なぜ、「子どもの館」である必要があるのか。

ものすごい雨でした。お昼過ぎの乞田川はざぶざぶ水が流れていて怖いくらいでした。今日は午前中は愛宕児童館、午後は永山児童館へ行き、夕刻からは別の用事で唐木田児童館へ行ってきました。

愛宕児童館に行ったときには雨は降っておらず…雨が降りやまなかったら子どもたちはどうなるのかな…と心配になりましたが、永山児童館に行く頃にはすっかり晴れ上がり、午前中の雨降りが嘘のよう…永山児童館では幼児プールも大盛況でした。「午前中、雨が強く降り続けるとしたら、来ている子どもたちをどうしようかと冷や冷やしていた。」と館長。その場合にはどんな対応がなされていたのかな…と少し気になりました。

愛宕児童館、永山児童館とも私が生まれる以前に完成し、稼働している施設だけあって…その年期を感ずるわけですが、特に愛宕児童館の傷み具合というのは思い出すのも悲しくなるほどの状態。それでも、文句言わずにこの場所をに気に入って訪れる子どもたち、そして同伴されている親御さん…そして、館内を清潔に維持し、衛生面には新型コロナ禍でもあり今まで以上に気も遣い施設管理と運営をしている職員のみなさんには頭が下がるばかり。「見るも涙」ではありませんが、そのくらい傷みすぎていて、窓がきちんと締まらないとか、窓に網戸が付いていないので本当は換気のために開けたほうがいいけれど、虫が入ること等を考えると開けることができない(そのかわり窓がちゃんと締まらなくて、ちょうどいいすき間ではないが、すき間風は通っている)という状態…天井が高く広い空間であって、なるべく空気が滞留しないような配慮もしながら対応しているようでした。

一枚だけ、修理待ちのトイレの天井の写真を貼っておきますが…。何かが出てきそうだし、怖くてトイレ入れない気がしませんか?

もちろん、順番があるとか、限られた予算で対応しているとか…いろんな言い訳もあると思いますし、「必要なことには必要」と判断し、「未来への投資」については例え、コロナ禍の厳し状況であっても手綱緩めないと進めている図書館の新設工事とか、旧北貝取小学校の大規模改修とか…あ、パルテノン多摩の大規模改修もかもしれませんが、その一部でもいいから…こっちに回してあげて…という気持ちになってしまいます。こういうの「切なくなる」というのでしょう。

あ、議会にも責任はありますね。予算を提案するのは市長ですが、そこにお墨付きを与えるのは議会ですから。ですので、本当に申し訳ない気持ちいっぱいになりました。

でも、子どもたちは、トランポリンで思いっきりはねていたり、ピアノを弾きあう姿、児童館だからできる工作、バドミントンや卓球…銘々に過ごして、その姿は楽しげでした。そして、子どもたちはみんな、館長や職員さんにも会いに来る感じですね。玄関入ってきて、元気に挨拶してくれて、事務所には「どの大人がいるのかなア…」って確かめて。

子どもたちは「ここに来て、ここにいる大人に聞いてもらいたいことがある。」「話したいことがある」という雰囲気あるなあと感じます。そして、小学校低学年くらいの子どもはすごく素直で「館長と遊びたいなあ」…言いたげで何度も何度も私のヒアリングに対応してくれる鑑賞のもとに足を運ぶ姿。「館長はまだどこかの人との話が終わらないなー」と待機する子どもたちのことを常に気にかけ、適切な声かけをされるのですね。それはそれはさすがだなあと思うわけです。

9月議会で「児童館政策」のことをとりあげるつもりなので、児童館現場を担う館長のみなさんにヒアリングをしていく予定にしています。やっぱり、全部の児童館に行ってみないと始まらないと思い立ち、とりあえずアポ取り完了。私自身ももう一度「児童館政策」を考えてみたいと思っています。

でも、やっぱり今日も確信をしたことは、児童館が「子どもがただ遊ぶためにある場所」ではないということですし、児童館職員の役割が「子どもに遊びを指導する大人」というだけではないことですね。そして、この機能は地域にとってますます無くてはならない存在に泣ていくのではないかとも思えてきます。一方で、存続させていくためには何が必要なのか…についても認識を深めていかねばならず、そのための議論を重ねていく必要があるのではないかと考えています。現場からのヒアリングが不可欠ですね。そしてまた、短時間ながらも現場に行くからわかることもある。子どもたちの様子などを通じて、学んでいきたいと思います。

子どもの顔が映らないようにと館内様子を撮影させてもらうのに一苦労です。午後から足を運んだ永山児童館は中学生がとても多く、熱気の溢れ方がすごかった。中学生1人が小学生3人分くらいですね。ワイワイ卓球をしたり、ゲームしたりする傍らに勉強スペースもあって、宿題などをこなしている中学生がいたりして、「こんなところで勉強できるのかしら?」と思うのですが、きっとできるんでしょうね…自宅にいるよりも…児童館が「お気に入りの居場所」になっている子どもたちの様子を見てきました。

そして、地域の子ども子育ての拠点にもなっているのが児童館…「幼児プール」を目的に来る親子連れもいて、「満員御礼」でした。プールで遊ぶ子どもたちは児童館職員が見守り相手をしてくれるおかげで、ママたちはプールサイド?のところでホッと一息つけますね。子どもがチャプチャプしている姿を写メしたり、ママたち同士で話しをしていたり、子どもと一緒でもちょっと距離をつくることができるひとときは多分ものすごい大事です。

それにしても、来館者が…多い。当然ながら「密」は考慮し、定員を設けながら受け入れをしています。来館者が増えてどうしようもなくなった場合など、長く滞在している中学生などに声をかけるそう。中学生は「密」のこともよく理解ができているそうで、混みあってくると近隣公園に場所を変えて、遊ぶとか…協力してくれると言います。嫌な顔をせずに応じてくれるって「子どもたちすごいなあ!」って思います。みんなの「館」なのでみんなで譲り合って、協力し合いながらいい場所にしていこうって…これもまた「児童館の大人」がいてこそできることかもしれませんね。

館長と話しをしている最中にも、「これ、音が出ない」とおもちゃを持ってくる女の子。ここに通い、ここの大人に声をかけてもらい、ある程度の信頼感が無ければ、わざわざ館長のところには来ないだろうなあ…と。日ごろの「児童館の大人」たちの振舞いを感じ取れる場面にも遭遇できたのはうれしいことでした。

しかし、永山児童館は「中高生対応」をする重点館の位置づけなのですが、施設的にはなかなか厳しいですね。中高生向きの施設づくりにはなっておらず、中高生サイズで思いっきり身体を動かせるような場所ではないので。そういう意味では、施設面の課題は大きい。もちろん、何となく大丈夫そうには見えているとはいえ、施設の老朽化具合は半端ないですね。

 

