子どもたちの絵@パルテノン多摩市民ギャラリー

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市内公立小・中学校連合図画工作・美術展に行ってまいりました。子どもたちの作品はそれぞれの思いが込められていて、毎年、楽しい気分をおすそ分けしてもらってます。会場はパルテノン多摩の市民ギャラリーです。

何と・・・小学校の時の先生に遭遇してしまいました!すでに引退されている先生なんですが、足を運んでくださったようですね。子どもたちの作品って、そのくらい素晴らしい訴える力があるのだと考えています。

 

さて、作品群を見ながら、感じたのは二つ。一つはこうした作品をつくるにも「じっくりした」時間が必要になりますが、先生たちも限られた時数の中でここまでの完成度に仕上げるにも一苦労だろう・・・ということ。そして二つは・・・もし、パルテノン多摩がなければ、こうした作品展の会場になるのはどこか?・・・ということ。

二つのことを考えながら、作品を眺めておりました。答えはあえて書きませんが、ぽつり思うのは・・・・「大変だな。」という一言。

 

ついで多摩中央公園も一周し、図書館の予定地の方、古民家周辺などにも足を運び、グリーンライブセンターの方までも歩いてみました。いろいろ考えさせられます。この街がどうなったら、このエリアはどうつくっていくと一番いいのか。選択肢は決して一つだけではないはずです。どんなに画策したとしても、もともと人口減少社会なので、多摩市だけが独り勝ちして人口増なんてことは見込むことができない。社会全体で縮小に向かって行く中、それでも人口をある程度維持しながら、持続可能にしていくためにはどうすればいいのか?

「移民を受け入れればいい」とおっしゃっていた議員さんもおられますけれど、そう簡単にいくとも思えないので・・・。

 

かるがもの背中かわいい・・・ここが最後の締め括り。明日から2月です。

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公園の管理とプレイパークと。

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大谷戸公園でたき火の練習?をしながら、ミーティングをするという・・・とてもうまく火がつき、ぽかぽかでした(といっても私は何もしていませんが)。暖を取るってこういうことかな、こういうことなんだなあって思いつつ、ボーイスカウトでキャンプなどの経験のある娘に言わせれば、「今ごろ、そういうこと体験しているのか・・・」とのことですが、災害の時のことなど考えると、やっぱり「火を起こせるくらいにはなっておきたい」と思うことと、家にマッチとか、ライターとか何かしら備えておかないといけないな・・・と心構えを持つようにはなっています。でも、誕生日ケーキのろうそくをつけるためのマッチももう古すぎてシケッテ使い物にならないというのが我が家の現状で、タバコを吸う人がいないとライターも滅多に手にしないというか、我が家にはないし・・・心構えの割には準備万端ではない我が家です。

さて、たまたまとなりで「大谷戸プレーパーク」の活動が行われていて、いつもとは違って、木にロープが張ってあったりして・・・・やっぱり子どもは、既製の遊具も好きですが、ロープとかって大好きですね。はられたロープにぶら下がって、女の子3人が楽しく会話をしている後姿が何ともほほえましく。「わざわざロープにぶらさがりながらおしゃべりしなくてもいいのに。」という発想はつまんない大人になった証拠。

ということで、「何もない広場」から工夫して遊べる場所って大事だなあとしみじみと思った昼下がりでした。

そして、確かに多摩市が実施をしている大谷戸プレーパークも、一つのかたちであってやり方かもしれませんが、これが本家本流(と言っても、何が本家?と言われそうですが)のプレーパークなんだろうか?・・・という疑問もわきますね。かつて、ここではなく別の場所でプレイパークをつくりたいと活動されていた市民の方がいらっしゃって、その活動も先細りになってしまい、今では休止していますが、世田谷のプレイパークの実践を知れば知るほどに、多摩市のプレイパークは「きれいすぎる」と思えてなりません。

結局、「公園管理」という枠組みの中でしか活動できないプレーパークになっているからかもしれませんね。実際に場を担い子どもたちを見守るのは国士舘大学のみなさん。自然と向き合いながら自由に遊び、そして学びあうためのいろいろなプログラムを織り交ぜているとは思います。しかし、やっぱり、「公園管理」の枠組みからはみ出れば、アウトになりますからね・・・・・お行儀よくやっていらざるを得ないと考えるわけです。行政は「プレーパークやってる、支援している」と言うかもしれませんが、さて、任せる側の行政は、プレイパークを実施していくにあたって、実際のプレイパークを見学しに行ったことはあるのかなと思うようになってきました。

かく言う、私も・・・それほど詳しいわけではありませんので、寒い季節が終わってから、少し調査をしてみたいと思っていますが、本気でプレイパークをやっていくならば、今のやり方だと発展性がないかなと感じております。こうした遊び場が地域には必要だとますます感じるようになっていて、「公園管理」の発想から一線画した「場」をどう確保できるかしら?とも考えているので・・・・情報収集しようと考えております。ご関心ある方、あるいは何か情報やご意見のある方どうぞお問合せ、ご連絡いただけますと幸いです。

そんなわけで、穏やかな一日。会派で「パルテノン多摩問題」についてかなり熟議をしたわけですが?・・・まだ、さまざま派生したり飛び火する問題に対して見解がまとまっておりません。でも、ちゃんと意見交換する、議論するって大事だなと思います。知恵も出てきます。もう2月も終わり。春が待ち遠しいけれど、暖かくなるのかと思いきや、寒さが一段と厳しくなる2月は苦手・・・。

現場の努力がひしひしと伝わる一方で。

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学校公開へ。なわとび大会を見て、道徳の授業を参観し、そして国語の授業の一環で「今、ぼくは、私は」をテーマにした一人ひとり子どもたちのスピーチを聞く。

