(仮称)多摩市子ども・若者総合支援条例(素案)パブリックコメント募集中!

ペチュニア。うどんこ病になって以来、どうも苦手なお花になってしまい…(って手入れが悪かっただけ)ですが、この色も意外といいかもなあ。この夏はハイビスカスを育ててみようと思ったのですが、冬にもらった苗木を春を過ぎてから、「あれ?」と枯れてしまったのがとても残念。そして、せっかく朝顔市で購入してきた「富士の空」も葉っぱがつぎつぎと虫に…。ガーデニングとか、私にはハードル高いことを痛感しています。

さて、今日は子ども教育常任委員会が「(仮称)多摩市子ども・若者総合支援条例」の勉強会をするということで、子ども青少年部からの説明を聞く会があり、その他議員にも呼びかけがあったので参加してきました。市長公約にもなっている事項。来春の市長選挙…を意識しながら取り組んできた事項と受け止めています。しかし、そもそも、一つの条例の中で「子ども」と「若者」と支援してしまおうとする難しさ…「子どもの権利条約」を意識したいし、「子ども・若者育成支援推進法」も意識していきたいし…という市長からの方向性が示されての条例制定であり、「あれもこれも」と入れ込まなければならず、条例としてはシンプルさに欠ける分、難しいというのか、ちょっとカオス?!と思い、策定作業を見守ってきました。それについては一般質問でも若干指摘はしています。一つの条例で「子どもも若者も支援する」というのは全国初なのでアピールポイントになると考えたのかもしれませんが、市民にも伝わりわかりやすくするため、あるいは、運用のしやすさを考えればこそ…てんこ盛りにはしないとするのが一般的であって、全国初はどうアピールされていくのかなあとちょっぴり懸念もあります。

ただ、今回示された素案は、検討委員会での精力的な協議を感ずるとともに、担当所管の努力と苦労を感じさせる内容でもあり、条例の名称も「多摩市子ども・若者の権利を保障するとともに支援と活躍を推進する条例(素案)」という捻りだした表現にも見て取れる気がしております。ただいまパブリックコメント募集中です。

個人的には「まちづくりの基本的な考え方」とか「基本的な理念」であることを踏まえれば、そこに「議会が果たす役割と責任は?」というのも気になっています。条例の中で用いられる「市は」という表現はあくまでも「市行政は」ということになっていることが確認できたので、改めて「市議会」としての立ち位置を確認できたら良いのになあ…本当は条例の中に一言でも書き込めたらいいのに…とも思うのですが、それもまた一般的な条例の形式ではない…とされてしまうのかもしれませんねえ。

かつて自治基本条例制定の議論をしたときにも「市は」という表現について、そこには何が含まれるのか、誰を指しているのか…なんてことをハードに議論していたことを思い出します。最終的には「市は」ではなく、「市の執行機関は」という表現が用いられていて、言葉の定義にもなっている点がポイント。「市は」ではなく「市の執行機関は」とすることにより、市議会は別であることを強く意識させているのです。そのことを記憶が記憶の断片にでも残っている人って今は市役所、市議会の中にどのくらいいるかなあとも思いますが、それは「昔のこと」「過去のこと」で片づけられてしまうのとするとちょっと残念。市議会は条例を議決している点でその内容を承認することにもつながるので、それで十分なのかもしれませんが、場合によっては条例内に「市議会」の立ち位置を確認しておくことが大事になることもあるのかななんて思ったりもするのです。

ところで、この条例の目的は…

第1条 この条例は、子ども・若者が切れ目のない支援を受けられる環境及び子ども・若者がまちづくりに参画し、活躍できる環境を整えることによって、全ての子ども・若者が、自分自身を認めるとともに、 他者と互いに認め合いながら、将来にわたり希望を持って成長することのできるまちの実現を目的とします。

となっています。ここには、今は「すべての子ども・若者が」「自分自身を認められるようになっていない」「他者と互いに認め合えるようになっていない」「将来にわたり希望を持って成長できるようになっているとは言い難い」という現状認識が含まれていると考えています。

その現状を変えていくためには何が必要なのか、解決策を導くためにどうすべきなのか、今、多摩市の現状と照らし合わせ何が足りていないのか…この辺りをしっかり分析、把握していかねばならないと思っています。そのために何をするのかなあ…ということもまた大事。いずれにせよ条例制定をしてから考えるでは遅いわけであって、今から、条例制定後のイメージまで思い描きながら取り組むべきですね。私が次の一般質問で取り上げる「児童館政策」もまたこの条例に深く関わっていくに違いないと思うのですが、そのあたりもどこまで描けているのかなあ。ますます「児童館をどうしていくか」、「多摩市にとっての児童館の在り方」を深く議論すべき時期がやってきたと思っていて、とても良いタイミングと機会が巡ってきたのではないかと勝手に受け止めている次第です。いろいろ勉強しないとなあ。

「場所」ではなくて「ひと」が居場所をつくっているという話し。

今日は唐木田児童館に行ってきました!今日で児童館見学シリーズは最後なのですが、実は一番最初に行ったのは桜ヶ丘児童館で、その目的はパルテノン多摩と連携した事業実施が企画されていると知ったのがきっかけの一つ。残念ながら夏休み中にも実施予定だったワークショップは緊急事態宣言中を考慮して中止になってしまったそうですが、再度、桜ヶ丘児童館にも足を運ぶ予定です。児童館側は万全な感染防止策も考えていたようですが、連携先のパルテノン多摩から中止したいという申し出があったそうで、本当にがっかり(仕方ないけれど)。9月にも予定されている事業のほうは今のところは実施する方向と聞いているので、無事に開くことができますように。