実は、「児童館」改修しています…なんて話もあり、落合児童館、連光寺児童館は改修工事に入りましたが、それはたまたま?コミュニティセンター他と「複合」になっている建物のテナントであったために改修できただけの話のような気がしていて、愛宕児童館、永山児童館、一ノ宮児童館はどうなるのかなあ…と個人的には思っています。そして同じく「複合」になっている東寺方、豊ヶ丘の児童館についてもどうなるのでしょうね。公共施設の統廃合問題で紆余曲折して今に至る…。うちのそばの諏訪児童館は、諏訪団地が建て替えのタイミングで大規模改修工事がされているのですが、でも…備品類などは昭和時代から大切に使用されているものも多く、「限られた予算」を目の当たりにできるような感じ。

 

まあ、いろいろ思うこともあって、児童館政策を改めて考えねばならないと思っているのですが、その一番の要因というのは、そもそも今年度予算で児童館の事業予算が大幅カット(というかゼロに近い)にされていたことですね。「なんか、児童館の予算がなくなって、講師謝礼とか厳しいらしい」…児童館と協力しながら事業に取組む市民の方から漏れ聞こえてきたことで、私も慌てて予算書をめくった…のが経過があるのですが、そんなこともきっかけで、「なぜ、『子どもの館』である必要があるのか。」のそもそも論に立ち返って、市の考え方も尋ねてみたいなあと思っています。「こんな時に、迷惑な…」と思われないよう、夏休みでいつもよりも忙しい児童館の仕事を邪魔しないように…ヒアリングを進めていきます。

誰でもできる食事と手当法。

「免疫力を高くする」という大切なことをもっと伝えていく必要があるのではないか。新型コロナウイルス禍で今まで以上に感じていることのひとつです。「家庭でできる自然療法」というのは一家に一冊あるといいということで、母から紹介されてずっと本棚に入れてあったものです。

この本に書いてある内容を完璧にこなそうと思うと、なかなか大変で、白砂糖のお菓子が大好きな私にはハードルが高すぎるのですが、しかし、少しずつは減らさないといけないという意識だけは働くものです。大事なことはどんな時にも極端にならないで「バランス」をとるということだと思っていますが、健康でいることの基本が「食事から」というのにはとても納得ができることであり、病気にならないための食生活であり、病気を克服するための食生活…なんだろうなあと思います。

足が浮腫みやすく、つりやすい感じがするので、ちょっとこの本をお手本にした手当をしてみようかと気が向いたところで、「こんにゃく湿布」が一番手軽で簡単そうに思っているので、週末にトライしてみるつもり。

今日は9月議会中に行われる決算審査に先立ち、各常任委員会で「事業評価」を実施することになっているので、その準備のための打合せ。なるべく職員の負担を軽減するという観点から、事前に質問事項をまとめておくとか、評価の観点を何となくでも絞り込んでおくとか、各会派のスタンスを理解するとか…そんな感じですね。私の所属する生活環境常任委員会では「ごみ減量化推進事業」を選んでいますが、「ごみの減量」という観点で言えば、平成23年のごみ量を基点して、当時掲げている減量の数値目標はらくらくクリアしています。委員の間からは、「当時掲げた減量目標」の途中見直しもしないまま、成果目標として掲げてていいのか?という意見もありましたが、「ごみ減量化推進事業」として実施している取組みが「ごみの減量」につながっているのかどうか、改めて分析することが求められそうです。

委員会では「食品ロス」のことに目を向けて、取り組みを進めていくことが必要ではないかと考えているのですが、新型コロナ禍に見舞われて思うように進んでいない「食べきり協力店」についても増やしていきたいところ。自分にとって過食にならないように外食するというのは実は難しいことですね。「食べ残し」は調理をしていただいた方にも申し訳ないことですし、しかし、「食べきれない」という状況になることも多いので、私は外食するのには躊躇する気持ちもあります。量を調整してくれるような飲食店がもっと増えるといいのになあ。

ちなみに、こちら・・・昨年度実施した「多摩市食品ロス実態調査」の報告書。サンプリング箇所3か所のもの。傾向はつかめるのだと思っていますが、これで本当に実態であるのかどうかを問われれば、どう評価されるものなのかなと思っていますが…。

燃やせるごみの中で食品廃棄物は33.7%含まれていました。食品廃棄物に占める食品ロス(直接廃棄と食べ残し)の割合は28.5%でした。また直接廃棄された食品のうち、「100%手つかず」で捨てられた食品が約4分の3を占めていることが分かりました。

というのにはショッキングな事実です。

また、しれっと掲載されている「エコクッキング」のレシピ紹介ですが、私にとって「捨てがち野菜」と言えば、ブロッコリーの芯ですね。あまり芯を捨てなくて良さそうなものを選んで買うようにして、ゴミにしてしまいそうと思うと買うのをやめたりする…こともあります。生ごみをできる限り減らすことが大事だと思っているのですが、うちもまだまだ生ごみは多いですね。かといって、タンボールコンポストなどもなかなかやろうという気持ちが向かないのです。やり始めれば慣れるし、難しくはないと聞いていますが、何となく「手間」「時間」を考えてしまいます。そういえば、私の住んでいるマンションにはディスポーザーがついています。入居者のうちどのくらいの方が使用されているのかなと思っていますが、実は、私は機器を自分で取り外していて、使用していません。使っている方はすごくラクチンだというのですが、ディスポーザーのお手入れが手間になりそうなので、それなら、「使わない」を選んでいます。もともとディスポーザーが付いていたところにぴったりくる水切りカゴがないのが悩みなのですが。

自然療法のことに話しを戻しますが、「こんにゃく湿布」で医者いらず…になったとするとちょっとすごいですね。今はまだ定期的な通院とかするわけではありませんが、やっぱり、病気(ウイルス)にも負けない健康な身体づくりを心がけた日常を過ごすことが大切ですね。「なるべく有機に近いこんにゃく」を使用することが良いのだそうです。買ってこないと。

「うれしい」「ありがとう」に支えられる。

 

第4水曜日のランチハーモニーです。今日も70食(追加もしたはずだから、それ以上かな)…夏にふさわしく、そしてお肉メニューが大人気なので「スタミナ肉野菜炒め」のお弁当づくりを手伝ってきました!

「うれしい」「ありがとう」に支えられるなあって思います。炎天下の中、杖をついていらしていただく方、そしてまた、集会所のある諏訪地区からお引越しされてもなお、バスに乗車していらしてくださる方…ありがとうございます。ただし、「いつもおいしいお弁当をありがとう」と言われると…「あ…ハイ!」とちょっと戸惑うこともあったりします。私はお弁当箱にご飯等を盛り付けすることはできる主力メンバーの一人なので。食べてもおいしいのですけれど、見た目も大事だなあと思っていて、お弁当箱を見ただけでも手作り感と美味しさが溢れるようにしたいなーとか心がけています。

とても暑いので、お弁当が傷まないように配慮しているのですが、お弁当作り立て…そのままでお渡しです。飛び込みのお客さんもいらっしゃるのですが、みなさん、「次回もお願いします」と予約をしてくださり、この活動も定着しつつあります。地域の見守り活動としても一助を担えているとしたらうれしいですね。おじいちゃんやおばあちゃんたち…律義に挨拶してくださる姿に日本社会の良さというか、懐かしささえ感じるのは気のせいでしょうか。今はもう忘れ去られてしまったような良さという感じかもしれません。