ちょうど、先週の金曜日、聖ヶ丘小学校で研究発表会があり、これまた私にとっては学校現場を垣間見る機会の一つだったと振り返っておりますが、多摩市教育委員会は「授業のめあて、ねらい」を子どもたちにもわかりやすく意識してもらいながら、最後には授業の「ふりかえり」をしてもらう・・・を一連の流れとし、先生たちに求めているそうですね。毎年、「できている」「できてない」の自己評価アンケートもやっているのでしょうか?年度を重ねるごとに「できている」と回答される先生が増えているとの話がありました。「先生方はとてもご努力されている」のだそう。

その話を聞いた翌日の学校公開だったため、ついつい前日のことを思い出しながら、学校公開での授業を見ておりました。「確かに」・・・先生は授業の冒頭で「この授業の目的」を意識させ、最後には「ふりかえり」の時間まで・・・ちゃんと授業の組み立てをされているのだなあと思ったわけですが、その日ごとの授業ごとの指導案を準備するために先生たちも大変そう。求められているスキルはかなり高度に違いなく、既存の発想でしか考えることができない、あるいは柔軟な思考を持てる先生でなければ、対応していけないだろうなとも感じました。

私たちの子どもの頃には、そんな授業あったっけなあ・・・と思います。学校公開で子どもたちの取組むスピーチや発表などの授業を見るたびに学校教育の内容も変わってきていると思います。聖ヶ丘小学校での研究発表会では生活科、総合的な学習の時間を中心に「主体的に伝え合い問題解決できる児童の育成を目指して」を主題にして取り組んできたそうですが、ここで育んできた力が、いわゆる他の学習にもどうつながっていくのかが気になるところ。「教員主体から児童主体」の授業づくりをするために、先生は「与えて、させて、見回る」ではなく「聞いて、助けて、任せて、見守る」・・・と子どもたちへの向き合い方、授業のつくりかたも変えていかねばならないと指摘されていたように思います。

けど、個人的には・・・私が子どもの頃に学んだ先生は「任せて、見守る」をとても大切にしてくれた気がします。なので、なぜ、今、改めて目新しいかのごとく「聞いて、助けて、任せて、見守る」の重要になってきたのかしら?・・・とちょっぴり疑問も感じます。

 

なにせ、新しい視点で作ろうとしている授業展開で子どもを育んでいくために必要不可欠と思われるものは「時間」。現場にそのための時間があるのか、猶予が与えられているのかが気になります。市教委やら、都教委やら、そこに連なる文科省やら・・・現場には叱咤激励で「もっと、もっと」の要求が出されていて、そしてまた、「結果」を出せとも言われているのが現状かと。確かに時代環境に即した学校教育にしていくことは必要で、「アクティブラーニング」だとかなんだとか・・・子どもが学んでいかねばならないことがたくさんあると感じます。ただ、授業時数にも一定の限りがある中で、「詰め込み詰め込み盛り込み盛り込み」・・・減らすものはなくて増やす一方・・・授業時数をどう工夫するのか・・・せっかくいい取組みをしようと考えても、「時間不足」で中途半端にしか先生たちも取り組めないとしたら不幸ですね。

子どもたちの教育・・・「促成栽培」というわけにはいかず、そのことは十分現場も管理している教育委員会側もわかっているというのに・・・。この何だかミスマッチな感じが不思議です。「先生たちが忙しすぎる」とする指摘も、もう長年来の課題・・・な気もします。そしてまた、その「忙しさ」のなかみがよく理解されないままに、現場批判が先行するような場合もありますね。もちろん、もう少し頑張ってほしいなと思うような場合もあるのだと思いますし、多摩市に限らず、どの自治体でも「教員の質」は問題にもなっています。ただ、全体捉えていうなら・・・現場は汲々としていて、キツキツで、先生たちも悩みと葛藤の中で日々を過ごしているのではないか?ということ。

 

つめこみ批判の後の「ゆとり教育」の「ゆとり」の意味や考え方が十分に理解されないままに、やっぱり「ゆとり教育」も批判され、また、「脱ゆとり」になったものの、そもそも「ゆとり教育論」の根幹が理解されていなければ、「脱ゆとり」の方向性もズレてしまうのも仕方ないですね。教育の専門家ではないので、あれこれ言うのは控えたいと思いますが、「子どもをのびのび育てましょう」とはかけ離れざるを得ない現場の実態改善を何よりも優先してほしいものです。聖ヶ丘小学校の研究発表会でも感じたことですが、先生たちの授業準備ってホント・・・大変だ。ちゃんとした授業をしようと思えば思うほど準備は大変になってくる・・・そしてこれからやろうとする「アクティブラーニング」なるものも取り入れていくとしたら、ホント・・・ますます大変だろうな・・・。現場の努力がちゃんと報われていくような環境づくりを後押ししていきたいものです。

パルテノン多摩大規模改修関連の予算は見送り、図書館は設計はしないけど基本計画は立てる。

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インフルエンザ流行警報・・・どうぞお気を付け下さい。学級閉鎖はもちろんのこと、学校閉鎖?とまで言われるくらいの勢いだそう。マスクの着用は必須ですが、あとは手洗いやうがいと言ったところでしょうか?私も油断しないようにとマスクを着用して過ごしています。

さて、今日は来年度予算について説明が行われました。いわゆる「復活予算」・・・今後、さまざま精査をしてからの復活分はのちほど計上されるそうですが、だいたいの骨格が示された感じです。今年よりも当初予算ベースでは約5億円ほど縮小し、一般会計は総額で約539億円ほどになるようです。歳入(収入)も気になりますが、やっぱり気がかりは歳出(支出)ですね。

話題のパルテノン多摩大規模改修に関する予算は「0」なのですが、それで本当に良いのでしょうか?・・・と疑問です。確かに実施設計段階に入るための予算は現時点では計上できないとするのはわかりますが・・・しかし、本当にそれでいいのかしら?と思います。今年度完成させるとしている基本計画、基本設計の内容を検証するとか・・・って予算は必要ないのかしら?

