昭和の日。

今日は昭和の日。明日で平成が終わり、5月1日から令和が始まるのですね。時間はいつもつながっていく。どんな時も途切れることもなく…。ただ、つながっていく時間の中に、個々人それぞれにはそれぞれの、いろいろなことがあって、その人なりの節目もあって…。

私にとっては平成から令和に変わる瞬間に、議長という役職が静かに終わり、そして、その役職に自分自身が感じていた緊張がきっと解けていくんだろうなあという感じ。自然にすーっと。

ということなのですが、すでに乞田・貝取コミュニティセンターの運営協議会定期総会にて私の議長公務も最終最後を迎えております。まだ明日まで一応…任期内にもかかわらず、突然…ガスの抜けた風船のようになっております…この寒さに体調がややダウンしております。さらに、選挙直後の蜂窩織炎で抗生物質やらを服用したことが原因?…めちゃくちゃ胃が荒れてしまったのか、ただならぬ口内炎に悩まされております。今は、少しずつおさまっていますが、なんか、私…病気かも?と思うくらいの口内炎でした。

 

さて、この2年間と言えば、まずは、「議長として選んでくださった同僚議員の皆さんに恥をかかせるようなことはしてはいけない」という思いでいっぱい…「議長は挨拶要員」という言われたりもしますが、議会代表として挨拶をする場面を多くいただきました。その度に…ものすごく緊張していました。特に1年目は、見知らぬ場に出かけていくわけですから、いつもドキドキしていました。何と言っても、自分を通じて多摩市議会が評価されていくのだと思うと常に手に汗握る感じです。「自分が恥をかけばいいだけ」では済まされないのだから…と思うと余計に緊張もしました。

自分のことであれば、自分が恥をかけばいいだけですが、議長としては、やっぱりそれは許されない…そのプレッシャーが一番大きかったなと思います。議会を代表するということの意味を考え続けました。そしてまた、市議会と市民を身近にできるにしたい…という思いも持ち続けていましたが、なかなかそれを実践することは難しく…「議長」という肩書の大きさを痛感しました。同時に、より市民に信頼される市議会をつくるためにはどうすべきなのかを考え続ける日々が重なってきたなあと振り返っています。

そんな私の一番最後の公務が、乞田・貝取コミュニティセンターのふれあい館で締めくくれたというのは、私にとってもうれしいことでした。何よりもここで引退される増田議員と一緒に最後の記念撮影をしたこと・・・このめぐりあわせにもありがたく思いました。増田さんのおかげで、私は既存区域で多摩村、多摩町、多摩市…その変遷を目の当りにされてきた皆さんともご縁をいただき、視野がとても広がったと考えているからです。

「地域のために、ふるさとのために汗をかく」…増田さんの議員活動はその思いを貫き、その思いに正直すぎるくらい真っ直ぐ。とかく私は増田さんから、多くのことを学んできました。「まちの歴史を背負う」ということの意味を常に常に考えさせられたのは増田さんが同じ会派にいてくれたから。まだまだ聞くことができていない話もたくさんあると思っていますが。ただし、議員としての活動スタイルは全く異なっていました…でも、だからこそ学べたのだと思っています。「いろんなことを知ってほしい。」と地元神社のお祭りにもいつも声をかけて下さり、一緒にお神輿を担いだことは何よりの思い出!

 

増田さんは私の父と同級生!

そういう意味では議会と言うのは面白い場所、議員と言うのは面白い仕事ですね。ホントなら、「上司と部下」みたいな感じですよね…でも、議員と言うのは「期数」でカウントするので、補欠選挙で当選してからの1年分だけ私の方が長く議員をやっているため、私の方が増田さんの先輩になってしまうという…。

「もう時代は変わっている。ニュータウンとか既存区域とか…そんなことを言っている時代ではないから。みんなでふるさとを良くしなければならない。」…というのが、事あるたびに増田さんがおっしゃっていたこと。その想いをつないでいきたいなって思います。一議員としてというより、一市民としても。

そんなことで、いつのまにか「みどりの日」から「昭和の日」になっていたわけなのですが、「平成の日」も設けられるのだろうか…?