そして今日はお弁当の調理を終えてからはすぐにヒアリングに。次の議会に向けてやらなければいけないと思っていることが多く、あちこち行ってます。

ところで、帰宅しましたら、「パルテノン多摩NEWS」が投函されていました。ニュースの表紙には「2022.3.27プレオープン」の文字が躍り、「パルテノン多摩のリニューアルオープン時期をお知らせする看板を工事囲いに設置しました!」の表記。表紙に誘われるようにニュースのなかみを見てみましたけれど、個人的には「え?!」…と拍子抜け。

ニュースに使用されているのは分厚く、標準のチラシよりも上質紙。はっきりいって、この上質紙は「高価」。お金をかけていると思います。だったら、その高級感に見合った内容にしてもらいたいとだんだん憤りが。

「大規模改修にどれだけのコストをかけていると思っているのかしら?指定管理者として共同事業体にして、既存の多摩市文化振興財団による運営とは異なってバージョンアップする!」というのが謳い文句だったはずなのに…。残念さがこみあげてきてなりません。ちょうど去年の12月に一般質問をしていますが、その時にも「競争性なく選ばれたパルテノン多摩の運営団体」のことを話題にしています。再開館にあたっての事業者選定も「特命随契」で選定され、競争性はゼロ…。そのツケがここに来て既に表出しているのではないかと考えざるを得ません。その時に話題にしたのが「多摩市立複合文化施設等指定管理者候補者選定委員会審査結果報告書」なのですが、審査委員の先生たちがどれほどに頭を抱える内容であったのか…報告書を読めば察するに易し。厳しい指摘や意見のオンパレードとしか言いようがなく、はっきりいって、多摩市文化振興財団とパートナー企業に任せれば、「新たに変わったパルテノン多摩」になるのか…って話だったのですね。危険信号が点灯していると私は理解をしていました。

◆今回の候補者選定における特命選定の条件としていた「多摩市文化振興財団と民間企業との共同事業体による運営」という角度から見ると、従来の多摩市文化振興財団による単独での運営との違いとして、経営、施設運営、事業、組織体制のいずれの面においても、十分な表現がされていませんでした。共同事業体としての独創性や強みが活かされた運営の実現に向けて改善されることを期待します。

◆市民協働や施設管理に関する取組については、具体的提案や将来を見据えた内容が評価できました。一方で、稼働率向上を含む収益向上や経費削減等の方策に係る具体的な提案については十分とはいえませんでした。また、新しい取組の提案があったものの、革新的な提案とまではいえないことから、「管理基準以上の取り組み」とするまでの評価には至りませんでした。今後の協定締結に向けて収益向上や経費削減等の具体策のさらなる検討を重ねていくことで、期待を超える指定管理者となっていただくことを望みます。

将来に向けた指標について、目標数値の根拠や、達成に向けた具体的施策の提示が明確でない又は不十分でした。人口減少、少子高齢化など、今後の厳しい社会状況を見据えつつ、具体的な施策の積み上げの整理と、根拠の明確化を図ることで、より現実味が感じられる目標設定につなげられると、より良い提案となると考えます。

これが審査委員会の総括意見。そして、20項目ほどの改善事項の指摘が羅列されているわけであって、普通目にしないような審査報告書でした。今更、他の団体にも呼びかける時間的な余裕もないわけで、「多摩市文化振興財団と仲間たち」を選ぶしかなかったのですが、本当にそれで良いものかと私自身も躊躇せざるを得ないような総括意見としか言いようがありません。競争性が発揮されないことの好例にしてはいけないわけであって、もっと襟を正し、緊張感を持って業務にあたってもらわなければならないと心底そう思いましたね。

「令和の大改修」(私にとってはセンスの欠片も感じないこの表現は、一日でも早く、パルテノン多摩のトップページから消してほしい。恥ずかしいと思っていますが)とPRするくらいなら、もっとそこに責任感を感じ、きちんとした市民への情報提供が必要だと感じます。何を主張したいのか、たった一回の広報、コスト意識をどう持ち合わせているのでしょう。しかも、パルテノン多摩が稼ぎ出したお金で工面されて広報費になっているわけではないはず。なぜなら、今は、市からの委託料ですからね。何のコンセプトも感じられず、「ただ、発行しただけ」にしか見えないような広報になっていることに危機感を感じざるを得ません。市民を惹きつけ、リニューアルオープンを心待ちにできるように工夫した後方になっているとは言い難く、建設建築工事に直接かかっているコストだけではなく、関係諸経費も入れ込めば、80億円なんて悠々と超えてしまうような市民の税金を使っていることをまるで忘れでしまったかのような感じがします。

一方、市役所の各事業などの広報を含めてはものすごいケチケチ作戦になっていて、発行する回数も限りがあるからこそ、その1回の機会を大事にしないといけないと心がけているはずなのに…と思わざるを得ません。次のパルテノン多摩ニュースの発行は「9月25日の土曜日」だそうですが、広報戦略があるはずなのに、それはどこに行ってしまったのか?その内容もきちんと見せてもらわねばならないと思っています。不真面目に仕事をしているわけではないでしょうから、どのような考えで仕事を進めているのか、ちゃんと確認できる計画書を示してほしいと思います。それは、議員への説明とか報告とかそんなものではなく、市民への説明です。

パルテノン多摩の再開館に向けた進捗状況も議会でもきちんとフォローしていく必要がありそうですね。一般質問にとりあげて、きちんとチェックしていかなければと強く思います。

 

「資源は有限。市民の要望は無限。」

この間のオンラインセミナーで聞いた言葉。自分の中でものすごく反芻させております。新型コロナウイルスも予想通りの広がりになっていますね。手洗いうがいで基本的な感染予防策を怠らないことが大事です。オリンピックは中止しないというので、とにかく早くオリンピック終わってくれ!無事に時間が過ぎ去ることばかりを祈っております。

子ども、子育てに寄り添える場所。

今日も夕方からハーモニーカフェでのテイクアウト誰でも食堂の開催日。タコライスでした。「え、タコが入っているの?」とタコ嫌いの子どもからの反応はありましたが、「違うよー。」…ということで、全くおとなしく、無口だった子どもが一年以上通い続けて、スタッフの大人とも会話を交わせるようになっているのも本当にうれしいことです。私はキッチンのえみちゃんが冷たい麺を作ってみたので…と試食をさせてもらい、こんなにも香り立つのかあ…すごいなあ「カボス」…「ん?スダチ」…どっちなんだろう?と思いながら、いただきました。

ハーモニーカフェがオープンしてから、いよいよ本格的に活動をしていこうと考えていた矢先に新型コロナウイルス…でしたので、思うようには稼働できているとは言い難いところもありつつ、「子ども子育ての拠点にしたい」という目的を大切にしながらの運営を続けてきたのですが、活動を全面的に支えてきた主力メンバーがご家族の都合もあり、ここを離れることになってます。目下、緊急事態宣言中で最後、華やかに送別会などもできずに残念。

