9月議会 一般質問3日目

新発売に魅かれて購入しました。「あー、これはすごいおいしいなあ」と思います。苦めのコーヒーととても合います。それだけ砂糖甘いということかもしれませんが、でも、美味しいので、また買います。今週締めくくりにとてもうれしいスイーツに出会うことができてうれしい。今週は月曜日が委員会だったことも忘れるくらい、何だか長く感じた一週間でもありました。

今日も一般質問の一日。小林さん、三階さん、板橋さん、岸田さんでした。いろんな観点があるなあと思いながら一日を過ごしていた…という感じでしたが、国政政党の対立の構図が市議会に持ち込まれるような一瞬があり、何だかなあと感じた場面もありました。国政選挙が近づき、意識されているからかな…なんて思いましたが、傍聴席に市民がいるとあまり気分の良いものではなさそうです。

さて、岸田さんが「多様な学び」のことをとりあげていましたが、「不登校は問題行動ではない」とはっきりと言い切れる教育委員会からの答弁に「ホント、変わったなあ」って思います。今の任期が始まってすぐの市議会で私が取り上げたのも「不登校対策」だったのですが、その時から比べても、不登校の子どもたちの数は減ることはなく、むしろ増加傾向とも言えるので、対応と対策を充実していくことが求められるという認識のもと、取り組みを進めていくのは自然だと考えます。

ただ、どのように進めていくか…。

「人に始まり、人に終わる」ではありませんが、やっぱり、「人」なんだろうなって思っています。その意味で、長年少なくない予算を投じて運営してきた「教育センター」の在り方そのものが問われていると感じています。来春から「不登校特例校」を設置する方針も一旦は白紙に戻した状態が思考停止にならないように、今もなお、学校から疎遠になっている子どもたちのことに想いつつ、次の方策を検討していくことが求められるはずです。

この問題については、週明けの一般質問で安斉さんも取り上げてくださるので、注意深く答弁には耳を傾けたいと思います。今、適応指導教室として設置されている「ゆうかり教室」についても、不登校になっている子どもたちの2割程度しか通えていない状況にあるとの話でしたが、その事実にも向き合う必要があると考えます。これはずっと課題になってきたこととも言えます。子どもたちの心にかかってしまった鍵をこじ開けようとせず、しかし、「鍵を開けてみようかなあ」と思ってくれるように、心の扉をすき間でもいいから開けてくれるように…そのための支援とは何かカタチが決まっているものではなく、それこそ「一人ひとり」であるはずです。

そして、鍵を閉めてしまわないように、「不登校予防」という表現は好きではないですが、せめて家に閉じこもるのではなく、外とのつながりを断絶してしまわず、一人ひとりの子どもが希望を失わず、自分に投げやりにならず、「生きる」ことを支えられるようにしていきたいものです。そのためにも、きっと「居場所」が必要で、それは学校に限らず、家に限らずの居場所でもあり、本人の心の安心ではなく、心の安全が確保される場所なのだと思います。

来週はまた昨年度の決算審査が始まりますので、週末はその準備をしながら過ごします。

 

9月議会 一般質問2日目

いつかの山の景色。いいなあ。行きたいなあ…しばし現実逃避中。

今日は一般質問の2日目でした。同じ会派の白田さんからのスタート。私が6月議会で取り上げた「気候非常事態宣言について」の質問を後追いして、フォローしてくださるような内容で、SDGSウエディングケーキモデルも登場。多摩市で初めて「環境基本計画」を策定したのは平成13年のこと、2001年ですね。もう20年前になるのですか…と思いますが、ちょうど策定された「環境基本計画」の冊子をもとに、新人研修を受けたのが平成14年で2002年なので、私もちょっと印象深い。しかし、振り返ると…決してあっという間とは思えない年月が経過していることに愕然とするものです。当時、「環境基本計画」で市民認証(市民が評価する)の仕組みを入れたことは画期的であって、市民参画を進めていきたいという市の方針にとても合致していて、感激したことを覚えています。(その時はまだ自治基本条例も制定されていなかったので。いわゆるPDCAを市民も共にやっていくって、ものすごい斬新でした。)

白田さんの質問に対し、答弁された浦野副市長もまた、多摩市初の「環境基本計画」策定の担当者だったこともあり、その当時の心意気を懐かしく振りかえりながら、「ここ20年で大きく変わったのは、50年とか100年に一度の大雨とか、災害が増えている」という認識を示されました。誰もが実感することだと思っています。そして、その要因が地球温暖化、地球環境の悪化であることも頭では理解していて、大量生産大量消費にも要因がある(しかも先進国の)こともわかっているはずなのですが…。でも、私たち一人ひとりの「自分事」にすることの難しさ…20年間ずっと啓発をし続けても、環境は悪化の一途を辿っているという…なんか、もう、よくよく考えたら、泣きたくなります。

