昭和の日。

今日は昭和の日。明日で平成が終わり、5月1日から令和が始まるのですね。時間はいつもつながっていく。どんな時も途切れることもなく…。ただ、つながっていく時間の中に、個々人それぞれにはそれぞれの、いろいろなことがあって、その人なりの節目もあって…。

私にとっては平成から令和に変わる瞬間に、議長という役職が静かに終わり、そして、その役職に自分自身が感じていた緊張がきっと解けていくんだろうなあという感じ。自然にすーっと。

ということなのですが、すでに乞田・貝取コミュニティセンターの運営協議会定期総会にて私の議長公務も最終最後を迎えております。まだ明日まで一応…任期内にもかかわらず、突然…ガスの抜けた風船のようになっております…この寒さに体調がややダウンしております。さらに、選挙直後の蜂窩織炎で抗生物質やらを服用したことが原因?…めちゃくちゃ胃が荒れてしまったのか、ただならぬ口内炎に悩まされております。今は、少しずつおさまっていますが、なんか、私…病気かも?と思うくらいの口内炎でした。

 

さて、この2年間と言えば、まずは、「議長として選んでくださった同僚議員の皆さんに恥をかかせるようなことはしてはいけない」という思いでいっぱい…「議長は挨拶要員」という言われたりもしますが、議会代表として挨拶をする場面を多くいただきました。その度に…ものすごく緊張していました。特に1年目は、見知らぬ場に出かけていくわけですから、いつもドキドキしていました。何と言っても、自分を通じて多摩市議会が評価されていくのだと思うと常に手に汗握る感じです。「自分が恥をかけばいいだけ」では済まされないのだから…と思うと余計に緊張もしました。

自分のことであれば、自分が恥をかけばいいだけですが、議長としては、やっぱりそれは許されない…そのプレッシャーが一番大きかったなと思います。議会を代表するということの意味を考え続けました。そしてまた、市議会と市民を身近にできるにしたい…という思いも持ち続けていましたが、なかなかそれを実践することは難しく…「議長」という肩書の大きさを痛感しました。同時に、より市民に信頼される市議会をつくるためにはどうすべきなのかを考え続ける日々が重なってきたなあと振り返っています。

そんな私の一番最後の公務が、乞田・貝取コミュニティセンターのふれあい館で締めくくれたというのは、私にとってもうれしいことでした。何よりもここで引退される増田議員と一緒に最後の記念撮影をしたこと・・・このめぐりあわせにもありがたく思いました。増田さんのおかげで、私は既存区域で多摩村、多摩町、多摩市…その変遷を目の当りにされてきた皆さんともご縁をいただき、視野がとても広がったと考えているからです。

「地域のために、ふるさとのために汗をかく」…増田さんの議員活動はその思いを貫き、その思いに正直すぎるくらい真っ直ぐ。とかく私は増田さんから、多くのことを学んできました。「まちの歴史を背負う」ということの意味を常に常に考えさせられたのは増田さんが同じ会派にいてくれたから。まだまだ聞くことができていない話もたくさんあると思っていますが。ただし、議員としての活動スタイルは全く異なっていました…でも、だからこそ学べたのだと思っています。「いろんなことを知ってほしい。」と地元神社のお祭りにもいつも声をかけて下さり、一緒にお神輿を担いだことは何よりの思い出!

 

増田さんは私の父と同級生!

そういう意味では議会と言うのは面白い場所、議員と言うのは面白い仕事ですね。ホントなら、「上司と部下」みたいな感じですよね…でも、議員と言うのは「期数」でカウントするので、補欠選挙で当選してからの1年分だけ私の方が長く議員をやっているため、私の方が増田さんの先輩になってしまうという…。

「もう時代は変わっている。ニュータウンとか既存区域とか…そんなことを言っている時代ではないから。みんなでふるさとを良くしなければならない。」…というのが、事あるたびに増田さんがおっしゃっていたこと。その想いをつないでいきたいなって思います。一議員としてというより、一市民としても。

そんなことで、いつのまにか「みどりの日」から「昭和の日」になっていたわけなのですが、「平成の日」も設けられるのだろうか…?

正副議長室にお別れ!新しい会派はいかに?!

