「ひとり。ひとり。」である。

たまたま、トランスジェンダー展(トランスジェンダー男性にフォーカスした展示会)をやっていて、たまたまトークショーがあり、30分という時間でしたが、お話しを聴くことができました。こうした場所に居合わせることも滅多にというか、ほとんどというか、皆無だったので、集まっていたみなさんの熱気に驚くと同時に、やっぱり、「個」とは何か?…ということも考えさせられ、そしてまた、「知る」というきっかけがなければ、知らないままでいることも可能であること…素通りしようと思えば、そのまま避けることもできる。なかなか当事者の方のお声を耳にすることがなく、貴重な時間を過ごすことができたご縁に感謝するのでした。情報としては、レインボープライドが先週行われたことも知ってはいましたが、それに続いたわけではないかもしれませんが、企画された取り組みだったよう。

当事者として生きる。

私の想像力では及ばないような経験と体験があり、その過程できっと存在してきただろう葛藤を少しずつ克服されてきたんだろうな‥‥ということを思うだけで精一杯なのですが、「ひとり。ひとり。」なんだよな…人間は…と強く認識させられると同時に、ある意味、自分に向き合い、生き方を変える選択もあったんだろうなと思うと「芯」を感じたひとときでした。トークをされたみなさん(FtMの方々)、心からかっこいいな!と思いました。生きる姿勢がとてもシンプルな感じがしました。(トークショーの様子等。撮影や掲載の許可をいただきました。)

 

先月、「LGBTsダイバーシティなごみ拾い!環境保護活動」に参加をしましたが、来月21日にも引き続き開催される予定です。当日、別イベントを企画しているので、私は参加できない可能性の方が大きいのですが、前回と同様、多摩センター駅に集合してから乞田川沿いを永山方面に歩きつつ、「ゴミを拾いながら、みんなでダイバーシティを語ろうよ!」という感じで、堅苦しくなく、みんなで和気あいあいと活動するので…「楽しい!」。ぜひ、よかったらお問い合わせを。

南大沢にあるパン屋さんの米粉食パンなどをお裾分けしていただく。今度、「もちもちクリームパン」を買いに行かねばと思っているところ。久しぶりに、ふわふわでもちもちの食パンをいただき、幸せ。やっとやっと、市議会レポートの印刷が終わって届く予定。連休中にやるべきこと…ができた!

 

 

臨時議会で議長が選出されました。

生温く、埃っぽい強風…何となくボーっとしてしまった一日だった気もしますが、臨時議会があり、そのあと、代表質問をつくるためのヒアリングやらをして、帰宅。帰り道に…いつも行かない貝取にあるスーパーマーケットに立ち寄ってみて、ずっと前から気になっていたシュークリームを買ってみる。コスパいいかもしれないなーという味わい。

さて、臨時議会は段取り通りと言いますか、補欠選挙で当選された自民党の石山ひろあきさんの議席や所属する委員会を決定したり、不在だった議長を選出するための選挙など。

「大会派から議長を選出する。」

という慣習に基づいていたので、石山さんの当選で再び最大会派になった新政会からの議長を輩出するように事前調整ができていたんですよね。ですので、飯島文彦議員が議長として当選されました。一応、所信表明をされて、その後、選挙。結果がわかっている中でわざわざ選挙するのか…とも思いますが、これまた議会の習わしというのか、手続き。

その後、飯島議員が議長になったことに伴って辞職することになる一部事務組合(三市収益事業組合)議会の議員の選出、議会運営委員会副委員長の選出、予算決算特別委員会の委員長の選出が行われて、これも会派代表者どうしの話し合いで決まっていたとおり、三市州事業組合の議員には新政会の松田だいすけ議員、それから、議運の副委員長と予算決算特別委員会の委員長はフェアな市政の大野まさき議員に決まりました。

今日の議会本会議は、市長選後初の議会でもあったので、阿部市長から4期目に向けた意気込みも語られ、年度末駆け込みの法改正に対応させなければならない市条例の専決処分が報告され、議会で承認する案件が3つほど。専決処分案件は毎度のことでもあるので、質疑応答などもなく、全会一致で議決して終わり。

夕刻から、オンラインセミナーに参加し、北海道の東川町長より「グローカル」という視点で取り組むまちづくりについてお話を伺ったのですが、かなり行ってみたい!…という気持ちに。自治体それぞれにはおかれた環境や状況も違い、その規模も違う…とはいえ、自治体行政の業務に関して言えば、その「本質」って変わらないような気がするのです。それにしても、検索をしていて目に留まった記事…「人生の学校」…なんと、旧知の方がやっておられるのね!…ということにも驚き…つながるなあ。

連休前となり、「わぁぁ!お休み続いてうれしいなあ‥」と思って、カレンダーを見てみれば、5月2日も6日も…休日でも旗日でもないのですね。「大型連休」とはならないな…通常通りに業務をこなす…となりそう。

長谷工のマンションミュージアムを見学してきました!