気候非常事態宣言の内容を踏まえて、環境部にもしっかりと地に足を付けた取組を進めてもらいたい、頑張ってもらいたいですが、市長と議会と共同で宣言したからには、議会も市の取組みを後押ししていく責任は大きいですね。

白田さんに続く、大隈さんは市民活動に必要な基盤として、公共施設にWi-Fiの環境を整えることを要望していましたが、今のところは経費のこと等も考えてすぐには実現できないような感触の答弁。ただ、時間の問題でいずれはどこにいても無料でインターネットに接続できるような環境になっていくんだろうなあ…と思うと、複雑な気持ちになるのは、電磁波と健康の問題もまるで無視することはできないと思うからです。電磁波過敏症は当事者でなければなかなか理解もしてもらえない問題でもあり、とても厳しい。なかなか認知もされず、取り上げてももらえないことですね。

伊地智さんは「ハウジングファースト」の実践のことを質問されていて、私も「住まいと人権」については考えさせられることも多くある一方、多摩市の財政力だけでは対応できないことの一つのような気がしていて、難しいな…と感じます。やったほうが良いこと、本当ならやるべきことであっても、できないことも数多くある。憲法の25条で「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」があるとされていて、それに基づいて生活保護や生活の支援が行われているわけですが、「最低限度の生活」の基準を示すのは国であって、自治体としてはそれを拠り所にするしかないというか、そうすることが一番間違いはないとも言えるので、その点からも「多摩市独自色」は出しにくそうですね。もしかしたら、独自策などで「最低限度の生活」に多摩市なりのプラスαというのか、基準を与えることが違うのかもしれない。ここは議論がありそうですが、財政的にはやっぱり厳しく難しいのが現実です。まあ、財政にものすごい余裕があればまた話は別なのかもしれませんが、福祉分野における施策の充実はやっぱり国の方向性や国の施策、あるいは都に連動するもの。

だから、国の政治の在りようこそ問われるのです。

荒谷さんが取り上げた「障害者理解や合理的配慮について」は、多摩市でも去年の7月から「障がい者への差別をなくし共に安心して暮らすことのできるまちづくり条例」が施行されていますし、その考え方含めて、一つひとつ実践を重ねていくこと、また、市民に対する啓発にもさらに力を入れて取組んでいくべき…というのはその通りであって、啓発活動こそ、市民に身近な自治体=多摩市が得意分野として取組めることとも言えます。

とはいえ、「啓発」こそ難しいというのか、意外と手強いこともまた事実ですね。地球環境に対する向き合い方をはじめ、啓発をしてもしても…なんか、効果が見えないというのは…「投票に行きましょう」とどんなにか呼びかけても、投票率が全く上がらずにダダ下がりになっている現状とも重なります…。それでもめげずにやること、やり続けなければならないので、そこに知恵と工夫が求められます。毎年毎年、単なるルーティン作業でチラシなどを作成しているようなことでは困りますね。

やっぱり、せっかく啓発チラシをつくるのであれば、「より多くの人に手に取ってもらえるように」を心がけ、センスの良さを感じるチラシ、広報を心がけていきたいものです。そして、そのデザインする力こそ…外部に任せるための予算がないとすれば、市職員スキルの一つとして求められるものになっていくでしょうね。「このデザインいいなあ」と思えるチラシを集めてきて、見よう見まねで作っていくとスキル上がるんですよね。まあ、その作業が好きか嫌いかというのはあると思いますが。

以前、環境部に足を運んだ時、よい広報誌を作るために…と「デザイン術」を勉強するための分厚い本が置いてあったことを記憶していますが、「努力しないと!」という意識を感じられますし、その気合いというか気持ちには拍手拍手ですね。

明日も一般質問が続きます。

9月議会 一般質問

今日から一般質問で、私はトップバッターでしたので…サクッと終わって、ホッとしたところ。帰りに立ち寄ったところ、「たっぷりホイップあんぱん」の兄弟?姉妹?品を見つけてしまって、もちろん購入してみましたが、…やっぱり「あんぱん」でなければダメでした。すごい迷ったのです。何となく味わいが知れている感じがしたので、想定内で予測できたわけなので、私にとっては無難な「あんぱん」を選ぶべきでした。そもそも、クリームパン系というのは、手づくりパン屋さんとかで選んで購入しない限り、カスタードクリームの味がいまいちであることは学習済みなのになあ・・・と思い、再び反省。

