまま取り入れることは難しいことを念頭にチャレンジを重ねてきた愛和小学校が多摩市にあることは私にとっては自慢の一つ。

 

 

「食には、人と人のつながりを深め、人間らしい組織をつくり、窮地にある環境を癒し、元気にする力があります。しかし同時に、食には私たちの健康と地球を破壊する力もあります。私たちは、今も目の当たりにしているのです。職を取り巻く産業構造が、人の暮らしと地球環境に不正を働き、劣化させていることを。」

食べ物がいかに人の生き方を変えるかを繰り返し学んできたというアリス・ウォータースの考え方がじわりじわりとでも広げることしたいなあと思っています。差し当たっては…ぜひ。離島の出版社を応援するためにも、ぜひ、本書を手に取っていただけるといいなと思っています。来月出版予定になっていて、予約できます!

 

 

ちなみに、海士町にはスーパーもコンビニも、ファストフード店も一軒もなく、「ないものはない!」をスローガンにしたまちづくりが行われていて、そこも魅力的。私たちの暮らしは、多摩市を考えてみると、そこそこ「何でもそろう」「何でもある」のに…なのに、でも、何かが足りなくて、「無い」んですよね‥‥魅力に欠ける。とてもとてーも、考えさせられます。

図書館政策の行方…。

多摩中央公園内で‛ズンズン’進んでいる中央図書館の建設工事。来年7月の開館をめざして図書館本館の再整備が進んでいます。「図書館本館再整備」がいつのまにか「中央図書館建設」と表現の仕方が変わっているのが気になっておりますが、中央図書館機能のある「図書館本館」ではなく、「中央図書館」として再出発するようです。

 

ということで、新しい図書館の管理運営方針の素案について市民説明会が行われましたので、私も参加してみました。議会で子ども教育常任委員会に所属をしていた時とは違い、よほど自分がアンテナ高く日々情報収集をしていないと、以前のようにフォローしきれていなくて・・・その反省も兼ねて。

 

確か…自治基本条例が制定されてから間もなくのころだったかと思いますが、多摩市で初めて、当時、流行り始めていた?…プランヌークスツェレが開催されたとき、市民がディスカッションで「多摩市に中央図書館が必要?」という点を討議していたはず。討議会での結論は「急ぐ必要がない」というのか、むしろ「必要性は高くない」という感じだったんですよね…。それを踏まえて、多摩市では「中央図書館機能のある本館」という表現が使われてきたのですが、ここへ来て、どこでどう決まったのか、よくわかりませんがいつしか、多摩市では「中央図書館」を新たに設置する方向になってます。

 

「中央図書館機能のある本館」と「中央図書館」がそもそもどう違うのか、私にはどうもよく理解できないところもあるのですが、現在との違いを端的に表現するとすれば「建物の規模が大きい!」という点になるでしょうか。そして、建物の規模が大きくなるので、それなりに建物、そして充実した設備にも「お金がかかります!」ということですね。

 

もちろん、管理運営コストをなるべく減らしていくための工夫を施してある…とはいうものの、それはつまりは「機械化する」ということであって、人件費を削減して…なんですよね。自動貸し出し機を導入するとか、人の眼が行き届かないところには監視カメラをつけるとか‥‥でも、機械ってやっぱり不具合も起こりますし、メンテナンスも必要であって…決して安いわけではない。それとグレードアップしていかないといけないですしね。

 

私はそういう点も含めて、「身の丈に合った」を考えていくべきと思っているので、「図書館本館再整備」について、その必要性は否定しないものの、では、どれだけの規模で建設するのか、そしてまた、多摩市全体の図書館政策を考える時、地域にある図書館も含め、将来にわたって必要と試算されるコストをどれだけ見込んでいるのかも含め…なんかスッキリ見えてこないところに不信感にさえ近い気持ちを抱いていて、はっきりいって、今の「中央図書館」の建設に対しては、不安の方が大きいです。これが正直な気持ち。

 

多摩市は行財政改革の中でも「身の丈に合った」っていう表現も使っています。今、進んでいることは「身の丈にあって」なのかしら?と。

 

私にとっては今の進め方はダボダボの洋服を子どもに着せちゃってるイメージ。「いつか、大きくなるから」って‥‥まだ、着れる洋服があって、修理をすればまだまだ着れて、子どもも気に入っている洋服なのに…「こっちのほうがいいよ~」って無理やり大きめで、一時の流行を存分に取り入れたお洋服を子どもに着せてしまっているような‥‥そんな印象が拭い去れません。

 

とは言え、中央図書館の建設工事がとにかくわき目もふらず、‛ズンズン’進んでいます。私たちの会派は懸念を示しましたが、それ以外の会派のみなさんは賛成ですから。議会の意思は「進めましょう」で合意しているので(市民の合意)、そのこと前提に考えていく必要がありますね。前向きにと思っているので、今日は、図書館長とお話ししてきました。

