決算審査は3日目が過ぎ。

今日も(予算)決算特別委員会です。全体会の3日目です。議事係長に聞いたら、私の議席のところにある「7番岩永ひさか」のところを隠して「議長」となっているので、議場にいても大丈夫とのことでした。とは言え…議場にいるとついつい質疑をしたくなってしまったり、ついつい野次るという程でなくとも、何かしらボソッと言葉を発してしまいそうなので、議事係さんと一緒に録音室で傍聴する方がいいなと思っています。

議事係と言う地味な地味な仕事と言うか作業の舞台裏も見ることができます。舞台裏風景も見慣れてきたというよりか、決算審査も3日目を迎えたところで、議事係の皆さんの操作も手慣れた感じになってきており、安心感も増してきました。議事係さんはここで機器の操作もしながら、しかしアナログで手書きの記録もつけたり、全体の進行状況(各会派が消費した発言時間の管理)なども手計算(計算機利用しますけれど)したり、あとは発言内容についても簡単なメモを作成しています。議事係で録音室にいると、自席ですべき書類作成などができないわけですし、会議が終了した後に、一日の振返りと翌日の準備をするため、どうしても残業になります。

議会事務局も「残業を増やさない」ことを目標に掲げて取り組んでいて、局長や次長も職員の健康管理面含めて、仕事全体のマネジメントをしています。タブレットを導入したり、パルテノン多摩大規模改修の特別委員会が行われていたり…あとは今年から速記者を廃止したために、その分、議事録確認の手間も少し増えている様子。「嫌だなあ・・・議会の仕事。」って職員さんたちが思うことなく、仕事ができていればいいなと願うばかりです。

録音室にいるのも見張っているわけではないのですが…そう思われているかな…とか少々気も使いつつ、音声で流れてくる質疑応答などを聴いて、「なるほどね」とかって時々会話も交わしながら、同席と言うか居させてもらっています。

今日は民生費から質疑が始まり、衛生費、労働費、農林業費から、商工費を経て、土木費までたどり着きました。各議員それぞれの興味関心に沿って質疑が行われています。私が日ごろ思っていること、感じていることを質疑で指摘し、意見を述べて下さる方もいらっしゃって、その時にはうれしいです。あえて・・・「ココ」ということを述べることはしませんが、いずれの議員の皆さんの指摘に「なるほどな」と思えるのです。

そしてまた、新しく課長さんになり、今回の決算特別委員会で初答弁されている方々の答弁がすごくわかりやすくて「いい!」と思います。それに、なぜか私、「女性課長」さんの答弁の方がすこぶる分かりやすいとも感じます。女性の課長さんの方が思いっきりがいいというか、歯切れがいいというか、「すっきり」聞ける答弁をしてくれるのがいいですね。

今日の会議は終了しても、市役所はまだまだ煌々と…。今日は月曜日ですが、議員の皆さん含めて、明日以降の質疑の調整なども行われているようでした。

 

昨日は葛飾区で行われた「東京都原爆犠牲者追悼のつどい」に行ってまいりました。行ってみないとどんな集いであるのかもわからないわけですが、東京都が主宰者であるため都知事代理、都議会議長、都議会各会派代表のみなさんは出席されていました。国会議員は公明党の竹谷とし子参議のみ。そしてまた、自治体関係者は葛飾区長さん、あとは葛飾区議会議長、豊島区議会議長、小平市議会議長、私のみ。あとは自治体によっては電報が届いており、入口のところに掲示されていました。でも都内すべての自治体というわけではないです。

電報を見比べるわけではありませんが、その自治体の長あるいは議長さんの姿勢がこんなにもはっきりと表れるものだなあとしみじみと感じました。思いの丈などが文面でしっかりと綴られているモノから、社交辞令的なモノまでホント千差万別様々。

阿部市長からもメッセージが届いておりまして、「非核平和都市宣言」のこと、小中学生を広島に派遣している事業のことなどが紹介されると共に、「非核平和都市宣言の精神を普及し、核兵器のない平和な世界を求める行動に積極的に取組んでいく」ことが表明されておりました。

参列されていた皆さんはやはり高齢化が進んでいました。被爆者からの直接のお話も伺うことができ、広島県己斐小学校に記念のモニュメントを設置した時のエピソード、毎年開催されているピースメモリアルの様子などの紹介もいただきました。「勇気をもって体験したことを話さないといけないと思う。」とおっしゃり、被爆したときの話をしてくださったのですが、「少女の記憶」が今でもきっと蘇るのだろうと想像すると胸が締め付けられます。爆心地から己斐に逃げていた人たちで、埋め尽くされた道路、多くの人がそこに折り重なるように倒れていたのに、すぐに通りは元通りになっており、屍がすべて学校の校庭に集められていたこと、そして、燃やされていたそうです。考えるだけでも怖い。

繰り返してはいけない。

ただ、ただ・・・そう思うだけです。本当に。「被爆者の活動も年々厳しくなってきている」と話しもされていました。年月を経て、活動に熱心に関わっておられた皆さんも命を全うされていく。「先人たちの思いを引き継いで」とお話をされていた方も既にもう80歳超えているのではないかなと思いました。

 

予定通りに国会は解散。新党結成をめぐっても、いろいろと蠢いているので…。国民のための政治が行われて欲しい…みながそう願っていると思います。翻って、私たち市議会も…市民のためにきちんと日々の活動を積み重ねていかねばなりませんね。