さて、唐木田児童館の館長はこの春に一ノ宮児童館から異動してきました…ということで、多摩市最古の児童館から最新の児童館へ。何と言っても「その設えの違い」をまざまざと実感されているようでした。もちろん、唐木田児童館の設えが集大成というわけではありません。ただ、今までの児童館活動の経験をベースにし、大半が…ではなく、その一部が設計にも取り入れられた施設ですから、他館からみれば羨ましいとしか言いようがない環境にあることは確か(他の地域の子どもたちが、ここに来たら驚くだろうな!)。

あ、私に言わせれば「施設格差がありすぎ!」なのですが、思っていてもそのことは口に出さずして、他館では「施設格差」をきちんと乗り越えた運営されているわけですから、そこも評価したいですね。そして、そこには必ず「ひと」がいることも強調したいポイントです。実際に、一ノ宮児童館では限られた施設、スペースを使用するにあたって工夫やら配慮やらさまざましてこられた館長さんですから、ある意味、その苦労が唐木田では少しは減ったのかもしれません。

一方、唐木田児童館の場合は…複合施設内にある他の児童館とも同様に、他施設と同居していることの難しさというのか苦労というのは…意外と絶えないはず。これは一ノ宮児童館とは異なるはずです。特に唐木田児童館の場合は2階にあるという立地が難。1階にあればまだしも、2階にあるために…しかも建物があまりにもモダンで吹き抜けになっているがために、児童館活動に伴う「音」の問題をはじめ…その日常が他施設を利用する大人たちの気に障ることもあるようで…。子ども専用になっていないことの苦労の大きさというのは、想像以上のものなので。

それにしても、コミュニティとはホント難しい。「子どもの声が聴こえてうれしい」とか「子どもたちの姿に元気をもらえる」という人ばかりではないので、その調整というのか、コミュニティの「和」を保つための児童館の役割もまた大きいこと…唐木田児童館へ行っても実感させられます。

という話しはさておき、今日は「中高生の居場所づくり」という話しも少し深く聞くことができ、非常に勉強になりました。中高生向けの事業については重点対応する児童館としてまずは、唐木田児童館と一ノ宮児童館からスタート。今は永山児童館も「中高生の重点館」として事業実施しています。事業開始当時、中高生対応と言っても…とネックになったのは、やっぱり「施設」のことだったそう。中高生にとって明らかに使い勝手が良い唐木田児童館、「この施設では中高生を呼ぶことは難しい」一ノ宮児童館…そしてまた永山児童館…。その「施設格差」の大きさというのは説明されなくとも、実際にそれぞれの館に足を運べば明らかです。

 

でも、市長に「やる」という方針があれば、現場は動くしかない。中高生にも利用してもらうための工夫に取組んだと言います。その結果、一ノ宮児童館でも少しずつ中高生の利用が進んだそうです。そして、時を重ねながらようやっと、小さい時から児童館を利用している子どもたちが中高生になってもユーザーとして利用を継続し、児童館の活動そのものも支えてくれるジュニアリーダーやボランティアとしても活躍してくれるような流れが徐々にできてきたそう(その前からもやっていたことと思うのですが、さらに…ということでしょうね)。こうした一ノ宮児童館での経験を踏まえ、この4月から唐木田児童館長として新たなスタートをきった館長ですが、やっぱり、プレッシャーはあるのだろうなあ…。なぜなら、児童館の活動にも地域性があり、それぞれの館の特色があり、伝統とか歴史があるわけで、それを上手く継続しながら、進化させたり、発展させていくことが求められると思うので。前任館長もまた新規オープンした時からずっと唐木田コミュニティセンターや唐木田図書館とともに唐木田児童館を築いてきた方である意味「顔」になっていたわけですし(一方、今の館長も一ノ宮児童館の「顔」でもありましたが)。児童館というのは「館長」の振舞い一つで地域からの評価も大きく変わりますし、その意味でも、非常に重要な位置にあることもまた押さえておきたいものですね。

そして、何しろ、児童館の利用者は子どもなので、ある意味…その評価はシビアというか、辛らつに突き付けられるようにも思います。「行きたくない」「なんか、人が変わったら、しょぼくなった」…なんてこと、子どもは素直に反応しますので。そこが、他の市役所業務とは全く異なるのかもしれません。強制的に行かねばならない場所ではないからこそ、子どもたちの自由意志がそれこそダイレクトに示される場所になるのでしょう。

この間、児童館に足を運び…。児童館職員とは…についても考えたり、その様子からも学んできたのですけれど、行動原理にあるのはこの図かな…と思っています。

なぜなら、子ども一人ひとりへの支援、親への支援などの場面を通じて、’あからさまに’合理的な配慮をするのではなく、そっと、自然な気配りをして、「ここに来たらみんなとつながれる」とか「仲間になれる」を実感してもらうことを大切にしながら業務が遂行されているように思ったからです。

児童館利用をしてくれたすべてのみなさんに「明日も行こう!行きたい!」って思ってもらえるように。

「一期一会という気持ちで仕事をしている」とおっしゃる職員さんの声も聞いているのですが、まさに、その気持ちで利用者を受け止める場所にしようと日々努力が重ねられているように思います。そして、全部を見たわけではなく、見学をしてきたすべての児童館で「ここを」心の支えにしている子どもや大人たちの存在を目の当たりにし、少しは理解できたような気がします。この場所にとって何が大事なのか、そしてまた、場所だけあっても「居場所にはならない」ことを強く感じています。

公園の砂場でママと子ども一人が遊んでいるのと、児童館のプレイルームでママと子ども一人で遊んでいるのとは何が違うのか。家で子ども一人で留守番をして、大好きな折り紙や塗り絵をしているのと、児童館に一人でやってきて同じように大好きな折り紙や塗り絵をしているのとでは何が違うのか。