そんな中で、「誰でも食堂」は今日が最後でひと区切りでもあり、毎回足を運んでくださる方とのお別れ場面…「本当に助かりました。本当にありがとうございます。」って涙ぐむママもいたりして、むしろ、こっちがホロってもらい泣きをしてしまう感じ。育児不安あるいは産後うつなど、辛い思いを抱えながらも、日々奮闘しているママたちの存在を改めて、認識させられるものです。

特に何ができるというわけはないけれど、「話しを聴いてあげることはできるから」と。

でも、それって簡単なことではないですね。やっぱり、信頼が持てないと「話す気になんてなれない」でしょうし、「聴く」までにどれほどの関係性を紡いできたのかが問われると思うのです。「寄り添って」…という言葉はとても大切で、響きもいいけれど、実際にはものすごく難しいことであって、高度なところにある目標ですが、ハーモニーカフェが「寄り添う」ことのできる場所にもっともっと成長して、進化していけると良いなあって感じています。

それにしても「寄り添い」の押し付けという場合もあるのは気をつけなければなりませんね。支援する側がもっとに気にすべき点ではないかと強く思っています。だからこそ、一人を一人で支えるというよりも、一人を支える時に複数いたほうがいいですし、チームで支えていけるような体制を整えていくことが望ましいなあと…これもまた最近思っているところなのです。

そんな中で、改めて、児童館に目が向く今日この頃。やっぱり、児童館職員さんの来館者を覚える能力はすごい。もともと「支援が必要」とされる特定の人のところに出向いていくわけではないですからね。何かカルテのようなものがあるわけでもなく、出かける先の相手のことを把握したうえで相談に行くとか…そういうわけでもなく、とにかく児童館に足を運んでくれる子どもと大人全てを丸ごと受け止めている感じですね。もちろん、来館者登録があり、来館者の把握はしているとはいえ、ホント、地域丸ごとすべてなんですよね。もちろん困り事がある人だけが来る場所でもなく、昔と変わらずに子どもたちが遊びに来る場所であって、今は地域の子育て拠点として親子が来る場所にもなっているのですが、その中で時間をかけながら、来館者との人間関係をゆっくりていねいに育んでいくところが児童館。「誰ひとり取り残さない」を掲げる多摩市にとって重要な場所ではなっていくような気がしています。

子どもが少なくなるのだから、「児童館も縮小」という考えもありそうですが、子どもが少なくなり、子どもが少数派になっていくからこそ、ますます「児童館」が大事な存在になっていく可能性もありそう。これから人口減少、少子高齢化(って既に少子化だし高齢化ですが)を乗り越えていくために「効率的効果的な行政運営」をめざすべき…というのもわからないわけではないのですが、でも、もともと採算のとれるような事業であれば、それこそ民間に任せてしまえばいいわけで、不採算だし、非効率かもしれないけれど、やるべきこととやらなければならないことに取組むのが行政なはずですね。そして、もちろん、その「やるべきこと」「やらなければならないこと」に対する市民の合意形成が求められることはもちろんなのですが。

私はこれからますます子育てしにくくなる世の中になるのではないかなと思っています。大人はみんな忙しく、もっともっと時間に追われながら生きていくのではないのかという気さえしてしまいます。子どもたちも効率よく学習することが求められ、既に一人一台タブレットの導入となっていますが、「効率効果的な学び」になっていくのではないかとも感じています。タブレット端末で一人ひとりの学習進捗度などに合わせていける、カスタマイズできるという面もあると思っていますが、ただ、タブレット端末での学びはメリットばかりとは言い切れないですね。学校も子どもも、タブレット端末導入でセカセカしてしまうことにならないといいなあとちょっと思ったりもしています。

そんな状況にあって、児童館を見ていると…「のんびり寝そべることができる」場所になっているような気がする今日この頃です。実際に寝そべっているかどうかは別にしても。家の大人、学校の大人とは違う大人がいる場所でもあり、「おかえり」って迎えてくれる言葉がすごく温かい感じしますね。中長期的に「児童館」を捉え、今後の在り方を考えていく時期に差し掛かっているような気がしています。ということで、9月議会の一般質問の一つは「児童館政策」にしようと決めているので、これからまたヒアリング活動を進めたいと思います。

児童館の目の前に自宅があるので、毎日見飽きるほど見ていて、児童館の一日をじっと見ていると(監視しているわけではないのですけれど)、その様子が本当によくわかるんです。子育てしにくくなるからこそ、押しつけではなく「寄り添い」が保障されている場所ってやっぱり大事ですね。今日はヒアリングをさせてもらって、来館する子どもたちの様子もチラッと見れたりして、よかった。

‘英断’という表現がふさわしい-瓜生小への中学校不登校特例校の設置は見送りへ。

「必ず、もっといい構想に進化すると思う」

そして、進化させていかなければならないし、進化していけるように後押しをしていきたいと強く思えた昼下がり。久しぶりに傍聴した教育委員会の議論に「今日、ここで交わされた意見を忘れてはならない」と。

この間、コロナ禍で傍聴席が5人分しか設けられておらず、遠慮する気持ちもあったのですが、地域の方から連絡があり、今日の教育委員会定例会で「中学校不登校特例校の開設」が追加議案になり、どうやら傍聴席も増やすようだ知りました。なんと異例の対応ぶり!…それだけ重大なことが議論されるのだろうと予感しつつ足を運んだのでした。

そして、来春開設予定予定で着々と進められていた瓜生小学校内に中学校不登校特例校の設置をする件について、「今回の計画については、一旦立ち止まる。しかし、早急に設置計画の練り直しに取組んでいきたい。不登校特例校の設置方針は変わらないものの、開設時期と場所については再考していきたい」という提案が行われ、最終的に「再考する」との方針転換に至ったのです。

事務局の説明によれば、地域説明会などを数回実施した結果、「開設を急ぎたい気持ちはあるが、強行に進めることはできない」という判断に至ったとのこと。「開設したいと考えたそもそもの‘志’」に立ち返るとき、このままいくと当初の目的である「不登校状態にある子どもが笑顔で登校できる状況に持っていくことが難しい。」との理由が述べられました。

「決めたこと、確定したことだから変えることはできません」の一点張りで、今後も引き続き「説得型の説明会を続けていくこと」は禍根を残すとの判断を下したようです。既に文科省、都教委からのお墨付きも得て、進めていた案件。異例中の異例とも言える対応ですが、現況を冷静に捉え、真摯な協議が行われたという印象です。事務局として準備や段取りを進めてきた職員の立場からすると「唇を噛むしかない」ような状態であるとも思いますが、でも、無理やり進めることのマイナスのほうが大きかったと思います。既に議会に対しても9月には開設準備のための費用を補正予算として計上するとの方針が示されていましたし、今週から計3回の市民説明会実施や説明動画の配信の段取りも行われ、告知もされていました。それを考えても、とても重たい判断であるのかがわかります。でも、状況に応じた適切かつ必要な判断が下されたと私も評価したいと思います。「現状に向き合っていく」…英断であると受け止めるべきであり、むしろ、この判断をバネにしていかねばならないと感じています。今後、急ぎ告知されていくと思いますが、予定されていた市民説明会なども中止となります。

 

