都議選「誰に入れればいいですか?」…その③

都議会議員選挙も終盤戦ですね。政策本位で候補者を選びたいとは思いますが、しかしながら、例えば「子育て支援!」と言われたところで、すべての候補者が「子育てへの支援」を掲げていたりすると、選挙公報の文字面だけを見ていても「差異」がいまいちわからないという意見もあったりします。違いが見えにくいとも言われます。政党ごとの政策の違いも、読み込んでいかなければ見えてこない部分もあります。

すごくわかりやすい点で言えば、すぐそこに迫るオリンピック・パラリンピックに対するスタンスの違いですね。はっきりとオリンピック反対を掲げているところと、「延期または中止」という極めてあいまいな掲げ方しかできていない政党と…私はそこでも「うーん」と迷っているのですが、いずれにせよ、都政の課題というのはオリンピックとパラリンピックだけではないこともまた事実。各政党のスタンスがわかる象徴的な争点かもしれませんが、それだけで決めるというのもまたいかがなものか…と思っていて、ここまでくると開催を前提とし、あとはどう対処するのかを具体的に提案してもらえるほうが良いのではないかという気さえしてきました…。あとは、多摩ニュータウンの再生についても、各候補者の意見ももっと知りたいところですが、いずれの候補者の方も必ず取り組んでいくだろう課題だと思います。

政策に取組むスタンスなど深いところでどう考えているか…を探るためには、本当は立候補予定者を集めた公開討論会などがあると有効であることを改めて感じています。私は一つひとつ政策の課題というのは時に応じて浮上してくるものだと思っていますが、それらにどう向き合っていくのか、その「立ち位置」を大事にしたいと考えていて、その点からは「フェアな民主主義とは何か」を常に考え続け、行動してくれる人を選ぼうと思います。では、結局…誰にするの?…ですね。どう選べばよいのか?ですね。私自身が個別の候補者名をあげることは今回はしません。それに対する賛否があるとも思っていますが、私にとっては、そのくらい今回は選ぶことが難しいのです。それが正直な気持ちです。

政策本位…だけどという点では、「女性を増やさないと!」を優先するなら性別で選ぶも良し、あるいは「経歴」で選ぶも良し、あとは、「居住地」というのもあるかもしれませんね。やっぱり、多摩市に住んでいるほうが多摩市のことはよくわかりますし、稲城市に住んでいるほうが稲城市のことがわかる…都議会議員の場合には居住要件は「東京都内」ということになっているので、必ずしも多摩市や稲城市に住んでいなくても立候補することも可能です。私の接する市民には「やっぱり、多摩市か稲城市に住んでいる人がいい。そうでないと地域の声を受け止めにくい」とおっしゃる方も多いのも事実です。もちろん、公選法上も問題はありませんし、多摩市や稲城市に住んでいないからと言って、この「南多摩選挙区」からの都議会議員としてふさわしくないというものではありませんが、そこも含めて市民にも問うていくことがフェアかなと思っています。あとは、年齢のこともあるかなと思いますが、国会等を見ていても「若ければ良い」というわけでもなさそうです。

そんなことも含めて、市民に対して本当の意味で真摯に向き合う姿勢こそが問われていると感じています。ただ「当選すればいい」だけではなく、ごまかしがなく、きちんと誠実な活動をしてくれる人を選ぶために、私ももう少し考えたいと思います。個別に問い合わせくださった方には上記のことをお伝えしています。そして、自分自身の「判断基準」を大切にしてほしいとも伝えています。いずれの候補者のみなさんも、それぞれに奮闘されているとお見受けします。「議員」という権限や立場をきちんと使いこなしてくださる方、そして、都民のためにはもちろんのこと、都政と市政と市民をつないでくれるだろう人に私の一票は託すつもりです。