4月末までが今の議員任期、そしてまた議長の任期ですが、実質的には今日が平日最後の登庁。議会事務局の皆さんにありがとうと感謝の気持ちでいっぱいで、ご挨拶と思っていたところ…。

「事務局からも議長と副議長に挨拶をさせていただきたい」と。とかく、立つ鳥跡を濁さず…とばかりに、議長の机を片づけ、そしてまた、会派についても今日が新しい任期に向けた会派設置届の提出日だったことから、控室の片づけなどバタバタしていたところでのサプライズ!

局長をはじめ、議会事務局職員の皆さんがずらりと勢揃いをして下さり、「ありがとうございました。おつかれさまでした!」とそれぞれに花束をくださったのです。ありがとう…というのはむしろこちらの方。私、事務局にとっては今までになく…「厳しい」議長だったと思います。たくさんのことをやってもらったように思います。表に見えること、見えないことと…あるわけですが、いろんな意味で厳しさがあったと振り返っています。

そして、「一緒に考え、仕事を支えてもらってきた」とも考えていて、3月末で退職された局長の顔が思い浮かぶわけですが、常に私、局長の仕事ぶりにも目を光らせていたというのか、もちろん、局長にもたくさんの助言をもらってきたのですが、「あーでもない、こーでもない」という私のあれこれに、ホント、議会事務局がよくつきあってくれたなと考えています。

いよいよ、時代は令和に変わり、新しい議会がスタートします。そして、会派の様子も変わっていきます。これまで「改革みらい」ということで最大会派をつくっていましたが、私は「フェアな市政」という会派に所属します。メンバーは折戸小夜子、大野まさき、しらた満、そして私の4名です。一応、まだ新人さんは「議員」ではないので、あえて敬称略しております。

他は…。

自民党・新生会は「新生会」に名前を改めた(と聞いていますが)、メンバーは飯島文彦、桐木ゆたか、藤原マサノリ、松田大輔、山崎ゆうじ…そして、今まで私たちと一緒に会派を組んでいた無所属の遠藤ちひろ、日本維新の会の藤條たかゆきが加わり最大会派です!

公明党は荒谷たかみ、池田けい子、三階みちお、本間としえ、渡辺しんじ。

共産党は安斉きみ子、板橋しげる、大隈真一、小林憲一、橋本由美子。

生活者ネット・社民で伊地智恭子、岩崎みなこ、岸田めぐみ。

単独、それぞれ一人会派で、篠塚元、斉藤せいやとなります。多摩市議会では久しぶりの諸派の誕生ですね。3人以上が交渉会派になっていて、代表者会議や議会運営委員会の議決権を持ちますが、諸派の場合はオブザーバーというかたちで議会運営には参加することとなります。でも、多摩市議会の場合、少数会派の意思も大切にした議会運営が行われますので、少数会派だから不利になるということはないと思いますし、そんなことは許してはいけないと…私は考えています。

いずれにせよ、会派の顔ぶれも決まりましたので、ここで新体制も決まってくるかな。議長、副議長、監査委員という三役についてもどうしていくのかが決まっていくことになるでしょう。議長の選出は最大会派からというのが何となくの決まりでもありますが、必ずしもそうではない場合もありますね。私の前任者である萩原重治さんが議長だった時にも、最大会派ではありませんでした。いかに議会運営を安定させていくのかが大事。そのためには多くの議員から支持される方が議長や副議長に就任するということが必要だと考えています。「この人が議長だったらいいなあ。」というのは自然とまとまっていく場合も多いです。さてどうなるやら?

 

今日は夕刻からは多摩稲城防犯協会の懇親会がありましたので出席してまいりました。多摩中央警察署管内ということで、多摩市と稲城市の関係者の皆さんが集まります。今回は多摩市議会議長が乾杯のあいさつを担当しました。稲城市の北浜議長さん、私、いつもお話しをさせていただくたびに、その洞察力と言うのか温かさというのか、周りへの気配りなどなど…とても尊敬できる方だなと思っていますので、本当は私よりも北浜議長にこそ挨拶をしていただきたいなと思うわけです。でも、これは順番になっているようなので、僭越ながら…お引き受けいたしました。挨拶している写真は北浜議長が撮影してくださいました。

一年に一度、お招きをいただく懇親会ですが、地域の方にもお目にかかることができる大事な機会の一つです。会長さんを囲み、先般の選挙で当選をされた高橋稲城市長、北浜稲城市議会議長、そして飯島文彦議員(多摩ロータリークラブ会長として出席)、私で記念撮影。