事務局である教育委員会、部長からは「見通しが甘かったことに責任を感じている」とする発言もありましたが、教育委員のみなさんからは「部長の責任ではないし、時間的なことも含めて、無理が生じてしまうことに配慮できなかったことにも原因があります」との趣旨のことが述べられ、誰かのせいにするのではなく、「不登校特例校の開設の必要性」から急いでしまったことへの振り返りの言葉が述べられていました。それを聞いていて、不登校特例校を開設していくべきだと考えてきた私もいろいろ思うところはありました。

 

不登校特例校については待ち望む声、期待、希望の光を感じた子どもや保護者もいたことと思うと、そこは胸が痛みます。しかし一方で、私自身も瓜生小学校で開催された説明会にも出席したときに直接耳にした意見、その後もさまざま地域の方からのお声を聞くにつれ「このまま開設をすると禍根を残すのではないか」と不安な気持ちに苛まれたことは事実です。この連休中も含め、今後、どう進めていくことが「最適」になっていくのだろう。何よりも子どもにとって幸せな環境を作ることができるのだろうと思い巡らせていました。

 

「不登校特例校の必要性は否定はしない。むしろ、こうした新たな場所が地域に設置されることは望ましいこと。構想そのものには異論はない。」という声がありながらも、「なぜ、小学校内にわざわざ設置する必要があるのか」という点での疑義は、保護者の方を中心にじわりじわり…ますます不安が広がってもいることも把握していました。教育委員会にとっては時間をかけて取組んできたことであっても、地域にとってはあまりにも拙速というか、まるで寝耳に水のような事態にもなっていました。何よりも計画づくりにあたり「当事者性」が埋め込まれていなかったことに対し、教育委員会に対する不信感は高まっていました。当事者性が意識されていたなら、計画にももっと裏付けがあって、肉厚なものであれば…(小学校内に設置というのもナイ話だったかもしれませんね)。その意味で、もっときちんと当事者の声を聞いてほしいというのは当然の主張であり、市長や教育委員会、議会にも疑問の声を上げていきたいとする方々の気持ちは私にも突き刺さるものでした。(ちなみに、この件、数日前のブログで少しだけ内容にも触れています)

 

さて、今日の会議では、「確かに、新しい取り組みは教職員はもちろんのこと、地域、保護者からの理解がないと難しいとは思う」「この計画に関わってきたものとして、当事者からの聞き取りが不十分であったと振り返っている」「日本の義務教育は単線であり、これを複線化しようという試みを諦めてはならないが、来春の開設というのは時間的には若干厳しかったかもしれない」という意見が出されました。「強行突破して、不登校特例教室の開設が心から喜べない状況になる恐れは回避していいと思う」との声もありました。しかし、「不登校特例校」への期待感は大きく「一旦、立ち止まるにせよ、早い時期に次の見通しを示していくことが必要」そして、「開設は一旦見送られたとしても、今、学校に通えない状態にあり苦しんでいる子どもたちに対してできることがあるはずだ。精力的に取り組めることはやらなければならない」等、教育委員のみなさんからは非常に力強く、共感できるような内容が盛りだくさんでした。

 

特に、「子どもは自分の気持ちを上手く言語化できない場合も多い。でも、子どもにも考えがあるのだから、対等に意見を述べられるようにしていかなければならない。もう一度、再出発するのだから、なおさら大事にして、当事者の声を聞いていきたい」と趣旨のご意見には胸が熱くなってしまった私です…。実は、今日の会議の中で、地域説明会の中で指摘をされた「当事者の声」のヒアリングにも早速取り組んでいる報告もあり、途中経過の数名の当事者の小中学生の声が紹介されました。「行ってみたい。先生に何回も質問できるような場所にしてほしい」「先生が優しいといい」「自分で活動内容を決めたい」…リアルな子どもたちの声はやはり心に響くものです。なおさらのこと「子どもの気持ちを大切にしていきたい」と私も思いました。ヒアリングに答えてくれた子どもたちの中の「先生像」も浮かび上がりますよね。私がこの件についてどう思うのか…って尋ねた中学生は「いい人たちがいれば行きたい。安心できる大人がいれば、いいけれど。」って答えてくれました。

 

思い出せば、議長の任から解放された改選後、久しぶりに行った一般質問でも取り上げたのが「不登校対策」でした。その際、冒頭で不登校のお子さん、保護者の方々とお目にかかる機会や接する場面を重ね、「1日でも早く、少しでもいいから笑顔になってもらいたいという思いを持ち続けてきた。」と発言しています。その当時から、多摩市にも不登校特例校を設置し、「新しい選択肢をつくりたい」との気持ちが強くありました。その路線で、教育委員会が精力的な取り組みを進めていたことを見守ってきた立場です。その際に、不登校対策のアクションプランが必要であることを指摘し、その後、「不登校総合対策」が完成したのは昨年秋のことでした。コロナ禍で想定してような取り組みができず、実は、「不登校特例校」の設置も予定では今年度から…という話しもあったので、教育委員会にしてみれば1年遅らせてきたという裏事情もあります。アクションプランの「不登校総合対策」に「不登校特例校の設置の検討」が盛り込まれたときには「これで、進んでいく」とうれしく思っていました。水面下ではアクションプランの策定と並行し、都教委や文科省(これがマニュアル)との折衝が行われていたものと推測しますが、結果、文部科学省から今年度に入り、5月11日に「不登校特例校(分教室)の設置が認められた」との話でした。しかし、開設場所が「瓜生小学校」ということ等、ちょっと「大丈夫なのかな」という気持ちはありました。それでも、「設置することの必要性が高く、文科省にも認めてもらったのだから。変えることは難しい。」と私自身も受け止めていました。

 

とはいえ、先にも書いた通り、私自身も今回の不登校特例校の設置に関し、改めて浮上してきた意見については考えさせられるものも多く、このまま開設へと突っ込んでいくことはできないような気もしていました。「当事者抜きで決めるのはいかがなものか」という声には、本当にハッとさせられましたし、地域エゴや住民エゴではない至極当然の声としか思えませんでした。最も大事にしなければならない点にも関わらず、開設を優先するがあまりに、スキップするに近い工程を経ていたことは認めざるを得ないとの思いが強くなっていました。「学校ぽいところにある適応指導教室『ゆうかり教室』には行きたいと思えない。」という子どもの声も思い出していましたし、もともと「瓜生小学校を不登校になっている子どもが、中学に進学して通いたい場所になるんだろうか?」という疑問もありました。もし、このままゴリ押しで進むとなれば、私自身もせっかくの「不登校特例校」の設置も喜べなくなるかも…と覚悟しないといけないとも感じていました。文科省や都教委からのお墨付きがあり、今更ながら、市教委として「やっぱり、ちょっと諸事情があって…」と方針転換を言い出すことの難しさあるなとも思ってきました。それだけに、「もう少し議論をしてより良い構想を練り直したい」という提案に正直、安堵の気持ちのほうが大きく、この決断を下すことができた教育長、教育委員会にホッとしました。もちろん、私のところにも寄せられていた期待には「ごめんなさい」という気持ちも大きい。