 

今回の管理運営方針については、あくまでも「中央図書館の管理運営方針」ということで市民からの意見も聴いていくようですが、図書館全体の方向性や方針はどうなっているのか…根本的なところはまだ見定められていない現状。そんな中で、「中央図書館づくり」を進めている館長をはじめ、現場の皆さんの苦労はさぞかし多いだろうなと…察するばかり。例えば、唐木田図書館は「窓口業務」と言いながらも、民間事業者に委託をしている状態‥‥こちらは「試行」になったままの状態で、いつまでたっても「試行」は解除されていませんしね。本来、図書館本館を再整備して、中央図書館としてスタートさせていくような一大プロジェクトをやるとなれば、本来はもっとスッキリと取り組める環境や体制があれば…です。

 

資源<ヒト・モノ・カネ>を集中させなければ、「中央図書館」は難しい。本館、拠点館(駅前にある永山、関戸図書館)とそれ以外の図書館…これを全体していくことが難しい」とする課題認識に対する答えは出ていません。身近なところにある図書館も大切で、将来にも残していきたいと考えるならば、そのために必要な体制をどう再構築するのか…。まずは来年の夏に中央図書館が開館されてから、もう一度仕切り直しになるのかもしれませんが、そんなに時間的余裕があり、結論を先送りできるとも思えず。私たち議会にとってもずっと宿題になったまま…。私は中央図書館がひとたび開館すれば、状況は変わる、今と同じではない…今までのように全体をバランスよく維持することもできないだろうな…と思っていますが。

 

今、学校跡地にある図書館本館に足を運べば分かりますが、「図書館本館再整備」は必要だと思います。たまたま再整備する場所が多摩センターで、多摩中央公園内になったわけですが、図書館は「多摩センター地区の活性化のため」が目的で建設されるわけではありません。そこだけはきちんと意識しておかないとって思います。あくまでもよりよい図書館政策の展開のため、市民自治を発展させていくための情報収集と情報提供をしていくための場所。社会教育に必要な公民館と並ぶ重要な教育施設。

 

はっきり言って…多摩センター活性化の装置と言えばパルテノン多摩ですから。市議会でも大規模改修工事の予算を認めるにあたっては、「拙速に事業を進めることがないよう留意するとともに、多摩センター地域全体の更なる活性化につながるよう工夫し、市民へ説明責任を果たすこと」って付帯決議をつけていますので。しかし、「パルテノン多摩、再開館してるの?」って状態なんですけれど。残念ながら、足を運ぶたびに、苦しい気分になる場所なんです…私にとって…現状ですけどね。

ランタンフェスティバル。多摩八角堂。

今週月曜日から始まっているランタンフェスティバル。今日は休会となり、午前中は委員会の集まりがあって決算審査に向けた意見交換を終え、その後、ふと思い出したので…足を運んできました。週末になるときっと人だかりになるだろうなあ…ゆっくり見れない感じがしたので。明るい時間から日が落ちていくのに合わせて、ライトの灯が幻想的になっていく様子をずーっと眺めているという。

どこからともなく人が集まってきて、自撮りしているみなさんの写真撮影をお手伝いしたりして‥‥「去年、オリンピックの自転車があったでしょ、あの時に知ってから、すごく楽しみにしていて…」とおっしゃっている方がいらっしゃったのです。調布からわざわざ来たんだそう。「このバイクできたら30分くらいで着いたよ」と原チャリで。

「明日になると、入口と出口で一方通行になるので、今日、いらしてくださったら人も少ないからラッキーでしたね」とお伝えしましたが、「来年も楽しみにしているからね」と。「あ、伝えます。」と思わず返答してしまいましたが、遠くからいらしてくださるなんてうれしいなあという気持ちでいっぱいになりました。訪れる方の車のナンバー、相模、八王子、横浜、世田谷、川崎…。

比較的親子連れも多く、子どもたちが「私は、これがいい!」と好きなランタンを指さししていました。その声を耳にしつつ、私は「蝶々」の模様のランタンが気に入ったので、どうやったら上手に写真が撮れるかと角度を変えて撮影してみましたが、なかなかうまくはいきません。やっぱり、「リアル」は違う。画像ではその美しさと、蝶々のランタンからこぼれ出てる空気感を伝えることはできません。

「あ。」

市長が一人でポツンとランタンを見ている姿を発見。「議会が休会になったので、今日は北貝取の市民活動・交流センターを見てきたんだよね。」とのこと。そのあとに、立ち寄ったとおっしゃっていました。誰にも「市長」だと気がつかれず、そっと様子見をしたかったのかもしれませんが、残念ながらお声掛けしまってすみません…。「やあやあ」とアピールするのではなく、まるで、近所のおじさんが会社帰りに立ち寄った感がとてもいい。