昨日の特別委員会で気になったことですが、「大規模改修予算にキャップをかけるべき(上限を決める)」とする意見がありました。しかし、キャップをかけ、それなりの工事しかできなければ、「以後30年は維持し続けるホール」として価値あるものにならない可能性もあります。言ってしまえば、「安かろう悪かろう」の工事しかできなかったあまり、「ますます使われるホールになる!」のとは逆のベクトルに進んでしまうということです。「安物買いの銭失い」みたいな感じかもしれません。30年間維持し続ける運営コストも考えていかねばなりません。キ費用対効果をどう判断するか難しいところです。「その程度の改修しかしないなら、改修しないで、そのまま朽ちて閉館させる」という選択肢の方が辛くて正しい・・・になるかもしれませんね。

ということもあり、パルテノン多摩を大規模改修したいとするのなら、その後に、維持管理費を含めてどう考えるか、将来にわたる展望までを示してほしい・・・これが私たち議会から行政に対して要請要望していること。そこが全く見通し立たないからこそ、二の足を踏んでいるというのもまた事実。なぜ、それだけの改修費をかけるのか、その必要があるか、理解できる説明がなされていない状況を変えない限り、この問題は硬直化することはあれ、次の一歩も進めないのでは?とすら感じています。その後の運営をどうしていくかについても未だはっきり決めていない状況があり、私たち議員はどうにもこうにも・・・市民に理解されないと判断しているわけです。それに加えて、「まちづくりをどうするか?」のエリアマネジメント的な観点も弱すぎて・・・・。

 

とパルテノン多摩のことをついつい書き綴ってしまうわけですが、合わせて気になる「中央図書館的本館」ですが、こちらは「今までの積み重ね」があるので、そのまま基本計画をつくっていくことがわかりました。基本設計に進むための予算は計上しないけれど、基本計画は策定する・・・そうです。「場所が確定しないのに、どうやって基本計画を作るのか?」・・・と議員誰しもが思ったはずです。説明によれば、「今までの積み重ねがあり、その中では桜美林大学アカデミーヒルズの土地の一部に建設する予定を示していることを市民にも示している」ため変更はしないとのこと。

しかし、当該図書館の建設を巡っては、パルテノン多摩との合築やら、建設場所の変更とか・・・議会からもいろいろ意見が出ているのに・・・・。要は、「変更する意思はなし」「議会の動きは気にしない」ということになるのかどうか?・・・・とても違和感があります。何かヘン。一見、議会での議論を見守るような姿勢ではありますが、それは単なるポーズなのかしら?結局、自分たちの思う方向に粛々と進めているようにしか見えなくて。

 

・・・・それにしても、武道館と陸上競技場の老朽化に伴う改修工事も予定していることがわかり、来年度予算で基本・実施設計予算が計上されています。現在想定されている事業費としては約10億円とのこと!WAO!…ここにはエリア的にはさらに多摩東公園の改修予算も加わっていくことも視野に入れておく必要があります。そしてまた、エコプラザについても・・・・約10億円規模の工事になるとかならないとか・・・。

うー、何だか首が締まってくるような思いになるのは私だけでしょうか?・・・・あとは総合福祉センターについても20年目の設備機器の更新を行うそうですし・・・・。

やはりもう一度、ちゃんと考えていかねばならないと思います。新たに「(仮称)若者とのまちづくり協議会」なるものも発足させていくようですが、私たちが真剣に向き合って考えていかねばならない課題の重たさを若い世代にもちゃんと共有していけるかどうか・・・ここも大事な視点ではないかと思ったりします。「若い力をまちづくりに活かそう!」という発想も、多摩市の場合には2週以上の遅れがあるような気もしてなりません・・・。「やらないよりはやった方がいいのかもしれませんが、しかし、中途半端な取組みにしかならないのであれば、やらなくてもいいのでは?」とする意見もご尤もと思いました。

 

若い人たちの力を活かす・・あるいは民間の力を活かす・・・市民の力を活かす・・・「Win-Winの関係」をどう築けるのか?を常に念頭に置いておかなければ、きっと支援者は増えていかない。多摩市は今までも一生懸命、市民の力などを活かしてきた、そのために努力も重ねてきたと思っていますが・・・しかし、どうなんでしょう?・・・「行政と連携したくない」「行政と関わって疲れた」・・・という意見がでるのはなぜでしょう?・・・というあたりを、行政自ら検証してみてもいいかもしれませんね。

 

ほぼほぼ固まっていると言える来年度の予算・・・現時点では、「まずまずいい感じだな」と思えていないとだけ感想を述べておきたいと思います。

 

第2回パルテノン多摩改修問題特別委員会~これは堂々巡り

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(見てもわからないけれど、とりあえず見てるところ。)

 

つくづく・・・思うことですが、「一度決めた方針の変更」は難しいのですね。

 

何やら、議会が騒ぎ始めたぞ・・・「とりあえず、一旦、立ち止まっておくか」・・・という程度で、若干、足踏みをしているようですが、本音と言うか、本心と言うか、「心の中では」・・・「このまま進めるだけ」・・・と思っているかもしれないなあ。とにもかくにも、議員からの質問に、ものすごく、頑張って答弁してくださるのに、全然「答弁になっていない答弁」を繰り返すような部長あるいは課長さんの姿から受け止めざるを得ないことです。

 

今日の会議についても、お時間許せば、ここで私があれこれ書くよりか、インターネット中継をご覧いただく方が早いです。臨場感には書けますが。所要時間は2時間です。2時間きっかり、やや過ぎたかなくらいで終了しましたので。あまりにも時間も短いし、もっと一気に質疑をしたいことがたくさんあるのですが、他のメンバーの方と質疑時間も譲り合うというかシェアしていかねばならないので、個人的には消化不良のまま終えました。