2年間を振り返ると、ホントいろんなことがあったなあ。そして、机に置いてあったの花束。改革みらいの代表…大野議員から「議長おつかれさまでした!」と。私が議長となり、改革みらいの代表を大野さんにバトンタッチし、いろいろ苦労おかけしたなあと思っています。「最大会派なんだから」と言われるのはかなりプレッシャーなんですよね。所属議員が全員同じ政党のメンバーとかではなく、個性豊かなバラバラなメンバーですので、それこそまとめていくために、見えない苦労たくさんあったはず。これは察するが易しですね。

2年間、通いつめた(笑)…議長室にも別れを告げ、心機一転。新しい活動を始められることにワクワクしています。とは言え、明日は最後の議長公務がありますので、それが終わってから・・・いよいよ本格始動です!でも、連休中は少し、頭休めしますけれどね。

 

 

ラスト近づく議長公務。

いよいよ議長公務もラストに近づいております。肩の荷がすっと消えていく感じがあるのですが、いえいえ、まだあともう少し残ってる…と気を引き締めております。

今日は多摩消防懇話会、多摩災害防止協会、多摩危険物安全協会…多摩消防協働三団体の合同懇親会に出席させていただきました。多摩消防署と協力関係にある団体のみなさま方で、地域の企業、事業者の皆さんが参加をされています。議長公務を通じて初めて知った活動でもあり、多摩消防署が中心となっています。一議員として活動していただだけでは、きっと知ることがなかったなと思う場の一つ。よい経験になったなと思っている場の一つです。防火あるいは防災…たくさんのかたが関わり、地道な活動が重ねられているわけですから、やはり、感謝の気持ちをお伝えすべく、今日は最後の参加になるのでみなさまにご挨拶をしたかったのですが、次の予定が入っていましたので、残念ながら時間切れ。ごめんなさいという気持ちで向かったのは第72回都民体育大会選手結団式でした。

こちらもまた、議長公務として参加して初めて知ることになったセレモニーです。今年は多摩市体育協会会長=選手団団長のもと、261名の選手の皆さんが多摩市の代表として都民体育大会に臨まれます。去年はゲートボール女子、ハンドボール女子が見事に優勝されています。「参加することに意義がある!」という会長の挨拶から始まった結団式でしたが、各種目に参加されるみなさんからはそれぞれの決意表明があり、「去年よりも勝ち星を一つでも多く!」と意欲的な皆さんばかり。

私、その様子を見ながら…「健幸都市の実現」の立役者の皆さんばかりだなあ!と思ったのでした。もちろん年齢問わずです。スポーツ愛好家の皆さん、背筋がピンとされているなあと感じました。私もそうあらねばならぬ・・・ということで、蜂窩織炎が完治しましたら、ランニング(ランニングマシーン使用)を再開しようと思っています。顔見知りになっている多くの皆さんとご挨拶もさせていただき、いくつか宿題もいただいてきましたので、さて…どうしようかなーと考え中です。

今週も残すところあと2日。明日と明後日にもそれぞれ議長公務。2年間、みなさんにお世話にもなりましたし、多摩市議会のことをこれからもよろしくお願いします!という気持ちにて、立つ鳥跡を濁さず…、次の議長さんにもきちんと引き継いでいけるようにしなくっちゃと思っております。

あと、今日は新しい?というか、次に始まる任期に向けた説明会が開催されました。フェイスブックページも更新されています!

「ありがとう」をこめつつ。

今朝は唐木田駅に。選挙期間中も水曜日の朝、唐木田駅で挨拶をしていたので、それを踏襲しています。しかし、かなり疲労の蓄積もあれこれと…ということで、だいぶ顔に疲れがたまってきたようです。年齢とともに顔に疲れが出やすくなったなあと実感しています。

さて、唐木田駅に行くと、「駅前がきれいだなあ」って思います。実は、唐木田コミュニティセンター運営協議会の皆さんが清掃活動などをしてくださっているのですが、春らしくお花がたくさん咲いていて、いい佇まいだなあって思います。コミュニティセンターはそれぞれに特色があり、活動をしているわけですが、駅に近い場所にある唐木田コミュニティセンター菖蒲館の場合には駅前の清掃活動が一つの情報発信になっているような気がします。駅を利用される方々がふっと無意識のうちに、お花をご覧になっているだろうなあと思うので。これは唐木田菖蒲館ならではの活動だなあと感じています。

