市長選挙~公園がみんなの広場になりますように。

市制50周年、ニュータウン50年…そんな節目を越えて、これからまた50年先を見据えてまちづくりをしていく…そんなことってできるのだろうか?先を見通すことは本当に難しい。ただ、わかることは年月たてば、傷む、不具合が生じてくるのは自然なことで、そしてまた、時代環境とともに求められるニーズも変わっていく。でも、いわゆる「公」というのか、「公の仕事」の本質に深く深く根ざし、その基盤となっているところには「市民の財産と生命を守る」があるんだなと感じることは多い。「民」全体の財産であればなおさらのことですね。

そんなわけで、いよいよ本格的に設計段階にも入っていく多摩中央公園の大規模改修。はじめての公民連携による公園改修の取組みなので、どう進んでいくのかなと…「うまくいきますように」と念じる気持ちと入り混じりつつ、楽しみな気持ちで見守っております。

市民の声を取り入れながら…ということで、「インクルーシブ遊具」の設置への要望もあり、それを踏まえ、事業者からの提案にも盛り込まれています。

私は「インクルーシブ遊具」そのものには反対ではないし、設置していく方向も応援していきたいとは思っているのですが、しかし、設置場所に関しては、以前からちょっと納得いっておらず、特に、多摩中央公園の場合には坂道も多く、「インクルーシブ遊具」が設置の狙い通りに活用しきることができるのか?」…なんというか、「使い倒すことができるの?」という点ではちょっと疑問なんですね。車いすなどを利用している子どもたちが、インクルーシブ遊具で思う存分に遊んでもらえる周辺環境がどう整うのか、今のところ、まだ十分に詰め切れいていないような気もしていたからですね。

ちょうど、同じように感じていらっしゃる方もおられ、例えば駐車場からのアクセス、もっと言うと、駐車場の使いやすさ、あるいは誰でもトイレの設置、そのトイレの整備水準などなど…もちろん言い出したらキリがないとはいえ、考えておくべき観点がいくつかではなく、もしかしたらいくつもあるかもしれない。

「公園で遊ぶことをはじめから諦めている」

こんな声を聴いて、ハッとさせられた…だから、動かずにはいられなかった。「インクルーシブ公園を多摩市でも実現出来たら」と熱い想いで動いて下さる方の存在は大きいですね。健常の子どもたちは、当たり前のように走り回り、公園遊具を使い倒して楽しんで過ごすわけですが、ハンディのある子どもの場合はそういうわけにはいかない。

私も、議員になった直後に、車いすのまま健常の子どもと一緒に砂場で遊んでいるフィンランドの公園の写真を見たことがあって、その時の衝撃が忘れられず、多摩市でも取り入れていけないのかなあと思ったことも懐かしい記憶ですが、そのころはまだまだほとんど知られていなかったことでした。今、だいぶ時間が経過し、やっと「インクルーシブ遊具」が、世の中に認知され、広がってきたことがうれしい。ちなみにその写真を見せてくれたのは島田療育センターの先生。

「インクルーシブ遊具を設置したから、インクルーシブ公園になるわけではないんです。」

この一言もすごく深い言葉ですね。まさに、遊具を置いて終わりであってはいけない。インクルーシブ公園をよりよく活用するために、それこそコーディネーターさんみたいな人がいるともっといいですし、先にも書いたように、そもそも急坂道もゆるゆる坂道も多い多摩中央公園内の場合、遊具が設置予定の場所に行くまでのアクセスを諦めてしまうことがあってはいけない。

「公園で遊ぶということは、公園で過ごすということ。」

だから、「過ごす時間」のことを考えて、公園づくりを考えてほしい。過ごすため、過ごせるように環境を整えていくことが本当に大切ですよね。そうそう。「使いたくないトイレ」問題もこうした発想からあり方を考えていきたいわけですが‥‥。私は利用者をおもてなすことができる公衆トイレ…がある街に魅力を感じるものですから。

これから、公園緑地課のみなさんが、今までよりももっと魅力ある多摩中央公園にしていくために取組みを進めていくことになっているので、ぜひ、「みんなにとってより良い公園環境にしていく」という視点から、最善を尽くしてほしいと期待するばかりです。

 

「多摩市は、いろんな場面で他のところに比べると、当事者参加を取り入れてくれてるんですよね。」

多摩市では…というか、多摩市行政にとっては「当事者参加」はもう当たり前のこととして、物事の決定過程に取り入れていくことが必要なので、意外と工夫されているんですよね。他市のことも含めて、いろんな事例、情報通のかたに評価されることはうれしいことですね。

あまりにも手前味噌過ぎて、なかなか自分では言えないことだと思いますけれど…。多摩市自治基本条例が制定されて以降、もちろん、制定した時の渡辺幸子前市長もでしたけれど、阿部市長も「より当事者」を大切にしなければならないと市政運営で努力をしてきたことは確かなんです。

もちろん、十分か不十分については、それこそ個々人の立場からはさまざまあると思っていますし、私個人的にも「もっとできるはずなのに。」と思うこともありますが。でも、確実に多摩市では「自治基本条例」が制定され、市政運営の在りようが変わってきたことは確か。まあ、市民参画の形骸化についても…指摘したくなることもありますが、参加の場は開かれていて、その意味では、参加する市民を増やしていくことも必要ですね。

ただし、参加、参画、協働…いずれにせよ、強制ほど罪深く、嫌なことはないですから、自主的に「加わりたいなあ」とか「加わってもいいかな」とか…そんなモチベーションというか、気持ちを少しでも持ってくれるような人を増やしたいですし、今はまだ地域に参加する余裕が持てていなくても「いつかは…」と思ってくださるような人を増やしておきたいものです。地域に「おたがいさま」の関係性をつくっていくことも大切。意外と簡単なようで簡単ではなく、難しいかと言えば、そんなに難しいものでもないのですが、やっぱり、「お願いしあえる」関係性をつくるためには、ちょっとした声掛けをする勇気かもしれません。

 

話しを戻すと、「公園」って、みんなの持ち物で財産。ニュータウンを造成した時には当事者参加といっても、参加する当事者がいなかった、誰も人が住んでいないところに描かれた公園であったので、その意味では、都市デザインとか公園の理想…みたいなことが重視されながら、設計が行われていたのではないかと思っています。今は住んでいる人がいて、利用する人がいて、これから利用したいと考えている人もいて…みんなで使える公園、みんなが楽しめる場所、みんなが居場所にできる広場…市制50周年を越えて、まちがリニューアルの時代になり、ようやっと「住んでいる人の顔ぶれ」が「当事者」が強く意識されていくのかもしれません。

いずれにしても、独りよがりにならず、誠実に市民の声を受け止めながら、市政を進めていきたいものです。そのためのリーダシップを!