都議選「誰に入れればいいですか?」…その②

さて、昨日の続きです。都知事と「選挙協力」をするという関係性を結んでいる政党と所属されている議員とはやはり強固な関係性があります。言わば「都政運営を安定させていきましょう」とするつながりとも言えるからです。しかし、今回の都議選では都知事と各政党との間でどのような政策協定が結ばれているのかがとても気になっています。私が大事にしたいことは「誰が言ったかよりも、何を言ったか」だと思っているので、「人参ぶら下げる」ような関係性だけで物事が進んでいく、あるいは政治が決定していくというような「政治力学」に偏った判断が行われるようであれば困るなあということがあります。

その意味で、私個人的に「ふるい議会」と言葉に思い浮かべるのは多数派だけで物事を決定し、少数派が切り捨てられるという傾向ですし、無所属という立場で活動する議員がぞんざいな扱いを受けることです。多摩市の場合には各会派の人数バランスが良いというのか、圧倒的多数で過半数を超える議員数を抱える会派がないところが特徴で、だからこそ、他に比べれば民主的な議会運営が行われているような気もします。会派人数に関わらず、意見を述べる機会もあればその意見が取り入れられる場合もあります。代表者会議や議会運営委員会にもオブザーバーとしての参加が認められ、最後の決定に挙手で加わることはできませんが、意見を述べることは可能です。いまや多摩市議会の場合、「少数派の意見も尊重する」姿勢は議長や副議長をはじめ、多くの議員が当たり前のように気にかけている点とも言えます(議会基本条例を制定した頃からかなと思いますが、議会の雰囲気は様変わりしてきたなあと思っています)。ちょっと手前味噌な感じもあるかもしれませんが、他自治体からも驚かれるオブザーバーの仕組みです。

 

「数の力」。多数決民主主義では最後はやっぱり「数」になってしまうとはいえ、やっぱり、より公平で公正で、そして開かれた議会運営をめざしていくことが大切であり、そうした議会をめざしていくことが大事だと思っています。議員は一人ひとり皆、市民から選ばれているわけで、そこに上下はありません。一人会派だからと…議会運営に意見を述べる場が無かったり、言論封鎖に近い状態になっていることなども聞き及ぶと驚くわけですが、まだまだ残存する現実です。

 

都議会の場合には市議会とは異なり、議会質問などのつくりかた一つをとっても、質問調整などもかなり大変で、都庁の職員の駆り出され方も市議会とはレベルが違うとも聞いています。ただ、都庁の職員は都全体のこととなると市職員以上にやっぱり各地域の情報をきめ細かく得ることが難しいと思う。多摩市の職員でもフットワーク軽く、すぐに現場や現地確認をしてくれる方もおられますが、都職員の場合にはなかなかそういうわけにはいかないでしょう。だからこそ、南多摩選挙区から選出される都議会議員として、地域と東京都をしっかりつなぐ役割を果たしてくれることが必要とも言えます。

 

そして、そのために多摩市や稲城市にどれだけこだわって情報収集し、活動するのか、できるのかも問われそうですね。現職あるいは元職の場合には、これからの活動以上に今まで4年間含め、どんな活動をしてきたのか、多摩市や稲城市のためにどうパイプ役や調整役として行動されてきたのか…にも目を向けておきたいものです。都議会議員は市議会議員以上に顔が見えないといわれます。多摩市が主催する催しで来賓で招待されている姿にたまたま出会うくらいな感じですかね。

 

今回は全て政党公認の候補者ですから、政党の好き嫌いというのか、政党の掲げる政策で選ぶというのは重要ですが、やっぱり、地域にこだわりどのくらい活動量をしているのか。そしてまた、活動手法についても問われることと思います。そこにもまた力づくとか、フェアではないとか…そんなことがあれば困ります。ただ、その点については候補者のみなさんいずれの方も、市民からの依頼についてはきちんと対応されている気がします。新人の方のお人柄にも少しだけ触れましたが、がっつり支える市議会議員のみなさんもいらっしゃることを思うと市民に色付けをして対応を違えるようなことはなさらないだろうと思います。「誰のための政治なのか」を外さずに行動してくれる人を選びたいと思っていますが、選挙活動ではみなさん「市民のためにがんばります」「都民のために粉骨砕身します」と言いますから、やっぱり難しい…ですね。もう一つ、市議会の場にいて思うことですが、自民党や公明党、共産党のみなさんは選挙以外のところでも国会議員や都議会議員との連携関係がしっかりいているなという印象があります。生活者ネットワークはその地域から都議を直接輩出しているかどうかでも変わってくると思います。私が生活者ネットワークにいたころは都議がいらっしゃって、ともに活動する機会も多くありました。政党の歴史が浅いと致し方ないのかもしれませんし、私の見えている範囲は狭いとは思いますが、直接的に現職の都議がいなくてもしっかり連携した活動ができているのは公明党と共産党ですね。市議のみなさんの活動ぶりから感じています。

