ないからつくる。「寺子屋」。

多様性を受け入れるということはどういうことなのかなあと考えさせられます。今日は山梨県のとある場所にある「寺子屋」におじゃましてきました。

義務教育…決して、学校に行かせたくないわけではなく、子どもたちも学校には行かなければならないと思っている…。でも、どうしても足が向かない場合もある。馴染めないこともある。そしてまた、今の学校教育の在り方に疑問を感じているご家庭もあり、教育者の中にも現状に葛藤がある方々もいらっしゃる。

いろんな想いが合わさり、集まってできた場所でした。「たまたま、借りることのできた民家があった。」「ご縁があって、農家さんにも協力を得ることができた」…自給自足の暮らしを考えるというのは本物の「自立」かもしれませんね…そこから学び実践を積み重ねることからはじめるというか、もう一度、暮らしを見つめ直し、やり直しながら、自分自身の在り方と向き合う学校なのかなあと思いましたが、週に1回は本格的な畑の授業があるそう。小学生、中学生と年齢はバラバラですが、学習進度はそれぞれで、自分自身にあった勉強をしていくスタイル・・・もちろん、文部科学省の指導要領は無視せずに、一人ひとりの学習が計画されているようでした。

でも、内容はユニーク。今日は見学者がいるということで、「自己紹介」の練習。一人15秒で自分自身の自己紹介をしてみましょう…と言う内容。これは国語の授業。「よむ、かく、きく、はなす」…これが国語の授業の目的であって、今日の国語の時間では「はなす」を学ぶということになります。12人の子どもたちが2つのグループに分かれて、それぞれお互いの自己紹介を聴き合って、最後に感想を発表しあう。先生が「見学者の方が来るときには、『自己紹介』を必ずすることになるので」というのが締めくくり。子どもたちは15秒がとても長い時間であること、でも、いろいろ話そうと思うと短い!とも体感した様子。

あいにくの雨だったので、お庭で遊ぶ様子は見れなかったのですが、アスレチック遊具。大工さんの手仕事だということ…でも、もともとこの一軒家のオーナーさんが設置していたものであって、寺子屋のために造ったわけではないそう…そこにも驚き。

休み時間。子どもたちは、クワガタ対決をしていました。生きているクワガタとレプリカのクワガタ…みんなで囲んで「わあわあ」している姿。何だか新鮮でした。たぶん、普通の小学校だったら「生きているクワガタ」しかいなくって、こうして学校でみんなで机を囲んで…なんてことはないだろうなあ。

自主保育的にやっている学童クラブのような雰囲気もあり。縁側のところにランドセルが並んでいる風景が懐かしい。決して、散らかっているわけではなく。

「何だろう…この雰囲気」と思います。別室には卓球台があり…。中学生と小学生が一緒に卓球をやる姿を見ていると…児童館を思い出したりして。もちろん、ゲームはありません。「家ではゲームはやるけれど」と子どもたちは話していましたが、学校には持ってこない。チャイムはないけれど、時間になると子どもたちはちゃんと集まってきて、授業が始まる。「自由だけれど、自由奔放で、気まま」というわけではないのです。空手や将棋の授業が大事にしなければならないマナーを自然と身に着けさせるのかもしれません。

子どもたちの抱える課題、学校の在り方に対する疑問点などなど…既存の学校でいろいろとやり取りをしていくエネルギー…最終的に「ないなら、つくるほうが早い」と思って、やり始めて、つくってしまったそうです。場所があって、先生も揃えられる見込みとなって、そして口コミだけで子どもたちが集まってきたとのこと。「なるほど」と思いました。

多様性を受け入れられる場所。学校に足が向かない子どもも増えている現状。文部科学省もようやくそうした現状に目を向けながら、対応策を検討しているようですが。結局、文部科学省、教育委員会と言う枠組みは変わらずに、新しいタイプの通える場所をつくるとどうなるんだろう?と考えさせられます。すぐに答えは出ませんが。ネーミングセンスには疑問ですが、多摩市でも学校に足が向かない子どもたちのための「不登校特例校」の設置が模索されているのですが、一旦、設置計画が見送りとなってから、今、どうなっているんだろう?フォローしないと。