今日は生活環境常任委員会のメンバーで長谷工のマンションミュージアムの見学。所管調査事務事項にしている「気候非常事態宣言」に関連して、市内企業などへのヒアリングの一環です。この施設は「ABINC」の認証を取得していて、先日更新したばかりと伺いました。

「ABNIC」…初めて知りましたので、あとからまた調べてみようと思います。マンションミュージアムの横には実験棟があり、ここで長谷工の作品ともいえるたくさんのマンションに関わる実験が行われています。技術はいつも日進月歩ですからね。特に古い時代の建物など老朽化、不具合などが発生した時の対処法、多摩市内でも建替えや大規模改修を検討している集合住宅の管理組合の皆さんが見学などをされていると伺いましたが、ミュージアムは地域貢献活動的な企業活動の位置づけのようで、実にさまざまな知を集積させながら、研究が行われているようです。今、また新しい実験棟を増築しているとのことで工事中でした。

以前、ミュージアムの入り口ともいえるミニシアターは見せていただいたことがあったのですが、とにかくその奥に広がる展示がとても興味深く、今日は案内をしていただいたのですが、もっと時間をかけてゆっくり見たい展示物ばかり。

 
マンションの歴史を知る手掛かりにもなる長谷工のマンションのパンフレットがズラリ!「奥様の8,760時間がテーマです。」ってすごいキャッチフレーズ。まさに昭和で、「専業主婦」への疑問を持たずにいた時代背景を感ずることができますが、お玉を片手にしてにっこり笑う女性の写真に私は目が釘付けに近くなってしまいました。マンションというか集合住宅の歴史をたどっていくと、その時代背景を映し出していることもわかるので、本当に興味深い。間取りをひとつとってもそうですね。ライフスタイルを表していて、まさにカルチャーだなあと感心してしまって…まだ見足りないくらい、楽しい空間でした。

今後、こうした展示にも環境配慮も含め、時代に沿って求められる新しい価値観を取り入れた建物がもっともっと増えていくと思うとますます楽しみになります。展示の仕方、工夫を含めて学ぶべき点も多い感じがしてしまって、視察目的とはズレたところにやや私の興味関心がくすぐられたのですけれど、このミュージアムは一度はゆっくりと足を運んでほしいなあ!…という場所の一つでおススメです。今は予約制です。

そして、かつてのマンションと現在のマンションの一部を再現している場所がありまして、間取り、天井の高さなども含めて確認することができるのですけれど…そこで気が付いたのは…「あれ、これ、いとこの家そのものじゃない!」ということ。玄関、入り口から、壁紙から、お風呂から…ホントそっくりでした。帰ってから、調べてみたら、やっぱり…いとこの家は長谷工さんのマンションシリーズの一つだったようです。

敷地内にあるビオトープは地域の方にも好評の場所…ということで、気候非常事態宣言に関わるお話しを多く聴いてきたわけではないのですが、建物の断熱、窓ガラスを二重サッシにするとか複層ガラスにするとか、これから今まで以上に要求されてくると思うので、事例紹介なども含め、学ぶことのできる拠点があり、私たち市民にはありがたい場所です。

ちなみに、全国40万戸以上のマンションを24時間365日監視する拠点にもなっていたり、マンションの管理人さんを育成したり研修したりする場所としても施設が活用されていることも伺いました。

それにしても、今はパワーカップルと言われる30代、40代の共働き世帯が駅前のタワーマンションなどを購入していて、マンション購入の平均価格が…バブル期を越えているというデータには驚きました。マンションの平均価格…2021年の実績値6,260万円なんだそう。すごいですね。バブル期最高値1990年は6,132万円・・・。価格帯の高いマンションが購入されることで平均も引き上がるあがるということなのですが…それにしても、コロナ禍で暮らしが厳しくなっている云々と言われている状態や状況とはずいぶん隔たりありすぎて…とかむしろ考えさせられます。「格差社会」を感じさせられるエピソードというか。

ニュータウンの建物が老朽化し、対応が必要とされる時代になっていて、私たちの「住まい」の問題をどう考えていくか。集合住宅エリアが市域面積の半分以上を占めているからこそ、行政としても無視できない課題であることはかねてからの問題意識、指摘の通りなんですよね。政策としてこれだけの集合住宅を誘導し、誘致してきたという‥‥しみじみと考えると、すごい話ですね。人口減少社会が想定内なので、そこに合うように考えていくことが求められそうですが、現実、そうなっていないところに難しさも。時代が先に進めば進むほど、この問題がこの課題に重たさが増すことだけは見えていますね。阿部市長の手腕も問われる点であり、「国策としてのニュータウン」という視点からは、都議会議員や国会議員との連携も必要ですね。