ということで、政党で選ぶというのは、ある意味で正当なる選択かもしれませんが、やっぱりそれだけではない側面もあるのかなと思っているので、あともう少し続きを書こうと思います。

都議選「誰に入れればいいですか?」…その①

先週から都議会議員選挙が始まっていますね。選挙前からも「今回は誰を応援すればいいのか」「誰に入れたらいいですか」というお問い合わせをいただきますが、結論から言えば、今回は特定の支持者を応援することはしていません。多摩市は「南多摩選挙区」ですので、稲城市と同じ選挙区。現職は女性と男性と1名ずつになっていて、性別のバランスは良いなと思っています。今回の都議会議員選挙は過去最多数の女性が立候補しているようですが、「ジバン、カンバン、カバン」がなければ立候補もできないような状態がそもそも問題であって、「みんな違って、みんないい」が本当の意味で受容できる社会をつくるための「多様性」ある都議会になってほしいと心底思います。

ところで、「ふるい議会をあたらしく」とのスローガンを掲げ、前回の都議選で大躍進した政党もありましたが、そもそも「ふるい議会」という意味が個人的にはピンとはこないのです。古臭い考え方、沁みついた慣習だけにしがみつくような議員中心で構成されている議会を変えるという意味に理解すればわかりやすいかな。何が古くて新しいのかわからないのですが、「議会」としてあるべき姿や理想的なあり方というのは実は昔も今もそれほど変わっていないのではないかと思います。

私が都議会議員に求めることは、多摩市のためにどれだけ東京都とのパイプ役になってくれるのか…という点につきます。特定の人たちだけが恩恵を受けるようであってはいけない…っていうか「利権体質」が見え隠れするような状態では困りますし、税金が都民のために市民のために公平公正に使われていることは言わずもがなですが、「誰のための政治なのか」を外さずに行動してくれる人を望みます。

さて、「ふるい議会」ということを踏まえて、思うままに綴っておきます。確かに、この4年間の都議会で、いわゆる議員報酬などを削減する等…市民にもわかりやすい改善には一定の成果があると思います。でも、それが本当に「ふるい議会」を変えたことになるのか?と言えるのでしょうか。

最近、見ている韓流ドラマで王様が手柄を立てた民などに「なんでも望みを聞き入れるぞ」とご褒美を授けるかのように…首長と議会との力関係がどうなっているんだろう?と思えてくるような状態がありそうです。私の勝手な印象にすぎませんが、「数任せ」というのか、何というか…「力づく」に物事を決めていくような雰囲気を感じます。都議会の一般質問などを見ていると、市議会以上に退屈なやりとりばかりが繰り返されているだけなのですが、、最大会派やいわゆる都知事を支援する会派との関係性などは気になるところで、建設的な議論はどこまで行われているんだろう…と思います。

あくまでも、これは単なる外野席からのつぶやきに過ぎないかもしれませんが、都議会の場合には都知事を支援するのかどうかによる差別がくっきりはっきりしているように思っています。「都知事派」「反都知事派」みたいな感じです。「反」がついてしまうと、相手にされないような印象。そういう意味で、多摩市と東京都のパイプ役になってくれる都議会議員の立ち位置は非常に大事になりそうですね。

南多摩選挙区からは2名が選出されることから、選挙公報を見ると、阿部市長は現職と元職を支援しているようですね。阿部市長が都政とどうつながっていこうとするのか垣間見える気もしますが…超「現実路線」で選ぶとすれば、あるいは都知事を支持し支援する立場から強力なる「パイプ役」としてしっかりと連携できる立ち位置にある人を選びたいとなれば、市長がどの候補を応援しているのか…も参考になるかもしれません。

