2021年度予算から 切実さはどう共有されるのだろう。

ハーモニーカフェで週に一度だけ開催しているハーモニー塾(学習支援)ですが、活動に関心を寄せてくれたという高校生が見学に来てくれました。うれしい。そして、希望の高校にめでたく進学する中学3年生から…「失敗した…」という前置きがありながらも、ホットケーキミックスでつくるというシフォンケーキを手づくりして、持ってきてくれました!サプライズでプレゼント。うれしいがいくつも重なって、本当にうれしかった。

自分自身を取り巻く環境を一生懸命理解して、そこにフィットしたいと頑張っていて、むしろ頑張りすぎている子どもたちに接していると、「無理しなくていいよ」「たまには休んでいいよ。」って言ってあげたいなと。いろんな事情があって、でもそれを乗り越えて、笑顔を見せてくれる子どもたちがまぶしい。

 

さて、予算審議も今日と明日で終わり。いずれにせよ、限られた時間の中で審議をするので予算全体から見れば一部も一部の一部…だけの質疑に留まってしまうのは仕方のないことですね。議員はみな与えられた発言時間の中で「ここだけは指摘をしておかないと」と思える事項だけを質疑するので、要するに、圧倒的多数の事業は質疑もされないまま…とも言えます。本当はもう少し細かく見ていくことが必要ではないかなと思いますが、議会の現在の審議の進め方ではそこまで取り組めないのが現実。

昨日は、気候非常事態宣言を行った多摩市としてどんな取り組みを考えているのか?進めていこうとしているのか?…という趣旨の質疑に対し、「ぜひ、議員のみなさんからもより良い提案をいただけるとうれしい」という答弁があり、全くその通りだなあと思ったんですね。私たち議員はどんな提案ができているだろう…とかって、思わず考えさせられます。実現可能な良い提案なら取り組んでいきたい!とする前向きな姿勢がストレートな形で示された気がします。今までの議会答弁の常識からすると、行政側から議員に対して「ぜひ、提案をお願いします」…いわゆる反問っぽい感じかもしれない…という投げかけをしてしまうのはナンセンスでしょうね。

そして、今日は「公園環境をより良くする必要があり、対応してほしい。」という文脈の質問に対し、「予算を確保して…と思っているものの…(なかなか難しい)」という風に、きちんと実情を語ってくれるような答弁があり、「課題意識があったとしても先立つ予算が無ければ対応しようがない」とする現実がヒシヒシと伝わってきて良い答弁だなあと思った次第。

もしかすると「所管としては予算が確保できれば…」と思っているという本音を語ることについて賛否あるのかもしれません。今までの議会答弁の在り方からするとナンセンスで、「かっこ悪い」とされてしまうのかもしれません。でも、「やらなければならないことがわかっていても、予算がないから対応しきれない現実がある」と知らせてくれるような答弁を聞くと「切実さ」を感じますし、同時に誠実さも感じますね。「きちんとした受け答え」と思います。なぜなら、それが本当の姿だと思うからです。そして、その「切実さ」が「嘘ではない」と市民とも共通に理解できたときにはじめて、本当に必要な改革ができるのかもしれないなあとも感じた昼下がりでした。

正直言って、厳しい財政事情を抱えていたとしても、いろいろと進めている事業の状況…特に新しいハコモノ建設などを見ていると「切実さ」を「切実さ」としてそのままストンと受け止められないようになっている感があるのです。「財政が厳しいって言っているけれど、ほんと?!」と言いたくなるような感じです。

もちろん、予定されていたコミュニティセンターの大規模改修事業などは予定をちょっとずつ先送りしたりなどスケジュール変更もしているので、そこに関わっている市民のみなさんには何となくじわりじわりとその厳しさが共有されつつあるのかもしれません。しかし、それもまた市民全体の中から考えてみると一部の方々に留まるとも言えます…。だから、私たち議員の役割とか責任、市政運営に関わるってとっても重大だなと感じるのです。当たり前のことと言えば、当たり前なのですが。でも、その当たり前を日々問い直しながら、前に進んでいくことが大事なのかもしれない。

明日は予算特別委員会も最終日。会派の持ち時間との兼ね合いもありますが、もう一度、最後に、一連の議論を振り返りながら総括質疑をする予定です。私や私の会派では「将来世代に負担を先送りしない」…常に考える原点にしています。それ対して、どこまで私たち自身が責任を持てているかを問う日々とも言えますね。ここは会派の中でも共有することがなかなか難しいポイント。