当たり前のことですが、一市民らしくて。何というのか、ちょっと肩の力が抜けている感じ。肩書き取り除いて、市民と一緒にこうした場の空気感を楽しめることって、本当に大切なんですよね。

明日明後日はワークショップなどのお楽しみイベントもあるので、もっと盛り上がるはず。去年も1万人以上は人が訪れたと思います。

「この場所だから、すごくいいと思う。」

ランタンフェスティバルの主催者でもあるニューマチヅクリシャのみなさんと一緒に活動しているミッケリミッケのみかちゃん、まりちゃんとも久しぶりに会うことができました。みかちゃん、まりちゃんは八角堂周辺の飾りつけをプロデュースしています。ガチャガチャでつくる空カプセルのライトをつけるために登場したところに遭遇したのですが、「この場所だから、いい」というみかちゃん、まりちゃんの感性をもう少し掘り下げて聴いてみたいなあ。

周りがもっともっと暗くなると、さらに美しくなるはず。暗くなるほどに、今日も人が集まっていました。私は明日の様子も見たいなあと思っていて、夕方から出かける予定にしています。「夜市」を楽しみたいなと思っています!

9月議会 補正予算は可決。

今日は議会が終わってから、久しぶりにリバティへ。ここで気持ちを調えることができる子どもたちの姿にかえって励まされる感じです。子どもは「今」の自分を一所懸命生きてるんだなと思うので。キッチンにいながらも、子どもたちの支えになっているスタッフの目配り、子どもたちと少しずつ重ねてきた信頼関係の厚みを感じます。

議会は今日と明日で補正予算の審議、決算報告、条例提案などが行われる予定でしたが、今日一日でスケジュールをこなすことができたので明日は休会になりました。と言っても、委員会の事前勉強会というか打ち合わせもあり、「お休み!」にはなりません。

補正予算は一般会計、特別会計ともに全会一致にて可決。また、人権擁護委員の改選期を迎えていたこともあり、人事の提案もありましたがこちらもすんなり議会も同意。

補正予算の案件では「ヤングケアラーの実態調査」に対する質疑が集中していました。調査により、どこまで実態が浮き彫りにされるのか。小中学生の場合には、一人一台タブレット端末を活用し、学校にいる時間帯に回答できるようにするそうです。高校生世代の場合には郵送による案内をし、インターネットでも紙でも回答できるようにすると。自分自身が「ヤングケアラー」であるという認識がない場合もありそう。自身が置かれた境遇を理解しているかどうか…。ただ回答するだけでなく、「ヤングケアラーとは」についても説明書きを加えるということでしたが。ちなみに小学校5年生以上、高校生世代までで約9300名が対象のアンケートになります。個人を特定するような調査にしないことが前提ながらも、アンケートには「自由記載欄」もあって、必要に応じて個人の支援にもつなげられるようにしたいとのこと。 アンケートで掴んだ結果のその先が大切ですね。

でも、現在でも、学校の先生たち、子どもたちの様子を日々日々ご覧になっているとすると何となく…察しているものがあるのではないかなって思うんですよね。その点で言えば、学校と既存の仕組み…例えば子ども家庭支援センターなどが相談しやすい場所になっているのか?とか、現場の実情も気になるところ。

今日は本会議が比較的早めに終わったので、そのあと、決算についても資料を見たり、それ以外の事務作業などなど。そして、冒頭に書いた通り、リバティへ。

「子どもたちって、これから、ずっとマスクを着け続けるんでしょうか?」…すでに、人生の半分…マスクをつけて過ごしている子どもたちもいることを思うと、なんか不安で心配な気持ちになりますね。学校によっては通学路ではマスクを外してもいいことを伝えているところもあるとか。それでもマスクを外せない子どもたち…考えても見なかった世の中になり、社会になっているなあとしみじみ思った夜でした。

9月議会 本会議5日目/一般質問

今年はまだ…そんなに葡萄を食べていない気がしていて。もう4年も前のことですが、山梨にぶどう狩りに出かけて、今まで手にしたことがないくらいにシャインマスカットを収穫して、家族で「なんて、贅沢~!」と言いながら食べていたことを思い出します。甘すぎない味、果汁が口に広がる幸せ。果肉がしっかりしているところもいい。