都知事と「自公」との選挙協力という文脈が出てくる理由はまさに…ですね。その点では、都知事と強いつながりに着目して選ぶことは一つの選択肢です。しかし、それだからと言って…と選挙公報を見ながら「うーん」と思われる方もおられることでしょう。そこで、明日は…「その一方で…」という視点を書きたいと思います。

自分で決める。自分が決める。

 

一年ぶりに中央大学文学部「キャリアデザイン」でお話をさせていただきました。「ジェンダー、子育て、ワークライフバランス」というテーマ。ちょうど前日には、「夫婦別姓」に対する最高裁の判決が出されたところ。大学時代に「法を変える」という要素に「法環境」があることを学んだことがありますが、法改正に向けた機運は醸成されていないという空気感も含め、今回の判決が下されたということなのでしょうか。夫婦別姓は私が大学生のころからもずっと話題になっていて、職場などでも多くの場合は女性が旧姓使用の届けを出しながら、日々を過ごして、その数は年々増えているはずなのに。まだまだ、「姓の変更」を自分事として捉えることのできる男性は増えていないのかもしれませんね。

キャリアデザインの授業…と言っても、私が大げさに学生の皆さんにお伝えできることも少なく、学生のみなさんのロールモデルになれるわけではなく。3つのポイントが伝わってくれると嬉しいなあと思いながら、話をしたところ。一つ目は「時代を知る努力をする」ということ、そして、二つ目は「自分と対話してみて」ということ、そして、最後は「自分で決める」ということですね。情報はあふれているけれど、そのなかからきちんと見極める力、そしてまた、自分との対話はいい悪いも含めて自分の過去を振り返ることであって、生い立ちを辿ることとも言えると思っていますが、やっぱり自分と向き合っていることが大切…ということ、そのうえで、親を含めて周りに相談をしたとしてもそれはあくまでも参考意見であって、決めるのは「自分」ということ。この辺りのこと話しをしました。学生のみなさんの反応は授業後のレポートで送っていただけそうなので、ゆっくり目を通したいと思っています。

それにしても…と言いますか、授業はハイブリッドで行われ、対面とオンライン双方で対応していて当たり前という時代なのですね。1年ぶりの授業はこれまでとは様変わりしていて、驚きました。パソコンのスキルが無くして大学の授業もできない時代になっていることを痛感します。そしてまた、今まではレポート用紙が配布されて、学生のみなさんはそこに感想を書き、提出してから教室を後にする…ということでしたが、今回からは全てオンラインでの対応になっており、合わせて、出席管理や提出物の管理もアナログでなくできてしまうという利便性の向上?!

アナログ時代には考えられないようになっているのですが、そういえば、高校などでもオンラインで提出…が当たり前になっていることを思うと、昭和頭で凝り固まっているような自分ではいけないことを痛感させられるわけでした。でも、私はやっぱりチョークの授業が好きですが。学生の皆さんが、自分のパソコンやスマホで授業レポートを書いているという風景に神妙な気持ちになってしまったのでした。時代に取り残されている感すらありました。

一応、教室にはチョークも配置されていて、お菓子の缶に入っていて…ここだけが「昭和」でした。黒板はほぼ使用されていないらしく、まっさらきれいな状態のまま。おかげで、チョークの粉が飛び散っていないという意味では清潔感ありましたが。チョークを使うとなると、手が汚れてしまうなあとか、字がきれいじゃないしなあと…ずっとスライドを作成して、板書などほとんどしなかった私ですが、今のスタンダードに触れ、お菓子の缶の中だけに「昭和」を感じる時、「チョークも使う授業」もやってみたくなるという…。

都議会議員選挙が始まりましたね。やっぱり候補者をどう見極めていくのか。知る努力をしてから選びたいものです。選ぶ基準も人それぞれでいいと思っています。私が尊敬している土佐町議会で活躍されている鈴木大裕議員も原稿を寄せたという本が届きました。ゆっくり読み進めています。