ここにこそ児童館の役割と機能とを見出していかねばならないのではないかと思うものです。一ノ宮児童館で「この場所で中高生を呼ぶことは難しい」という実感を超えて、でも「中高生対応の重点館にする」という方針をカタチにしてきたところにも「ひと」がいたことを忘れてはならず、そしてそこにどんな工夫がされてきたのかも振り返っておきたいですね。

児童館で「おたがいさま」という子どもたちどうしをはじめ、子育て広場利用者間の関係性を築くことができていること、児童館が「迷惑施設」にならないための陰ながらの様々な努力をしているようなエピソードをはじめ、「地域」という視点から子どもたちや親子をつなぎながら、活動をしてきた様子などなど…今日も忙しい館長を捕まえて、私のおしゃべり時間にもつきあっていただき、また、一層…児童館どうあるべきかに対する自分自身の考え方を深くすることができたように思います。

多摩市にとっての「児童館とは?」を考えるための調査活動はここでひと段落。ここから、質問事項をまとめていく作業をするのですが、現場からの声をぶつける相手は…現場にいない部長や課長なんですよね…。さて、どこまで共通認識を持てるのか、ここ、問われそうです。ただいま子どもたちは夏休み中…で、忙しくしている児童館に邪魔しに行くような私にも丁重に対応くださった現場のみなさんに感謝の気持ちで、質問づくりに取り組みます。

「じどうかんもあるよ」

今日は東寺方児童館へ行ってきました。ここも豊ヶ丘児童館と同じく、公共施設統廃合論議の中で一旦は廃止方針が決定していた「建物」内にあります。要するに、この児童館も建物と運命共同体なので、一旦は「無くす」方向になっていたのですが、豊ヶ丘児童館とともに存続方向にあるようですが…。「児童館」には「人」がいることを忘れてはならないと思いますし、その役割と機能をごまかすようなこともしてはならないと思っています。「人」がいなければ「児童館的な機能」など果たすことができるわけもありません。

以前、諏訪地区市民ホールのところに図書館があり、今もその名残で本棚もあり、本も置いてあります。でも、「図書館的機能」など果すことはできていません。昔のことを知っている人は、「かつては図書館だった」という認識がありますが、新しく転入してきた方は「どうして、古ぼけた本ばかりが置いてあるのかと思った」と話していて、「図書コーナー」とも捉えてはいません。公共施設統廃合の議論は建物の老朽化と大規模改修とその後のメンテナンスに関わる費用のことだけではなく、今後の人口減少社会を見据え、市役所そのものもスリム化する時代(職員も減っていく)をも考慮し、「将来を見据える」ことが最重要事項だったことを思い出していますが、「図書コーナー」は「図書館的機能」には全くならないことと同様に、「児童館的機能」という言葉が意味することを慎重に検討しなければと思うものです。

さて、東寺方児童館へ足を運び、真っ先に目についたものが小さなポスター。

「じどうかんもあるよ」

そっと話(はなし)をきかせてよ
ほっとひと息(いき)ついてほしい
きっと力(ちから)になれるとおもう

じどうかんはここにあります

他の児童館にも貼ってあったのかもしれませんが、目に入らず。複合施設の入り口のところにも貼ってあり、目に飛び込んできました。児童健全育成推進財団が広げている取組みのようです。ここにもあるように、話しを聴いてくれる人がいる、力になってくれる人がいる…それが児童館なんだと思います。

東寺方児童館の館長さんは女性。諏訪児童館でもたくさんお世話になっていた職員さんで顔見知りです。学童クラブや児童館でずっと仕事をされてきた方でもあり、「子ども支援」「家族支援」という視点からの児童館の役割に対するお考えなどヒアリングすることができました。聞けば聞くほどに、「福祉的な視点」で児童館を捉え、評価していくことの必要性を感じます。事務室の入り口には「ものをかえすときには『ありがとう!!』」「ものをかりるときには『かしてください!!」という掲示。子どもたちが言えなくなっている言葉だとおっしゃっていました。こうして掲示をして、子どもたちの視覚に訴える工夫。子どもたちが事務室にやってくるたびに、大人がいちいち声掛けするのではなく、自然と意識ができるように、そして、自ら言葉を発せられるように…という思いがあるのだろなあと思います。児童館ごとに子どもの育ちを考えていろんな工夫がされているのですが、何よりも子どもたちの「自発性」を大切にすることを柱にし、大人が口出ししすぎない児童館であることは大事なことです。「口出ししすぎない」という塩梅やさじ加減はまさに子どもたち一人ひとりの個性を正しく理解したうえでの振舞いであり、単に来館者を迎え入れ、好き勝手遊ばせるのとは全く異なります。

それにしても…「ん?」と思ったのは、東寺方児童館の職員さんって「みんな女性なの?」ということ。性別に関わりなくというのはわかりますが、それでもジェンダーバランスは重要ではないでしょうか。小学校も高学年以上になってくると身体が成長し、立派になってきますよね…「力負け」してしまうのでは?…と心配になります。ある意味…児童館活動を正しく捉え、理解しているなら…こうした人事配置にならないのではないかと…私のようなズブ素人目にも思えてしまうのです。きっと館長もいろいろ思うこともあるだろうなあ…と私は思うのですが、「与えられた環境の中でベストを尽くす」という姿勢で仕事に取組んでおられることは話しを聴くだけでも伝わってきます。組織に属さず仕事をしている私のような立場では言いたい放題できることも、組織に所属して仕事をするというのは時に言えることもあれば言えないこともあって、言えないことのほうが多いのかもしれませんね。地域に住んでいるママに聞いたところ、館長が敷地内?の草枝剪定なども自ら行っているようで、結構な剪定枝の量があり、ママたちがびっくりしたらしい。とても努力をされているのだと思います。児童館に限らずで、いずれも予算には限度があり、なるべく「職員ができることは職員で」と心がけている証拠ですけれど、頭が下がります。イメージ的には草枝剪定とか…力仕事ですから、私だったら男性にお願いしてしまうなー。虫とかいろいろ出てきそうだし。