さて、私の一般質問は「児童館政策」のことと「パルテノン多摩」のことでしたが、ほぼ90%以上の時間は「児童館」に対する質問に使いました。なぜなら、パルテノン多摩の再開館にあたっての準備状況については現況確認をするために必要な情報が「今の段階では出せません」ということだったので、突っ込んで再質問をするのはあまりにも非生産的だと思えたため。「指定管理者にお任せをしているので、見守っていく必要があるし、行政が介入しすぎてはいけない。」というスタンス一点張りの担当所管に対し、再質問をしても深めることができないことを理解したからですね。久しぶりに物分かり良く振舞えたのではないか?と思います。実際、そう言ってくださる人がいました。

しかし、「税金を使ってホール経営が行われている」という事実の認識が指定管理者側に不足しすぎている気がします。パルテノン多摩の指定管理者は共同企業体なのですが、その代表企業というか事業者として「多摩市文化振興財団」の名前。理事にはくらしと文化部長、評議員には副市長が加わっていて、監事には教育部長も参画。加えていうならば、財団には市職員2名が派遣もされていますし。それに、退職したくらしと文化部長が常務理事を務めていることも考えると、「市民に対する説明責任」のことは十分に心得ているはず。「十分な資料って何なの?」とも思ったりしましたが、言葉の上げ足を取るのもまた非生産的ですし。

ただ、「現状で十分な資料を出すことができません…」ってそれは、「あるけど出せない」のか「ないから出せないのか」…どっちなの?と思いますが、まさか議場の場で「まだ作りきれていません」という答えはしないでしょうから、市民のために議論を深めることができないな…って思えただけです。その先の質問はしないほうがいいなという判断でしかありません。

行政の立場を、税金を使って仕事をすることの重みが身体に沁みついている方々がいる多摩市文化振興財団がパルテノン多摩の指定管理者、共同企業体に名前を連ねているわけですから、「市民(議員も市民)に理解をしてもらうための資料づくり」の重要性をもっと理解してほしいですね。共同企業体が「チーム」となってパルテノン多摩を従来とは見違える状態に持っていく…という話しなはず。共同企業体内のチーム力。「税金を使う」ことの重たさをどう受け止め、仕事をするチームなのか、市民のために還元できるパフォーマンスを発揮できるのか問われている気がします。

博物館部門を支える人材育成をどうするのか、自動演奏楽器の活用をどうしていくつもりなのか…きちんと具体的な計画が示されるべきと思います。ここは、引き続き、嫌われるくらい(ってもう煙たがられていると思いますが)しつこく求めていくつもりです。

ということで、今日の主題でもある「児童館政策」のほうは、事前にかなり準備を重ねて質問に臨みました。私は「児童館が果たす福祉的な役割」に着目し、改めて、理解を深めていくべきだと考えているので、その立場で質問しました。上手く伝わっていると良いのですが…。今まで以上に児童館がセーフティネットとして果たす機能が大きくなるとも考えているので、そこに共通理解が進んでくれるとうれしい。少しずつでもいいので、私の周りから、児童館に対する今までの固定観念を取り除いて、共感する人を増やしていくことが必要かなと思っています。「児童館って、ただ子どもと遊んでいるだけなんでしょう」…というイメージが沁みついていそうですしね。その意味では、じわりじわりと理解者を増やすことしていかねばと思っています。そうしない限り、政策も進んでいかないと思うので。政策を進めるとか政策を実行する…そこを支える職員の力が大きい。児童館に対する庁内理解も重要なポイントです。

星形カードの寄せ書きは、施設の大規模改修に入る直前の連光寺児童館で子育て広場を利用しているママたちからのメッセージ。市長や部長にもこの一つひとつ、ぜひ、読んでほしいと思います。そして、他の議員の方にも読んでほしいなとも思いますが、児童館は間違いなく「ネウボラ」としてももっと機能できますし、「子育てしやすい多摩市」には欠かせない場所になるとも思います。

もちろん子育て中のママやパパたちだけではなく、子どもたちにとって必要な「居場所」として、これからも機能していくことが期待されますが、部長が答弁で「ソーシャルワーク的な機能が求められていく」と認識を示したことの意味は大きい。少なくとも「児童館の役割をきちんと多摩市の政策の中で明確化する必要」については共通見解に立てたと思うので、あわせて、それを支える人材確保、人材育成という課題にもしっかり取り組んでほしいと思っています。