自分で決めることができる、自分が決めることができる…この大事さをいろいろな場面にて感じる今日この頃。「自由」であることが当たり前ではないことを再認識させられる一冊になりそう。

6月議会 最終日でした。

わりと粛々と議事運営が進み、定例会最終日が終わりました。新製品が出てる!…と思って、マカロンのアイスクリームを買ってみたのですが、食べ方がとても難しい。マカロンがふわふわしているのと、ベタベタひっついてしまうのと。クリームチーズ味のアイスはまずまずのおいしさなのに、中心に入っているソースも含めて、とにかく甘くて甘くて甘すぎた…。最後はせっかくのクリームチーズ味も忘れるほどになってしまった…。

さて、今日は次の定例会に向け、一般質問の順番を決めるための抽選くじを引いたのですが…なんと「1番」を引き当てた!…この間は「26番」で一番最後、そして、今日はトップバッターという…「まさか、1番が出たりして」と言ったとおりにくじを引き当ててしまう。一番最初、一番最後…というのはホント、いやです。くじ運が…。

「甘ったれるな」と印字されているクッキーをいただく。夕刻からの会議での差入れです。「ドラゴン桜」のサブレだとか。しっかり噛みしめていただきました…。くじ運の不運?を嘆いている場合ではありません。次の一般質問で取り上げてもいいかなというテーマがいくつかあるので、情報収集を始めないといけないですね。

今日の会議は22時近くまで…議論がいろいろと盛りあがり、帰宅してからも、オンラインで「子どもたちは地域の宝だから」をテーマにして政策をつくる会合の2次会が終わっていなかったので、そちらに合流。学校現場の先生たちの抱える悩みなど、東京以外の先生たちとも交流することができ、有意義な情報交換に加わることができました。「すべての子どもに幸せな子ども時代を」って本当に大切なことだなあと心にしみじみと感じながら、現場で奮闘している先生たちの存在に勇気づけられるひとときでした。

そういえば、明後日から東京都議会議員選挙が始まるのです。投票券が送られてきましたね。なんだか盛り上がりに欠け、このままだと投票率がまた下がりそうかなと…懸念しています。

ふきよせ。

自分では買わないなあと思うもののひとつが「ふきよせ」。入れ物の蓋を開けると「うわあ、きれい」ってなりますね。花鳥風月を愛でる日本の文化を表現しているとも言われていて、色とりどりのお菓子が入っていて宝石箱のようですね。日本人の「美意識」が込められているとも言われていますが、作り手によっても表現がきっと違っていくのだろうなあと思うものです。

ただ食べることができればよいというのではなく、食事には彩りなども含め、見た目も大事で、「盛り付け」にもセンスが問われるのと同様で、いつもの「豆菓子」も違って見えてくるのは不思議です。あまりにもお砂糖すぎるので手に取らないようにしている「金平糖」とも久しぶりに出会うことができ、やっぱり、金平糖おいしいなあと思ったこと、そしてまた、この一粒がとてもとても貴重で手に入らなかった時代のこともふと思い浮かべたりしたのでした。「砂糖が貴重で手に入らない」とか、今では考えられないことですね。

日常のくらしのなかで、「日本の文化」をいちいち意識することは少ないわけですが、こうしたものを通じて、「古き良き」に触れることはとても大切ですね。便利さから言えば、きっと今よりも不便さがあるなかで、人は知恵や想像力を働かせて工夫していたことがたくさんあったのではないかと思うのです。不便さのなかにある「自由」もあったのではないかもしれないなあと思いながら、便利さの中で鈍っている自分自身の創造性の不足を感じたひとときなのでした。今度、贈り物をするときには「ふきよせ」を選ぶことにしよう。

明日は6月議会の最終日です。梅雨とはいえ、意外と過ごしやすい感じがします。

子どもの貧困対策法から8年。

以前よりも少し小さめになったかもしれない…とはいえ、このアップルパイはとてもおいしい。リンゴ半分を丸ごと楽しめます。聖蹟桜ヶ丘の神戸屋キッチンでタイミングの良い夕方に行くとタイムセールで買うことができます。ラッキー。

