3月議会 予算委員会2日目

気持ちを調えて朝を迎え、今週も始まりました。今日から「マスクは着脱は個人の判断」になりましたので、朝の駅頭宣伝活動もマイクでの演説を再開することとしました。ということなのですが、議会では「マスク着用」がルールになっているので、いつもと何ら変わりなく…マスクを着けたまま喋らなければならず、咽そうになります。加えて、今年はひどく花粉に体が反応しているようです。10年に一度で、大量の花粉が飛散しているとも言われているとおりのことですが、それにしても、今まで「花粉症」など感じたことはあまりなかったのに…と思います。

さて、今日の予算委員会もいつものどおりと言えばいつもどおりです。私は今回の予算審議にあたっては「1.5人の若い世代で1人の高齢者を支える2040年」をことさら意識しています。「2040年問題」のことを考えればこそ、今、もっとスピードを上げて改革に取り組んでいかなければならないと強く思っている今日この頃。「将来的には…」という言葉で、「いつの将来をめざしているのか」を曖昧にしたまま議論をしていくと、結局、将来はずーっと続いていくはずなので、出口がないまま、全てが有耶無耶になってしまいそうな気がしていて。

もちろん、新型コロナが想定外のことだったり、あるいは、地震など含めて、予測しがたい要素もたくさんあると思っていますが、でも、私が議員になってからあっという間に20年過ぎてしまったことを考えると、2040年はあと17年後のこと…それまでに、解決しておかなければ、本当に後の世代にツケ、負担を残すだけの結果になりそう。例えば、大規模改修したパルテノン多摩の20年後とか、7月に開館する中央図書館の20年後、30年後のこととかも頭に置いて、今、何をしておくべきなのかを考えていくことが必要…2023年度を「新しい未来への基盤づくり」と位置づけているのなら、人口が減少して、働き手の確保も難しくなっていき、それこそ、老朽化した施設だらけになっていくことをもっと切実に捉えていくような、「今だけ、自分だけ」にならないで、行政活動を進めていけるような風土や環境をつくっていくことが大事ではないか?と思わずにはいられないのです。もちろん、行政の活動は市民の理解があってこそ、成り立っていくものなので、「市民理解」というのか、市民、社会における合意をいかに形成するのか…ここは外せない視点です。ただ、間違いなく、「今までのようにはいかない」と思うのです。

という視点で、来年度の予算を眺めていて、今日は、パルテノン多摩にも来年度は4億円の予算がついていること、そんな予算を今後も出し続けることができるのか…とか、地域にある施設の存続問題についても「今まで通り」を温存することはなかなか難しいと考えている立場で質疑しました。

それほどお金がかからずにできること、ある意味、職員人件費さえあればできることについては、かなり行政も頑張って取り組んでいます。例えば、取り組んでいる事業の周知徹底みたいなことについては、きれいなカラー印刷でなくともチラシ、ビラなどを職員さんが作成するとか、ホームページに情報を掲載する等々…でき得ることについては、特に、議会の提案であれば、可能な限り応じたいと前向きにやっていることは事実。

今日の質疑でも取り上げられた「おくやみハンドブック」についても、公明党の本間さんからの提案があり、発行するにあたっての市の予算はゼロでできるとあれば、すぐに対応。先日、発行した際には、「発注を多くし過ぎたかもしれない」と聞いていたところが、すでに完売御礼という状況だとか。これに限らず、小さいことであっても職員で対応して、その方が市民にとってもメリットがあると判断されることについては一つずつ対応されているようにも思っています。(もちろん、すぐにできそうなことでも、全然対応されていないところもあるにはあるのですが。)

 

しかし、「無駄をなくす」ということで、ちょっとずつのコストカットで工夫をするには、もうかなり限界にも達しているのでは?と捉えています。ありきたりの言葉で言えばこれからもっともっと「メリハリ」をつけていく必要もあり、その視点をどう持ち、実行していくかが問われていくのでしょうね。頭ではわかっていても、いざ実行するところで、ハードルが立場はだかるのですが。でも、現状では「未来への先行投資」と言って、取り組んできたことがいくつもあり、その結果を踏まえ、、改めて、今後の市政運営をどうやって最適化していくのか、個別最適が全体最適にはなっていかないので、その調整をどうしていくのか「調えていくか」が問われます。市長のリーダーシップ、実行力が今まで以上に試されるというか、求められます。もっと、発揮してもらいたい。