しかし…子ども青少年部長の児童館に対する勉強というのか、知識や情報の増え方には圧倒されました…。意見交換をするたびに、その前よりも明らかに児童館への理解が深まっていて、しかも、薄っぺらではなく、ちゃんと分厚くなっていることを感じさせられて、驚きました。今日の答弁も、その場凌ぎで何とか答えられれば良いなというものではなく、部下が作成したメモ書きの内容をきちんと理解し、すっかり自分の言葉として児童館のことを語っておられるなあと思った次第です。既に、多摩市の児童館ガイドラインを策定する方向でプロジェクトチームも動き出しているようですが、部長が「児童館に足りていないことは活動したことに対する評価の視点」と答弁されていたように、客観的な立場から児童館活動を評価し、今後の方向性やビジョンづくりにもつなげてほしいですね。そのためにも学識経験者というか助言をもらえるような体制も確保してほしいし、何よりも大事なことは利用者の声を聴くことだと思うので、そこも工夫をしてほしい。市長は「子ども青少年部を後押ししたい」と最後に発言されていたので、ぜひ、そのために必要な予算をつけてほしい…。数千万数億円と予算が欲しいと言っているわけではないので。

あと、今日は今月末で任期を迎え、退任される教育長にも「児童館」に対するお考えも伺うことができて良かった。子どもたちの居場所が、必ずしも「公設公営」でなくても良い…とのご意見は重要な視点です。逆に言えば、なぜ、児童館を「公設公営」で維持すべきなのかを考え、答えを出していくことが求められるとも思うからです。すべての子どもたちを分け隔てなく受け止めていくこと、ソーシャルワークのできる児童館の機能を高めていくこと…など含め、実は「公設公営」のほうが機能を発揮しやすいと思える側面もあります。多摩市はそこをどう考えるのか?が重要です。他自治体のことはさておきなのです。多摩市には多摩市が重ねてきた歩みがあります。そこにしっかり目を向けて、必要な方向性を出していくべきです。まさに、私たち多摩市の子育て環境、子ども政策にとって児童館がどう必要なのかを考える…ここ大事ですね。

やっぱり、「あんぱん」にすればよかったとか思いながら、書いてます。今日は私の後は、藤條さん、大野さん、飯島さん、橋本さんと質問が続きました。藤條さんはオリンピックのレガシーに関連し、「スケートパーク」をつくってほしいと要望していましたが、確か、この間の議会で共産党の板橋さんも同じ要望していたな…。大野さんが学校で「ワクチン接種をしたかどうか」を挙手させたことに触れてくれ、市教委から「任意接種であることを踏まえて学校に指導しました」という答弁があり。当然の対応ですが、それこそ学校への指導を徹底してほしい。飯島さんが質問した市役所調査建替え問題の答弁で、未だどこまで話が進展しているのか見えなくて今後に不安を先送りしているだけの状態を再確認、橋本さんが取り上げていた「自治体DX」のことは私自身の勉強不足を痛感…と振り返る一日です。

 

児童館については、細かいところで伝えておきたい要望事項が少しだけあるので、そこは来週から始まる決算審査で取り上げる予定です。あ、それから、今日、私は…質問するときに座りっぱなしでした。コロナ禍の議会運営で発言するときにはいちいち立たなくて良いという認識で、そこは議会事務局にも確認済みでしたが、どうやら認識違いだったようです。でも、いちいち立たなくて発言できるのは身体への負担が少なくて助かることを実感。

揺れる子どもたち。

今年の初物。もう関西方面では柿の収穫が始まっているのですね。パリッとしている状態で多少青っぽい感じがあったとしても、やっぱり「かため」を好みます。枝から収穫したばかりの実り。感謝していただこうと思います。

多摩市内も夏休みが終わって新学期…感染症対策で今は午前中の授業が続いていますが、おそらく緊急事態宣言は延長になりそうなので、学校もそこに伴う対応が引き続き…となりそうです。保護者の方からの気になるお声が入ってきます。それぞれの家庭の方針があり、その中で子どもたちは判断もして、行動もしていく。そして、学校は学校で、教育委員会から示された一定の方針の下で判断し動いていく…多摩市教育委員会の判断は東京都教育委員会、あるいはもっと大元の文部科学省の判断にも基づきながら…ということで、今までに経験したことのない状態と状況に向き合いながら日々を進めていかなければならない苦労があり、悩みもあるのだと思っています。