今年で、子どもの貧困対策の推進に関する法律が成立してから8年目ということで衆議院会館で開催された集会をオンライン視聴。国会議員のみなさんが「超党派で取組を進めてきた」とおっしゃっていましたが、「もう8年間も取り組んでいるのか」という思いになるのは私だけでしょうか。そして、この8年の間に何が改善されてきたのか。

確かに「子どもの貧困」という言葉に対する認知度も上がり、居てもたっても居られずに行動する人も少しずつ増え、地域でも「子ども食堂」をはじめ、子どもの居場所をつくるための取組みが進んできたとは思う一方で、子どもたちの置かれている環境は良好になってきたと言えないような気がしてならないのは私だけではなさそうです。もちろん子どもの貧困率のデータをからも、政策効果が表れていると言い難い数値になっていて、支援の現場を支えるボランティアの皆さんの志を後押しできるような状況にはなっていないのもまた現状ではないかと感ずるのです。

新型コロナウイルス禍で光が当たった「ひとり親世帯の貧困」。食糧支援なども話題になりました。当初から、私は「ひとり親世帯だけの問題ではない」と主張していて、「ふたり親で低所得の世帯」への支援も必要だと訴えてきましたが、ようやく国も動き、そして、市も動かざるえなくなったわけですが、とかく「貧困」に限らず、子どもたちの育ちの環境は「ますます良くなっている」「ますます良くなっていく」という話しを耳にする機会のほうが少ない。

そして、「子どもばっかり」と言われてしまいます。私も自分自身がずっと「子ども政策」を中心にしながら取り組みを重ねているので、「高齢者のことも忘れないでほしい」と‛たまに’ではなくて、結構な頻度で言われることも多いのです。

さて、昨年は新型コロナウイルスで中止でしたが、緊急事態宣言も解除になったところで、中央大学のキャリアデザインの授業が再開となり、今週水曜日にお邪魔することになっています。いつから始めたのかわからないほどですが、もう8回とか、9回目くらいになるのではないかと思っています。毎年、私だけは年齢重ね、大学生との歳の隔たりを実感していて、ついに…我が子の年齢と変わらないような大学生たちに話をすることになるのか…。と思いながら、先週くらいから、プレゼンのための資料を作成しているのですが、これがなかなか終わらなくて、今日に至る。

「ジェンダー、子育て、ワークライフバランス」というテーマはなかなか難しく、ここへ来て、環境が随分と変わっているのでそろそろ私の出番も終わりになるかなとは思っているのですが、今回のプレゼン資料を作成しながら痛感させられるのは「女性の貧困」問題ですね。そして、まさに、そのことが「子どもの貧困」にもつながっているということ。深刻です。先だって、公表されたばかりの「男女共同参画白書」からも。「コロナ下の女性への影響と課題に関する研究会」…国も問題意識がないわけではなく、何もしていないというわけではなく、こうした研究会なども開催されているのです。

資料を作成するにもいろいろ見るべきものがあって…デジタルデトックスしないと、心と身体のバランスを保てないなと思っているところです。

そして、忙しくなってくると食事がおろそかになりがちで、腹持ちの良い「ゆでたまご」となる日々…。今日は沸騰したお湯に入れて、4分だけグツグツして、すぐに水で冷やして、半熟に。おいしかったのでした。この作り方がおススメです。

「止められない」ということ。

先だっての金曜日、多摩市議会のネット・社民の会、日本共産党多摩市議団、フェアな市政の会派にて「多摩市内の聖火リレー中止及びパブリック・ビューイング中止を求める要望書」を市長に提出してきました。

市長からは「多摩市でやるのはパブリック・ビューイングではなくて、コミュニティライブサイトなんだけれど。それは、パブリック・ビューイングとは違うものだ。」と解説をいただいたのですが、一つの場所にみんなが集まって観戦するのだし…予め、この要望書を取りまとめてくださった橋本議員によれば、「担当者にも確認したんだけれど。」ということでしたので、訂正修正はせず、受け取っていただくことができました。歓迎、おもてなし…が自然と湧き上がるような空気感とは隔たりある中でのオリ・パラの開催については、複雑な気持ちでいっぱいです。