 

前回の委員会で要望した宿題、資料についてもかなり労を割いて作成してくれたのだろう・・・と思っておりますが、合わせて、パルテノン多摩から取り寄せたという構造計算書や図面なども現物が展示されておりました。中を見たとしても、全然、私にはわからないけれど、「手書き!」の資料であって、「昭和」を感じました。これらの資料を読み込むなんてことは私はできませんので、専門家をひっぱってこなければ難しいですね。このあたり、例えばこういうものを読めるような、理解できるような市民の方はたくさん住んでいるはずなので、力を借りるとか、考えることが出来ればよいのですが。

 

私の収穫としては「図書館を公園内に設置することは可能」なはずなのに、前回委員会の際、「図書館設置は多摩中央公園の現在の機能を損ねることになるかもしれない」とする・・・「そんな、適当(出鱈目)なこと言わないでよ!」と思っていたことがクリアになったのは良かったですね。もし、多摩中央公園内に図書館を設置する場合には、建設できる場所には制約があるかもしれない(他の建物との兼ね合い)けれど、「可能である」ことがわかったのは一歩前進だと考えています。
ただ、これは、パルテノン多摩はパルテノン多摩として改修を進め、パルテノン多摩に近い場所に図書館をつくったらどうか?という案であって、パルテノン多摩と図書館の合築案ではありません。あるいは、今回の改修を機に、パルテノン多摩の建物内に図書館をつくる、あるいはパルテノン多摩を一度壊してから、新たに身の丈に合ったホールと図書館をつくるとする案ではありません。

個人的には「パルテノン多摩はパルテノン多摩」で、「図書館は図書館で」とする併設(今の場所ではなくもっと駅に近い公園内)案がいいかなとも思っておりますが、しかし、将来負担のことを考えると「パルテノン多摩の建物活用」がうまくいくのであれば、それも一つの選択肢になると考えます。パルテノン多摩の建物そのものが歴史的建造物であるかどうかは別として・・・・北九州市の戸畑図書館の事例から考えると、工夫をすれば、図書館を入れることは可能では?と思ったりもするのです。また、茨城県議会議事堂を図書館に衣替えした事例もあるそうです。気になるのは事業費ですが。

 

それにしても、ホント・・・「方針に忠実」というか、「絶対に自分たちのやり方を変える」なんてことはできない・・・ちょっとでも、脇を甘くしてはならないと答弁する部長さんや課長さん・・・別の角度から見ると多摩市の行政、職員さんは真面目だし、ちゃんと仕事を進めていることだけはわかります。「ヘマな答弁はできない」ってそんな雰囲気がムンムンと伝わってきて、そのことがむしろ痛々しいですね。でも、今の公共施設も市民サービスも全てこのまま維持することは難しいことがわかっているのは・・・それこそ職員さんであるはず。ある意味、今進めようとしていること、やりきっちゃおうと考えている大規模改修も図書館の建設も・・・「言ってきたこと、やっていること」がチグハグしていること・・・わかっているはずなんだよなあ・・・・。当然ながら、「認めたらダメ」なんですけどね。こういう場合。

しかし、ちゃんと意見交換して、「もっといい選択を探そう」とする姿勢がないのが何とも悲しくお寒い限り。それにしても、委員会で質疑を主に展開していたもう一人は荒谷さんだったのですが、ホント・・・「行政が全然答弁にならない答弁をしている」ことに憤りを抑えながらも、繰り返し繰り返し、ことばを噛み砕きながら、「ちゃんと答弁をしてください」とおっしゃっていて・・・そのやりとりを見ていると、行政と議員のやり取りと言うのは「別の星に住んでいる人どうし」かと思うほどですね。職員さんが途中から宇宙人のように思ってしまいました。

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さ、気持ちを切り替えて多摩青年会議所の賀詞交歓会へ。前理事長は遠藤ちひろさんで、今期は松田大輔さんが理事長です。2代続けての市議会議員理事長!がんばってほしいですね。「主権者教育」に取組んでいきたいとする意欲が披露されました!議会とも連携できるといいですね。

 

次回、パルテノン多摩特別委員会は2月10日の午前10時からです。今日の委員会も「堂々巡り」感が漂っていましたが、次はそこから一歩抜け出たいですね。言葉が通じないというか、言語体系が違うというか・・・「宇宙人同士」の会話を重ねている限りは、発展しないか・・・・・。テレパシーも通じない^^;

「タイミング」とはいうものの・・・。

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いろいろなことを進めていく時に、「タイミング」というものがあるけれど・・・ということが話題に。しかし、あまりにも透き通った空はやっぱり魅力だと思って、広々とした空間の深呼吸できることに感謝を味わうばかり。

タイミングの話しですが、「せっかく、良き土地活用の可能性が出てきて、悲願だった中央図書館の建設ができる。」・・・にも関らず、この機を逃して良いのか?とするご意見。一方で、「急いては事を仕損じる」のだから、もう一度熟考してほしいというご意見。

結局、その判断をするとき、大所高所からいろいろ検討をするとは思うものの、「こうしよう!」と決めるのは覚悟しかなさそうですね。パルテノン多摩の大規模改修の問題をどうしていくか、喫緊の過大なわけですが、ここへきて様々な案が持ち上がってきたことに「議会が勝手なこと言い始めた」的なことを主張する声も聞こえてきますが、果たして、本当に私たちは無責任に気ままに勝手に発言をしているのでしょうか?

