雑感・・・。

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週末22日日曜日・・・子ども食堂?だれでも食堂?・・・地域でいわゆる「子ども食堂的」活動に取組んでいる団体が集まったフォーラムがあります。「健幸都市・多摩」の一つの事業の柱にもなるようなならないような?!残念ながら、私は参加することができませんが、ご興味、あるいはご関心のある方はぜひ会場を覗いてくださるだけでもありがたいです。ちょうど、昨日の夜、年明け初めてのハーモニーカフェが行われ、総勢75名ほど参加するという大盛況に終えたとの報告がありました。子どもの貧困対策に端を発し、子ども食堂の活動は全国でも広がっているのですが、「貧乏」と「貧困」との違いを再認識するとき、「困っている」=「食事がない」と必ずしもイコールにはならないことがわかってきます。ハーモニーカフェではいまや忘れられているというか、あまり使用されることのなくなった「だんらん」という言葉をキーワードにして出発しています。課題は・・・現実的にはやっぱり資金的な問題、それ以上に地域でお手伝いしてくれる人材を確保することかな・・・いろんな人たちがちょっとずつの想いを持ち寄れるような場になるのが理想的です。

さて、私は立教大学で開催されている「公共ホール」を考える集中講座に参加しておりますが、講義を聞けば聞くほどに「パルテノン多摩の存在価値、存在意義」について、議論していかねばならないとの気分になっております。「なぜ、私たちはパルテノン多摩を所有し続けるのか?保有し続けるのか?」について積極的な意味を確認することが大切かもな・・・と思うからです。確認した上に、「やっぱりパルテノン多摩必要だ!」となれば、大規模改修もすればいい。もちろん、その時に・・・行政の縦割りレールにのっかって議論するだけでは不十分だと考えていますが。

めんどくさいこと、時間がかかること、一度決めたことを変更することほど大変なことはない。

でも、もう一度、今、結論はどうなるか、もしかすると結論はさほど変わらないのかもしれないけれど・・・議論することが必要ではないのか?と感じています。「ちょっと立ち止まったら?」・・・とブレーキをかける市民あるいは議員に対し、「うるさい」「わずらわしい」そして、「めんどくさい」・・・私なんて「ハシゴ外した」とまで面と向かって言われたことには驚いたわけですが、でも、「将来に向けた私たちの責任」が少々置き去りにされているように感じている限り、きっとこのプロジェクトに対し、私は手を上げられないだろうと思っています。相当、恨まれたり、嫌われるのかもしれないけど、それは仕方がない覚悟の上ですから。

ということで、公共ホールが果たすことのできる社会的な役割、その可能性があるからこそ、ていねいな議論の積み重ね、そしてまた、そのために必要な改修に取組んでいくべきですね。老朽化対応で単に修繕するだけでなく、まちづくりプロジェクト、地域活性化の重要な一角を占めるプロジェクトという位置づけと、「まちの発展と持続可能性」との塩梅を考えること・・・必要だと考えています。議会でもその視点で議論が尽くされているとは・・・おそらく言えないでしょうから。

ぜひ、パルテノン多摩や多摩センター地域活性化を含め、ご意見ある方はお寄せください!