さて、今日は本会議、一般質問も5日目で4人でした。共産党の小林さんが取り上げていた生活保護の問題ですが、「困ったときに一番利用してもらいたい制度でありながら、最も利用しにくい制度という実態」という指摘。その利用のしにくさ…どこに原因があるんだろうと思いますが、「生活保護を受給することを権利」として受け止めることができない方もまだまだ多いように思います。「生活保護を受給するなんて…」という意識はもちろんのこと、とかく「自己責任論」がものすごく強調されるようになり、「権利としての生活保護」という側面が置き去りにされているという意味です。

ところで、私、国が再び、低所得者層に5万円の給付金と言う報道もありましたが、物価の高騰に苦しんでいるのは所得には関係なく、むしろ、「低所得者層」ではなく、しかし暮らしに余裕がない世帯が増えていることが理解されていないような気がしてなりません。税金を払うだけ払わされて‥‥という気持ちになり、政治に対する不信感をまるで助長するとしか思えません。私の周りにも「これが支え合いなの?」と疑問の声、聞こえてきます。子どもを育てている世帯はとにかく必死。これから、子育てにお金がかかることが予測できる世帯、でも、各種給付金などギリギリ受けることができない世帯…少なくありません。「働いても働いても…」…肌感覚でも、私が議員になった20年前よりも明らかに子育てするのにますます苦しい世の中になっていると思います。国の子ども政策、全くうまくいっていないと思います。子どもを生み、育てやすい社会になってはいない。コロナ禍でもいろいろと給付金を支出した割には、まるで砂漠に水を撒くだけのよう…という印象です。

脱線しましたので、市議会に話しを戻しますと、小林さんの指摘のように「生活保護をもっと周知して」というのはその通りと思いますが、結局、「困ったときに市役所へ」と市民に思ってもらえるように、市役所が敷居の低い場であることがまずは大事なのかもしれません。「市役所って、怖そう」と言われたことがあるのですが、それはどこかで来るイメージなのか。「困りごとがあれば、いつもで相談に」と扉を開いておきたいですね。身近なところにある公共施設、「児童館は子どものことしかやりません」「公民館は公民館の活動のことしか知りません」「図書館は本を借りるだけの場所です」‥‥みたいなことではなく、困ったときにどこにでも駆け込めるような場であってほしい。「あそこに行けば、市の職員さんいるよね!」ってことで。

小林さんに続く、篠塚さんはちょっと私には勉強不足と言うか、すごくマニアック…と言いますか、制度を熟知している人でなければできないような「入札・契約制度」のことを取り上げていて、公平性と透明性がきちんと確保されるような制度にしておくことの重要性が指摘されていて、そこだけは私でも理解できる…という感じ。私の頭の上で行ったり来たりするやり取りを耳にしておりました。こうして他の人がなかなか取り上げない観点の質問があると良いですね。議会としても幅が広がる感じ。

都市整備に関しても、「これからの50年を見据えて、今までと同じような発想では通用しない」と指摘されていましたが、同感です。阿部市長を全面的に支援する議員のお一人でもいらっしゃいますので、もっと強く市長に進言してほしい。そして、入札・契約制度、あるいは都市整備に関しても「職員のスキル」を磨く必要を強調されていて、そこ、切実だなと感じています。会派でも「職員の人材育成」が良く話題に上っています。若い世代の職員が増えたから…という理由が問題ではなく、コンプライアンス意識を含め、行政活動の質をどう高めていくかは課題です。たぶん、これについて市長がそれほど口には出さなくとも、一番感じていることではないかと思っていますが、職員力がすごく落ちている…って、この私でさえも市民からも言われることがあるので。

そのあと藤原さんが新型コロナウイルス対策や市長が公約に掲げていた「歯科口腔条例」に関する質問をされ、最後は伊地智さんが都立高入試に導入されるスピーキングテストのこと高齢者の生活支援のことを質問されました。

都立高入試の話題は…確かに中学生が関わる問題なので、市教委にいろいろ確認する事項もあるのだと思いますが、正直…いろいろ問われ追及されたとしても「都教委の言いなり」に振舞うしかない「市教委」という構図はなかなか代えがたい…難しいですね。答弁する側もいろいろ感じていることはあるでしょう。とはいえ、「個人の心情」を吐露するわけにはいかないので、都教委に成り代わって答弁対応…なんか、見てて滑稽でした。久しぶりに「役人に終始する」というガードの固さを見た気がして。

そして、伊地智さんが、「健幸まちづくりは何をめざしているのかわかりにくい」と指摘をされ、健幸まちづくり政策監や市長があれこれ想いの丈を答弁をしていたものの…もともと、何だかよくわからないものをわかりやすく伝えることの方が難しい気がしますね。「心身ともに健康でありましょう!」という標語を目新しそうな造語にしてみたもの=「健幸まちづくり」だと…私は理解していて、それ以上でもそれ以下でもなく。斬新さを求めた「健幸」というのが、どうも私は好きではなく。言わんとすることの雰囲気を捉えるにはぴったりな言葉ですが、だから「わかりにくい」。