いずれにせよ、ぜひ、長谷工のマンションミュージアムへお出かけください!私もまたゆっくり見に行こうと思います。明日は臨時議会です。

 

 

 

援助ではなく支援。指導ではなく支援。

私たちができることは「援助ではなくて、支援」

結構、この言葉の意味は深くて、考えさせられるものです。子ども、その保護者との関係性、自分自身の立ち位置を考える時に意識しておくべきことだなと考えています。そしてまた、「指導ではなくて、支援」ということもまた重要で、子どもたちをフォローするときに大切にしたいことだなと感じていました。

たまたま「虐待予防は母子保健から」というブックレットを見つけまして、その副題に「指導ではなく支援」と書いてあったので、手に取ったところ「善意はしばしば有害であり、熱意は非常に危険である。さらに正義はもっと危険。」と書いてあって、これは自分自身のあらゆる活動においても、改めて意識しておくべきことであり、認識しなければならない事項であると思った次第です。

そして、子どもたちを支援していく活動を通じて、その保護者や家庭への支援も視野に入れなければならないことも含め、実はとても多くのことを学んでおかなければならないことを痛感する今日この頃です。いろんな相談事に対応している自分自身の在り方を問うことが多くて。

専門スキルとは何か?…ということも考えさせられますね。

先日、このブックレットに関するオンラインセミナーもあり、その時の録画を送っていただいたので、復習します。一人ひとりのより良い人生を支えていけるような地域にしたいなあとの思いを強くするものです。

多摩センター駅からパルテノン多摩、グリーンライブセンターへのレンガの歩道。レンガ、すごい盛り上がってるなあ…。街の中をいちいち点検するわけではないのですが、やっぱり至る所で、不具合を目にすることが多いなあと感じます。順番に手を入れていくことしかできないわけですが、「モノを大切にする」という視点を欠くことはできませんし、ていねいになおし、長持ちさせていきたいですね。

それにしても良いお天気でした。4月25日…本日は「世界ペンギンの日」だったそう。

臨場感…は大事。

実に2年ぶりだと思う…多摩市聴覚障害者協会の定期総会に出席。コロナ禍で軒並み…こうした行事への出席の機会が無くなっていた分、あまりにも新鮮なひとときでもありました。総会の議事も途中まで聞かせていただき、手話の読み取りがあまりにも難しいことや、せっかく学んでいた手話も…残念ながら、中断していて…随分忘れているなあということも実感。学び直しが必要なことも痛感しつつ…そして、何よりも確信したことは「やっぱり、臨場感だな!」ってことです。それに、マスクで表情が隠れていることって、全くよろしくない…ということも同時に感じてしまいました。

特に手話には、顔の表情はもちろんのこと、身体全体を使った表現が欠かせない。心のひだ…ここを豊かな表現にしていくため、感情を表すことが必要で、マスクは聴覚に障害のあるみなさんにとってはコミュニケーションの壁になる。マスクによって「遮断」を感じざるを得ないのではないかなあと思うものです。

聴覚障害者協会の総会にはいつも市長、議長、国会議員、都議会議員、また議員にも案内状が届き、挨拶の機会もいただくのですが、阿部市長がフルで手話を使いながら、挨拶をされていて…会場はかなり盛り上がりました。市長の手話は私も理解できました。「ん?」というところも…ちゃんと理解できたのもポイント。手話を習得するのは本当に難しいのですけれど、市長もこの挨拶に備えて、だいぶ練習されたのではないか?と思われます。ちなみに、橋本由美子副議長も手話を使っておられましたし、いつも議会でミニ手話講座をしてくださっている公明党の池田けい子議員はスラスラ手話で挨拶をされていて…素敵でした。

ところで、市長の公約には「手話言語条例」が掲げられていましたので、さっそく取り組みが始まることと思います。もう4年ほど前になるなあ…議会でも「手話言語条例」の制定にチャレンジしたものの、途中から、手話以外のコミュニケーションにも目を向けた内容にしていこうと視点を広げ過ぎて、うまくまとまらなかったことを思い出します。それもまた良き思い出というか、一つの経験になっていることも久しぶりに振り返る時間となりましたが、いずれにせよ、「手話言語条例の制定」が、市長公約になったのでホッとしています。なぜなら、実は、私の選挙公約にも掲げていた事項のため。今回の市長選挙を経て、制定の道筋が開けたことに喜んでおります。総会の市長の挨拶でも「手話言語条例の制定に向けて一緒に取り組んでいきたい」との趣旨が述べられ、会場内には期待感が広がり、膨らんだ気もします。