パルテノン多摩は耐荷重等の観点から、その建物の中に図書館を入れてしまうのは難しいとする話もあり、なるほど・・・と思う一方で、再生建築で古い建物を図書館化している事例もあります。要するに「やる気」と「お金」があれば、何とでもなるのではないか?という気になってしまいます。そもそも私たちが立つべき場所はどこなのか?持つべき視点はどうあるべきか?・・・ここへ来て、議論になるとしたら、これもまた「タイミング」なのでは?と考えるようになっています。

「パルテノン多摩でもそうですが、パルテノンを冠するに恥じるべき短命です。名を以て市民を目くらませた責任者は既に退き、あるいは鬼籍にあり、吾知らずでしょう。パルテノン多摩の改修後どれだけ使えるか情報がありません。30年程度で再び建設費同等の費用が掛かるのでは、多摩市に住み続ければ一生2回も同じ経験させられるでしょう。もう少し費用をかけても今後100年以上使えると保証できるものにすべきかを含め論議して」

とするご意見をいただいておりますが、改修後どれだけ使えるかの情報は確かにどこにもありません。ただ、以下、改修方針を確認すると

(1)人命の安全が確保される~最優先事項として安全対策を万全にする
(2)公共建築物の果すべき機能が長期に渡って最大限発揮される~業務核都市における中核施設として都市活性に係る機能を充実させる/「劇場、音楽堂等の活性化に関する法律」の趣旨を生かす工夫を行なう
(3)保全・運営に係るコストの適正化を図る~将来にわたり維持していくためにライフサイクルコストを抑える
(4)公共建築物が環境に与える負荷を最小限に抑える

そしてまた、この改修方針で注目しておきたいことは以下。

 「改修工事終了後 10 年間は長期休館の必要な工事を要しないこと、また 10 年間の修繕必要額が5億円を超えることのないよう改修範囲、改修方法を決定する」

 

これ・・・どう深読みできるでしょう?

そして、多摩市は例えば・・・グリーンインフラのことどう考えているのか?・・・「愛でるみどり、関わるみどり」のみどりのルネッサンスも否定はしないけれど、しかし、もっとそれだけではなく次世代型の行政運営をめざした取組みに挑戦することはしないのか?と思えてきます。「新しいことにチャレンジする!」・・・これまた吉と出るのか?成功するか?・・・「やろう!」と思えるかどうかも覚悟と決断なのかもしれません。でも、私思うのですが・・・意欲ありチャレンジする職員がいるとき、市民にもその思いが伝播して、「よし!応援しよう!」となるはずなんです。少なくとも今まで私がウオッチしてきた限り、「いちかばちか」かもしれないけれど果敢にトライしようとする職員さんには応援団が存在している気がします。

 

さて、「タイミング」をどう捉えるか?当初、オリンピックに合わせてパルテノン多摩を大規模改修していくとするスケジュールが示されており、それもありかな?とも考えてきました。でも、「慌てる理由はどこにある?」・・・と言われれば、確かにその通り。なおかつ、他に進捗していることも睨みながら、私たちは取り組んでいくことが必要ですね。市民は多摩センターを良くしたいと願っています。それは、「市庁舎を建て替えするなら、やっぱり多摩センター」と考える市民が多いことからもわかります。決して、「自分にとって便利だから」という理由だけではないはずです。「多摩センター」というエリアへのイメージがある。そしてまた多摩市の顔になる場所が「多摩センター」だと考える証拠だとも思います。ある意味、この感覚は的外れとは言えない。だからこそ、もう少し、私たちも何ができるか、すべきことを考える必要があるのかもしれません。もちろん、私は市庁舎は永山駅前がいいなと思いますよ。我田引水的ですが・・・。全体を考えてどうしていくか?立ち止まって考える1年は誰にとって「失うべきもの」が大きくなるのでしょうか?そしてまた「タイミング」とは誰にとっての「タイミング」であるのか?

大きく深く息を吸い込んで、脳内に新しい空気を送り込むことは大切ですね!

 

「市民×くらし」と多摩ニュータウン再生。

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多摩ニュータウン再生会議を傍聴してきました。会議そのものは今年度2回目。1回目と2回目の会議の間でも、プロジェクトが進行し、今日の報告へと結びついているようです。正直、「この間の動き」がどうあったのか、どんな議論をしてきたのかが見えないわけですが、本当は、「この間の動き」と「議論」がとても重要で、アウトプットだけが出されたところで、市民はもちろんのこと・・・議員も置き去りにされているというか、一部の人たちだけで進めているだけのプロジェクトに見えてしまうことが残念ですね。

「そういうつもり」ではなくても、結果的に「そうなってしまう」という場合もあると思っていて、多摩ニュータウン再生問題は行政だけが勝手に進めているような印象が強いです。

なおかつ、提出されていた資料に、「諏訪・永山地区まちづくり計画」のイメージパースがいくつか掲載されていたのですが、「これ、どこ?」「今のどこが、こうなるの?」・・・というような絵図になっており、議論を聞いていると完成形になるのは随分向こうというかまだ先のことのようですが、しかしその時代にここまでの再整備が必要なんだろうか?・・・このまちにどんな人が住んでいるのだろうか?あるいは、永山と多摩センター、そして桜ヶ丘と・・・・3つのエリアがどう進化していくのかも含めて、考慮されているのだろうか?・・・とする思いがフツフツとわいてきます。

多摩市の人口動態で考えても、「多摩市人口ビジョン検討資料」(多摩市まち・ひと・しごと創生総合戦略の検討資料)でも、このままいけば・・・。
>将来推計。
・平成42年には139,200人、平成72年には100,606人(平成22年比で▲32%)まで減少
・平成72年の生産年齢人口(15~64歳)、年少人口(0~14歳)は平成22年比で半減、老年人口(65歳以上)は4割増と大幅な増加

>人口構造。
・平成72年には年少人口(0~14歳)は8.2%まで低下
・生産年齢人口(15~64歳)は48.7%まで低下
・老年人口(65歳以上)は43.1%まで上昇、平成22年の20.9%と比べて大幅な上昇