一切の私語禁止。

学校全体の方針で各クラスでの徹底…。程度があるのかなと思ったりもしますが、真面目な教員であればあるほどに、厳しい子どもたちの取り締まりになっていくのかもしれません。結果、学校に登校することを諦めてしまった子どもがいるようです。先生の指導に真面目に答えようとすればするほど苦しい…子どもの苦しさを想像します。でも、「一切の私語禁止」は市教委の示すルールにはなっていないはずなんだけれど。しかし、一切の私語禁止の徹底が怖すぎて、自宅待機というのか、オンライン学習も選択できる状況にあるため、学校に行かない選択をした事例もあるようです。また、夏休み明けにあたって、最初から、感染症のことが怖いので中には在宅学習を選択している子どももいます。各ご家庭の方針のもと、子どもたちは今の状況を乗り越えるためにそれぞれ必死です。

学校へ行かないで学ぶ選択も認められる中、学校に行っていない子どもたちの方が少数派。その子どもたちがいずれ登校を再開するタイミング、またその時に学校でクラスに上手く馴染める環境があるのかどうか…とても心配しています。子どもたち同士で区別されたり、分断されてしまうことがないように事を運んでいかなければならないのだと感じています。

そして、奈良県の中学校ではワクチン接種の有無を生徒に挙手させて調査したことの報道がされていました。「ワクチン接種の有無、生徒に挙手させ調査 奈良の中学校 教諭が謝罪」。

まさかとは思いましたが、市内でも同様のことが行われていたと耳に挟んだので、こうしたことで子どもたちの間での区別や差別が起こりかねない懸念を市教委には伝えました。実際に子どもたち同士の間では、心無い会話がされていることも聞いているので、心配です。学校には再度、「ワクチン接種は任意」であること、個人の意思が尊重されることを伝達してもらえたようですが、子どもたち同士でも疑心暗鬼にならざるを得ないような状態…今、社会全体がそんな息苦しさを抱えながら進んでいるように捉えています。子どもと接する先生、大人の対応、声かけの仕方一つひとつが大切になるような気がします。その在りようを子どもたちは身体全体で受け止めている気がしていて、慎重に言葉を選びながら、現状を伝えていかねばと思っています。

大人の社会もいろんな意味で翻弄されていて揺れている。そのしわ寄せはもちろん子どもの社会にも。子どもたちは無意識にも不安を抱えていて、言葉には発していないいろんな思いを抱えているんだろうなと思っています。その気持ちを少しでも解きほぐすことのできる場所は大事ですね。

今日はハーモニーカフェでお弁当のテイクアウト。完全予約制にしたので(飛び込みでも対応できるようにはしていますが)、調理する数にも概ね目途を立てることができるのはやっぱり助かります。みんなで集まって、わいわいしながら、ご飯を食べれるなんて今は夢のような話し。もう、なんか数年前のことがものすごい遠い昔のようになっているなあと。

明日から市議会は一般質問が始まります。トップバッターか…。

居場所の数と子ども自己肯定感・将来への希望

今日は生活環境常任委員会がありましたが、市道路線廃止の案件と、多摩中央公園の駐車場=今、パルテノン多摩の大規模改修工事と一緒に改修中で閉鎖の使用料(料金)値上げの値上げがあり、両議案ともさくさく可決し、コロナ禍で「集まる時間を短縮する」とする議会の対応方針に合致する委員会運営となりました。周りの自治体からは「宣言しただけで、特に動いていない」とも言われている(ホントです)多摩市の気候非常事態宣言についても議会でも取り組んでいかねば…と思っているので、若干…そのことについても委員間で意見交換もでき、まずは委員同士の意識合わせからかもしれませんが、基礎的なところから学んでいくことも大切にしつつ、市内の企業などの取組みを学ぶなど議会からの提案や提言をまとめることができる動きをつくる方向がみえてきました。

「宣言しただけ…」

議会も市長と共に連名で行った宣言でもありますし、責任を感じます。環境問題は地球温暖化問題をはじめ、「関心はあっても、一体、何からてをつけていいのかわからない」というのもありますし、一個人で言えば身近なところでの取組みも「私だけがやっても効果が見えないし、いちいち考えて行動するのも煩わしい」という声もありますし、想像している以上に深刻になっていても、なかなか市民一人ひとりの問題として受け止められにくい…ここが何よりもハードル高い。

少しずつでもできるところからの取組みをやっていても、全体からみると吹き飛ぶくらいのヒトカケラくらいなことに過ぎない…という悩みはありながらも、私も自己満足ながら、地球環境のために「モノを買いすぎない」とか「なるべくプラスチックを使っていないものを選ぶ(かなり買うものが限定される)」とか…心がけてはいるものの「これ、ホント、何のためなのか」って思えることも正直あります…。特に、マンションのごみステーションに行くと、ため息出てしまうというか。

