私たちとマスクと。教育長のメッセージのこと。

多摩市内はツツジがたくさん植わっている気がします。道路沿いとか…。桜が終わると、次はツツジかなあなんて思いながら、今日は自転車移動をしておりました。

さて、教育長がホームページでメッセージを発信していることについて、お問い合わせをいただいています。「なぜ、多摩市では教育長がこうしたメッセージを発信できたのか?」…議員のごり押しなどがあったのか?とか、ノーマスク学校生活宣言との関係性についてもお問い合わせをいただきました。

でも、議員のごり押しはないですし、保護者の方が教育委員会に「ノーマスク学校生活宣言」を提出したという経過は伺っていますが、決してそれだけのことではありません。

そして、多摩市が「マスク自由化をした」というような刺激的というかセンセーショナルな評価?をされていることから注目もされていますが、「マスクを強要はしない」ということで、基本的には感染症対策として「マスク着用」を否定はしていませんし、「マスク自由化」というのとはちょっと異なります。事情があって、マスクを着用しない場合もあることを認めていく必要があり、そしてまた、その場合に区別や差別、偏見を持つことはあってはならないことを伝えているに過ぎない。

改めて、教育長が言葉にして発信をしたという意味は大きいと思っていますが、しかし、今までと大きく何か方針が変更したとか、そういうわけではなく、「あえて、発信がされた」だけの話しと私自身は受け止めていて、当たり前のことを述べているに過ぎないと感じています。

ただ、繰り返しになりますが、こうして発信したことの意義は無視できないほどに大きく、反響があまりにも大きいことに逆に驚いています。

もともと、なかばマスクを強要されている状況に違和感を覚えていた方々がいらっしゃること。また、教育委員会に対して、働きかけをしていたことも事実。そうした働きかけの積み重ねがあり、ある意味、お互いの立場を理解し合いつつ…という何度かの話し合いを経て、年度が切り替わったタイミングで改めて教育長がメッセージを発信してくれた…これが私の理解です。マスク着用の是非に関しては、いろんな論評というのか、有効性に対する意見などもさまざまあり、市民の方の中にもいろいろなお考えがあります。ただ、「義務ではない」…ここを忘れてはならないと私は思っていて、強要と強制のような圧力や圧迫感を感じ、苦しんでいる子どもたちがいる事実から目を背けないでほしいと思っております。マスクが苦しくて、そしてまた、一人だけマスクしていない、できないことが苦しくて、学校に行きたくなかったり、これはマスクとはまた別の話しですが、子どもたちが楽しみだった給食の時間も「黙食」により美味しさが半減したり、ただ腹を満たすだけの時間に苦痛を覚えたりなどなど…本当にいろんなことが起きています。こうした状況に当然ながら、保護者が子どもを守りたいと思い、声を届けたい…と思って、行動すること…不思議はありませんよね。

 

何というか…。私は教育長のメッセージについては、事情がありマスク着用ができない子どもたちの息苦しさを受け止めたうえでの発信であり、むしろ、こうしたメッセージを発信しなければならないような学校の状態、状況があるんだなとも理解しています。ですので、センセーショナルに大々的に宣言されたことがむしろ教育長の想いに反したところで独り歩きしてしまうのもなあ…と懸念しております。

 

連光寺小学校の校長先生が綴っているのかな、活動報告に書いてありましたが、

体温調整としての衣服の脱ぎ着、教室内や体育、休み時間など、体に熱をこもらせないように状況に応じて「マスクを外すこと」「マスクをずらすこと」を話しました。

校長の話のときは、マスクをずらして深呼吸をして聞いてもらいました。(児童は話しませんので)

こうしたこと、とっても大切だと思っています。子どもたちが深呼吸をして…って。先生がきちんとアナウンスすることで子どもたちは安心できるんです。そして、自分自身の身体とマスクのことについて考えて、適切な振る舞いができていくようになるのでは…とも思うのです。基本的には「マスクは着用を」の方針を変えているわけではないことを踏まえ、だとしても、改めて「マスクって、本当は咳エチケットのためのものだったよね」ということを思い起こしながら、これからの対応を考えていけるといいのになあと私は思っています。

パルテノン多摩の市民ギャラリーに足を運んできました。リニューアルして、プレオープンしてからは初めてのこと。使い勝手とかっていろいろあるんだなあということもまた知ることができたりで、第46回目を重ねた多摩市民美術会に所属されているみなさまの力作を見せていただくことができてうれしかったです。