いずれにせよ、「寺子屋」のような場所を維持するためには資金が必要。タダではできません。運営している側には「経営」が求められる。要するに、「寺子屋」に魅力を感じたとしても、親の経済力、その有無…関わってくるなあと。多様性を受け止められる、受け入れられる社会にするためには、学校の多様化も今まで以上に認められる必要があって、そしてまた、誰もに開かれていることが求められるだけの話かもしれません。義務教育、学校、社会の在りようなど、いろいろ考えさせられた一日でもありました。

古民家を改装したお店をご案内いただきました。こだわりのランチ。予約制です。もし、山梨方面に行くことがあれば、また行きたい場所。「キッチン オハナ」…おすすめ。

親子の成長を見守る場所。

パルテノン多摩の4階。該当年齢の子どもがいないとなかなか入ることの難しいこどもひろばオリーブへ行き、知り合いの親子と過ごしてきました。

何というか、たくさんの親子でひしめき合う…にぎわいと言えば、そんな図が思い浮かぶかもしれませんが、子育て家庭対象の広場と言うのは親にとってはくつろげる場所になっていてほしいと思っている私にとっては、空間の広さとちょうどいい人数の親子が遊びに来ている印象です。土日はとても混んでいるそうですが、平日は比較的ゆったり過ごせると聞いていましたが、そのことを実感してきました。

子どもたちは多摩産材の木のおもちゃに触れながら、思い思いに遊び、退室するときには「離れがたい場所」だったようですが、今はコロナ禍で飲食ができないので「お腹がすいたら、さようなら」という感じになってしまうのが少し残念かもしれませんが、「また、行きたい場所」になるだろうなあと思ったりもしました。小学校1年生以下の子どもたちを対象としている場所でちょうどいいなあと感じることもできました。

コロナ禍でマスク。広場では子どもたちはマスクを外して遊んでいて、とても自然でした。こうした広場の役割には「親どうし」が顔見知りになり、つながれる・・・があると考えていて、大切な一つの役目だと思っていますが、大人はどうしてもマスク着用になるために、無意識にも「密を避ける」とか「会話を控える」となっているのかなあと。ついつい子育て広場でも「親どうし」の会話を遠慮する心理にもなってしまうようにも感じます。ただ、スタッフのみなさんは、必ず、来てくれた方々には何らか声かけをしながら、見守っていて、とても機敏でした。また、子どもたちに厳しく注意を促すことはせずに、遊ぶ時のマナーについても危険なことはしない方向にと誘導するスキルがすばらしく。親子の成長を見守るってこういうことなんだな…をいくつも垣間見てきました。来場者の皆さんとスタッフさんとの人間関係を築いていくこともまた、重要なことですね。勉強になります。


(↑ これは、少し前に休憩中で来場者がいないときに撮影。休憩中というのは…おもちゃの消毒などをする時間でもあります)

ここを目的にパルテノン多摩に来る親子が…その先に、どうこの場所に親しんでくれるんだろう?…と考えることに職業病を感じるわけですが、4階の一角にある空間の「良き雰囲気」がその場所だけに留まっていて、それ以外の場所には共有されていないところは気になります。「居心地の良さ」をつくりだすとは…を考えたいものです。流行り言葉で言えば…「第三の居場所」。パルテノン多摩の大規模改修の時には「第三の居場所」という言葉が飛び交っていましたが、まだまだそれを具現化されているとは言い難く、今日は雨が降っているという天候のせいだったのかもしれませんが、…改修前の静まり返った館内の雰囲気がいまだ温存されているのが現状のように感じています。

改修したいがために、あれこれと理屈づくりをしてきただけではなかったはずなので、今後に期待と言うことですね…。そして、私は思わず「管理運営計画」なるものを読み直してしまうのでした。