この雰囲気…会場にある期待感…これを空気として共有できることは幸せ。「臨場感!!」と思った次第です。

私は聴覚障害者協会の大石会長のあいさつでウクライナでの戦争問題にも言及があったことが印象的でした。そして、「聞こえる、聞こえないに関係がなく、みんなが平等に生きていけるような社会に」とおっしゃっていたことが心に深く響きました。やっぱり、再度、手話の習得にチャレンジせねばと思っております。実は、もう一度、市の講習会を受講しようと考え、コロナ禍で授業が中止になってしまい、中途半端に終わってしまった「中級講座」に申し込んだのですけれど…。何と残念なことに、一応、修了証書をいただいていたために受講不可という連絡が。かなりガーンとなって、モチベーションが下がっておりまして。確かに…授業が中止のまま、修了式も開催されずに修了証書だけが手元に届いていたのです。けれど、最後、尻切れトンボで終わってしまって、すっきりした気持ちで「上級」を受講しようという気持ちにもなれない…まだそのレベルに達していないことを自覚しているからなのですが、このまま「上級」に上がるわけにはいかない…という気持ちを抱えて、「中級講座の受講不可」を聞いた途端、気持ちがどよーんとしておりまして。より多くの人に受講機会を広げるために「修了」しているので再受講はできないんです…ということも理解できないわけではないのですが、とても残念。数年のブランクがある場合などは、再受講する機会があっても良さそうな気はするのですが。どうなんだろう?

今年も掘りたての筍のお裾分けが届きました。いつもは水煮まで完了したものをいただくのですが、今回は「糠」もつけていただいて、自分で最初から調理。たくさんの蕗もいただいたので、こちらも頑張って「季節の香り」を楽しまなければと下処理をしました。いつもの時短調理では通用しないため、ものすごい料理した気分になれた週末でした。蕗も筍のそばにつけてみました。やっぱり、シンプルな味付けが一番。

やっと市議会レポートも完成して、入稿できましたので、来月から配布しようと思っています。来週27日には臨時議会が開催され、議長が選出される運びです。

「やる気があるか、ないか」

結局、最終的には‘やる気’で決まる。

というのは、本当にその通りだと思っていて、最後まで「やりきりたい!」という気持ち、心意気とか気合みたいなものを応援しきれるかどうか…みたいなことが大事ですね。自分自身のやりたいことだけでなく、「乗り掛かった舟だから」ということで、関わることもありますが、でも、どれをとってもマイベストを尽くせるかどうか、尽くそうと思うかどうか、あるいは、尽くすために自分にとって必要な要素を自分自身で発掘していく楽しみを忘れないようにしたくて、それを心がけること…大切にしています。

まあ、でも「泥船には乗りたくない」。

今日は朝、昼、夕方…とミーティングなどもあって、それぞれがとても自分にとって学びになるものばかり。最近のマイブームは「食」「エネルギー」なので、それに関することを情報交換して、さて、この辺りの課題を多摩市政にも引き寄せながら、政策提案に結び付けていきたいところ。

市長が再選されたので6月の議会で所信表明の演説が行われる予定で、また、代表質問の機会が巡ってくるので、そのための調査活動など進めています。何しろ、市長はまたこれから4年間をかけ、じっくりとご自身の掲げた政策実現に向けて取り組みを進めていくことになりますし、掲げたビジョンをもとに、着実な取り組みを重ねてもらいたいと思っています。みんなが迷子にならないように、進めてほしい。

「より良く生きる」

一人ひとりが今日より明日…と希望を持てるような、一日一日を重ねていくための支援ができるようにしっかりと市政運営をリードしていきたいと表明されていて、もちろん「異論なし」「大いにリーダーシップを発揮して!」とも思いますし、4期目ともなれば、それこそこれまでの経験をフル活用してもらいたいですね。何の躊躇も戸惑いもなく力を発揮していただけるように願うばかりなのでした。

そして、市長には子どもたちがちゃんと生きていけるような社会というのか、深呼吸できるような環境、地球の環境をこれ以上悪くしないように道筋をつけて欲しいなあ。そのためまず頑張ってもらいたいです。

閑話休題。

市外に出かけていき、ウォーキングをする機会を得て…あまりにも歩きすぎて、随分と足が痛くなっているという…困ったものです。週末に登山に行く予定があって、それに備えたつもりなのですが。