でも、だからこそ、次へ。「必ず、もっといい構想に進化させていく必要がある」と考えています。先進事例なども含め、もっと良くするための情報収集や当事者の声を集めたり、子どもたちにとって多様な学びの場が必要であることへの理解を地域に広めていきたいと思っています。

「子どもたちのために開設する『不登校特例校』」…仕切り直しにはなるものの、ここで中止するものではありません。保護者の方、あるいはこの件に関心を寄せてくださっている方…傍聴されていた方とも少しだけお話をしたのですが、「中止になったわけではない」ことに心を撫で下ろされていました。

 

いただきものの立派な桃の香りに癒されながら、今日一日を振り返るとき、教育委員会の議論のまんなかに「子ども」がいたことが何よりも一番うれしいことでした。私の身近にいる「あの子」の顔も思い浮かびました。「すべての子どもたちに居場所と学びを」。今日の判断は凍結とか白紙撤回とかではなくて、次に向かうための出発点。引き続き、「不登校特例校」の開設に向けた取組みをフォローしていきたいと思います。

きらきらして宝石のように。

今日は会派でミーティングをやり、意見や情報交換。いよいよ週末から始まる…オリンピックのことも話題にしつつ…。それぞれ身の回りで起きていること等をシェア。課題は多い。多摩市内をコースとしているロードレース大会は沿道での観戦は自粛をするように呼びかけをしているものの、実際はどうなるのか。現場が気になるものの、私たちがわざわざ出かけて…見に行くというのもおかしな話。

その後、桜ヶ丘にある企業さまが主催をした「脱炭素社会の実現に向けて企業にもとめられるもの」というタイトルのオンラインセミナーに参加。生活環境常任委員会にも呼びかけがあったもので、メンバーは多分参加していると思います。気候非常事態宣言に対して、どれだけ本気を出せるか…議会も問われていると感じています。しかし…「脱炭素化」に向けた厳しさを現実的に受け止めている人は多いと思われ、セミナーの中で講師が「脱炭素化、できると思うか思わないか」を尋ねたところ、「できる」「できない」と答えた人がともに30%くらいで拮抗…「わからない」と答えた人が20%くらい…。「直感で回答してほしい」という講師の求めに対して、「できる」とは言い切れない自分がいて、「できない」と答えてしまったんです。「やらなくてはいけない」との意識が「できる」と必ずしも一致するものではない歯がゆさ。しかし、やっていかねばならないところで、どれだけ力を注げるのか、行政だけではなく、市民や企業も含めて、市をあげて取り組んでいかねばならないこと。「結局、気候非常事態宣言ってパフォーマンスだったのか?!」と言われないように、していかねばならないです。

さて、夕方からはいつものハーモニーカフェの「子ども塾」でした。また緊急非常事態宣言が発出されていますし、感染症対策は怠らず、テイクアウトお弁当の準備など。子どもたちもそれぞれ忙しく、他の習い事などと重複してしまう場合に来れなくなる場合もあります。そんな中で…久しぶりに足を運んでくれた子が「手づくりの芳香剤」をプレゼントしてくれました。保冷剤で作るのだそう。アロマオイルを入れるそうなのですが、ラベンダーの香りがします。でも、それ以上に、夏らしい色合いに惚れ惚れ。心を込もった作品をわざわざ届けてくれることへの感激も重なります。ガラス瓶に一つひとつ丁寧に貼り付けたと思われるキラキラしたビーズが美しく、ビン底に沈めてあるビー玉とブルーと透明のゼリー(これが保冷剤かな。ゲル状の。)。湖をイメージしてしまうのですが、色づかいの感性に彼女の心が表現されているなあと。帰宅して、そっと飾ってみたのですけれど、ホントにキラキラしていてきれい。眼にするだけで、気持ちがほっこりなれるのもまた幸せなことです。ありがとう。大切に飾ります。

そういえば、保冷剤は知らないうちに冷凍庫に溜まっていくので、こうした活用もできるのか!と自分的にも新発見。時間があったら、手づくりに挑戦してみようかしら?…これも「エコな暮らし方」につながりそう?

最近は、オンラインでも意見交換ができたりして、時間の活用が図られている感があるのですが、夜からもちょっと情報交換をして、一日が終了。仕事のやり方が変わるということを実感させられます。とはいえ、やっぱり対面に勝るものは無いですけどね。子どもたちもいよいよ夏休みが目前ながらも、楽しみにしていた旅行や合宿などなども中止になっているようで、全くのドヨン…ですよね。オリンピックをどんな気持ちで受け止めるのでしょうね。

こちら、ハーモニーカフェのお弁当。中学生まではお金をいただかず、大人には300円いただいています。基本は予約で…でも、飛び込みでも、「欲しい」に応えられる場合もあります。

今日も明日も明後日も、とにかく…手洗いとうがい。周りに人がいなければ、マスクは外して。暑い夏を乗り切りましょう!

マスクの着脱を!熱中症の危険。

ジメジメして湿気が高くて不快指数が高まるとはいえ、雨は地面を冷ましてくれるのだが…。梅雨明けと共にいきなり、紫外線が肌に突き刺さるガンガン照りにも参ってしまう。夕方からポスティングをする日々ですが、それでも2時間以上は頑張れないなあという感じ。

しかし、この暑さの中…マスクを外すことはなく、正しく装着している人がなんと多いことか!

でも、危険すぎます。てくてく歩きながらのポスティングも人がいない道路で私はマスクは必ず外すようにしています。多少の人通りがあっても、すれ違う人すべてに挨拶をするような関係性はほとんど皆無と言っても等しい状況とも思いますし…大声で挨拶をする習慣もなければ、会釈するくらいのものであれば、「飛沫」のことを気にしなくてもよいのではないかと思うので、むしろ、マスクはぜひ外して、呼吸を楽にしていただけたらとお願いしたいくらいです。厳重に二重マスクをされている方などを見ているだけで、心配になってしまいます。

いよいよ今週末にはオリンピックが開会するようですが…。多摩市内のロードレース大会も、もともとは小中学生が観戦することなども予定されていたことを思うと、新型コロナにより観戦自粛となり、炎天下のもとに子どもたちが晒される危険から回避できたような気がするのは私だけでしょうか。個人的には一面ではホッとする気持ちがあります。夏を喜べないくらいの暑さが到来していて、地球温暖化と気候変動を実感させられるものです。

午前中も午後からも、地域の課題などについて意見を伺う機会があったのですが、「当事者の声を聴く」とか「一人も取り残さないで」ということの意味を自分自身も含めて考えさせられるなあと思っています。そしてまた、コミュニティが大事だと言われ、つながりづくり…とも言われるのですが、その一方…「一人でそっと」と権利もまた認められる必要があり、押しつけがましいネットワークづくりになっていないか…とか気になっています。

紫陽花はとても長持ちで、近所の方のお庭からもまた選定したものをいただいたので飾ってみました。お部屋が豪華になりました。うれしい。今月号のニュースは6月議会で取り上げた「SDGsウエディングケーキモデル」のことについて書いています。いつも通りの原稿そのままになりますが、こちらにも掲載いたします。2021年7月夏号ほうれんそう160号

外出先から帰宅をしたときの手洗い、うがいを丁寧にすることが大切。マスクはほどほどに。状況によっては外しても良し。コロナ対策以上に熱中症対策を!こまめな水分補給もお願いいたします。

梅雨明け。

暑い。そして、蝉が一斉に騒ぎ出したというか、脱皮したのかなーという感じで、とても賑やかで…毎度のことですが、暑さ掻き立てる声ですね。梅雨明けに見上げた空の雲は重たそうだったけどなあ。

今日は午前中は議会だよりの編集会議があり、最終稿に向けての詰めの作業というか打合せ。伝えたいことはたくさんあるし、でも紙面は限られているし…。細々したところで、校正作業をメンバーで行うという感じです。この作業を経て、さらに、最終稿確定させるために各会派(つまり全議員)にチェックをしてもらって、印刷に進みます。発行は8月5日になっています。お楽しみに?!