>以上について再度まとめ。
・将来的には人口が大幅に減少・・・50年後の総人口は32%減
→平成22年の14.7万人から平成72年には10万人まで減少、人口維持は難しい状況

・高齢化の急速な進行・・・50年後の高齢化率は43%に
→平成72年の老年人口は4割増、高齢化率43%まで上昇

・生産年齢人口の減少と少子化・・・出生率は全国平均を大きく下回る
→平成72年には年少・生産年齢人口は半減
→平成25年の多摩市の合計特殊出生率は1.13と全国平均の1.43を大きく下回る水準

としていることを考えて、そしてまた、それをも踏まえて・・・じゃあどうするか?いろいろ対策をするけれど、

・将来展望人口・・・ 50年後の平成72年の人口は11.7万人に(老年人口比率39.5%)

これが向かって行く先だとすれば、いつの頃のイメージパースになっているのかわからないけれど、何となく感覚的にもシックリといかないのですね。そしてまた、「市庁舎問題」について言えば、市民も交えての検討委員会の中で永山駅周辺への移転は選択肢からそぎ落とされたかと思っておりましたが、「駅拠点の再構築」の中では、「庁舎の在り方の検討状況を踏まえつつ平成29年度に勉強会を立ち上げ予定」となっていて、「検討状況を踏まえつつ」というのがどう踏まえられるのだろう?と考えたりもしました。

公募市民で参加している方が「市民と一緒に考える仕組み」に言及されていましたが、その視点はとても重要ですね。なおかつ、やっぱり、これから人が減っていく時代のまちづくりをどう進めるかもまた問われているように気がします。何となく、これからもまだ「成長すること」が前提でニュータウン再生が描かれているような気がしてならないからです。でも、国全体でも人口は減少していくわけですし。ついでに言えば、50年後の多摩市の人口11,7万人と同じころと言えば、もう昭和60年よりも前のことですし・・・その時にはパルテノン多摩もなかったですし・・・。でも、年少人口は今の2倍くらいいたわけですが・・・。

人口動態を考えていくことは必要ですし、大事なことですね。パルテノン多摩を大規模改修も多摩ニュータウンの再生も・・・前提となる状況や条件ももう一度確認した上で、議論を進めていきたいですね。そうなると「何もやるな」「何もしなくて」・・・と言われてしまいそうですが、今日の会議の席上でも「財政問題とセットで考えていかないと。まちを維持する費用も重くなっていく。」とちゃんと発言されていた企画政策部長の釘さしに「そうそう、そうなの!」と思ってしまいました。

そして、会議の席上で・・・URの方からも興味深い発言。「建替えは考えていない。」とのことでした。適切にストック管理をしていくのだそうです。適切なストック管理とは、見合って戸数全体も減らしていく・・・になるのかなあ?

「すてきな暮らし」を発信しつづけられることが大切ですね。もちろん、発信するのは、働いている・・・も含めて、ここに「暮らす」人達♪ついでに言えば、まずは、ここに職場のある多摩市の職員さんたちは「多摩市のこと好きかなあ。」「いいまち!」って感じてくれているかなあ。

30年後から「今」を考える視点で。パルテノン多摩問題。

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「問いを共有することが、課題解決の出発点」・・・4日間通ったゼミでもう一度確認したことですね。 そして、個別にお話をさせていただいた講師の先生から「人口減少していくことが目に見えているのに、将来お荷物になることがわかっているようなホールはつくってはいけない」とアドバイスをもらって・・・もう一度、状況を考えてみないとと思えてきました。

「誰のために、何のために」・・・私たちがパルテノン多摩の改修をしようと思っているのか?

本当はもっと議論しておく「問い」であり、その議論の前提となる情報を確認し、集めておく必要がありそうですね。そして、「運営をどうしていくか」の視点を切り離して、施設改修の議論だけを先行させているところにも実は落とし穴があること、ホールの実務家と呼ばれるような人材(舞台機構、照明、音響など)が設計を任せたコンサルタント会社ではなく、最終的には工事内容を吟味して発注していく側の行政に参加してもらうことが重要であること、芸術監督がホールの改修に関わる時、その道の一流と言われる人物であっても、「自分にとって使いやすいホール」を念頭にしたアドバイスを優先し、ややもするとその人物にとってだけ使いやすく、汎用性というか、他の利用者には使えないホールになってしまった事例もあること・・・そして、参加されている方々と話しをさせていただくと「パルテノン多摩」は知られていて、一定程度のステイタスがあるらしいこと、また、今のパルテノン多摩を取り巻く状況はもっともっと厳しい事情のある他の自治体からすると考えられない「贅沢な悩み」だと言われたこと等・・・・大所高所からのアドバイスも聞くことが出来ました。パルテノン多摩の事業費は約1,5億円ほどあるわけですが、実際にホール運営に関わっている人からは「使い切るのも大変なくらい事業費の額とも言える」「いまどき、そんな事業費を支出できることがうらやましい」・・・とする状況で知恵や工夫をこらしている自治体などの方が多いとする話も耳にしました。

ということで、私個人は今回の講座を受ける前よりも少し賢くなったかもしれません。ただ、今回学んだことを活かすというか、周りにシェアしていくことが大事であって・・・例えば「ホールの実務家」がどうして必要なのか?という観点など、ただ聞きかじりで覚えてきた私がその必要性を伝えたところで、どのくらい周囲に理解してもらえるだろう?と思ったりしています。

今さら、そもそも論を議論するなんて・・・という声が出てくるのはもちろんのこと。ただ、何度も言っているように、パルテノン多摩のみならず、図書館建設のこと、公園の改修のこと含めて、エリア全体をどうしていくかの議論が尽くされているとは言い難い・・・一度建設してしまったら、少なくとも次の大規模改修までに30年間は使い続けることが大前提になる。それは改修も同じこと。30年に1度の大規模改修によって、今後も少なくとも30年間、「あの場所のあの建物」として継続されていくわけですから。