人が住んでいる、人が暮らすということは…常に「くらし」の中から廃棄されるものはあって当然ですし、大量生産大量消費社会の渦に自分自身も居ることを改めて実感させられるわけでして…。社会全体の意識を変えるというのはとても難しいけれど、でも、そこに対するアプローチを諦めてはいけないとも思うものです。

明後日、一般質問なので今日は担当所管と最終的な打ち合わせ。今回は「居場所の数と自己肯定感・将来への希望の関係」を示す興味深いグラフがあり、作成者からも許可をいただいて、データの原物もお送りいただいたので、そちらを共有しようかなと思っています。子どもたちの自己肯定感、将来への希望というのは…「居場所がある」とその子が感じている数に比例するというものです。はっきりと相関関係が表れているところに注目しなければって思います。特に自己肯定感については、居場所の数が4つ以上のところで、グッとその比率が上がります。今回取り上げる児童館は子どもの居場所として地域で果たす役割がますます大きくなっていると私は感じているので、多摩市の子育て政策にとって大事な拠点として考えてほしい、位置づけてほしいと思っています。そのうえで、施設の老朽化どうするとか、今後、いずれ人口も減少していく中で児童館そのものの数をどうするとか…そんな方向性も導き出されていくんだろうなと考えております。

市は…というか市長はどう考えているのか?とかすごく気になります。私は今回、すべての児童館を見学し、話しを聞いてきて、「今は、地域から無くすことはできないのではないか。無くしていけない。」という意見ですが、市長の見解はどうなのかなあ…ここ、尋ねるために質問するというわけです。

 

おまけ☆各地域でのおまつりが中止になり…桜ヶ丘児童館では、児童館の夏祭りグッズを貸し出ししていました。

すべての子どもが幸せに。

てんとうむし。

害虫なのか益虫なのかって話があるのですが、「幸せを運ぶ」とも言われますね。子どもに対する支援について打ち合わせの時にいただいた焼き菓子。てんとうむしはやっぱり益虫。四つ葉のクローバーにてんとうむしのモチーフ。

子どもたちの自殺が増加の一途になっているニュースなどにも心を痛めておられるかたは多いのではないかと思います。9月1日、夏休み明け、2学期始まり…一番気にしなければならな時期です。

子どもたちが自らいのちを断ってしまう。「助けてほしい」のサインが出せなかったのか、出していたかもしれないのに大人の側でも見逃していた…いろいろ考えさせられますね。もちろんSOSを発信していて、大人もキャッチしていたのに…ということもあります。子どもたちの辛い気持ち、誰にも言いたくないこと、言えないことを抱えていて苦しい気持ちを小さい心で消化しきれなくなってしまって…ということが想像できるとき、私も苦しくなります。

ここのところ児童館に足を運び、また児童館の館長や職員の方ともお話をして思うことは、もっともっと子どもたちに児童館を頼ってもらいたいなということ。頼れる場所なんだということを伝えたいなということかもしれません。でも、そんなに簡単に、「児童館がある」と言っても、そこに足を運んでいたとしても…そんなにすぐにはそこにいる大人を信頼すること等できるはずもありません。でも、児童館の大人は子どもたちの小さなサインを見逃さないようにと思って仕事をしています。そして、気になるときには適切な声かけをしていく…あ、すべての児童館職員がそうできるようになるといいなあという話しなのですが、少なくとも、子どものサインに敏感にならなければいけないと意識をお持ちの職員さんたちは多いです。経験も必要になるので、できるできないはあると思いますが、そう心がけている職員さんたちの方が多いです。これは経験でしか獲得できないものとも言えそう。ちょっとやそっとで身につくものではないこともまた事実。ですので、児童館職員さんとして配置すべき人材…どうあるべきかというのが今の多摩市にとってものすごーい課題になっていると思ってます。あと、子育て支援をしている職員さんたちはママたちのサインも見逃さないように心くばりをされていますね。これについても、職員さんたちのスキル差というのを残念ながら認めざるを得ない面もある。でも、最初からそれができる人、スキルがある人などいないわけ。だから、人材育成、どうやってその場に必要な人材を育てていくか?という視点が重視されなければならないのですね。

子育て支援では「質の確保」が何よりも大切だと私は思っていて、また、公設公営であるからこそ、より水準高くあるべきだと…私は考えています。そして、常により高い水準をめざしていてほしい。民間事業者のほうがよりよい子育て支援やサービスができるのなら、そちらに引き受けてもらいたいですし。公設民営でやったほうが市民や子どもたちのためになります。同じように税金を使うなら、よりよい運営をしてもらえるところに任せていくというのは当たり前のことです。