唐木田駅を利用される方のなかにも顔見知りの方もいらっしゃり、挨拶をさせていただいてうれしかったです。今までは「永山駅限定」で毎週月曜日の朝に街頭宣伝活動を行っていましたが、たまには唐木田駅をはじめとして、他の駅にもでかけてみることも大切だなあと思いながら、ちょっぴり曇り空ながらも温かみを感じながら駅前を楽しむことができました。真夏のガンガン照り、真冬の極寒…ここがホント駅での活動で最も辛い。永山駅が良いのは、屋根があるところ。日焼けを機にしなくて活動することができることですね。他の駅は特に…真夏ともなれば紫外線が気になるのでした。

今日は唐木田駅での活動を終えた後、いつもどおりに議会へ。議長室も立つ鳥跡を濁さずとばかりに自分のお荷物は全て撤収しなければなりませんし、ほぼほぼ議長の机についても片付け完了しています。議長としてさまざまな場所でいただいた資料なども議会事務局の方できちんと取り纏めて整理をしてもらうことができ、次の議長の方に引き継げるように準備をしています。私が議長を引き継いだときには、以前の資料についてすぐに手に取ってみることができませんでしたので、そこはちょっとだけ改善してもらえたかな?とは思っています。

6月定例会に向けては、一般質問でどんなテーマを取り上げようかと考えています。2年間も一般質問から遠ざかっていたので、ずいぶんと浦島太郎的になっている感じで、感覚を取り戻すことが難しそうです。ちょっとドキドキもしています。新しい議会に向けては会派をどうするのか?などについても水面下でいろいろと調整があったり、自分自身のこれからの活動をどう構築するのかについても考えていかねばなりません。政党から離脱し、無所属の議員として一歩を踏み出し、活動をはじめたところで議長になってしまったので、自分自身の考える議員活動をやりなおしというのか、つくりなおしというのか、建て直していく必要もあると感じています。議長と言う役職をいただき、より視野が広がり、より多くの皆さんとお話しもさせていただいたので、その経験を活かせるようにならないといけない。きちんと市政に還元していかなければならないと考えています。

明日は当選した議員が集まり、説明会が行われます。選挙の収支報告も作成がほぼ終了しましたので提出しに行かないといけません。そして、明日は夕刻から議長公務が2件入っております。こちらは今までどおり、いつもどおりに臨みたいなと考えています。

家のことが全くできていないので、10連休ですっきりと自分自身のスイッチをリセットするつもり。平成最後が着々と迫っているんだなあと思うと、何だかしみじみしてしまいます。

 

それにしても、当選御礼は選挙後の挨拶として公職選挙法にて禁止行為なんですよね…。ですので、「選挙活動へのご理解をありがとうございました。」と言いながら…挨拶いたしております。これは、公選法ヘンなの…の一つだと考えています。駅前での挨拶は当選をしたことについては心の中で「ありがとう」を込めるのでした。

東京都市議会議長会の臨時総会でした。

今週はまさに…私にとっては今の任期最後…議長の仕事をしっかりと完了させる締めくくりの一週間です。蜂窩織炎(読めない…)になってしまった左足も何とか復活!ちょっとした痛みは残っておりますが、初期対応ができたおかげと抗生物質によって見た目は普通です。

今日は東京都市議会議長会の臨時総会でした。町田市議会の委員会室で開催されたのですが…多摩市議会の委員会室の3倍?4倍?…あまりにも立派…そして、26市の議長、事務局長がずらりと並んだ光景は…壮観というのか…やっぱり凄味があるなと感じた次第です。

今年度の予算などについて確認などをして、会議そのものは滞りなく終了しました。その後、町田市議会の議場見学などもさせていただきましたが、ふと頭をよぎるのは、わが多摩市の庁舎の建て替えのこと…どうなるのでしょうね。いったい…。平成41年には新しい庁舎にするという予定になっているわけで、つまりはそれは「令和10年」ということになるのでしょうか?あっという間にその時が訪れそうで、今からしっかりと取組みを進めていかねばならないでしょう。「今のスケジュールを変更しない」ということならばです。庁舎の建て替え問題などについても、他市の議長さんなどとも情報交換ができるような繋がりをつくることができ、そうした意味で、私にとって「議長」というお役目をいただけたこと、本当にありがたいことだったと感謝するばかりです。このご縁をこれからも活かしながら、多摩市議会の運営の在り方、市長と市議会との関係性のつくりかた等などよりよい地域政治を構築するという視点から、市民に信頼される多摩市議会をつくるために努力を重ねたいなと考えています。