市民の方から、「パルテノン多摩の問題が軌道修正できずに終わることも可能性としては頭に置いています。そうなってしまったのは、これまで市民が無関心だったりボヤボヤしていたからかもしれませんが、それでも今から考えることは無駄ではないですよね。『今からでは遅い』と何もしなかったら、この先の問題もみんな手遅れになってしまいます。」という意見をいただき、ハッとさせられたこともまた事実です。

 

集中講座の会場は立教大学だったのですが、ちょうどはす向かいにリビエラ東京があり・・・その建物が何ともグリーンライブセンターのようでした♪グリーンライブセンターも今後改修対象になっていくようですね・・・そのことだって私たちは頭に入れておくべき。そしてまた、もともとパルテノン多摩の5階にあるシティサロンは緑化相談室なんですよ・・・もともと。

 

さ、今週はパルテノン多摩の特別委員会もあり、来年度予算の説明会もあり。結構、盛りだくさん詰まっております。一月も下旬ですね・・早いな。

 

 

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雑感・・・。

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週末22日日曜日・・・子ども食堂?だれでも食堂?・・・地域でいわゆる「子ども食堂的」活動に取組んでいる団体が集まったフォーラムがあります。「健幸都市・多摩」の一つの事業の柱にもなるようなならないような?!残念ながら、私は参加することができませんが、ご興味、あるいはご関心のある方はぜひ会場を覗いてくださるだけでもありがたいです。ちょうど、昨日の夜、年明け初めてのハーモニーカフェが行われ、総勢75名ほど参加するという大盛況に終えたとの報告がありました。子どもの貧困対策に端を発し、子ども食堂の活動は全国でも広がっているのですが、「貧乏」と「貧困」との違いを再認識するとき、「困っている」=「食事がない」と必ずしもイコールにはならないことがわかってきます。ハーモニーカフェではいまや忘れられているというか、あまり使用されることのなくなった「だんらん」という言葉をキーワードにして出発しています。課題は・・・現実的にはやっぱり資金的な問題、それ以上に地域でお手伝いしてくれる人材を確保することかな・・・いろんな人たちがちょっとずつの想いを持ち寄れるような場になるのが理想的です。

さて、私は立教大学で開催されている「公共ホール」を考える集中講座に参加しておりますが、講義を聞けば聞くほどに「パルテノン多摩の存在価値、存在意義」について、議論していかねばならないとの気分になっております。「なぜ、私たちはパルテノン多摩を所有し続けるのか?保有し続けるのか?」について積極的な意味を確認することが大切かもな・・・と思うからです。確認した上に、「やっぱりパルテノン多摩必要だ!」となれば、大規模改修もすればいい。もちろん、その時に・・・行政の縦割りレールにのっかって議論するだけでは不十分だと考えていますが。

めんどくさいこと、時間がかかること、一度決めたことを変更することほど大変なことはない。

でも、もう一度、今、結論はどうなるか、もしかすると結論はさほど変わらないのかもしれないけれど・・・議論することが必要ではないのか?と感じています。「ちょっと立ち止まったら?」・・・とブレーキをかける市民あるいは議員に対し、「うるさい」「わずらわしい」そして、「めんどくさい」・・・私なんて「ハシゴ外した」とまで面と向かって言われたことには驚いたわけですが、でも、「将来に向けた私たちの責任」が少々置き去りにされているように感じている限り、きっとこのプロジェクトに対し、私は手を上げられないだろうと思っています。相当、恨まれたり、嫌われるのかもしれないけど、それは仕方がない覚悟の上ですから。

ということで、公共ホールが果たすことのできる社会的な役割、その可能性があるからこそ、ていねいな議論の積み重ね、そしてまた、そのために必要な改修に取組んでいくべきですね。老朽化対応で単に修繕するだけでなく、まちづくりプロジェクト、地域活性化の重要な一角を占めるプロジェクトという位置づけと、「まちの発展と持続可能性」との塩梅を考えること・・・必要だと考えています。議会でもその視点で議論が尽くされているとは・・・おそらく言えないでしょうから。

ぜひ、パルテノン多摩や多摩センター地域活性化を含め、ご意見ある方はお寄せください!

よりよいホールをつくるためには。

20170119

今日から立教大学社会デザイン研究所の「公共ホールのつくり方と動かし方を学ぶ」冬の講座。4日間連続で日曜日まで。これは文化庁の助成を受けて実施されているもので、今回は「次世代公共ホールの出発点」を考えるシンポジウムが最終日にあります。こちら3か年に渡って、季節ごとに集中講座を実施してきたもので、今回が最終3年目の集大成になるようです。

まさに・・・大規模改修があってもなくても・・・・パルテノン多摩にもってこいの内容盛りだくさんの研修内容。もちろん、パルテノン多摩のみならず、全国自治体のホールの存在意義、そして将来にわたっての存在価値を改めて問い直し、考えを深めていこうとする場。とにもかくにも参加者の皆さんの問題意識が高い!