 

子どもたちのサインなどがキャッチされないまま悲しい出来事になってしまう…そんなことが起こらないように、多摩市の子育て政策が大事にされてほしいと思うものです。不登校ぎみの子どもであっても、学校ではない場所で笑顔になれていることもある。逆に学校で頑張りすぎて不平不満を漏らしてなくても、やっぱりため息をつきたいときもある。「話しを聴いてもらいたいなあ」と言うときに、その子その子のペースに合わせて、かしこまらなくていい場所で話しを聴いてあげられるようなそんな場所が地域にあると良いのになあと思います。単なる「みんなの縁側」みたいなところ。児童館はどの子にもひらかれている場であるところが強みではないかと思っています。みんなが行ける場所なんだなあと…10の児童館を回って、私が改めて実感したことでもありました。以前の児童館とは異なり、役割が確実に増えていて、期待される役割を果たしていくための研鑽が重ねられてきたのではないか。そんなことを感じています。

すべての子どもが幸せになるために。

そのために公設公営の児童館の果たすべき機能というのか、期待される役割がますます大きくなってきた気がします。市長や教育長にも一般質問で「児童館」のことをどう思うか聞いてみたいと思っています。発言時間内でちゃんと質問したいこと等を収めなければならないので、この週末はその作業に時間を使います。あとは、娘の高校のオンライン文化祭などを楽しむことにするか…という感じ。ステイホーム意識で。

キハダ。

近所の方から「キハダ」をいただき、ホワイトリカーに漬けておくと良いと聞いたので、少し時間があったのでインターネットで情報を調べていると、高い効能が期待される生薬であり、スキンケアにも使えそうなことが書いてあり、全部をホワイトリカーに漬けてしまうのがもったいない気がしてきたのですが、素人は他のことなど考えずホワイトリカーに漬けておくべきか?…煎じてお茶にしてみるのも試してみる価値がありそう。

最近、「独活葛根湯」のことを耳にして、こちらにも興味があるのですけれど、聞くところによると「ものすごい効果を実感できる」のだそうです。肩こりとか酷くなったら、こちらも試す価値がありそう。漢方を本格処方してもらったことはないので、もし試すときにはやっぱりコサカ薬局に相談に行くことが良いとアドバイスをいただきました。ちなみに私はドラックストアの漢方コーナーに置いてある「麻黄湯」が発熱の時には劇的に効き目を発揮するので、おすすめなのですが、人それぞれ、個人によっても効き目や体質に合う合わないが必ずあると思っていて、自分のからだに合うものを見極めることは大切なのではないかと思っています。

香りについても同じです。アロマテラピーなどについても、一つひとつエッセンシャルオイルには効果や効能があり、気分によって香りを変えること等が言われるのですが、要は「今、自分がいい香りだと思えるかどうか」という基準が一番大事であって、その時の自分が「良い」と思えるものが、今、自分自身のからだが欲しいと思っている香りであって、「おすすめ商品」になっているからといって、そのオイルが自分に合うとは限らないのです。

香りだったり、音だったり…あとは、色なども…自分の好みがあってしかるべきで、それは流行とかそんなものとは一線画したものであるべきで、自分自身の好きなものを少しずつくらしに取り入れることが必要ですね。結局、その人それぞれの五感が判断するものであって、何か、こう頭で考えたり、理屈でどうこうできるようなものではないという感じ。今日食べたい「味」もそうかもしれないです。

今日は議会は総務常任委員会が行われていて、午前中で会議が終了し、審査された議案などは全て可決されたようですね。明日は健康福祉常任委員会です。今日もちらっとだけ市役所へ行って、頼まれ仕事を済ませてから、溜まっている事務作業を。今月末には市議会レポートも出したいので、そちらの準備も少しずつ。原稿を書くのも意外と時間がかかるので。

用事があって、教育長とも面会をしてきたけれど、今月末で任期満了を迎える教育長が退任し、後任についても市長からは人事案件として議案提出されたところ。滞りなくバトンタッチされていくことが期待できる方が提案されていますので、私は同意します(無事に人事案件として議決が終わってから氏名は公表ですね)。