心と身体はつながっているので、両方とも元気を維持していくことができるように。身体がしんどいと心が疲れてしまいますし、「病は気から」というようように、心が疲れると身体もしんどくなりますから。

今日でひととおり、一般質問も終わり。明日は補正予算の審議などが行われる予定です。季節の変わり目、あるいは、気圧の関係なのか、身体が疲れやすい気がします。身体と心と…ともに自分自身に対して耳を澄ますことが大切ですね。

9月議会 本会議4日目/一般質問

きれいなピンク。ちょっと季節外れのような気もしますが、近所の方が大切に育てていたハイビスカスの花が咲いていて、感激。同時に、「ぜひ、育ててみて…」と分けていただいた挿し木をすっかり枯らしてしまったことも思い出したのですが、やっぱり、鉢植えではなくて地植えですね。今年は陽と水とそして土の状態がそれぞれとても良い具合なのか、植物がとても良く育っている気がして、例年よりも花や実が元気。

昨日の一般質問で「ナラ枯れ」問題が指摘をされていたとおり、ニュータウン地域内ではキョロキョロするだけで枯れたままの大木で、しかも、枯れ葉もを下に落とす元気もないような木もチラホラと目にすると思うのですが…合わせて、その近くには「カエンタケ」というのが生えている場合があって、猛毒だそう。ホームページでも呼びかけされています。触るだけでも危ない感じがしますね。見るからに・・・と思っていますが。決して近づかないように・・・です。

さて、今日も一般質問は5名でした。母子手帳の電子化について必要性を求めた本間さん、障害者への理解はどう進んできたか進めようとしているのかをフォローする質問の池田さん、精神福祉のことを質問した安斉さん…と、ジェンダーとか言われそうですが、女性議員の皆さんの質問は丁寧さがあるなあと思うのは私だけでしょうか。取り上げるテーマについて深堀するというか、綿密に調べてから質問づくりをされているように感じます。

母子手帳のアプリ化。「そういう時代なんだなあ…」と時代のせいにしてはいけないのですが、もちろん、真っ向から否定はしませんし、それはそれで求められていることなのかもしれませんが、ごくごく個人的には抵抗感も否めず。これだけ世の中でクラウドが活用されているとはいえ、個人の情報が手元ではない場所で保管されているというのか…別に他の場所で管理されなくともよい情報までを他所の倉庫に入れてもらう必要がないというのか‥‥。「古い人」と呼ばれても仕方がないくらいに、昭和的なのですが、「便利さとの引き換え」をついつい考える習慣が身についているところがあり、何でもかんでもDXについていけていません。個人の考えにすぎませんが。マイナンバーカードもここに来て、普及しつつあり、やっと5割に近い人たちが取得しているようです。私は今のところの必要性がないので、申請していないのですが。

すでにもう自分の知らないところでは情報が管理されていて、突合されている場合も多いと思うのですが。クレジットカードも使用しますしね。買い物に対する趣向その他、隠しきれませんが。

池田さんがとりあげた「障害者への理解」については、健常と言われる私たちが困難を抱えているみなさんとどう向き合えているかを問うものであって、以前の質問をフォローする形になっていたので…「そうそう、やっぱり、質問は言いっぱなしではダメなんだよなあと」改めて認識。自分自身が発言したことに対する以前の答弁をチェックして、進捗状況を管理していくことが大切ですね。

以前に提案されたという(私も、そうだったなあと記憶よみがえりましたが)「パーキング・パーミット制度」は必要だなあと感じています。昨日、白田さんが「誰でもトイレ」についても指摘をされていたように、本来、その場所を使用しなければならない対象者が排除されるというのか、肝心な時に使えずに困ってしまう場合があるのは事実であり現実。「適正に利用してもらう」ことが求められるように思います。一方、厳格にしすぎない方が良い場合もあるのかも…とも思う場面も頭に思い浮かびます。

それにしても、「あれ?」と思わずにいられないような振る舞いで障害者等のための駐車場を利用されている方が存在していて、マナー違反を見ればガッカリもしますよね。取締りまで必要かと言えば、そこまでにはならないのかもしれませんが、問われる私たち市民の態度と意識…ここに働きかけることの難しさは悩みの種。

安斉さんの「精神福祉」のテーマは私にとっては扱うのにとてもハードルが高い。議員として同期の安斉さんは今期での引退を決意され、次にバトンを渡す方も決まっておられます。議員になった時からずっと障害者のみなさんに寄り添う立場で発言されているのですが、行政側からの「渋い」答弁にも忍耐強く向き合い、めげずに問題提起を続けておられます。「きちんと勉強されているなあ」と感じさせられる質問をなさる議員のお一人。

