金沢市のふりかえり。

他市事例調査のふりかえり。氷見市を後にして、向かったのは金沢市。午後から金沢市民芸術村のヒアリングの予定が確定したので、午前中にどこか・・・と思って向かったのはシェア金沢。実際に経営されている方からお話を聞くことが出来ればまた違ったのかもしれませんが、見学で受け入れてもらったので、園内(?)を一回りして終了。「Continuing Care Retirement Community」ということで、もう少し、何か感じることがあるかなと思ったのですが、自然に囲まれた静かなところで、人の気配もそれほどなく、歩いている方でもいれば話しかけることもできたのですが、そういうわけにもいかず少し残念でした。もともと子どものための施設を運営されていた社会福祉法人さんが、老朽化していた施設のリニューアルにあたって土地を探しが始まったのがきっかけ。それでたどり着いたのが病院の跡地で、必要な面積だけ手に入れようと思っていたけれど、そういうわけにはいかなかったので敷地全部の購入となり、その延長線上に「シェア金沢」の構想となったよう。また機会あれば改めて調査する価値のある場所かもしれないとは思いました。

高齢者のための住宅、学生のための住宅・・・学生さんたちはこの場所でボランティア活動をする代わりに低廉な家賃で住居にすむことができる、あるいは事務所やお店などもありましたが、高額にテナント料を支払う代わりに、この場所で還元できるサービスを提供するという循環があるようでした。ていねいに暮らしを成り立たせ、そこに住まう人たちで「シェア」する仕組みづくりにトライしている場所ですね。もう少し、突っ込んでヒアリングなどする時間があればよかったのですが、受け入れる側との都合で不十分な見学になりましたが、「コミュニティどうあるべき」という一つの発想を垣間見ることはできました。

そして本題?の金沢市民芸術村へ。広々した空間、空も広い!・・・元紡績工場を活かした場所です。もともと金沢は伝統文化はもちろん芸術などについても街全体の風土としても造詣が深いと言える地域です。ここは「市民利用」に主眼を置いた場所であり、前市長さんの強きリーダーシップにより、実現した場だと理解しました。

まずは24時間使用できてしまうという・・・ことが驚き。これに関しては、24時間で警備会社さんに委託をし対応していました。日中はアルバイト、夜間は稽古を行う・・・というスタイルにもマッチしますね。あるいは早朝6時から8時みたいな感じで楽器の練習をしに来る方もおられるようでした。24時間体制と言う、なかなか考えられない運営を行っていますが、大きな問題なく20年が経過しているのは、この場所に愛着を感じ、大事にしよう。だからルールを守ろうと考える人がユーザーだから・・・とも言えます。部屋については「火を出さない限り」は自由に使用し創作活動ができますが、ごみは持ち帰ること、飲食はしないこと、終了したらきれいに掃除をすること・・・マナーもルールも徹底されている模様。こういうのいいですね。

ちなみに自主事業として創作表現活動を中心にしたワークショップなどがかなりの本数実施されていますが、これらはドラマ、ミュージック、アートといった分野それぞれに市民ディレクターが数名ずつ存在し、彼彼女たちの企画によるものだとか。行政的にはアクションプランの実施ということになります。そしてディレクター全体を統括するのが総合ディレクターさん。全て1年の雇用契約になっているそう。募集をかければ、やりたい人が集まってくる・・・魅力がある場所であることの証ですね。(可児市文化創造センターの衛館長によるエッセイ

外観とざっと解説を受けただけでは、理解しえないことや見えてこないことの方が多いと思いますが、それでも私が感じたのは、「この場所大事にされている」ということでした。ここに移設された古民家ではパフォーマンスでも多く利用され、ここで舞台を行う場合もあるそう。機会あれば見てみたいです。

そう、管轄しているところが別とのことでしたが、ちょうどお隣には「職人大学校」もありました。連携した事業もやっているのかしら?
いずれにせよ、ここは自由な発想を活かして、創作表現できる場所として、そして芸術文化を小さく生み育てていく場として存在している。利用料金が安くてびっくりすること、音楽の機材等など含めて、無料で貸出されていることにも驚きましたが、そこは金沢市の財政力と言うより、考え方なのかもしれません。

総合ディレクターの方などにもお話を伺えるかどうか、予めお伝えしておけばもっとよかったなと調査ツアーを企画した私としては反省したところです。ただ、実際に行ってみてわかることは多い。足を運んでみたから「なるほど」って思えることもたくさんある。

それぞれ感じたことを多摩市政へと反映させることができると良いなあ。自由な創作活動が制限されることなく、そしてアートに足を踏み入れるかどうか迷っている人たちを後押しでき、そして、フォローもしていけるような場所・・・もし、パルテノン多摩がこうした場になれるなら存在価値が増し、市民にもなくてはならない無視できない存在となっていくでしょう。それっていわゆる施設の素晴らしさ以上に「運営」の問題であることは明らか。今、パルテノン多摩が「あってもなくてもよい」存在にしかなってない理由、もっと言えば、「お金がかかるなら『ナイ』ほうがいい」理由・・・もっと運営者も考えていく、そしてまた、運営を任せている市も考えていく必要があるでしょう。きれいな言葉だけを並べ立てても、もはやだれにも響かない状況を私たち議会もまた受け止め考えていくべきでしょうね。自戒を込めて・・・。