市外へ行くと、やっぱり、多摩市との違いとか…駅前を含めたにぎわいに自然に目が行き、お店に入れば…年齢層なども含めて気になりますし、いろいろ感じることがあります。先日も「多摩市の駅って、どこの駅もチェーン店しかない。」という声があり、「わざわざ、行ってみよう。」という気にならないんだよな…という意見をいただいたばかり。「ああ、確かにそうだなあ。」と理解して、納得してしまうわけですが、でも、実はいいお店もあるにはあって、大々的に宣伝しないところが「良き」と私は思っているんだけれどなあ…と。「けぇどの会所」でも感じたことですが、宣伝はしなくても口コミで人が少しずつ集まってくるような…本当はそれが理想。

来年、年明けには多摩センターの京王プラザホテルが撤退してしまうことも気になっていて、「ゆっくりとお話しできる場所がなくなるのが残念。」。たまに、ケーキセットを注文して寛いで意見交換などをすることも多かったラウンジへ出かけてみた。残念ながら、モンブランは売り切れで、久しぶりのショートケーキセット。やっぱり、新宿の京王プラザホテルとは雰囲気だけでなく違いがあるなあ。

「18歳成人」

ここ、少し気になる話題。18歳になると選挙権…というのも、言われているほどにピンと来ているとも思えないわけです。その年に選挙が全くなければ、ただ通り過ぎるだけなので。ただ、今年は参議院議員の選挙もあるので、全国の高校三年生がクラスの中に「選挙権がある人」「選挙権のない人」がいるわけであって、学校って何か対応するのかしら?…「18歳に選挙権が引き下げられた」当初の盛り上がりに比べると、本当に静かすぎるというのか、選挙そのものが業界のヒトだけで盛り上がっていて、有権者の関心が高まっていること等ほとんど感じないですね。参院選まであと2か月なのですが。実はうちは娘がちょうど今年18歳を迎え、親としても「え、成人?!」という感覚。参院選については、高校での取り組みというか、先生たちの働きかけ…というのか、何かあるのかなって見守っているところなのです。そもそも、先生は参院選に興味関心があるのでしょうか?…とも思ったりして。

ところで、市内を歩く用事があるというのは、とてもありがたいこと。いつもは車で通りすぎる場所でも立ち止まることができて、目にはいる景色が全然違うため。ヘアドネーションをしてもいいかもしれないと思いながら、髪を伸ばしてみたけれど、断念した。ようやく市議会レポートも完成に近づいたので、あとは推敲して、読みやすさなどチェックをしてもらう段階にまでたどり着く。少しここ2日間は仕事に始まり、仕事に終わるような一日ではなかったので、リフレッシュできたかもしれない。それでも、問い合わせなどがちょっとずつ入るので、これから調べてみようと思ういくつかのことがあり。議員がきちんと学び、勉強をしなければ、良い政策はつくっていけないし提案ができないことをつくづく感じている今日この頃でして、何しろ「独りよがり」になってはいけないことを痛感しております。

その意味で、「ブログを読んでいますが、岩永さんの考え方に100%同意することはできません。」というご意見をいただけることが何よりもありがたいこと。ぜひ、いろんな声、お寄せ下さい!お待ちしています。

 

けぇどの会所。

市役所前の旧鎌倉街道沿いを聖蹟桜ヶ丘方面に向かうと、消防団第2分団の詰所と倉庫が見えてきます。その向こう側に「けぇどの会所」があります。ずっと気になっていて、オーナーである地元の小林さんにも「なぜ、この場所をつくったのか」という想いなど、オンラインで企画してくださったお話し会でも伺ったことがあるのですが、なかなか足を運べずにいて…やっとやっと行くことができました。

◇タウンニュースに掲載されていた「けぇどの会所」の記事

ちょうど、すてきな器の展示と軒先でのマーケットをやっていて…多肉植物の販売。好きな器(鉢)を選んで、気に入った多肉植物を選んで、鉢植えにもしてもらうつもりで出かけて行ったのですが、しかし…多肉植物にも虫がつくことがわかったので断念。室内で育てたいと思うと、鉢の中に「土」を入れることにどうしても抵抗感があるのです。それでも、一目見て気に入った京都の作家さんによる小さな鉢だけを購入し、併設しているカフェでコーヒーとベーグルを買うことができました。お気に入りの「鉢」の使い方、考えようと思ってます。ちょうど、久しぶりに会うことのできたお友達とも情報交換もできたりして、「けぇどの会所」がコンセプトにしている「まちの縁側」だなと感じることができたひとときでした。ここにきて、たまたま遭遇した!…っていう感じが好きです。