納税者意識を高める方法は。

神戸発で人気のプリンだとか。冷凍になっていて、半分くらい溶けたアイスプリンくらいでいただくことがおススメ。ザラザラしたカラメルお砂糖がついているのですが、カロリーを少しでも低くする(気休め)ため、そちらは振りかけず。でも、アイスプリンでちょうどおいしい。カタラーナのよう。

さて、先日、ハイブリットで開催されたグリーンボランティア20周年記念事業のシンポジウムがあり、私はYouTubeで視聴していたのですが、市長の挨拶が始まったところから、途中まで全然見れずで、すごく残念…と思っていたところ、アーカイブで後日視聴ができるようなので良かった。後半は無事に視聴することができたのですが、個人的にはすごくおススメ。多摩市の「みどり」を考えるにとても参考になる内容だと感じました。SDGsウエディングケーキモデル、NbSモデルから、ワンヘルスのことまで…会派の代表質問で取り上げたキーワードにも触れる話題提供もあって、政策の方向性を考えていくにもとても良い問題提起がされていたなあと思います。

ところで、市長がそのシンポジウムの中で「多摩市は街路樹が17,000本もあって、日野市は3,000本なんですよ」と述べておられ、つまりは「維持したり、管理したり、手入れをするにもお金がかかり、行き届かない現状」を吐露していたことがずいぶんと印象に残りました。嘘偽りもなく、事実であって、私自身も「もっと丁寧に維持管理ができたらいい」と思いますが、そこまで手が回らないという現実…「愛でるみどりから関わるみどり」…とういスローガン(キャッチフレーズ?)を掲げて、市民の協力を得ながら、多摩市のみどりを守り育てていこうともしているわけですが…高木、大木、巨木も増えている中ではそうそう市民にも任せられないのも現実。街路樹の管理など、行き届かない現状に…残念ながら、増えるのは市民からの苦情…。「悪循環」という言葉がこれほどピッタリくるものはないなとも思いますが、今後、街にとっては「魅力」ともされるみどりの管理…悩み多きなのです。実際に、街路樹のみならず、法面その他…今年も季節に逆らうことなく、自然はそのエネルギーを発揮しています。草刈りなどもやってもやっても終わらないんだろうなあ…というのは街に出れば理解できますね。

「街路樹ばかりの手入れに税金を使うわけにはいかない」…考えればすぐに理解できることとも思いますが、しかし、市長がその事実を伝えれば伝えるほどに…受け止める側は何かどこか言い訳がましく聞こえてしまうというのが辛いですね。それは議員も同様で、結果…「お金の使い方に知恵がない」とか「使い方が悪い」とか言われてしまうのです。

そんなわけで、参議院の選挙でも「税金の使い道」が当然に話題になるのですが、国レベルになるともっと規模が大きくなって難しい。市民の日常、暮らしに密着している市レベルで、もう少し税金の使い道を可視化できないものかと思っています。「この公園の管理には『〇〇円』使われています」とか「このとおりの街路樹の管理には『〇〇円』使われています」とか…「ここの公衆トイレの管理には『〇〇円』使われています」…みたいに可視化できるようにならないかなあ。便利なツールないのかしら?

市も、市民に分かりやすくを心がけながら、情報公開の努力をしていて…一年間の状況を家計になぞらえて解説したりなどしていますが…たま広報(2022年10月20日号の特集ページ)…もっと自分の身の回りで「お金のかかり具合」を具体的に知ることができると、身近になる感じがしますね。街路樹その他で言えば、「この木を一本維持するのに〇〇円もかかるのか…」みたいなことが分かると、自然と「費用対効果」にも意識が向くような気がするのです。「こんなにお金をかけて、『こんだけ?』」…とか。いやらしいと思われるかもしれませんが、税金があって維持されていて、維持できているものばかりですから。「タダのものはない」というのか。例えば、参院選挙にかかる費用のことが話題に上っていて、こうした事実をどのくらい実感できているかなあと思うから(参考に;「その1票、実は611万円!?」…あなたの1票の値段&参議院議員選挙にかかる費用まとめ…)。いずれにせよ、「若年の投票率1%減 1人7万8000円の損」…とか、こうした情報がもっと伝わっていくと良いなあと思いますが、主権者教育とか納税者意識とか…必要なのは若い世代だけではなさそうですね。