今朝は聖蹟桜ヶ丘駅の東口で選挙後の挨拶をさせていただきました。いつものメンバーというか、荒谷議員、本間議員、そして今日は飯島議員も加わりにぎやかでした。八重桜のピンク色、好きだなって思いました。

6期目へ。当選の報告。

多摩市議会議員選挙にて当選させていただきました。選挙事務所を持たず、選挙カーも使わないで活動する…と決めたものの、やはり、セオリー通りに活動しないことに対する支援者の皆さんからの心配、不安の声が寄せられ、何よりも…家族もヤキモキしていたようでした。

私にとって今回の選挙は特別でした。議長という職責を果たしながら取り組んでいくということ以上に、私が17年前、はじめて出た多摩市議会議員選挙補欠選挙も4月21日が投票日でした。なので、私にとってはこの特別な気持ちで迎える選挙に当たり、一つ決意をしていたことは…「新しいスタイルでできるかどうかやってみる。」ということでした。それが、選挙という非日常を日常の活動の延長線上にいかに位置づけられるのか?ということ。「パフォーマンスが上手なら選挙はできる。」と指摘されたり、揶揄されてきたこともあるけれど、パフォーマンスができないのに、無理はしないということ…そして粛々とやるべきこと、自分自身ができることだけに集中するということ。得られた評価をしっかりと受けとめる覚悟を持つこと。とにかく落ち着いて取り組むということだけを心がけました。

選挙はやってみないと結果はわからない。投票箱のふたを開けてみないと、どうなるかは予測もできません。ただ、自分自身が選挙戦中に不安になったり、動じてはいけないと肝に銘じていました。「事務所持たない。選挙カー使わない。」…やっぱり、選挙カーを目にすれば、「そちらのほうがいいのかなあ。」とかチラっと頭をかすめたりもしましたが、でも、私には私のやり方とスタイルがあっていいはず…を最後までその想いだけで突っ走ったというか、落ち着いて自分の考えたことを貫くことが出来ました。

最初は、自分の車にもせめて何か名前くらいはつけたほうがいいかなとも思いましたけれど、やっぱり、名前を付けて走ることが何だか恥ずかしいと思いましたので、それもやめました。なので、「選挙カーが来ないのだけれど。」というお問合せの声もいただいたり、「全然、姿を見かけないし、声も聞こえてこない。」というお声もちょうだいしておりました…そういうお一人お一人の声をありがたく受け止めることのできた選挙戦でもありました。

今日はいつものとおり朝に永山駅。そして、夕方からも永山駅で報告をしていましたが…でも夕方は、久しぶりに会ったママ友と情報交換の時間にもできたりして、うれしかったです。まずは報告まで。6期目への抱負など含めては、少し落ち着いてから書こうかなと考えています。

【今日の一枚】4月20日

昨日の夕刻、永山の駅前でビラ配りをしていたところにわざわざ来て下さった菊池富美男元市議会議員。菊池さんは元議長でもあります。「明日、一緒に、地域を回るから」と声をかけていただいたのです。せっかくお声かけをいただいたのだからと、ご一緒させていただき、マイクを持つとシャキッと車椅子から立ち上がる菊池さんの姿を見て、ホロリとなってしまいました。ありがたいという感謝の気持ち、そして、菊池さんから発せられる力強い言葉にも勇気づけられて。「私は病気になって、左半分が動かないけれど、でも障害があっても、高齢になっても夢と希望を持って、地域で過ごしていきたい。そのためにがんばりたい。子どもたちと高齢者の交わる場を作りたい。」…何だか魂を感じるひとときでもありました。まだまだ議員を続けたいという思いもありながら、健康状態を考慮されて引退されたと伺っていますので、熱弁に込められた思い…その期待に応えられるようにもう一回、市議会で仕事をしたいとの思いが後押しされるような感じでした。

菊池さんの背中にプライドを感じました。「応援しなければいけないからスーツを着ないと」とおっしゃっていた通り、菊池さんはちゃんと背広を着用していらっしゃいました。こんな選挙戦の展開になるとは想定外でもあり、今日一日のスケジュールを大幅に見直すことにはなったのですが、それでも今日の貴重な時間、大切なひとときにもなったと考えています。