そして、何よりもうれしかったのは、この場所が一日一日を重ねながら「まちの縁側」になっていくよう考えて、いろんな企画をしているオーナーのお嬢様の更来紗ちゃんの会えたこと!地域にいるといろんなご縁があるよなあ!をしみじみと実感。「地域にある大切なモノ・コト」をみんなで共有できるような時間をつくりたいと考えている彼女の取組みには注目しつつ、応援をしていきたい。今日の「そよぐ陶陶市」も遠方からも足を運んでくださる方がいたようです。「こだわり」があり、「こだわり」を重視する場所が地域にあるって大事なこと…という印象を受けました。

帰宅後、早速…購入したベーグルにはバターとあんこを挟んで食べまして…めっちゃおいしくて、今度また、買いに行きたいと思いました。グルテンフリー生活は私には縁遠いながら、小麦粉の値上がりなどを考えることと、日本の食卓を守るためにと…最近は「ごはん生活」を心がけているので、久しぶりのベーグルに舌鼓でした。

今週もいつものように始まり…今日は午後から雨がたっぷり降りそそぎ、寒くて足元が冷えました…やっぱり、まだストーブは片づけられない。自分の市議会レポートも作成をし始めて、数日以上たっているのに、なかなかうまく文章がまとまらず、筆が進まず。困ったことです。

ただ、傍らには、私に元気とモチベーション向上…応援してくれるお花たち。「イエロー」好きだなあ。この季節にとても合うと感じています。深呼吸をして、とにかく今月末前には市議会レポートだけは完成させたい!…とちょっと焦り入ってます。「焦っても仕方ないし、焦ってもいいことがないから、焦らないように。」と言い聞かせながら、あっという間にその他諸々やりながら、深夜0時を回っているという暮らし。睡眠不足。

「けぇどの会所」のギャラリー、「そよぐ陶陶市」は明日まで。もう一回行けるかな。

私たちとマスクと。教育長のメッセージのこと。

多摩市内はツツジがたくさん植わっている気がします。道路沿いとか…。桜が終わると、次はツツジかなあなんて思いながら、今日は自転車移動をしておりました。

さて、教育長がホームページでメッセージを発信していることについて、お問い合わせをいただいています。「なぜ、多摩市では教育長がこうしたメッセージを発信できたのか?」…議員のごり押しなどがあったのか?とか、ノーマスク学校生活宣言との関係性についてもお問い合わせをいただきました。

でも、議員のごり押しはないですし、保護者の方が教育委員会に「ノーマスク学校生活宣言」を提出したという経過は伺っていますが、決してそれだけのことではありません。

そして、多摩市が「マスク自由化をした」というような刺激的というかセンセーショナルな評価?をされていることから注目もされていますが、「マスクを強要はしない」ということで、基本的には感染症対策として「マスク着用」を否定はしていませんし、「マスク自由化」というのとはちょっと異なります。事情があって、マスクを着用しない場合もあることを認めていく必要があり、そしてまた、その場合に区別や差別、偏見を持つことはあってはならないことを伝えているに過ぎない。

改めて、教育長が言葉にして発信をしたという意味は大きいと思っていますが、しかし、今までと大きく何か方針が変更したとか、そういうわけではなく、「あえて、発信がされた」だけの話しと私自身は受け止めていて、当たり前のことを述べているに過ぎないと感じています。

ただ、繰り返しになりますが、こうして発信したことの意義は無視できないほどに大きく、反響があまりにも大きいことに逆に驚いています。

もともと、なかばマスクを強要されている状況に違和感を覚えていた方々がいらっしゃること。また、教育委員会に対して、働きかけをしていたことも事実。そうした働きかけの積み重ねがあり、ある意味、お互いの立場を理解し合いつつ…という何度かの話し合いを経て、年度が切り替わったタイミングで改めて教育長がメッセージを発信してくれた…これが私の理解です。マスク着用の是非に関しては、いろんな論評というのか、有効性に対する意見などもさまざまあり、市民の方の中にもいろいろなお考えがあります。ただ、「義務ではない」…ここを忘れてはならないと私は思っていて、強要と強制のような圧力や圧迫感を感じ、苦しんでいる子どもたちがいる事実から目を背けないでほしいと思っております。マスクが苦しくて、そしてまた、一人だけマスクしていない、できないことが苦しくて、学校に行きたくなかったり、これはマスクとはまた別の話しですが、子どもたちが楽しみだった給食の時間も「黙食」により美味しさが半減したり、ただ腹を満たすだけの時間に苦痛を覚えたりなどなど…本当にいろんなことが起きています。こうした状況に当然ながら、保護者が子どもを守りたいと思い、声を届けたい…と思って、行動すること…不思議はありませんよね。

 