民主主義は話し合い…

参議院選挙が終わりましたね。結果は想定通りだったという印象で、それほどの落胆もなく、私は今までと変わらず、自分自身の活動を淡々と進めることだけだなと思っています。

今日からまた、フェアな市政の駅頭活動を再開。

マイクも使わず、ただ、立っているだけで…「何のため?」と市民の方から言われると、「何のためなんだろう?」と反芻することも無いわけではなく…。もともと…20年前に議員になった時から、ずっと続けている活動で、「市議会の存在を身近に感じてもらう一つの手段」と思っているのですが、それは思い違いなのかもしれないなと感じることも無いわけではありません。

でも、何となく顔見知りになる方、声をかけてくださる方もいらっしゃいますし、何かの時に…いつも駅前でお会いしている方に声をかけていただくこともあります(でも、名前はわからない)。

さて、参院選挙の結果に私が最も危惧をするのは…「数の力で押し切る」政治になってしまうことですね。少数派の意見も吟味していこうとする感覚が失われているような、国会を見ていて(見ていると言っても大部分は見れていないともいえるが)、象徴的にマスコミなどで報道されるような場面からは「多数が取れれば、何でもいい」というような雰囲気しか伝わってこないので、余計に、そう思えてなりません。少数派の意見を真剣には聴かず、多数派が少数派を嘲笑するような風潮や空気感が国会の録画中継などからも伝わってくることが、私にとっては本当に深刻。

「民主主義は話し合い」というよりも、「民主主義は多数決」という人の方がますます増えている感じもします。結論を出すための手段として、最後は多数決なのかもしれませんが、その大前提には「とことん話し合って、議論を深めて」がなければならないと思っているのですが、どうやらそうでもない?多摩市議会の現状はどうなのか…ということも自分自身の中では振り返っておく必要がありますね。

いずれにせよ、政治の在りようがが世の中全体にある空気をつくりだしていくような印象を受けていて、それもまた、多くの市民にとっては無意識のうちにだと思っているので、今、改めて「民主主義とは何か」みたいな固い議論が必要ではないかなと感じているところです。久しぶりに会派のメンバーで集まって、情報交換などもしていると、共通するところしないところも見えてきたりして、面白い。

そういえば、今朝、選挙投票日翌日だったので、朝の永山駅には共産党の橋本議員と安斉議員もいらっしゃって、早速に選挙報告のチラシの配布をされていて。こうした運動力と言うのか、活動力と言うのか、きちんとフィードバックしている姿勢には頭が下がります。昨日の今日でチラシを作成して、印刷をして…早朝に間に合わせるというの、やっぱりすごいなあって思って感心してしまうのでした。多摩市内の得票数では立憲民主党の蓮舫さんがトップだったのですね。

投票率も前回よりもアップしていて、54.58%から57.37パーセントだったよう。そこ、今回の選挙結果でうれしかったことかも。

一人ひとり、私の「望む」未来のために。

東日本大震災を伝える「ど根性ひまわり」。北諏訪小学校でも花開いたようです。PTAのみなさんが大切に育ててくださったもの。もともと、現在、多摩第二小学校にいらっしゃる吉田校長の個人的なつながりがあって、多摩市内小学校にもやってきた種と伺っています。その種が北諏訪小学校にも届いていたのですね。色が鮮やかで、エネルギーを分けてくれるイエローですね。