そういえば、決算審査の関係で、資料要求をしていたので、図書館本館整備を担当している課長さんが「こんな感じで資料作成しています」というのを届けてくださり、会派の控室にいた大野議員と一緒に少しだけ話をしたのですが。「新しい図書館が開館するときには、議会のみなさんにも応援していただけると良いなあと思っています」って本音を語ってくださったので、「もちろん、開館した後までずっと反対し続けるつもりはないですよ」とは伝えておきました。開館した後にまで、「開館すべきではない、閉鎖しなさい」にはならないでしょうし。議会としては開館することを後押ししたわけなので、そこは見守るしかないですし、むしろ応援するというか、期待に応えた運営をしてほしいとは願っています…というかそうしてもらう必要があります。…ただ、そもそも「すべての公共施設を維持すること、運営し続けることは難しい」という問題の解決を先送りしていることだけは指摘せざるを得ないですね。

 

 

図書館の運営についても、日々の経費をどう確保していくかが課題であり、合わせて、図書館運営に必要な人材確保(職員配置問題)についてもなかなか思うようにはいかない状態の中で唐木田図書館を「窓口業務」として位置づけて民間事業者に委託してきた経過など…過去を様々紐解きながら、学ぶべきところには学び、解決策を導く必要があるのですから。

 

 

「過去は変えられないけれど」・・・これからについては、どうやっていけばいいか、知恵を寄せて、必要な判断と決断を下して、進むべき方向を見誤らないようにしていけば良いのかなって私は思っています。人口減少社会になっていくこと、今までを前提にしてまちづくりを考えることは難しいことだけは誰しもわかっているはずなので。問題を先送りすれば先送りするほど、傷口が広がるように、もっと大変になってしまうと思うからこそ、新たな公共建築物というのは慎重に考えてほしいと思ってきただけの話し。本来は地域にある小規模な図書館を廃止して、中央図書館的な本館をつくる方向だったはずが、いつのまにか地域にある図書館も残し、大規模な図書館もつくる…「それで本当に財政は大丈夫なの?持ちこたえられるのか?」という疑問が払しょくされていないだけの話しです。

 

私も会派のメンバーも、市長が打ち出している方針に基づいて、執行機関である行政を支える職員の皆さんが日々頭を悩ませながら、そしてとても真面目に業務に向き合っていることは十分理解しています。それだけに、反対の態度を示すことはしんどいことでもあるんです。

 

キハダを漬けてみるホワイトリカー、以前に、びわの葉やらを漬けたときの残りが置いてあるのですが、まだ使えるのか。ちょっと確認が必要かもしれない。アルコール度が高いので、そう簡単には傷まないとは言われているものの、一旦開封しているものだと、心配。あとでチェックしておこう。この寒いというか涼しさのまま…秋に向かってくれるとしたら、それはそれでありがたい。

9月議会始まりました。

今日から定例会が開会しましたが、議事日程変更のために補正予算の審議と市長からの議案提案が行われて終了。明日から、まず委員会が行われます。補正予算は全員一致で可決しました。「概ねいいだろう」ということなんだろうなと思っています。私が気になっていた「授業改善推進拠点校事業」のことは橋本議員、岩崎議員が質疑をし、一応内容を理解したとはいえ、コロナ禍にあって学校が校内研究を引き受けるというのも、なかなか大変だろうなあ…と私は捉えています。

知り合いから薦められた「京大おどろきのウイルス学講義」が届きました。ウイルスは「害悪」ということで、撲滅させよう…というのは人間側に立った発想ですね。生物多様性…ではないですが、すべてのものが何らかの必要性があってこの地球上に存在しているのではないか…と考えることが必要になっているように思っていて、ウイルスと私たちの向き合い方もまた問われているような気がする今日この頃です。私の周りにはお手本になるような方がとても多いのですが、特に「くらし方」という点で尊敬している人や見習わないといけないなと思えるような人が数名いらっしゃいます。

物を丁寧に使うこと、大切にすること。そのためにお掃除をこまめに行うこと。必要以上に物を買わないこと、毎日贅沢はしないこと。自分の周りにある風景や景色の変化を楽しむことなど。

齷齪して余裕がなくなってくると、周りを見回したり、自分自身の気にかけていることもおざなりにしてしまったりということもありますね。そして、カレンダーを見れば、今年も残すところあと4か月なのかと思うと、これもまた一年の月日がなんと目まぐるしく早く過ぎ去ってきたのかと思わずにはいられなかったりもします。

国会は解散総選挙報道への火消しというのか、すっかり消火活動が終わったわけですが、この二転三転ぶりも目を覆いたくなる感じ。皇室に関する報道もやっとひと段落するような方向が見えてきたことにこちらがホッとしてしまいます。今日はめっきり涼しくなって、むしろ寒いと感じる一日でしたが、冷たい空気が肌に心地よく。読書したり、決算事業報告書などの内容をチェックしたり…猛暑に頭がボーっとせずに済んで助かります。