何というか…。私は教育長のメッセージについては、事情がありマスク着用ができない子どもたちの息苦しさを受け止めたうえでの発信であり、むしろ、こうしたメッセージを発信しなければならないような学校の状態、状況があるんだなとも理解しています。ですので、センセーショナルに大々的に宣言されたことがむしろ教育長の想いに反したところで独り歩きしてしまうのもなあ…と懸念しております。

 

連光寺小学校の校長先生が綴っているのかな、活動報告に書いてありましたが、

体温調整としての衣服の脱ぎ着、教室内や体育、休み時間など、体に熱をこもらせないように状況に応じて「マスクを外すこと」「マスクをずらすこと」を話しました。

校長の話のときは、マスクをずらして深呼吸をして聞いてもらいました。(児童は話しませんので)

こうしたこと、とっても大切だと思っています。子どもたちが深呼吸をして…って。先生がきちんとアナウンスすることで子どもたちは安心できるんです。そして、自分自身の身体とマスクのことについて考えて、適切な振る舞いができていくようになるのでは…とも思うのです。基本的には「マスクは着用を」の方針を変えているわけではないことを踏まえ、だとしても、改めて「マスクって、本当は咳エチケットのためのものだったよね」ということを思い起こしながら、これからの対応を考えていけるといいのになあと私は思っています。

パルテノン多摩の市民ギャラリーに足を運んできました。リニューアルして、プレオープンしてからは初めてのこと。使い勝手とかっていろいろあるんだなあということもまた知ることができたりで、第46回目を重ねた多摩市民美術会に所属されているみなさまの力作を見せていただくことができてうれしかったです。

私たちとマスクと。

聖蹟桜ヶ丘のオーパ前の広場の花壇もたくさんの花が咲いていて、気持ちを明るくしてくれます。市長選が終わってから、初めての会派のミーティング…何をしなくてはならないか…と言えば、「政務活動費の精算」です。会派ごとに補助金として支給されるのですが、フェアな市政では「個人管理」の原則になっているので、各個人で作成した使途明細などを集めて、それをさらに取りまとめていく‥‥のが会計である私の役割。

「個人管理」なので、領収書などを貼ったりする作業や手間からは解放されるのと、あとはあくまでも「個人に任せる」ということなので、他のメンバーの使い道については「口出しはしない」こととなっております。各個人が良識の範囲内で使っていくわけであって、市民に説明ができる内容であることが重要ですね。

政務活動費については全国各地と言っても、そんなに各地域で…というものではありませんが、まだまだ場合によっては「非常識な使い方」がされていてニュースになり、批判や非難されて当然というケースもありますが、多摩市議会に限って言うと、議会事務局もかなり細かくチェックをしているので、その意味では安心。ただ、使い道については「?」がつく場合もあり、その場合には協議することもあります。政務活動費は補助金…そのことを意識して使う必要がありますが、一方で、議員活動にも守秘義務などもありますし、どこへ行った、何をした…をどこまで細かく管理すべきなのか?は議論が分かれるところ、あるなと思っています。あくまでも「活動の補助」であることを念頭にしておかねばです。

さて、「マスクは強制ではない」と記載されているチラシをいただきまして、「マスク着用で体調不良になることもある」と書かれていました。これ、実は無視してはならないことだと思っています。これから暑くなり、熱中症の危険にもさらされる季節になれば尚更のこと。特に私、子どもたちの学校生活などでも当たり前になっている感染症対策=原則、マスク着用…については、すごく気になっていることです。「酸欠」になるんですよね。体育の授業でもマスクを着けたまま…先生は外してもいいとアナウンスをするようですが、どうやら外せない子どももいるようで、そのことが心配。

ちょうどのタイミングで公共放送でも取り上げられていましたので、参考に…と思います。「マスクを外せる時は来るのか?

それにしても、マスクをすることは本当に感染防止になっているのか?ということも含めて、もう少し情報を収集しながら、科学的な知見も見ていきたいですね。全然、感染予防がうまくいっているようにも思えないような状況にますますそう思えるのかもしれません。いただいたチラシには、

「マスクをしていても人が呼吸をする限り、ウイルスを吸い込んだり、吐いた息がマスクの外に漏れることを防ぐことはできません」

と書いてあり、コロナが空気感染をすることを厚生労働省、WHOにCDCまで正式に認めているので、マスクは無意味で、口と鼻をふさぎ換気を疎外するために逆効果であるとの説明が記載されています。これまで、マスクは感染症対策に有効とし、スーパーコンピューターでの実験結果なども大々的に宣伝されていたりして、とにかくマスクを着用し、感染拡大防止、抑制、ウイルス防御しようとしてきたわけですが、実際のところは本当にどうなのか?…改めて、マスク着用のことは考えていくことが求められるように思っています。