ところで、児童館にはそれぞれ愛称があります。東寺方児童館は「ビーボ」…でも、「ビーボへ行こう!」とか言われてもよくわからないですよね。諏訪児童館の場合には「ヴィヴァーチェ」なんですが、これまた、ビーボよりも難しい。「ヴィヴァーチェで待ち合わせね!」…と言われても、誰も諏訪児童館だと思わないような気も。やっぱり、素直に「児童館」という言い方がわかりやすいですが、東寺方児童館のビーボというのは、かわいいゴリラのキャラクターとともにあるようです。なので諏訪児童館の愛称よりは親しみ持ちやすい(ちなみに、児童館の愛称についてはこちらでご確認を)。「おたすけビーボ」ということで、突然の雨降りに備えた貸傘。これは、児童館の子どもたちでなくとも、同じ建物内にある地区市民ホールや老人福祉館などの利用者向けにもなっているそうですが、「何かあったら、児童館の職員にも声をかけてくださいね!」という呼びかけにもなっていそうですね。まさに…複合施設にある児童館が対象とするのは「子ども中心」にしながらも、それ以外も…ということですね。何しろ、「子どもの声が騒音」と受け止めてしまう大人への対応をしながらも、コミュニティを維持するための仲介も行っているような気もします。複合施設に限らずですが、児童館があるからこそ維持され、保たれる「和」もあるのではないかと感じるものです。

まだ言葉で上手に表現できない小さな子どもが事務室へ来ると、子どもと同じ目線になるようにスッとしゃがんで話しを聴く…自然な身のこなしで、対応される館長さんの後ろ姿を見ていると「これが当たり前の日常なんだろうなあ」と思うのですが、この光景を「当たり前の日常」とするまでにはやっぱり時間がかかるように思いますね。「言われてできること」もあるのですが、やっぱり、一つひとつの行動は「理解して、納得して初めて、自ずから…」となっていくわけで、児童館職員としてのスキルもまた時間をかけながら磨かれていくものではないのかしらと垣間見れる場面です。子どもの育ちも同様ですね。

「子ども一人ひとり語彙力も違うし、そもそも語彙力がないのが子どもたち。その子どもたち一人ひとりに理解してもらえるように『伝える』ように努力をしたり、工夫をしたり、児童館の職員は日々の業務の中で身に着けていくし、学んでいくんです。」

一人ひとりにわかるように必要なことを伝達する力。

これは、まさに市役所の窓口業務に求められるスキルそのもの。「読めばわかるでしょ」と説明書きを渡すだけの対応では不十分であることを児童館業務を通じて体得していくのではないかしら?と思います。そんな観点からも「児童館」を捉えてみると、市役所職員として一度は経験してほしい職場でもあるとさえ感じます。接遇とかマナー研修など高い研修費用を支払わなくとも、良き学びとスキルを得ることができそう。「児童館」の立ち位置、多摩市にとっての「児童館」の在り方を今一度、考えるきっかけをつくることができるような質問がしたいなあと思います。さて、どうなるやら。

「児童館があってうらやましい」

今日は西落合小学校内に移転したばかりの落合児童館へ。鶴牧・落合・南野コミュニティセンター「TOM HOUSE」の大規模改修に伴い一時移転中。立派なベビーカー置き場がすぐに目につきました。

やっと引っ越しを終えたばかりということでしたが、小学校の2教室分がそれぞれ、「事務スペース+遊戯室」、「未就学児のためのお部屋」(地域の子育て拠点)として活用されており、教室の扉を開くと、「わあ!児童館になってる!」ということで、すっかりと児童館になっていたのは、装飾やおもちゃなど必要最低限とは言え、児童館のウエルカム雰囲気に溢れていたからです。教室の床にもマット敷いてあり、いろいろな制約があったとしてもできる限りの居心地の良さを維持できるように工夫されていました。

「子どもたちのために代替場所が確保できてよかった。本当にありがたいこと。」と仮移転中は今まで以上に安全第一に過ごせるように気配りをしながらの運営になっていきそうです。移転場所が確保できただけでありがたい…と館長さんが数回繰り返していたのが妙に耳に印象に残っています。確かに、贅沢など言えず…という気持ちで、今の在りように感謝だけしかないような様子…でも、個人的には、例えば、来館している子どもに少しクールダウンが必要な時に使える場所、ちょっと相談事をしたいなあという保護者などとゆっくり話ができるようなスペースまでは確保しきれずに不便さありそうかな…と感じた次第です。これは、先日、連光寺児童館へ行ったときにも同じ感想を持ちました。館長をはじめスタッフのみなさんはとにかく「児童館の活動を止めることなく、継続できてありがたい。」と話しをされ、胸を撫で下ろされている様子。欲深くなれずに、今の状況でできる最善のこと、最大限のことをやっていきたいと意欲的でした。しかし、狭くてもいいので「あともう一つお部屋があれば、もっといいのになあ」と。ちなみに、連光寺児童館の場合は事務作業については、市役所内の別の会議室に執務室を設置し、必要な事務を行っています。車移動で行き来しながらの児童館運営なので、「安全運転で過ごしてほしい」と心から思います。いろんな不便や不自由さがあっても「一時的なこと」と思えばこそ、何とか乗り切りたいし、乗り切れると日々奮闘されている職員のみなさんの状況や様子にも目を向けておきたいものです。