現状、精神障がいのある方からの相談が多く、市の窓口あるいは支援センターでも必死で対応している感じですが、「今後も精神障がいのある方からの相談需要は増加していくことが予測できる」というのが答弁になっていて…。「それは、なぜ、そう思うの?」と答弁で示された認識の裏側と言うのか、真意を探ってみたいですね。そこを掘り下げて、どう問題解決できるのかを考えていかないとですね。根本的なところを治癒していかなければ…そういう問題が多すぎる。国の政策の方向性にも問題が根ざしているので、多摩市だけでは何とも解決ができない。けれど、市民には身近な存在として、すべて責任も何もかもを国から押し付けられ、自治体としては苦しい。傷口に絆創膏を貼るだけに終始してしまうような対策と対応しかできていない課題が多いですね。福祉分野に限らずかもしれませんが、特に福祉分野は。

その他、三階さんの災害対応の質問の中では…「避難所の虫対策」についても触れられていて…ここ対策必須、切実。なぜなら、先週末、総合防災訓練で行われた体育館での避難所設営訓練の見学をしていたのですが、参加者全員が「蚊」の餌食になっていたため。避難所が開設される学校には網戸がない…でも、特に、コロナ対策で「風通し」が求められるとなると、開放できる扉や窓は「開けっぱなし」ですから。ちょっとやそっとの虫よけスプレーでは対処できない。「蚊帳が欲しい!」と私は思ったんですけれど、虫対策はお願いしたいところ。災害時の避難であって、「快適性」をどこまで求めるのか…という指摘もあると思いますが。

 

設営訓練の後で、見えてきた課題を話し合っていたのですが、虫退治に追われていました…。

最後は大隈さんで「新型コロナ対策」について再点検と再構築が必要と言う立場から、ご自身の経験談を披露しながら、発言されていました。日本はみながお行儀よくマスク、そしてまたワクチン接種率も高い…にもかかわらず、感染を抑えきれていませんね。当初、「6割くらいワクチン接種をすれば、感染拡大を抑え込むことができます」と言っていた説明を記憶していますが、あれは一体何だったのでしょう…と今でも不信感。説明が食い違っていますよね。これについては、ウイルスが変異したから…と説明するのかもしれませんが、変異前ウイルスに対応するワクチンが接種され続けていることに私は違和感を覚えています。「正しい情報を知りたい。」…ただ、この件については、それだけ。専門家でもない私がこの件で知った顔で語ることが難しい。自治体としては国や東京都から指示されたように粛々と取組みを進めるしかありません。私も取り組みの行方を見守っているだけですが、政府からの情報を鵜呑みにしてしまってよいものかとますます感じる今日この頃です。

そんなことで、明日も本会議。一般質問の最終日、発言者は4名です。

9月議会 本会議3日目/一般質問

季節をお知らせするかのように、柿のお裾分けが届き、うれしい。お庭から収穫するのだとか。歯ごたえ抜群だと思われる固さの実も混じっていてうれしい。

今日は本会議3日目で先週に引き続いて一般質問です。「男性が取り上げることに意味があると思う」と議員側も市長も共に同意しあうというか、意気投合しあっていましたけれど…「女性の生理の問題」を男性が取り上げることに「意味を感じます」…って、互いに褒め合ってどうする!…一体、どう受け止めるべきなのでしょう。「女性の生理の問題」に関して言えば、女性でも取り上げにくい話題ですし、もちろん男性は当事者でないからこそ、もっと取り上げにくいのかもしれない。だからと言って、そこまで「特別」なことなの?そこにこそ、私は違和感を覚えるわけです。言葉の向こう側にある特別視が気になって気になって仕方がありませんでした。

もちろん、話題として取り上げ、「生理と言うのはとても大変なことだ」と労わってくれるというのか、理解示していただけることはありがたく、決して悪いことではないと思っていますが、とは言え、「だから、何?」なんですが。

女性の健康や身体に関する話題については、当事者である女性が取り上げたとしても意味があることと思うのですが。女性よりも男性が取り上げたら、もっともっと価値が増すということなのか?…市長まで「男性が生理の話題を取り上げたこと」について、いかにも素晴らしいです…的なスタンスで感想など述べる必要はなかったのに…。そういうところに潜在意識のチラつきを感じ、それこそ、「えっ!…市長まで」とも思ったので、なんか、ガッカリしました。

ジェンダー問題というのは難しいですね。誤解を恐れずに言えば、一つひとつ気にしていたら、やっていられない…私も思うことも無きにしも非ず。そのくらい難しいです。無意識のうちに刷り込まれているところも多く、本当に気を付けないと、私も周りから指摘されてハッとすることも少なくありません。でも、やっぱり気にしていかねばならない事項ですね。

