市民の「おかしい」をどう受け止めるか。

今日は朝から旧知のというか、幼馴染と再会をしつつ…医療的ケアの必要な子どもたちへのフォローについて地域で何ができるのかの話し合い。「多摩市に何かお返しをしたい。」と思っている…というわけで、今は多摩市には住んでいなくても、ここで育った思い出、そしてまた多摩市への愛着があり、「何かできることがあったら、多摩市のためにやりたいと思う。」と言ってくれるのは本当にありがたくてうれしいことだなあと思っています。一つプロジェクトになりそうなので、地域での知り合いともマッチングしながら、良い取組みが始められるといいなあと思っております。わくわくします。

相変わらず、連日…議長室へ通う日々ですが、年明けに行われる行事…特に成人式で祝辞を述べなければならず、それを考えるために意外と頭を悩ませております。考えているだけで時間があっという間。

ところで、「市民が役所に頼んでもやってくれない。でも議員が頼んだら役所が対応してくれる」…そういうこともあるかもしれないし、そういうわけではないのかもしれないし…でも、市民が「おかしい」と感じてしまうような事象があるとすると、やっぱりそれは残念なことですね。でも、市民の方の観察力は意外と鋭く…「あの職員は議員と話をしている時にはヘコヘコしているのに、市民と話す時にはものすごい上から目線になっている。」なんてことを耳にすることもあるのです。自分自身も人と対応したり、接するときには気をつけなければならないことと改めて襟を正すわけですが、「おかしい」と感じておられることが決して一市民やその個人の感覚やら主観として片付けられない場合もあるのだろうなと思うのでした。

今日、手元に届いた市議会ウオッチャーのみなさんのニュースレター。「議会基本条例の理念 その具現化は何処へ?」という見出し。その中に・・・議員は自分自身の勉強結果を披歴するような質疑に終始している。市民は議員の傍観者的で評論家的な質疑に「それであなたは何をするのですか?」と問いかけたくなる…と書いてある。そしてまた、「議員から市職員の給与に関する指摘はもっともだが、その前に議員定数・議員報酬を自らの生産性に顧みて率先垂範し市民にその働き方の範を示すべきではないか。」とのこと。

こうした問題提起をどう受け止めるか。ここに述べられているのはやっぱり違和感であり、市民感覚で「おかしい」と感ずることなんでしょうね。もちろん一個人の考え方として、そっとしておくこともできるわけですが、私はこうした感覚を理解できる一人でありたいなと思うわけでした。長年、議員をやっていると見えなくなっていることもあるでしょうし、良し悪しあるとはいえ…’慣れ’により麻痺している部分もあるでしょうし。市民感覚とは乖離している自分自身の感性を客観的に見つめておかないとダメですね…。

夕刻から、ハーモニークラブの忘年会があり…一日遅れのクリスマス気分になった!鶏の丸焼きですね。実際に食べるとなると、随分気がひけてしまうものだなと思いました。こういうのは生まれてこの方…我が家の食卓にはお目見えしたことがありませんので。