私はもともと…冬や春先はマスクをつけることを好んでいました。寒さが防げますし、風邪の予防、あとは花粉症対策…それから、ちょっと神経質すぎるかもなのですが、電車とかでもマスクしたくなる人だったのですが、こうして、全員マスク当たり前になったからこそ、今までは考えたことのなかった「マスク着用のデメリット」について考える機会が巡ってきたような気がしています。「子どもには悪影響の方が大きいのではないか?」と指摘される方もいて、考えるきっかけを得られたという意味でも。

みんながマスクをするようになり、あたかもマスクが感染予防策になっているかのように宣伝されているのですが、その信憑性…どこまであるのか…やはり、何となく違和感というか、疑義を感じてしまったりするのです…あくまでも個人的な所感であって、専門家でもない私がとやかく評価することもできませんが。ただ、私は所感というのか、直観みたいなことは大事にしたいと思っていて、そういう意味では、今一度、マスク着用のデメリットについても目を向けてみては?…と言われているような気がしています。

「マスクを外して、顔を見せることができない。怖い。」…こんな心理になってしまう人もいるようです。知らず知らずのうちに「マスク」が…。何となく感染症予防だったもの、ウイルス対策だったはずのものが、違った方向…決して良い、望ましいと言えない場所に向いている?

ということも気になっています。先だって、教育長が今年度の教育活動に対するメッセージとしてマスク問題に対する発信をされています。リンクが切れてしまっては困るので、全文をコピペしておきます。

 

■令和4年度の教育活動に向けて/教育長からのメッセージ■

 

平素より、多摩市の教育行政にご理解とご協力いただいておりますこと感謝申し上げます。いよいよ来週から新学期が始まります。それぞれのご家庭で進学・進級のご用意を進めていただいていることと存じます。

新年度を迎えるにあたり、新型コロナウイルス感染症に関連する教育委員会の対応について保護者の皆様、地域の皆様にお伝えさせていただきます。

報道等でもご案内のとおり、東京都内における新型コロナウイルスの感染者数は緩やかに減少してきているものの、新型コロナウイルスのオミクロン株の新しい系統であるBA.2への移行など、感染拡大も懸念されているところです。

このような状況下ではありますが、多摩市教育委員会では児童・生徒の学びを止めないよう、教室換気の徹底や手洗いうがいの励行、児童・生徒の健康確認、マスクの着用など、学校での感染対策を行い安全な教育環境の確保と維持の取り組みを継続してまいります。また、児童・生徒には登下校時など身体的距離が十分確保できる場面など、密集しない場面や運動する際、また高温下などには、マスクを外すことができることも引き続き学校を通じて伝えてまいります。

なお、学校生活の中でのマスク着用につきましては、さまざまな事情により、マスクをしない子、できない子がおりますこともご理解いただきたいと思います。

 多摩市立小中学校では、マスクをすること、しないことで、いじめや差別につながらないように注意指導してまいりますので、保護者の皆様、地域の皆様のご理解、ご協力をお願い申し上げます。

引き続き多摩市の子どもたちが、笑顔で楽しく学べる環境を整えられるよう各学校とともに教育委員会一同取り組んでまいります。

 

令和4年4月1日
多摩市教育長 千葉 正法

ごく当たり前のこと。市長も「正しく恐れる」とおっしゃっていましたが、その通りだと思います。それにしても、「マスク」について、こんなにも考えさせられるなど、思ってもみなかった。こんなポスターもあるのですね。参考になります(「マスクは、症状等ある方が飛沫によって他人に感染させないために有効です。一方で、他人からの飛沫を防ぐ予防効果は相当混み合っていない限り、あまり認められていません。」…って書いてある)経済産業省のホームページに見つけたポスターです。

「赤ちゃんにせっかく会いに行ったのに、マスクを外したら、大泣きされた…」というような本当の話などを聞くと切なくなります…。私たちとマスクと…「咳エチケット」のためのマスクという理解、認識に立ちつつ、マスクの感染予防効果について、もっと正確な情報が私たちにも知らされてほしいと思っているところ。まあ、その前に、税金で大量生産し、在庫処分中の「布マスク」問題の解決をしてから…なのかなとか、ついつい勘ぐってしまいます。とにかく、マスクをする、しないによる区別、差別がないようにしたい。今は、その思いが強いです。そして、アフターコロナなのか、ウィズコロナなのか…どちらでも良いのですけれど、私たちはいつの時代もウイルスとの共存、ウイルスを排除して暮らすことはできない…そこにまたもう一つの原点を見ていくべきだと考えていて、「ウイルスに打ち勝つ」という表現も本当は適切とは思えない。私たちの暮らし…もう一回、見直すところからはじめることが求められるのかもしれませんね。