「ホールの担当者になって、『藁をもすがる思い』で勉強しないと・・・と思って参加している」とする公務員の方や、既に公共ホールの指定管理者として仕事に従事しておられる民間企業の方、ご自身でホールを所有され、マネジメントを考えておられる方などなど・・・参加者の顔ぶれも多彩であり、立場の違いはあれどいずれも「公共ホール」について在り様、めざすべき姿について真剣に向き合おうとしているわけでして、議論についていくだけでアップアップしそう。既に本日の講義で消化不良を起こしかけております。

 

今日はまず、イントロダクション的な話から始まりましたが、やはりパルテノン多摩の大規模改修を進めていくにあたっては、舞台設備・技術のことがわかる専門家=ホールの実務家と言われる人材が必要不可欠であり、設計段階から関わってもらうことで、「よりよいホール」になると確信しました。例えば・・・LED照明をどう取り入れるのか?という問題、照明だけではなく音響などなど機材全般は日進月歩でどんどん新製品に更新されてしまうこともあり、トレンドを掴みながら、個々のホールの要請に適した設備機器導入へのアドバイスが有効であるとの指摘がありました。ホント・・・その通りだと思います。舞台機構などの分野はあまりにも専門的すぎて俄か仕立てで勉強しても理解できるようなものではありません。照明卓ひとつとっても、公共ホールの場合には一般的には4~5千万円くらいのものが使用されているようですが、海外一流最高級の製品で百万円単位で使い勝手もよいものが選択でき、コストは大幅にカットしたとする実例、大規模改修でせっかく設備機器を更新できるチャンスにも関らず、照明をつるしたりするバトンが従前、従来の耐荷重を前提にした時代遅れ製品に交換されただけであることに気がつかないまま設計工事へと進んでしまうという悪事例、空調設備のつけ方ひとつにしても失敗事例の場合には空調をスイッチオンすると舞台の袖幕などが風で揺れる状態になっているなどなど・・・・いくつかの具体的かつ笑えない事例が紹介されました。(ちなみに、いわゆる劇場設計をいくつも手掛けている設計会社さんやコンサルタント会社さんが関わっていたとしても・・・残念な事例が散見されるとのこと。)

 

話しを聞きながら、現在着々と進んでいるであろう?我が多摩市のパルテノン多摩の大規模改修に向けた基本設計もそろそろ年度末に向けて完成していくはずというか、そろそろ仕上げ段階になっているはずなのですが、大丈夫なのかしら?・・・不安が募ります。ホールの実務家が存在しない状態で、改修工事が突っ走ることは危険では?と思います。パルテノン多摩の大規模改修工事について「失敗事例」として紹介されるようなことは避けたいですね。

 

って、その前に「どんなホールにするのか?」の議論が深まっていない状態のまま、ホール改修を進めるのがそもそも最悪パターンのはじまり・・・とも言えるかも。講義の中ではいくつかの公共ホールの設計にかかわった建築家からの報告もありましたが、「設計×運営」と一貫した共同体制の必要性が指摘されていて、「ホールをつくる人」と「ホールをつかう人」とのキャッチボールの中から「よりよいホール」が生まれるとおっしゃっていましたね。今はその作業工程が見当たりません・・・・というと語弊があるかもしれませんが、「どんなパルテノン多摩にしようか?」のみならず、「そのための運営をどうしていこうか?」とする視点の欠如を指摘せざるを得ません。

加えて、「ホールにいつも人がいる状態をつくること」・・・その仕掛けづくりが肝であるとのご指摘もありましたが、日常的には閑散としている公共ホールや美術館と比べて、いつも賑やかで人がいるのは図書館・・・・だから図書館とホールの組み合わせなどは有効かもしれない・・・・とのことですね。確かに、視察見学をした大和市のシリウスなども図書館とホールが一つの建物に同居させることの効果を狙っていたように思います。特に集客という意味からは有効な視点。多摩市の場合にはせっかく図書館の新設も浮上しているのに、いかに連携していくか・・・机上の空論としか思えないよう「縦割り行政温存」の議論が進行しています。このまま図書館の方だけ、基本構想が固まり、基本計画へと着々と進んでいくとしたら、これまた私個人的にはいかがなものかと思います。問題になっていることは、パルテノン多摩大規模改修を手始めとする多摩センター地域全体の活性化問題だと私は捉えていますし、そのためのグランドデザインを描くことだと主張してきました。

 

さぁ・・・パルテノン多摩の場合にはどんな選択をしていくのでしょう?何かイベント、催事がなくとも「ふらり」立ち寄れるような空間=広場として公共ホール・・・・今のパルテノン多摩からは想像できない図ですが、仮にも大規模改修をすれば、誰もに開かれた居心地のいい場所として存在意義と価値を発揮してくれるのでしょうか?そんな見込みはあるのでしょうか?(私はそのあたり、疑心暗鬼になっております。)。いずれにせよ、大規模改修をするということは、今後30年間パルテノン多摩を存続させていくということ、毎年の運営経費を拠出していくということ・・・・確かに、パルテノン多摩の大規模改修に関するアンケートでは「残してほしい」「なくさないでほしい」とする声が多かったのかもしれませんが、その選択により、私たちが負うべき責任、もしかしたらリスクも含めて、ちゃんと認識され、理解されているのだろうか?・・・このあたり、私の中ではいまいち確信が持てないところです。

 

三越前の十字路からパルテノン多摩まで・・・「人がなかなか歩こうとしない」・・・物理的問題か、心理的問題なのかわかりませんが、ここにどう工夫を持たせ、パルテノン多摩まで人の流れをつくるかにアイデアが全く披露されていないのが本当に残念です。改修したとしても、そこに何の知恵もなければ、人は来ない。「場所があれば来る」というのは私は違うと思っています。雨が降っても人が集まりたくなる場所にできるかどうかを考えていきたいですね。「雨の日ピクニック」・・・ちょうど公園も隣接しているのでいつでもどこでもピクニックできるようなイメージにしたい。

 

そんなわけで、明日は「文化政策」のおさらいで、国の方向などを学ぶ講義からのスタートです。雪降らないといいなあ・・・。「よりよいホールをつくる」ためにパルテノン多摩を大規模改修するのであれば、「よりよく」するために必要な作業を改めて洗い出し、今の取組みに不足しているところについては補強していかないと・・・このまま改修工事に前のめりになり、突っ込んでいくとしたら・・・不幸になるのは市民です。