 

なんか、ジェンダーに関する多摩市の意識…行政も議会も共にですが、その在りようを認識し、同時に問われていることを自覚できたことは良かったのかもしれません。私自身もまだまだ自分の無意識を、変えていく必要もありますから。学び、知り、気づく…この繰り返しですね。

 

共産党の板橋さんが認知症の話題を取り上げていたのですが、これは他人事とも言えず。同級生や同世代からも話しを伺うことがあります。「子育てを卒業してから、親の介護へ」ではなく、晩婚化とも言われるように、結婚子育ての時期も昭和の時代に比べると世代も上がってきていて、「子育て真っ只中で、子育てをしながら、親の介護も」となっている場合もあり、ご両親健在だとまだしも。身体介護ももちろん大変ですが、そこに認知症の症状もあらわれてくると家族も巻き込まれながらでダブルケアにならざるを得ず、結局、「子育て・介護の社会化」が難しい現実もあるなと痛感させられます。
引き続く、高齢と共に「聴こえにくくなる」という問題についても同様。加齢とともに身体能力が低下するのはやむを得ないことなのですが、「聴こえにくい」というのは会話をするのも億劫になったり、面倒になったりということもありそう。自分自身の聴こえの状況を簡単にチェックできるアプリがあるという話しがでていたので、後でやってみよう。私も「聴こえにくくなっているのでは?」と指摘されたことがあって、気にしているので。

フェアな市政は先週、私と折戸さん、今日は大野さんと白田さんが一般質問を終えたので、会派としても緊張感が少し解けたかなあという感じ。「フェアな市政って、バラバラですね」とも言われることが多いのですが、同じ会派であっても発言は自由で、何か党議拘束のようなものがあるわけでなく…それぞれの一般質問の発言を聴いて「ふむふむ」とメモすることもあったりで、それはそれで良しと思っています。一般質問は自己責任で…なので。来週以降始まる決算審査については、会派内でも意見交換しながら、「自分たちの考え方」をまとめていくことになりますが。

探しものが出てきた。「自治基本条例の最高規範性」について書いた大学院の時のリサーチペーパー。それと合わせて、大学時代のゼミ論「多摩市の子育て環境」についてのリサーチペーパーも探し中。でも大学時代はワープロだったから、紙で残っていない限りは見つからないか。自分が何を書いていたのか読んでみたいなと思っていて。考え方の変化や変遷があることを実感できて、同時に「なぜ、考え方が変わったのか」を自分なりに分析することが楽しい作業だったりします。

明日も本会議。一般質問が続きます。

9月議会 本会議2日目/一般質問

まだ、定例会は始まったばかりなのに、一般質問の‛出番’が終わると、スーッと肩の力が抜けるのはいつものことなのです。栃木のお土産をありがたくいただいております。今回の一般質問は…部長の出席がどうしてもかなわないということで…答弁は「課長に」となったところで、議員の一般質問が行政側にどう捉えられているのかを再認識しました。つまり、「政策的な議論」をするのが一般質問かなと思ってきたのですが、そうでもないのだなと。予算や決算の質疑のように「事務レベル」で課長が答弁するので足りるのが一般質問と言うのはあまりにも残念。一方で、議員の一般質問の内容が「事務レベル」で解決できる話題…なのかもしれず、自分自身の一般質問の内容をきちんと高めていく必要も痛感しました。

それが今日の感想…。本日取り上げた一般質問の内容は「公民館の在り方とか期待」だったのですが、社会教育行政を担う場として公民館をもっと機能させていくことが必要だと感じています。そのために必要なのは「職員力」…ここに尽きる。今の公民館の実態を評価できるほどに熟知しているとは言えませんが、今のまま放置しておくと「貸部屋化」していくと思いますし、もし、単に貸室、貸しホールの機能だけでやっていくならば、わざわざ直営で公務員を配置する必要はなく、ビル管理会社などもっと適切に施設管理をしてくれるところもありそうです。これからも「公民館」が「公民館」として活動し、市民と共に発展していく施設であると認識するならば、市民と直に接する職員の在りようは問われます。

そしてまた、公民館には本来、「社会教育主事」の資格を持つ職員さんが配置されることが求められますが、「資格があるからいいわけではない」という理由のもと、それほど資格にはこだわらず、適材適所で人を配置していくような考え方で対応してきたのが多摩市の職員人事の考え方のようですし、確かに「資格があればよい」ではないと思うのですが、それでも、「資格」を持っているということは強みなはず。公民館がやらねばならないことの本質を正しく認識できているか?‥‥そもそも論に対する管理職の理解も問われるところ…「職員も市民も一緒に学び合い、育ちあっていく」という文化を根づかせる場所になっているのかどうか…単にイベントをワーッと盛り上げるだけが業務ではありません。地道にコツコツ‥‥ここが原点になければならないと思っています。