明日は投票日。昨日、元総理大臣が選挙の街頭宣伝中に銃撃されて亡くなるという出来事があり、「民主主義に対する挑戦である」という内容の発信をSNSなどでも多数目にしました。いかなる暴力も許してはいけない。本当に卑劣な行動であると思う一方で、少しずつ事件のことが明らかになり、加害者の動機が「政治的信条の違いに憤る」という意図に基づいているものと言うよりも、個人的な恨み、不満などを理由としていたようなことが報道されるようになりました。情報を受け止める側の冷静さも問われているような気がしていますが、あまりの凶行さ、抑えきれない感情に暴走していくような…この日本で自分自身の手製の武器を…本当に言葉が見つかりません。痛ましい出来事、このような形で命を落とすことになってしまった安倍晋三元総理大臣には心からのご冥福をお祈りします。なぜ、このような事件が起こったのか、その背景、また要因が明らかにされなければならない。その必要こそ感じています。

そして、やっぱり私たちは自分たちにある一票をきちんと使っていきたいと思うものです。一人ひとりが自分の望む未来のために。

昨日から、日本社会の歪みを感じながら、いろんなことを考えてしまい、ため息をついては重苦しさを吐き出している私ですが、自由であること、平和であること、自分の生き方を選ぶことができ、自分自身の思いを表すことが許される環境があること…それがどれほどにありがたいことなのか今一度、確認をしなければならないと。そしてまた、それを手に入れ、守るために払われてきた多くの犠牲のことにも想いを寄せていきたいものです。そのありがたみを改めてかみしめながら、私たちの社会を守っていきたいと強く感じています。

そのためにも、一票を投じていきたい。何事も暴力で変えることはできない。

コロナでずっと中止を余儀なくされていた諏訪商店街のサマーセール。久しぶりにオープニングで多摩太鼓を聴くことができ、全身にも響き伝わる和太鼓の音に目頭がなんか熱くなってしまった。自分にはこれから何ができるか、昨日からずっと考えていて、ガサガサしていた気持ちが少しは晴れた気がしますが、きっと、何事も努力なくして守っていくことはできないのでしょう。

七夕。

気づいたら、20年以上もご縁があって…ということで、長年の友人と言うよりも、政治的な立ち位置としてはかなり隔たりあることを互いに確認しあっているわけですが、同志という感覚もあるかな…拓殖大学の教授になられた丹羽文生先生にお招きをいただき、「女性の政治参加」に触れながらの講演をしてきました。

Z世代と呼ばれる大学生の皆さんたち…なおかつ、まるで自分の子ども…に話しをするということで、年齢の隔たり感あり、ノコノコと私のような親世代が出張っていっていいものかという躊躇いもあります。今、初めて呼ばれて講演するのとは違い、この間を振り返ってみると何度かこうした機会があるので、いつまでも出しゃばっている感じに気が引けてしまうのが正直なところ。でも、こうした機会があると自分が勉強したり、学生さんたちの感想文から気が付かされること、学べることが本当にたくさんあり、ありがたい時間です。結構、スライドを準備したりするのにも時間がかかるので、楽ではないですが、いかに自分自身が無頓着にジェンダーを受け止めているかを反省する良きチャンスも得ていることを改めて実感させられるのでした。

「おばさんの話し」

という感じもしてしまうので、そうならないように気をつけないといけない。多摩市議会は議員に占める女性の数も少なくはない…という状況に助けられて支えられてきて、それでも「男社会」であるという現実は否めず、そしてまた、政治に関わる女性に「強い女」感があるというイメージを大学生の皆さんとも共有するとき、まだまだ社会の中における「女性」の立ち位置が「いまだに、そんなもの」なんだなあ…と。

いつだったか、調べたことですが、Z世代は性別関わりなく「共働きが望ましい」「育児休暇を取得したい」と考える人たちも増えていて、世の中変わっているなあを感じる一方、「男は結婚して、家庭をもって、一人前だ」という意識を持つ人たちが男女問わずに、まだまだたくさんいるというのは衝撃。