とかく児童館職員のみなさんが身にしみて感じていること…昨年度、新型コロナウイルスにより、児童館も完全に閉鎖する期間がありました。その時の経験も踏まえれば、「絶対に、活動を止めてしまってはいけない」ということなんだと思います。特に、子育て広場でつながりのあったママたちのところには、ステイホーム期間中に一軒一軒に電話かけをし、その関係性を維持してきたという経験があり、その際には「児童館の役割」を改めて認識させられたと伺っています。子育て広場のマネージャーさんの存在は「実家のお母さんみたい」とも言われることもあるのだとか。ママたちにとって(パパもいるとは思うけれど)、日々、児童館の子育て広場を利用しながら、マネージャーさんをはじめスタッフのみなさんと一緒に子どもの成長を見守り、子育ての喜びや楽しさを見出していけるような環境があることは本当に心強いことだと思います。落合児童館の子育てマネージャーさんも「みんなの母さん」として、子育て広場はもちろんのこと、来館する子どもたちへの目配りもされながら活躍くださっている様子でした。

それにしても、開館と同時にわーっと子どもたちが訪れ、本を読んだり、ゲームをしたり、おもちゃを手に取って遊んだり…それはそれは、一気ににぎやかに。親でもない、先生でもない大人。家ではない、学校でもない居場所。それが児童館だと思います。

今の仮移転場所は学校なのに児童館で、学校の中にあっても異空間…それはそれで子どもたちにとっては楽しいのかもしれませんね。学校にとってもまた、普段はその活動を身近に感じることは少ない児童館に触れることのできる良い機会になると思っています。ぜひ、先生たちには学校以外の子どもたちの顔を見ることのできる場所として、たまにはそーっと覗いてほしいなあと思います。ここは「先生でもない大人、学校でもない居場所」であることは大切に守る必要がありますが、学校の先生にも児童館のことを理解してもらう機会になることを願っています。夏休み明けからになりそうですね。子どもたちは児童館の大人に見てもらいたいことがあって、聞いてもらいたいこともあって…今日も館長と話しをしていても、「これ見てみて…」と子どもがそばに来てくれました。そんな様子を見ていると、児童館にはやっぱり「場所」だけでなく「人」がいなければならないことを確信するものです。

他市からは「多摩市には児童館があっていいなあ」とも言われますし、市内に住んでいても「もっと、近くに児童館があったらいいなあ。そしたら、もっと児童館に行きたいのに。」ということも耳にします。「児童館があってうらやましい」…もちろん、「無ければないなり」という言葉もあるように、児童館が無くとも子育て期間も過ぎていきますし、子どもも成長していく…でも、やっぱり「児童館はあったほうがいい」と考える人は多いです。

要するに、多摩市はもっと「児童館」をアピールしていかなければならないのかもしれません。少なくとも…ホームページの現状を確認したところ、アピールされているとは言い難く、「いまいち」。としか言いようがないなあ…ということと児童館を紹介するチラシというのかパンフレットももう少しグレードアップしてほしいんです。

明日は、東寺方児童館に行ってきます!

子育ての原点…だから、場所と人がいる。

今日はものすごい暑い一日でした。さすがにクーラーが必要だと思いましたし、子どもたちは公園では遊べないと思いました。公園は日陰が少ない。木陰に避難するにしても…草刈りが間に合っていなかったりで、虫さされも気になりますし。そうなると、近所に児童館があると助かりますね。災害級の暑さだとも思っているので、子どもたちが安心して避暑できる場所にもなっています。今日は一ノ宮児童館の見学などしてきましたが、幼児プールを目的に朝からベビーカーのママたちの姿も。

子どもたちには十分すぎる大きさ。お家のビニールプールとは違って広々。スタッフである職員さんたちは、事前準備も含めて、大変なんだろうなあ。結構な肉体労働のような気がします。初めて来館した親子にも…「はじめてなんですね。どうぞどうぞ、こちらにいらしてください」と場の雰囲気にすっと溶け込んでいけるように声かけをして、案内をして、場の中にしっかりと招き入れる感じ。やっぱり、どんな場面でも「はじめて」というのはとても勇気がいることですが、職員さんがいてくれて馴染める空気感が作られていくのだなあと眺めておりました。

  

私は一ノ宮児童館にも随分と足を運んでいなかったんだなあ…と思ったのですが、2階にあった学童クラブが小学校の中に移転した後の子育て広場は建物の古さを忘れる居心地の良さがありました。南向きに窓があって、明るいからかもしれませんが、広々とした空間で親子で安心して過ごせる空間が広がっていました。子育てマネージャーとして活躍してる職員さんは…学童クラブ職員としてのスペシャリストだった方ではないですか!…ということで、さすが、その力量をバリバリ発揮されているご様子でした。直営だった学童クラブが民間委託化される頃のことも思い出しているのですが、「学童クラブにおける子どもと家族の支援」で必要な人材という話しになると、必ずと言っていいほどに熱心で素晴らしい人材として名前があがる方ですね。

その方を中心にしながら運営されている一ノ宮児童館の広場事業。子どもが生まれる前から児童館を知ってもらい、利用してもらうための取組みや工夫を少しだけ伺うこともできたのですが、フロア全体の使い方も含めた工夫の話などなど、さすが!という感じでした。そして、見せていただいたのは「プレママさんへのアドバイス」…という先輩ママからのアドバイス集。これは必見ですね。

こんなものがあったら便利だった、これは買ったけれど必要はなかった…などなど、ちょっとしたアドバイスがたくさんしたためられていて、すごい参考になりますね。「これは、いい!」と思いました。