市の広報と同じく、全戸配布になって、読んでくださっている人も少しは増えていると嬉しいなと思うのですが、私の身近な方はしっかり目を通してくださる方も多くてうれしいです。私も自分の市議会レポートを作成しているのですが、やっぱり一人で作業をして、独りよがりで作成するのとは異なり、編集会議という形で各会派からのメンバーが集まっててみんなで作業を重ねるのっていいな~って思います。

私、9月議会の一般質問でトップバッターを引き当てるという強運(不運)なために、その準備もしなければということで、少しずつヒアリングなど開始しています。いろいろ考えて、いくつか自分の中でやりたいこともあって、どのテーマにするかなあと思っているのですが、ずーっと気になっている「児童館の行方」と「パルテノン多摩の行方」にしようかなあと思っています。あと、学校給食センターの行方…これは老朽化と建替えをどうするの?っていう問題も気になっていますし、街の中から「○○禁止」看板をなくすためにどうしたらいいのかなあ…ということは日々考えていることで、特に公園の在り方のことも気になっているところ。9月議会は決算審査もあるので、そこでも‛ちょっとした気になること’も取り上げることができるかなとも考えつつ、ヒアリングなど進めていきたいと思います。

世の中には、議員に対する「一般質問力向上研修」なるものがあるのですね。こうした研修が実施されることの意味をどう理解したらよいものかと考えております。要するに「議員にはその力が不足している」からこそ、こうした研修が成り立ち、すごく人気だそう…。うーん、思いは複雑です。正直、こんな研修があることにガッカリしてしまいますが、そういう評価になっているんだなあということで、自分自身を鍛えねばならぬと思うものです。すごくあがり症ですし、人の前で話すこと好きじゃないんですね…こう見えても。

新商品。もう少しチーズが甘さ控えめのほうが好みかなーと思いましたが、美味しく仕上げてあるなあって感心してしまいます。しかし、梅雨明けとともに本格的な夏が到来ですね。

予想通りの本日も新型コロナウイルスの陽性者は1000人超え。ワクチン接種した方も感染したというニュースもありますね。あらあら・・・です。手洗いとうがい。外出先から帰宅した時にいつもすることを怠ることなく。そして、これからは熱中症対策も忘れずに!

少しずつ前へ。「伴走型」にできるか。

子どもに限らず、ゆっくり前に進んでいったり、少しずつでも成長をしていくということが大切だなあと思っているのですが、「人それぞれのスピードがある」と頭で理解をしていても、「動いているように思えない。感じられない。」ものを目の前にすると、焦り感から、イライラにつながることもあって、「待てない自分」とも葛藤することがありますね。特に子育ての場合は難しく、子どもが不登校になり、引きこもりがちになると「育てた親」である自分自身の力の無さを感じ、ますます自信が持てなくなります。もともと子育てに自信がある人はいるのかしら?と思っていますが。

不登校のお子さんの相談を受けるというよりは、その悩みを伺うことも多いのですが、すぐに悩みが消えるものではなく、教育センターや子ども家庭支援センター、もちろん学校への相談はしていても、その先になかなか進んでいかないという話しは少なくありません。私はその際に「成長を信じてあげることが大切なのではないか」と伝えるのですが、それは私自身にも言い聞かせてきたことであって、もちろん、未だに現在進行形です。ただ、本当に「頭では理解している」ことであっても、「待つ」ことは忍耐力がいることであって、待ち続けていても本当に良いのかどうかについても気持ちが揺らぐこともあります。そして、もちろん「待っている」自分にもまた迷いが出てしまうこともあり、ますます親のほうが落ち込んでしまうこともあります。その点では、「伴走型」で支援するというのか、私の場合はただ話しを聞くだけしかできないのですが、家族ではない立場で、ともにその子の成長を見守っていくことが大切かなと思っていて、同時に「伴走型」で支援してもらう機会を得ることができている自分は恵まれていると思っています。とはいえ、子どもが自分自身で成長しようともがいている姿に忍耐強くあるというのは何度も何度も深呼吸をして、強い言葉をかけることをグッと飲み込むことも必要であって、何というのか…最後は深呼吸があきらめのため息に変わることも多いですが、まあ、それも仕方がないのかなと。

さて、多摩市で来春、中学校不登校特例校の構想があり、説明会が実施される予定です。このご時世なので、動画での配信も行われるようですが、動画は一方的なのでやっぱり会場で説明を聞けると良いですよね。

■7月29日(木)18時半~ 関戸公民館ギャラリー
■7月31日(土)10時~ 多摩市役所301・302会議室
■8月6日(金)18時半~ 永山公民館集会室

いずれも所要時間が1時間となっているようですが、おそらく会場だと質疑応答が行われること思いますし、会場予約の時間の限りでは対応してもらえるはずです。動画配信は8月2日(月)からなので、予め動画を見て、必要があれば6日に会場に足を運ぶこともできそうです。

多摩市が予定しているのは「分教室型」というもので、「諏訪中学校」に設置するけれど、教室の場所は「瓜生小学校」の校舎内にというもの。先日、市民説明会に先立ち、瓜生小学校の保護者への説明会が行われたので、安斉議員、池田議員と一緒に参加してきましたが、「構想はすばらしい」「でも、なぜ、小学校内に設置するのか」という疑問の声が上がっていたこと、また、「当事者である子どもたちの声を聴いてほしい」という要望が強く上がっていて、特に後者…「子どもたちの声」については確かにその通りだなと思ったのです。「大人が考えてつくろうとしているもの」…当事者抜きに絵を描くことはできないだろう…と意見が上がっていました。今後、当事者の声を聞いていく努力というのか、工夫をしていきたいとの回答があったので、教育委員会も声の把握のために動いていくはずですが、それにしても、ものすごい短期間の作業になることを心配しています。

何しろ、来春から始めるということで、9月議会に開室準備のために必要な予算計上が予定されているからです。今、学校と距離のある子どもたちが「通いたいなと思える場所」にできるのかどうか、子供抜きに考えないでほしいという願いを教育委員会がどこまで受け止めていくか、また、予算を審議する議会にもその状況把握が求められていくでしょう。私もなるべく説明会には出席しようと思っています。

