清渓セミナーに出席しています。

今日と明日、フェアな市政の折戸議員と白田議員と研修会に参加しています。日本青年館で行われていて、今回で25回目を重ねる清渓セミナー。日本青年館も東京オリンピック・パラリンピック開催を見据えてリニューアルがされていたようで、すっかり見違えるほどになっておりました。河川改修大会の会場になっていたので、隔年でホールに来ていたころを思い出しますが、こうして建替えされた建築物やら再開発された場所に触れるたび、「昭和が消えていく」というような感想を抱いてしまう私です。会議室の窓から見えるのは神宮球場。眺めがよかった!

さて、研修会では明石市の泉房穂市長からの講演と福知山市の地域住民協議会の運営に関する現状報告等伺うことができました。オンラインセミナーでも泉市長のお話を聴く機会がありましたので、私にとっては復習できる良い機会でもありましたが、やっぱりリアルで話を聞くということの重要性を一段と確認できたひとときでもありました。本気度と真剣さが伝わる講演、その勢いには圧倒されるわけですが、「明石市だからできるわけではない」ということを何度も強調されていました。市長が個性的だからできるとか、そういうものではなくて、「私は海外で成功している取り組みを明石市に輸入しているんです。だから、成功して当たり前です。」ということをサラリとおっしゃっていましたが、結局、市長の本気度やら真剣さが明石市行政の組織を動かしているということでしょう。

やっぱり、そう職員数は削減しているけれど、子ども部門の職員数を就任時の39人から3倍増にしていて133人…さらには職員の市tも重要だということで、弁護士は12人、福祉職などの専門職を65名も採用…でも、専門職の方々は、専門的な知見はあるけれど、日常的には他の職員さんと同じように行政事務をこなしていて、専門知識を活かさなければならない場面に出会ったときにはその力を発揮するようにしています…という話しでもありました。いい人を採用していきたいから、全国から公募して、明石市に引っ越してきてもらうというのも決してマイナスではないですよね。どんな風な組織風土なのかと、ちょっと関心あります。

明石市は児童相談所も市で設置していますが、国基準の2倍の職員を配置していますが、それでも不足していると。「国は職員の配置基準を見直して、増員したといっているけれど、もともとの基準が間違っているから、ちょっとくらい増やしただけでは不十分」と実感を持って語れるので説得力あります。「虐待で子どもたちの命が助からない事例が後を絶たない」ということに心を痛めておられるようでした。このことも何度か講演中におっしゃっていましたね。

そして何と言っても私が感激させられるのは「明石市の子どもはみんな私の子どもと思っている」ということ。「その子が自分の子どもだったら…」という気持ちだとおっしゃっていました。だから、明石市の子ども施策展開は動いていくのかもしれません。支える職員組織も必死になれるというのか。「日々、闘っています」とおっしゃっていたこともまた嘘ではなく、「前例踏襲」から一歩踏み出そうとしない職員、「他市ではやっていません」と横並びを意識しがちな職員さんたちと徹底的に対話をしたり議論をされているのだろうと想像します。しかし、「すべての子どもたちをまちのみんなで本気で応援すれば、まちのみんなが幸せになる」というぶれない信念と、実際に、それによって人口が8年連続増えていて、出生率も上昇し、税収も増えて、貯金も増えて…という結果に表れていれば、動かざるを得ないでしょうね。

「市民が応援してくれているから」

市民の応援は議員に伝播し、そして、最後に職員に伝播するという実感込めたエピソードには「なるほど」と納得ですね。暴言発言などでも全国的に話題になった市長の偽りのない言葉一つ一つ、説得力があったように思いました。

 

次には、兵庫県の福知山市からの事例報告でしたが、市町村合併とその後の報告…という感じでもありました。地域自治組織として設置された住民協議会の現状は「今後の担い手育成」が課題になっているという話しであり、まさに、それは多摩市のあらゆる市民活動とも共通するところだなと思いつつ聞いていました。そしてまた、「コロナ禍でイベントを自粛することに伴って、実質的に機能停止をしている組織も存在する」との指摘には同感。つまり、住民協議会というのはイベント実施を目的としているわけではないということ…本来、その組織はどうあるべきなのか?…「存在価値」「存在意義」を見直したり、再考するいい機会が訪れているという認識をしてみたいとのことでした。

「なるほど」…その組織の目的というのか、めざすべきところというのか…イベント実施に追われてしまい本来の姿を見失っている場合もあり。これ、行政が主催しているイベントなどについても当てはめて言えることかもしれません。イベントを成功させることにだけ一生懸命で「本来的には…」ということが置き去りになっていて、でもまた次のイベントをやらなければならなくて…というような。

いずれにせよ、コロナ禍はこれからも続いていくと思うので、「大事なことは何か」を見失わないようにしながら、「新たな様式」というか「新しいカタチ」を模索し、その都度その都度、答えを出しながら進んでいくしかないのでしょう。議会から行政の取組みを評価する際、「イベントを実施することが目的化している」と言われることもありますね。あとは、行政は「計画を作ることがいつしか目的になっている」と指摘されることもありますが、まさに、今のこの状態や状況をチャンスととらえて、一つ一つ行政の事業見直しなどが進んでいけばいいなとも思ったりしました。

泉市長がおっしゃっていたように「それ、今年やらなければならないことなのか」という視点で業務の取捨選択と優先順位をつけていくということ。今の仕事を減らさないと新しい仕事はできない、職員はパンクをしてしまうからこそ、「したほうがいい」で行われている行政の各種事業に向き合い、「今すぐではないものは凍結して、先送りもする」。そして、今やらねばならないことに重点的に取り組むことが何よりも求められます。これもまたコロナ禍で問われていることでもあります。人的資源もそう。そしてまた何よりも財源も。

 

久しぶりに研修会に参加をし、コロナ禍で関東近辺の自治体からの参加が多いとはいえ、熱心に受講されている方々と机を並べることができるのも大いに刺激になるというか、視野を広げる、見聞を広げることの必要性を感じた一日でした。明日も、研修会は続きます。