個人的には、広場の入り口を入るとすぐに目についたのが「イラっとしたときどうしてる?」というボード。ここにママたちそれぞれのリフレッシュ法が書いてあり、これまたすごく参考になります。子育ては「イラっとする自分」と向き合うことでもあり、戦うことでもありますが、このボードを眼にすることで「イラっとしているのは自分だけじゃないな」とも思えることが救いです。

一ノ宮児童館のそばには、バオバブ保育園の親子サロンもあり、0歳児の小さな赤ちゃんを対象の事業などはお互いの連携をしているようですね。親子サロンのお休みの水曜日に、児童館が「0歳児のためのつどい」を企画し、赤ちゃん連れが来やすくなるような工夫をしているようです(もちろん、子育て広場は毎日開いていますので、いつでも来てOKではあるのですが)。

とても居心地が良い空間がどれほどの努力と工夫のもとにあるのか…それは、この壁を見れば一目瞭然ですね(ちなみにここは工作室です)。多摩市内最古の児童館ですので、相応の傷み具合…隠すこともできないのだなあと思うわけですが、「ごめんなさい」…心が痛みます。ここに改修費用が捻出できていかないところの理由を探らねばならないですね。

4月から交代した館長さんは「漫画の充実ぶり!」に驚いておられましたが、歴代の職員さんたちが寄附したもの等も並んでいるのだとか。児童館には「図書室」を設置することになっているのですけれど、その充実も実は課題だったりします。今の児童館の予算で「本の購入」にお金を回すことがどれほど難しいことか。でも、涼しい空間の中で子どもたちだけでなく、一緒に子どもと来館しているママも漫画を楽しんでいる様子がありました。本箱に囲まれるのって居心地いいですよね。遊戯室は、一応、ソーシャルディスタンスを呼びかけているとは思うのですが、空間は広々としているし、もっと広がればいいのに…と思うものの、子どもたちってやっぱり、部屋の片隅に集まったりするの好きですね。おしゃべりをしたり、漫画を読んだりしながら、のんびりと寛ぐ姿がありました。こうして仲間と一緒に過ごすことが心地よく、子どもたちにとっては必要な時間なんだろうなあ。人間はやっぱり集団で暮らす…孤独ではいられないということが何となく伝わる光景でもあります。

一ノ宮児童館では「小学生会議」というのをやっていて、子どもたちにいろいろと声を聞いているようです。これについては、また改めてどんなことをやっているのかヒアリングをしたいと思うのですが、子どもたちがまちづくりに参加する、あるいは、子どもの声を取り入れたり活かす取り組みを進めていくにも、児童館の果たせる機能と役割に注目できそうですね。こうした取り組みもまた、信頼できる大人がいるもとでしか成り立たないこと。子どもたちが胸襟開いて意見を言ってくれるまでには信頼を築いていく必要がありますね。要するに、そのためには一定の時間も必要になるわけで、児童館の職員が市役所の人事ローテーションルールに基づいて入れ替わり激しいような感じだとなかなか難しくなってしまうことがわかります。もちろん、現在も、児童館職員さんの人事異動にはそうした視点も一部には反映されているような気もしますが、児童館現場でどのようなスキルが身に着くのか、あるいは、それが多摩市役所全体にどのように還元されていくのかも含めて、本当はもう少しきちんと整理されていくと良さそうです。「地域にある児童館」「地域の一員としての児童館」…どう位置づけていくか、改めて考えていくべき視点があるように思います。

そういえば、地域と言えば、コミュニティセンターがあり、もちろん「コミュニティ」というからには、多世代対象なのですが、子どもにとっては「利用しづらい場所」になっていることも多く、子育て世代からは「子どもはコミュニティセンターで邪魔者扱いされていて、肩身が狭い」という声は少なくありません。児童館だとやっぱり、大人からの眼にビクビクしなくても過ごせることがとても良いのだと思います。いずれの児童館でも、スタッフと子どもとの関係を見ていると、ホントに一人ひとりの子どもの特徴というのか個性をつかみながら、対応しているなあと感心してしまうのですが、それだけ児童館を気に入ってリピーター利用してくれている子どもが多いという証ですね。その子どもたちが将来の多摩市の担い手になってくれると嬉しいですし、児童館の小学生会議などは「まちに参加」する入り口をつくる場所としての可能性も大きい。

子どもが「将来、市役所に入って、児童館の職員さんになりたいなあ」と思ってくれるようになるといいなあと勝手に思ってしまいます。周りのママたちに話しを聴くと、「児童館は子育ての原点だと思う。場所と人が必要。」とおっしゃる方も多くいて、「場所だけ」があってもダメで、そこにはきちんと「人」がいるという指摘はそのとおりなんだと思います。今日も初めて、子育て広場に訪れた家族の様子を見ていても、やっぱり「人」が対応するから良いのだなあということ目の当たりにしたので、そこは外せない要素であることを確信しています。

以前、桜ヶ丘児童館を無くす、無くさないで議論をしたときのことも思い出しながら、今日一日を振り返っています。多摩市が「子育てしやすいまち」をアピールするための児童館にしていきたいものです。施設の老朽化は避けられないこととはいえ、児童館のトイレをきれいにしてあげたいよー…って思います(学校トイレも…ですが)。

特別支援学校のオンライン研修会

ご縁があり、都立小平特別支援学校武蔵野分教室のICT研修会に参加いたしました。オンラインを活用した講座でした。武蔵野分教室は国立精神・神経医療研究センター病院内に設置されています。多摩市にある多摩桜の丘学園も島田療育センターに分教室があり、子どもたちの育ちを見守りながら、一人ひとりに応じた学習活動が行われていると思います。武蔵野分教室の場合、コロナ禍でなければ、本校舎まで子どもたちが通って学ぶこともできていたようですが、今は、先生がベッドサイドまで訪問しながら活動が継続しているようです。