学校との距離感がそのまま社会との距離に結び付いてしまう。当事者が一番辛くて、家族もまた同じ痛みを抱えていると感じています。不登校特例校の設置が、学校と距離を置いて過ごす子どもたちや、学校と離れたいと悩みを抱えて日々葛藤し、辛い気持ちの子どもたちの新たな選択肢になれるのかどうか。この場所が「伴走型」で子どもはもちろんのこと、保護者にとっても対応できるかどうかだと考えています。そのための必要人材を配置することができるのかどうか。私はそのことを一番気にしています。やっぱり「少しずつ前へ」なんですよね。だんだんと学校との距離が離れそうになっていく…その時の支援が本来はもっと問われていいはずなんですが。

今日も東京都では1000人を超える感染者数が発表されています(一方、私は「PCR検査による陽性は=感染ではない」という指摘もあるので冷静に受け止めることにもしていますが)。手洗いとうがい。これが大事です。

情報をどう見極めていくか。

お昼過ぎの突然の土砂降りには驚きました。そろそろ紫陽花も終わりの季節なのですが、花弁が発色悪くなり、色あせてきても…なかなか風情があるのではないかと思い、ビンにさしてしばらく楽しむこととしました。

今日は臨時議会。新型コロナワクチン接種について、引き続き、接種希望者には速やかに対応できるような体制を整えていくための予算増額の提案でした。ワクチン接種に関わる予算はこれで全体では11億円~12億円になるそうです。これが日本全国になるので、どれだけ・・・の規模になるのか、すごい額に上ることがわかります。

ワクチンの接種については本来国がやるべきことを市が肩代わりして実施する位置づけになっていて、その意味では、委ねられたことに忠実に従い取り組んでいくことが市の役割となり、そして責任にもなっていきます。その意味では国から示されたガイドラインを逸脱することなく、間違いのないように取組みを進めていくことが求められ、むしろ、国の動向に翻弄されながら、やっと現在に至っていて、その意味では多摩市のみならず、全国いずれの自治体もよくやっているな…としか思えません。「速やかに」というのもポイント。その体制づくりのために地元の医師会をはじめ関係機関との連携体制を密にしながら、精力的に取り組んでいく。私の立場からは見えてこない大変さがあることは重々承知です。

ただ、公衆免疫をつくっていくという旗印のもと、接種が推進されており、それも一定理解するものの…一方で、大人と同じように子どもたちにも接種をしてしまっても良いのだろうか、あるいは今はインターネットにも情報が溢れている時代にワクチン接種についても推進する立場の声もあれば、少し立ち止まってと懸念を示す立場からの声もあり、様々な情報を見極める難しさを感じており、それでも、接種するかどうかの自己決定をしなければならず、「今は接種しない」という考え方もまた「いち早く接種を済ませて安心したい」という考え方と同じくらい尊重されなければならないと思っています。

情報を見極めることは大事で、もう少し様子を見たいと考える人たちを焦らせてはならないと感じているのですが、接種を希望されない方からは「接種しないことが罪」と言われかねない雰囲気が怖い。「子どもには接種したくないけれど、友達同士の会話の中で接種するしないが話題になることで、立場が悪くならないのか心配。」という声が実際に寄せられています。

例えば、接種について今は見合わせたいと考えている方々が得ている情報の中で、私も参考にしたいのは正確な数字です。もともとワクチン接種後の死亡については、そこに因果関係が認められるのかどうか…証明することはとても難しいのが現状とはいえ、しかし、厚生労働省として発表している数値があります。

新型コロナワクチンに関しては、7月7日の厚労省の審議会で提出された報告は以下の通り。
新型コロナワクチン接種後の死亡として報告された事例の概要(コミナティ筋注、ファイザー株式会社)
新型コロナワクチン接種後の死亡として報告された事例の概要(モデルナ筋注、武田薬品工業株式会社)

そして、これと対比してインフルエンザワクチン予防接種の場合にはどうなのか。独立行政法人医薬品医療機器総合機構によるレポート。
令和元年シーズンのインフルエンザワクチン接種後の副反応疑い報告について

新型コロナワクチンの場合、ファイザー製ワクチンが先行しているのですが、これまでに約3900万人が接種して亡くなったと報告されている方の数は554人。モデルナ製ワクチンはまだ報告が少ないので割愛します。インフルエンザワクチンについては令和元年シーズンの報告によれば約5600万人接種で、亡くなったと報告されている数は6人。こうした情報をもとにしながら、「今は接種は希望しない」という判断をすることもまた一つの選択肢であると思います。

ワクチンについては治験が完了していないけれど、問題はないと主張される医師もおられれば、やっぱりそこは慎重に対応してもよいのではないかと主張されている医師もおられますし、やはり自分自身できちんと見極めるということが求められ、私にとっても難しい判断であると考えています。私は正木稔子医師がおっしゃっているように「接種は義務ではありません。自由に選択する権利があります。ご自分でよくお調べになり、よく考えて決めていただければと思います。」ということにつきるのだと思っています。正木先生もご自身の立ち位置を表明されて、辛いこともあるのではないかともお察しするのですが、医療の専門家から責任を持って声高に報道されているのとは少し違った視点での意見を示してもらえるというのはありがたいことです。正木医師が「医学の基本ですが、PCR陽性=感染ではないし、感染したからといって発症するわけでもない。」という指摘にも目が留まります。もちろん接種について医療の専門家である女性医師のみなさんがどのようなお考えをお持ちなのか別のアンケートも行われていて、こうしたものも参考にしていいと思います。

あくまでも、接種は強制されないものであるという基本を外してほしくありません。そして、接種するしないで集団が分断されてしまうことを懸念しています。

臨時議会でもその立場から質疑をしましたが、「何言ってるんだ」という視線も感じつつ、ただ、私は「接種を希望しない」という立場の方もおられることも認識してほしいと訴えただけです。当たり前のことだからです。それにしても、今日もまた新規感染者数について、東京では1000人を超えましたね。もちろん、この数字を捉える時にも正木医師の「医学の基本ですが、PCR陽性=感染ではないし、感染したからといって発症するわけでもない。」という指摘が頭をかすめたりもします。

市長は「接種したくてもできない人もいる」ことへの理解がいるとおっしゃっていましたが、「接種できる状態にもかかわらず、接種を希望しない」人たちへの風当たりというのでしょうか?…「接種したくてもできない」が証明される状態にあれば救われるのですが、そうではない点が辛いわけですから。いずれにしても「接種せず」も「接種する」もどちらも認められていて、自由に選択することができることへの理解がされていくといいなと思います。「接種しないことが罪」になるような雰囲気に傾いていることが心配です。

市長メッセージも発信されているのですが、「接種実績」を示すことで、公衆免疫がどれくらい獲得できているのかがわかるという意見もあれば、これは何のために示すのものなのか、「多摩市はここを100%にすることを目指しているのか…」という声があることにも耳を傾けたいと思います。

今後、ワクチンがどれだけの効果を発揮していくものであるのか、3回目の接種が必要になってくるようなことまで報道されていることも耳にすると、「未知と向き合う心構えとは」を考えさせられる今日この頃です。感染症予防の基本は手洗いとうがい。