しかし、振り返ってみると、若い女性が独身で議員になるとか、出産するとか…そんな想定はされていなかったことを考えると、今は、随分と進歩していて、男性議員でも「育児休暇」を取得できるように変わっているのは良い方向ですね。あとは、「育児休暇」を取得するような世代の議員をもっと増やしていくことですね。ここは大きな大きな課題…。参院選挙の投票日まで近くなっていて、今は大学1年生なら選挙権を持っているので…「投票に行くことって、大切だよね!」を呼びかける保護者のような気持ちで話しをした1時間でしたが、「政治には無関心でいられても、無関係ではいられない」ということが少しでも伝えることができていれば。

そういえば、コロナになって、みんながマスクで…授業中に学生さんたちの表情がわからない。やっぱり、人間のコミュニケーションにとってはプラスにはならないことを痛々しく感じながら、しゃべっておりました。感情の表出そのものも苦手になっている人たちも増えているような気もしています。みんながマスク時代に子どもが育ったその先…ついつい想像すると、何だか心配。とは言え、「今日は『ほし』だらけ。給食も『ほし』だった。」と無邪気に話す子どもに救われます。

私もそろそろ明日くらいに、投票してこようかな。

#女性に投票チャレンジ

七夕が近いのですね。まちの中に涼しげな飾りを見て思い出しました。そういえば、マンションにも七夕飾りで短冊が置いてあったなあ。「早く戦争が終わりますように」と私が今、一番願っていることかもしれません。参議院選挙でウクライナ問題のことも何となくかき消されているような印象もありますが、同じ空、続く空のもとでずっと続いている戦争のことを思うと、結局、しわ寄せはどこに…?という気持ちになって仕方がありません。

さて、#女性に投票チャレンジ(note)…という取り組みが行われていて、ちょっぴり注目しています。この間、いろいろと失言その他を聞くたびに、やっぱり女性の議員を増やさなければいけないなという気持ちになって仕方がありません。かといって、女性と言っても、考え方は人それぞれ…さまざまというのも事実ですが。

こちらの記事を読んで、ものすごい頷いてしまうのは、「選挙…まるで、‘おじさんの運動会’になってる!」という指摘。

「選挙って、おじさんの運動会みたいなものじゃないですか。その中に若い子がいるだけで目立つ。例えば、旗を持つよう頼まれたり、前に立って話してと言われたりと、いろいろ任せてもらえるのは嬉しいんですが、その一方で『自分の“女性性”と“今の若さ”を消費されているな』とも感じました。特にウグイス嬢をやった時には、『声がかわいいから、すごく食いつきがいいよ』と言われて、モヤっとしながらやっていたんです」

これまた、笑えない事実すぎますが、あまりにもドンピシャでおっしゃる通りですね。私、客観的に選挙運動の風景を見ていて、候補者以上についつい周りで応援している方々の顔ぶれを見てしまいます。「女性性と若さを消費している」‥‥これ、一目見てわかってしまう。逆に、候補者が比較的若い女性であっても、周りに比較的高齢層の男性しかいない場合もあるという不思議な光景にも出会うことが多いですが。そういえば、いつだったか…その場では聞き流しましたが、「女王蜂は一匹だけで十分」と言われた発言は忘れられないですね。私はもともと生活者ネットワークの支援を得て当選しているので、その後、政党を移った時の「文化の違い」に驚いたというのは言うまでもなく、何せ、選挙、政治…「男性中心なんだなあ」としみじみ感じたことは忘れられない肌感覚。

明後日、拓殖大学の授業に行くゲストでお招きをいただいているので、スライド作成中。いろいろ考えて、書いたり、まとめたりするのは時間がかかる。せっかくなので、女性を増やす、若者を増やす…という観点にも少し触れながら、政治参加のことをお話ししたいと思っています。合わせて、市議会レポートも作成したりして、やらなければならない事務作業を少しずつ片付け中。

 