今日は熊本高等専門学校の福島勇先生と小平特別支援学校の谷本武慶先生が講師を務め、「入院する肢体不自由児に対するICT危機を用いた支援」をテーマにした実践報告と合わせて、学習活動で楽しく使えるアプリの紹介や子どもたちのための教具の紹介などもあり、普段はあまり触れることのない話題にとても学びの多いひとときでした。

福島先生は日々ブログを更新されているそうで、探してみたところ、ありました!・・・こちら。先生はもともと特別支援学校で教員を務められていたようですね。新聞の記事でも紹介されているように、この分野では先駆者として取り組みを重ねてこられてきた方のようです。自分の意思を表すことが難しい子どもたちであっても、意思もあれば、想いもあることを周りがどう受け止めていくのか、見逃してしまいそうな微細な動きをキャッチしながら、医療スタッフと共に成長を見守っていく…経験を重ねても重ねても、一つとして同じケースはなさそうですね。一人ひとり「個」に寄り添った対応…とは言葉では簡単に言えても、実際には非常に高度なスキルというのか、人間力そのものを磨いていかなければ、子どもたちと向き合うことができないようにお見受けします。重度心身障害のある子どもたちは意思を表出したとしても気づかれない場合も多く(タイミングの問題もある)、それが積み重なっていくといずれ表出することをやめてしまいます。「無力感を学習する」(学習性無力感)と先生はおっしゃっていました。私たち健常であっても、人間関係の中では「どうせ、言っても無駄だし」と言わなくなることとも相通じるものがあり、何となく理解できますね。ただ、重度心身障害のある子どもたちの場合には「表出しなくなった」ことにさえ、気がついてもらえない場合もあるのかもしれません。喜怒哀楽の表現も得意ではない。健常を当たり前として過ごしている私の想像力にも限界を感じるところです。

福島先生が「カラダを動かすうえでの不自由さはあるけれど、『○○したい』というココロは不自由にさせないよう教育」と述べておられ、このことは肢体不自由児への教育を考える重要な視点だと思うと同時に、「心を不自由にしない」ということもまた障害の有無に限らず、人間の尊厳を考える上でも基本的に重視すべきことであり、何よりも私たちが大切にしなければならないことではないかと思った次第です。

また、谷本先生が「応答する環境」として紹介してくださった言葉がズシリときました。「学びの基盤は『自分が外界に働きかけることができる』という自分の可能性に自らが気づくことである。自分が、外界に働きかけることができることへの気づきから、『自分もやってみたい』という意欲が育つ。」。

コミュニケーションが土台であり、基礎にあるということを改めて認識させられますし、やっぱり、「人との関わり」が大事になっていくということですね。コミュニケーションを支えていくための機器等、技術の開発が進んでいる今、以前と比べると飛躍的に肢体不自由の子どもたちをはじめ、コミュニケーションに困り感を抱えている方々を取り巻く環境も向上しているとも言えそうです。ただ、使いこなせるスキルを持つにもやっぱり学ぶことが必要だなと思い知るのは、今日の研修で紹介されていたiPad機能についても使ったことのないものばかりでした…。福島先生のYouTubeチャンネルには支援ツールなどを使いこなすためのヒントが掲載されているようです!また、後から復習してみよう。

特別支援学校は都立ということもあり、市教委との関係は薄いというか、ほとんど無いに等しい感じもあり、地域にあっても距離感があるのは正直なところ。まだ、ちゃんと見学はできていないのですが、諏訪商店街にも「+laugh(アンドラフ)」さんがオープンし、近所の子どもたちにも好評の駄菓子屋さんとか、楽しい取り組みもしながら、みんなに居場所のある地域環境をつくるために頑張ってくれていて、医療的ケアの必要な子どもたちが日々過ごしている姿を目にしています。

何かたいそうなことができるわけでもなく、そんなスキルも持ち合わせていないわけですが、理解者としての自分自身の意識をもっともっと高めたり、磨いたりしておかなければ…なんて気持ちを改めて確認したのでした。

今日は、「議員の学校」のオンライン研修会があり、「私がみてきた地方議会、私が考えるこれからの地方議会のあり方」というテーマで好きにお話をして良いという話しでしたので、好きにお話しできると思い、報告者を引き受けたのですけれど、これが思った以上に大変で…ここ一週間ほど、すごい勉強してしまった…。メールなどいただいていた方には、対応が遅れ遅れになっておりまして、申し訳ありません。この場を借りてお詫び申し上げますが、順次、お返事などさせていただきます。

こんな感じで…ズームを使っての会議。東村山市議の佐藤まさたか議員が撮影してくださいました。佐藤議員とはこの間の日曜日…西東京市の公園視察もご一緒させていただいたのですが、それもまだ、自分の中ではきちんと消化しきれていないので、どこかでまたブログに掲載しないといけないなーなんて思っていたりします(これは私の備忘録でもあるので)。私の議員活動というのは、ホント、多くの方々に支えられているなあと感謝する限り。

今日の研修会も…参加することができたのはひょんなことから、ご縁から…というわけで。多摩桜の丘学園の先生も参加されていたようですし、コロナが少し落ち着いたら、小平特別支援学校にも見学に行ってみたいですし、多摩桜の丘学園にも足を運んでみたいと思っています。

今日のハーモニー塾のお弁当は「ひき肉と夏野菜のカレー」でした。ぜひ、シェフのえみちゃんのランチも食べに来てくださいね。ハーモニーカフェの売上が子ども支援の活動を支えます。

