避けて通れない「お金」の問題。

20160324

子ども教育常任委員会でした。思った以上に風邪がこじれている風なのかもしれませんが、至って元気。喉は痛くないけれど、音声不良の壊れたマイクかラジオのような声になっております。今日は、議案としてはそれほど重たい内容のものはなく、アクアブルーの営業時間の一部見直し、児童館の開館日や時間の一部見直しなど既に説明を受けて、概ね了解できる内容だったのでよかったです。他には4月から市役所で一部組織変更があったり、法令改正に伴う条例の内容見直しやら文言整理。いずれも異論もなく委員会可決しております。

で、議案審査が終了後、各担当課から現在取り組んでいる事業の進捗状況やらの報告やら説明をうける「協議会」になりますが、・・・・予め「パルテノン多摩」と「読書活動振興計画」が案件になっていることがわかっていたので、今日はその2つのところで「発声する」ことを決めて、委員会に臨んでいたという感じでした。

パルテノン多摩については、かなり意地悪いですが「そもそもなぜ市民参加をして大規模改修に臨むのか?」って確認しておかないとと質疑したところ、「30年前とはホールも諸室も使い勝手が変わってきているので、それについてご意見をいただきたい。」と・・・・後から振り返れば、「ああ、そういうこと・・・。」とも思ったわけですが、しかし、「えっ!それだけ?!」ってその場では思わず反応してしまいました。マンションリフォームみたいに「和室を洋室に変更する」という感じ?と思ったんですね。正直、それなら、すでに使用実績や使用者の声や意見は蓄積されているはずで、あえて大げさに市民参加をする必要はないのでは?と。「なんで単なる施設の改修に市民参画を入れなければならないのか、意味が解らない」とおっしゃるかたもおられるのですよね。

それもその通り、パルテノン多摩はどんな施設であるべきか?どんな背景で建設されてきたのか?その施設が果たすべき使命は何か?・・・・過去の資料をめくると現在にまでその価値変わらず、少しも色褪せているとも思えないような構想が既に存在しています。今回の大規模改修にあたって、「施設を再生させていく」とする視点を語る行政ですが、「再生って何?」・・・言ってみれば、「今、どこに問題があるのか?」をそれなりに分析しておく必要があると考えています。時代環境がどう変化しているのか、その中で従前掲げられた使命を果たしていくために「何をすべきか?」・・・それって実は「施設改修」だけで実現できるものではなく、その後の運営の仕方だったり、市民とパルテノン多摩との距離感をいかに縮めていけるのか?という工夫だったり、そのためにどんなコンテンツを盛り込んでいくのか?という企画アイデア、知恵だったり・・・なので「大規模改修」というのは単なるきっかけに過ぎないはずなんです。これはもちろん私個人的な考えなのですが、ここから多摩市の文化行政の存在意味とか価値をもう一回確認できるのでは?とか思ったり。

ま、理想論かもしれませんけれど、いろいろ報告書とか読んでいるとパルテノン多摩で何ができるんだろう?ってちょっとワクワクするんです。

以上がパルテノン多摩のこと。担当部長さんや課長さんの発奮をさらに期待します!その発奮を支える体制づくりは執行部によくよくお願いし。あとは担当者も少しは補強されるらしいので、期待するしかありません。ちゃんと優しく厳しく監視します♪

次いで「図書館本館」問題に関わる読書活動振興計画の話題。「読書活動を振興すると言っているけれど、それを支える体制を縮小しようとしていて、言っていることとやっていることが矛盾している」という市民からの指摘。

決して、そういうわけではないんですよね・・・。でも、そう捉えられてしまうのはなぜでしょう?・・・・共産党の橋本議員は「誤解されている」っておっしゃっていて、とてもやわらかやんわりと市教委に指摘していましたが、私は市民は別に「誤解はしていない」って思っています。なぜなら、今現在、市民に示されている提案内容は、「言っていることとやろうとしていることに矛盾が感じられて仕方ない」と指摘する市民の皆さんの批判に耐えられる内容ではないからです。

 

「図書館好きだけれど、図書館だけやっていればいいわけではない」・・・というのが行政ですよね。議員も多くかれ少なかれそのように考えていると思います。全体を見回すと、判断が本当に難しいし、決断力も問われます。でも、そこをいかに説明していくのか・・・ですね。

 

「図書館だけをやっていればいいわけではないけれど、でも図書館も守りたいし、維持をしていきたい・・・そのためにどうしたらいいのか?」を市民と一緒に考えることだと思っています。計画の中に「図書館だけやっていればいいわけではない」なんてことを盛り込むのはふさわしくないと思いますが、でも、読書活動振興計画をつくる段階で市民にも実情を理解してもらえる環境を整えていく。

 

ここがきっと行政の役割なんだと思います。そのために必要な情報をきちんと公開していく。わかりやすく提示をしていく。これこそが必要であり、大切ですね。

 

これから、ますます多摩市の高齢化は深刻化します。想像以上以下にというものではなく、担い手となる私たち世代はとても大きく負担をしていかなければならないでしょう。どんな問題課題でもそうだと思いますが、当面が凌げればいいということではなく、長期的に見てどうしていくことがいいか?一足飛びに問題解決しようとするのではなく、段階的にでも今後の方向性やら考えていかないと、それこそ想像以上に大変な事態を誘引している「今」になっているかもしれません。明日のことも大切だけれど、私はやっぱり「未来」を大切に考えないといけないと思うので。私たちだけであらゆる資源を使い果たしてしまうような、消費してしまうようなことだけは避けたい。悲しいけれど・・・「お金を度外視できない」・・・デス。

今までは、市民参画をして、たくさんの夢を盛り込んでもらって、実現することもそれなりにできたかもしれない。でも、これからの市民参画と言うのは「市民に取捨選択を求めていく」ためにあるのではないか?って思っています。「お金の問題は避けて通れない議論」・・・ナノデス。図書館のみならず、他の施設問題でも同じこと言えそうです。

 

と言っていると、「じゃあ、なんで莫大な投資をしてパルテノン多摩を大規模改修するんだ!」とか批判噴出しそう。「でも、だから、パルテノン多摩の改修」に心配もするし、いろいろ注文も付けなければいけないし。また、「たまたまめぐりあわせで担当者になっている」だけかもしれない職員の皆さんだけの問題ではない・・・って思うんです。「パルテノン多摩の大規模改修に出せる金はあっても、○○には冷たい」と言われないようにしなければならない。そのために市役所全体でも、きちんと襟を正して仕事をしていかなければならないし、もちろん議員も、附帯決議はつけたとはいえ、大規模改修の基本計画や設計の予算を認める方向になっているわけで、緊張感をしっかり持たねばならない・・・というわけです。

 

実際に、「パルテノン多摩、ホントにあんな金かけちゃうの?」

 

って普通に言われます。

 

もしかして、日常的にパルテノン多摩のユーザーの市民はほとんどいないはずなので、この反応が「普通」だとも思いますし、私も議員でなければ、諏訪住民としては「えーっ、またそんなところに税金使うわけ?信じられない!」って感じると思うのです。

 

この反応をどうやったら覆せますか?そのためにどんなことができるか?

 

私はどう説明できるだろう?

 

 

これがいつも原点ですね。市民にきちんと説明できる内容をつくる。「自信を持って説明できる」・・・・・こうありたいですね。行きつくところ・・・そのために、「やるしかない!」というのが結論。