市長は聖火リレーの中止を決めるのは大会実行委員会だと話しておられ、多摩市で決められるものではないと話しておられました。コミュニティライブサイトについても武道館で開催し、出入り自由ではなくて、予め観覧希望者を募集する形式にするなど、個人を特定できるような対応にするようですが、いずれにせよ、多摩市の一存では決めることができない事項という位置づけになっていて、市長の個人的見解を述べることもなかなか難しいと察したところです。

「止められない」ということなんでしょうね。一度、動き始めたものは。そのためには余程大きな決断と覚悟が必要になるということで、物事一つ進めていくために取り巻いているアレコレ(有象無象とは言わないが)…抗うことの難しさを思うものです。周りの取り巻く状況や状態が様変わりしていても難しい。

多摩市でも中央図書館の建設やら、北貝取小学校のリニューアルと新たな公共施設の設置とか…今、これを優先してしまってよいのかと思うものであっても、何の躊躇もなく進めてきたことを思うと、オリンピック・パラリンピックしかり…とも思えてなりません。それよりも今、やるべきことがあるだろう…という主張を耳にするとき、それは多摩市内にあてはめても同様なんだけどなあ…というのが個人的なボヤキでもあります。

「進むも地獄、引くも地獄」なのかもしれません。しかし、進んでしまって、コトが起きてから、「だから、あの時」と後悔しても後の祭り。政治家の責任というのは「辞めれば済む」のかもしれませんが、影響被るのは国民であり、都民であり、市民であり…全部、降りかかってきます。責任がどんどん先送りされているだけの構図になっていないか。私たち一人ひとりも少し冷静に考えたいものです。直接でなくとも、間接的には市民、都民、国民が選んだ代表者がいて、彼らに委ねているわけですから。最後には、結局・・・誰の責任でもなくなるというか、巡り巡って「自分たち自身の責任」に還ってくる。だから、どう選ぶのか、誰を選ぶのかはとても大切になってくるのでしょう。

6月議会も最終日を迎えます。緊急事態宣言も解除。しかし、ここ一年間振り返ってみれば、緊急事態宣言期間を一体どれだけ過ごしているのか?…という話しであって、自粛生活とやらも自粛生活ではなくなっている気がします。感染防止というのは基本的には手洗い、うがいだと私は思っています。暑い中でのマスクは却って体調不良の原因にもなりますから、ほどほどに。

パートナーシップ制度導入に向けて

昨日、生活環境常任委員会で「パートナーシップ制度(仮称)」の導入をめざした取組みについて報告がありました。すでに、市長の施政方針でも明らかにされていたことですが、導入された場合の対応などについては全庁的に現状と照らし合わせながら、一つひとつ整理されていく必要があり、職員の意識の醸成も含めて?とも言えそうですが、来年の2月から制度実施のために準備を進めているとのことでした。自治体によっては条例で対応するところもありますが、多摩市の場合は要綱による対応を進めていくようですが、そこは安全運転をしていきたいとする姿勢の表れかなという気もします。国の方でも動きが進んでいますので、そちらとも合わせながら…ということだったのかもしれません。

今週号のAERAの表紙を飾ったのは井手上獏さん。高校を卒業し、さらにメディアでの登場も多くなりました。「私には性別がありません」と述べておられるのですが、私はその活躍を注目し、応援しています。「獏は獏らしく」を自然体すぎるほどの自然体で表現し手居る姿に共感が集まるのも当然のことと思っています。