続き。なぜ、「子どもの館」である必要があるのか。

大規模改修工事の開始とともに、木の実公園のところにある集会所に一時移転している連光寺児童館です。2階建てのこじんまりした建物=集会所は1階が子育て拠点、2階が児童館として使用されていました。決して広いとは言えない場所ですが、公園の一角にあるのですごく居心地がよく、「おじいちゃんおばあちゃんのお家に来たような雰囲気でしょう」と職員さんがおっしゃる通りに、確かに田舎の親戚の家に遊びに来たような気分にもなれる場所で、すごい寛げます。広すぎないサイズが醸し出す特別な雰囲気があります。集会所を管理されている地域自治会の方のご理解もあり、室内は児童館らしい装飾もされているのですが、妙に気持ちが落ち着きます。室内で思いっきり身体を動かすとか、そんなことはできないのですが。場所の狭さを忘れる佇まいです。

連光寺児童館は4月の人事異動で館長さんが変わったばかりということですが、以前、同じ建物内にあった連光寺福祉館にもいらっしゃったこともあるそう。「何となく児童館のことは知っていたけれど、実際に仕事を始めてみると、外から見てただけではわからないことが多くて。」と前置きをされた一言に納得してしまいました。

なるほど、外から眺めているだけではわからないことがある…実際にはそういうことが世の中多いわけですが、中にいる人にしかわからないことも時に第三者(外部)にも理解してもらう必要があります。確かに、児童館条例があり、それに基づく規則などもありますが、それらを見たところで、まあ、多摩市児童館のことが理解できるわけでもありません。児童館が毎年まとめている報告書があり、それを見れば活動状況もわかるとはいえ、それだけではやっぱり十分とは言えず、もう少しその取組みを「共通言語化」しておく必要性がありそうです。マニュアルというのは良し悪しあると思いますが、やっぱり、かねてから指摘されているように「多摩市版児童館ガイドライン」の作成に取組むべきではないかなあと感じます。そのなかで、改めて「児童館の役割」を再確認することや、時代環境と共に「児童館の業務内容」が見直しもされ、増えていること等も掴んでいけると良いのではないかと思うものです。

連光寺児童館が仮住まいに場所を移転する直前には「フェアウェルイベント」のようなことも実施したようですが、その時の話を伺うと「福祉」としての児童館の存在意義を痛感するものであって、「児童福祉法」に基づく施設であり業務を展開していることを頭にとめて置くことの重要性を再認識させられるものです。

もちろん…こちらは土曜日の諏訪児童館ですが、染め物体験をやっていたり、火起こし体験をやっていたり、子どもたちが楽しめるイベントも実施していますが、児童館の原点を辿るところには「児童福祉法」があることをきちんと押さえながら、事業展開されていることを忘れてはならない気がしています。

豊ヶ丘児童館です。ここは公共施設の統廃合計画によって一旦は「廃止」と方向性が出た豊ヶ丘地域の複合施設内にあります。しかし、地域のみなさんの「残してほしい」に耳を傾けた結果…「改修を実施する施設」と方向転換され、現在に至る。建物を残すか残さないかに大きく揺さぶられ、現状での児童館の扱いは…「児童館を残す」ではなく、「児童的機能を残す」というような方向になっている様子。「児童館的機能」って一体何なのか?と思うのですが、「場所があればいい」というような乱暴な話ではないことを確認しなければならないと思いますね。

玄関入ってすぐのところがおしゃれな設えになっていてびっくり。ビリヤード台!子どもたちと一緒に手づくりしたそうです。

こちらも…。カフェ風に…ということで、おしゃれな椅子は閉店する喫茶店から譲り受けたものだとか。ちょっとした勉強スペースにもなっているとか。「カフェ風」というのも、子どもたちからの希望の声で…ということで、南側にもテラス風の場所が設置されていて、ガンガン照りではない時間には、蚊取り線香と虫よけスプレー必須にて、活用できそうです。

「子どもたちと一緒にできる作業は一緒に」ということで、取り組んだようですが、その作業を通じて「子どもとの距離がぐっと近くなった」と館長さんがおっしゃっていました。子どもたちがお客さんではなく、子どもたち自身も大人と一緒に対等に作業をするわけなので、その意味で距離が縮むことが想像できます。きっとその中で、児童館の大人に対する子どもたちの信頼感も高まっていくのだろうと感じた次第です。

 

以前は学童クラブがあったスペースは、子育て拠点として、幼児も安心して寛げる場所になっていました。やっぱり、小学生以上、時には中学生も…となった場合、体格も違うし、スピードも違うし…小さい子どもたちが紛れるというのは危険も伴います。場所を分けることができ使用できるのは保護者にとっても安心ですね。見学した時にものんびりと親子が遊んでいる姿がありました。子どもたちは思い思いに過ごすことができ、児童館の大人はその過ごし方に余計な干渉はしません。もちろん危険な行為については注意を促しますが、部屋の隅っこで読書している子がいれば、そっとその様子を見守っているという感じですね。ただ、その子が次に動き出したときには、声をかける準備をしているのかもしれません。

豊ヶ丘児童館もまた、複合施設内にあるのでその他施設と同居する大変さもあるようです。それだけに、館長さんが日ごろから児童館以外の施設にも目を配り、気配りもしながら、「児童館」が地域に理解されるように、そして、地域で子どもたちが大切にされ、見守ってもらえるようにと取組みの工夫などされている様子なども伺うことができました。

館長さんを訪問し、いろいろお話しを聴いてみると、「なるほどなあ」と学べることが本当に多くあります。久しぶりに児童館をめぐってみて、発見したり気が付かされることも多いです。「子どもたちが排除されない地域づくり」のためにも児童館職員が必要ではないかと思うのでした。