いよいよ明日が投票日です。今日は聖ヶ丘コミュニティセンターの運営協議会の定期総会に出席してから、多摩市聴覚障害者協会の定期総会にも出席。それから、時間があったらぜひ見に来て!…とお誘いをいただいた近所にお住まいの方のダンスを見せていただくためにベルブホールへ立ち寄ったり…今回の選挙…選挙活動に120%の集中ができず、そしてまた、周りからは事務所も設置せず、選挙カーも持たずにトラメガ隊で遊説活動をする体制に「大丈夫?」という心配をかけ、不安をふりまいた選挙戦だったかもしれません。「議長公務はもうほどほどでいいのでは?」というお声かけをいただいたりもしました…。「大丈夫ですか?とても心配です。」というご連絡もいただいたりと…そういう意味でも市民のみなさんの温かさを一層感じることのできた選挙戦でもありました。

とにもかくにも、一週間…多くのみなさまにご理解ご協力をいただいた選挙戦でした。まずは心から感謝を申し上げます。本当にありがとうございました。

【今日の一枚】4月19日

今日の朝は永山駅へ。そして、多摩市老人クラブ連合会の定時総会に出席させていただき、懇親会まで参加をしてまいりました。議長として、最後までしっかりと任務を果たすことが何よりも優先。選挙期間中にも議長公務があることは…考えてもみれば、わかっていたこと。いまさら、選挙活動のことを心配して、公務をないがしろにするということは…私にはできないなという選択です。来賓席で隣にいらした市長は「僕は、選挙中は出なかった。」とおっしゃっていましたが、私の考えるスタイルに当てはまれば、やっぱり…「議長として果たすべく役割があるだろう。」と…かなり悩んで、何度も考えたのですが、そこにたどり着いたので、ブレずにわたし流でいくしかないなと思っております。

そして、公務を終えた後には議会へ。やっぱり、議会事務局の仕事の進捗なども気になっていますので…。ちょうど来月に発行予定の「たま市議会だより」の編集も大詰めになっていましたので、その確認もできてよかったなと一安心し…ようやく私の街宣活動がスタートでした。

既に昼下がり…。今回の選挙はすれ違う選挙カーが少ない、そしてまた、選挙カーに候補者本人がのっている姿をお見受けすることも少ないなあと思いながら、私は自家用車にトラメガを積んで、ママ友と一緒に活動しました。子どもの頃と言えば、ブランコ。ブランコに乗るのは我慢しての街頭宣伝。ちょっとブランコに乗ってみようかとも思いましたが、さすがにそれは控えまして、いつもながらの上手くない演説をいくつかの場所で披露させていただいて、最後は永山の駅で締めくくりました。

風がだんだん冷たくなってきたことを感じる夜でした。明日のために体調を整えないとと言う配慮もあり、なるべく早めに終了。それよりなにより、とある公園の草むらで足首のあたりを虫刺され…何の虫?…足首に毒がまわり、腫れあがり、痛痒い。あり得ない。ずっと駅前に立っていたからなのか、毒が下に下がっているような気もするし、足に鈍痛が走っているのでした。

でも、気持ちはとても元気。あと一日、議長公務もあるけれど、明日もがんばろう!

【今日の一枚】4月18日

地道な活動をやらなければ、きっと変わらないのだと思う。ずっとそう思って活動を続けてきて、そして何よりも願っていることは、市政について市民が少しでも関心を持って下さり、その輪を広げていけたらということ、そして選挙の時に投票率を上げていけたらいいなということ。

そんな思いで、自分で作成し自分で印刷し、配布してきたニュース。議長になってからは、自力で活動するにもなかなか時間が無くなったので、自分で地域を歩きながら配布することと同時に市民のみなさんや桐朋つながりでご縁をいただいている先輩にも大いに助けてもらいながら…。17年間の活動の積み上げは助けてくれたみんなのおかげだなあとしみじみと感じ、そしてまた、今日も貴重な時間を私のために割いてくれた友人。

夕刻はいつも変わらずに永山駅にいることを情報発信しているので、桐朋つながりで斉藤れいな都議会議員と沖浦あつし小金井市議会議員がわざわざ足を運んでくれるという…みんなそれぞれにあちこちでの選挙の支援など忙しいはずなのに、ちょっとの時間でもと顔を見に来てくれて、一緒にビラを配布してくれて…本当にありがとうございます。さらには、外出先から帰宅をしてきたお友達までが途中参戦にて駅で一緒にビラの配布、そしてまた支援の呼びかけをしてくれるという…。

やっぱり、「ありがとう」から始まる。何事も。週末に向けて…ここは議長公務が入っているので、そちらを優先します。もちろん今までの私の考える議長スタイルを崩さず。