公民館のパフォーマンスをどこで評価するのか。ここはとても難しく、全国的にも公民館の悩みの種になっている点とも言えますが、客観的な評価がなされなければいけません。今後、公共施設を増やすだけ増やしてきた多摩市はその維持管理だけでも精一杯になり、行き詰まる時代が来ると捉えています。残念ながらそれが現実。社会教育施設と言えば、立派立派な図書館も完成に向けて着々と工事が進んでいますしね。新しい施設ができることはある意味喜びですが、私にはそれ以上の不安しかないので、気持ちは決して明るくないので。もっと言えば、施設設備でごまかすのではなく、実質的な「なかみで勝負」にしていきたいと思っていますが、そのためにもやっぱり「社会教育」の原点を再確認し、行政がやるべきところを外さないでほしい。これから、人口減少社会と共に職員の人数も減らす必要がありますので、一人ひとり職員の皆さんのパフォーマンスを高めていかねばならないですし。

「公民館」も教育行政を担う拠点ですから、行政が手放すことのできない施設であり、直営でやるべき施設なのです。「民間でできることは民間で」と言われるような「公民館」であれば、極端な話し、施設を維持するだけでもお金がかかるので潰して、無くしてしまうほうが後の世代への負担を軽減することもできますね。そうならない施設づくりを期待するばかりです。「社会教育」は本当に大事です。民主主義を守り育てていくためにも必要不可欠だから。

ということで、今日の備忘録。こうして書いておくと、自分が考えていたことを振り返ることができ、また、自分の考え方が変わった時にもその変遷を辿ることができるので。とりあえず、終わってホッとしたので、落ち着いて決算審査に向けて勉強します。

9月議会始まりました。

淡々と、粛々と…いつも通りに定例会開会。議員の一般質問が始まっています。明日に順番が回ってくるのと、部長が明日は欠席されることがわかっているので、事前の準備を念入りにやる必要があって、教育長と公民館長とやりとりをしています。公民館長が答弁をするには荷が重いでしょ…と私は思っていて、できるだけ教育長に答弁をお願いしたいと思っているところ。

今朝は桜ヶ丘駅に行く途中、土砂降りになり…同じ多摩市といえど、私の住んでいる場所は一滴も雨が降っていなかったのに、ものの見事…5分車で走らせたところからの雨の降りようにはびっくり。駅を一周回って、雨が止む気配もないので帰ってきました。朝、駅に行かないとすごく時間があり、朝食時間が長くなる分、ダラダラとしてしまうことにも気がつきましたが。

今日の質問では、自民党の山崎さんが「ボランティアへの支援」について質問をしていて、とても興味深く聞いていました。各議員共通して感じていることってあるよなあ…ということを含めて。地域の担い手不足の話しは、今に始まったことではありませんが、「市民と協働したい」と言っても、相手方不在のような先細り状態にあることの深刻さ。ここをどう解消できるのか、考えていく必要がありますね。市民活動やボランティアへの支援策が充実していたとしても、そもそも支援する対象は?…対象者がいなくなってしまうような危機感、危惧の大きさを感じている人の方が大きいように思います。

もう一つ、ふるさと納税のことが取り上げられていました。「ふるさと」かどうなのかはわかりませんが、多摩市外への納税を選択する人も増えているようですね。逆に多摩市に「ふるさと納税」してくれる人を増やせればいいのですが、そのハードルの高さったら!…というのもまた、議員共通に感じていることでもあり、もちろん市長も同様に頭を悩ませている点ではないかと思っています。ただ、私の眼から見ていても、ただ返礼品を目的とするだけでなく、地方創生で本当に頑張っている小さな自治体があり、そこを応援したくなる気持ちになるのは何ら不思議ではなく。生き残りそのものが切実な地域の職員さんたち、「他人事ではない」という強い気持ちで仕事されている姿を目の当たりにすれば、やっぱり「寄附したい!」となるのは人の気持ち、心としては自然な感情かなあと理解できる部分もあり。議員としてはこうした発言は許されないのかもしれませんし、ちょっと自虐的とも言えますが。「どうせなら…多摩市に!」となってもらえるようにしなければいけないんですよね。

そろそろまた新月の時期にも近づくわけですが、夜の雷…ホントに光っていましたね。稲光、すごいわ…と思いながら、今日のおやつ。議会のある時は、夜におやつを食べてもいいかなーと思いっきり解禁しております。明日は質問があるので、エネルギーを蓄えないといけないしね!と言い訳しながら、食べてます。

9月1日、今日は「防災の日」であることもお忘れなく。