#女性に投票チャレンジ(twitter)…参考になる情報がたくさん。政党の所属は気になりますが、政党に関わりなく、いい候補者、探せばいるなと思います。とにかく、私が思うのは「もう、昭和時代ではないですよ!」ということですね。世界に目を向ければ、若い世代、なおかつ性別女性の政治家が活躍していますね。活躍できる環境が整っているということ他なりません。男性の意向をくまないと活躍できない女性…という構造がまだまだ残っているという現状をまずは変えないと(あ、多摩市議会はそうではないです。だから、私みたいな人でもやっていけます)。

2枚目の投票用紙…政党名を書くのもなあ…と憚られる方にはぜひ#女性に投票チャレンジをおすすめします。

 

7月から今年の後半・・・。

年度の始まりが4月なので、まだ前半…という感じもするのですが、でも、2022年は半分が終わって、7月からは後半なのですね。何をしてもしなくても、時間だけは重なっていくなあと。

パルテノン多摩がリニューアル、グランドオープンしました。議員全員にお声掛けがあったので、大ホールで行われた読売日本交響楽団によるこけら落とし公演に足を運びましたが、クラシック音楽と言うのはどうしても客層は年齢層が高め…以前の客層を取り戻すというのか、ファンをそのままキープするという意味では満席御礼でよかったと思う一方で、新たな客層、ファン層の開拓をするという意味で今後の取組みには注目していきたいですね。「パルテノン多摩が日常的に使われる場所に」。

いのちの危険すら感じる暑さに思考回路が停止してしまいそう。消防団のポンプ操法大会が市民に身近な会場を使用して実施することとなり陸上競技場で開催されたのですが、ポツポツ雨が降ったこともあり、一部テントが建てられた場所は雨と暑さも凌げてよかった‥‥「客席に屋根があった方がいいね」と市民の方から声をかけられましたが、カンカン照りだと客席にいられないなと実感せずにはいられませんでした。消防団の活動は「暑い、寒いなど言ってられない」というのが本来なのかもしれませんが、健康を害してしまっては元も子もなし。ポンプ操法大会に臨むための練習もさぞかし大変だっただろうと察するばかりです。大学時代、「暑さに負けるな」という意味で、「気合い!」…っていう言葉で気持ちを奮い立たせるとか、体育会系部活の練習風景も思い出しますが、気合いとかで乗り切れるほど甘くない。この暑さが「異常」ではなく、いつしか「正常」になっていくのでしょうか。

以前の多摩ニュータウン卸売市場の会場とは違って、陸上競技場の観客席から、ピシッとしている消防団の整列を眺めることができましたが、周りの色に映えていて、絵になる景色でもありました。

参議院選挙もラストサンデー・・・ということで、立憲民主党の全国比例区から立候補されている堀越けいにんさん。お話し会があり、少しだけ顔を出してきました。「子どもの人権」のことを真剣に考えている候補者だと確信。草の根的に活動されていて、団体などのバックがない中で活動をされていることに頭が下がります。全国比例の候補者…抜群の知名度がない限りは、選挙はラクチンではありません。私にとって、「良い人材」と思える人ほど…選挙活動には苦労されている場合も多い。

ご縁があって、とてもお世話になった人物が立候補していて、議会の合間に応援に行くつもりが、叶わなかったので…まるで弾丸ツアーのように三重県まで行ってきました。夕方から言って、翌日朝の活動までを手伝って帰ってくるという感じ。ラストスパート頑張れ!…と声をかけに言った感じですね。自分の選挙では雨が降れば開店休業状態にしてしまうのですが、土砂降りの中を雨合羽を調達して、活動するという滅多にできない経験をしてきました。

まじめに活動してくれる人物を選びたい…心からそう思います。三重県の皆さんにはぜひ、よしの正英さん!現場がわかり、政策力がある人物です。

「このままで、決して良いとは思えない」

そんな思いを一票に託してほしいと願ってやみません。パタゴニアのメッセージに心打たれます。#地球のために投票しよう。