多摩市の場合には「女と男の平等参画を推進する条例」にて、「性的志向」や「性自認」のことにも触れる内容になっていることが話題にもなり、他市からの問い合わせも多くいただいたことを思い出します。そしてまた、女性センターでは「LGBT悩み相談」も行っています。多摩市民でなくても利用できるダイヤルになっているのは、社会全体で現状を受け止めていくためにも必要で、行政の果たすべき役割の一つですね。電話相談では居住地の把握まではしていないということで、その理由にも頷けるわけですが、やはり、気がかりなのは多摩市内にお住いの当事者のみなさんのことかなと思います。自分自身を「公表する」というのはよほどのことでなければできないこと。ですので、他市にお住いの当事者の方々とのつながりに感謝しながら、いろいろと情報を得つつ、多摩市にも住んでいるだろう当事者の方々が肩身の狭い思いをせずに日々を送ることのできる地域をつくるためにできる取組みを少しずつでも進めていきたいものです。

でも、獏ちゃんかわいいです。つまるところ「自分らしく」を大切に貫けるかどうかだと思っています。肩ひじ張らず、心に刺さっている棘を抜けるかどうか…それを周りが何の抵抗もなく受け入れられるというのか。

無意識の差別がなくなってほしい」この言葉、ずしりと来ます。知らず知らずのうちに…ということが案外多いのかもしれません。自分自身のことも絶えず振り返りながら、マインドセットしていくことが大切ですね。

「気候非常事態宣言」の推進は議会も共に。

梅は二種類。冷凍していたので、さて、梅ジュースをつくってみようかと思いましたが、使う砂糖の種類を迷っております。「上白糖がいいような気がする」とも聞いたのですが、やはり、いつも通りの「てんさい糖」にしてみようかなと。「てんさい糖」は身体を冷やさないお砂糖なのです。やわらかな甘みが特徴ですね。迷っていて、作業進まず。

今日は委員会がありました。メンバーが一新し、気持ちも新たなスタートです。やっと委員会に出席できたという気分です。議長やら、委員長やらと…役職につけば、それはそれでそれなりに学ぶことはあっても、やっぱり、議員としては委員会に出席して、審査をしていくことは大切だと思っています。議事録とか会議録に発言を記録しておくということがどれほど必要で重要なことかを痛感します。

委員会の議案審査は、廃棄物処理についての手数料を値上げするための条例改正案のみ。一般家庭には影響がなく、仮設トイレなどを設置する事業者の「し尿処理」に関わる手数料の単価を引き上げるという内容です。し尿処理に関しては、事業者が多摩川衛生組合に運び込みますが、多摩市内から排出された廃棄物であることから「多摩川衛生組合→多摩市」という流れで処理費用の請求が来るそうです。今更ながら、そんな仕組みで対応されているのかと認識。「知る努力」というのか、関わりが薄い分野などについてのことは、やっぱり知ろうとしなければわからないことだらけですね。

さて、議案審査は粛々と進んで全会一致で可決。その後、行政側からの情報提供や報告事項が行われる協議会にて、さまざまな説明があり、閉会となりました。そして、委員会の活動テーマについても決定し、食品ロス、みどり空間に関わる課題も含めて「気候非常事態宣言」についての取組みの具体化を調査研究していくこととなりました。

「食品ロス」のことについては、これに深く関係する消費者行政の取組みも一緒に推進していきそうですし、「みどり空間」のことについても植生をどう考えていくのか?にも触れていくことができると良いなと思います。市長と共同で行った「気候非常事態宣言」ですし、議会としてもフォローし続けていくことが大事。「単なるパフォーマンス?!」と後ろ指をさされないようにしたいものです。その中心になるのが、生活環境常任委員会での取組みにもなっていくと思うので、宣言内容を意識しながらの調査研究で何らか提言などに結び付けることができると良いなと考えています。私にとってはまだまだ知識を増やしたり、勉強を深めていかなければならない分野ですが、委員会で取組めることは楽しみです。SDGsウエディングケーキモデルをいつも頭の片隅に。

梅雨入りで湿気を感じるけれど、でも、何となく肌寒い感じもするような…私は雨降りの後に深呼吸したときに吸い込む空気に心地よさを感じます。何となく大気中の埃などがきれいになったような気がするだけの話ですが。緊急非常事態宣言が解除される方向ですし、これからどうなっていくのでしょうね。