子どもの感性にハッとさせられる。

先週末から開催されている市内小中学校の美術作品展。久しぶりのパルテノン多摩ギャラリーとオープンスタジオでの開催でしたが、全体的には小学校からの出展作品数が少ない感じがし、何となくボリュームが絞られた?それは会場の関係なのかしら?それでも、子どもたちが自分自身の想いを込めて、一生懸命仕上げた作品ばかりが並んでいて、どれも素晴らしい。

「順位をつけないのがいい」

会場でご覧になっていた方々の会話が耳に入りましたが、私もその通りだなあって。子どもがその子なりの表現で精一杯、完成まで取り組んだんだろうなあ…と思うとそれだけで尊いですね。得意や不得意ってあって当然…にもかかわらず、「上手とか、下手とか…」…順位づけされてしまうと、ただ嫌いになるだけ。「苦手=嫌い」ではないはずなのにな。

自分の住みたいなあ、理想の家を表現した作品。机の上にはケーキやプリンが置いてあって…すごく細かいところまで。お菓子づくり好きなんだろうなあと。

ムーミンの物語に出てきそうなかわいらしいお家。このお家の住人の顔を思い浮かべながら作品づくりしているのかなあとか。

小学生の作品には夢とか希望とかを感じます。低学年であればあるほど「自由」も感じます。一方で、中学生の作品に表現されている心や想い…「なぜ、この作品を描いたのか」という一言が付されていたり、作品に「ことば」「詩」をつけるような課題にも取り組んでいるようで…一つ一つを見始めると時間が本当に足りない。

『自分の手』。「夢にむかっていく手」「必死に努力した手」「ともに歩んでいく手」「にぎりしめた未来」「一生のパートナー」「過去をのりこえる」と作品につけられたタイトルに凝縮されている「今」を感じますね。こちらは東愛宕中学校の1年生の作品。全部の学校が集まるだけあり、学校ごとの温度差を感じるのも事実。東愛宕中学校は美術の先生が熱心で非常にていねいな指導をされているのかなあと。中学校3年生の『目のある自我像』もなかなかの作品が揃っていて、「自画像」ではなく「自我像」となっているのもポイント。

 

自分と向き合うことの大切さ、心のひだを自分自身で捉えてみることの難しさも含めて、絵を通しながら子どもたちに学んでほしい…そんな先生の想いが伝わってきた気がしました。私もそういう先生に出会いたいし、学んでみたいなあと思ったりして。

やっぱり会場にいらしていた方が「これは先生がすごい」っておっしゃっていて、「作品もすごいけど、この詩もすごい」とか驚きの声を上げながら、一枚一枚を鑑賞されていました。和田中学校3年生のスクラッチボードの作品も同様。『心の中の風景』を子どもたちが描き、そこに綴られている子どもたちの心の声…いつか大人になった時、「成長の記録」としてとても大切な宝物にもなるのではないかって思ったりしました。

残念ながら…ということで、あまりにも上の方に展示されている作品だと綴られている言葉が読めなかったり。そこは展示の仕方によると思いますが、来年から改善してもらいたい。アンケートに書き忘れてますが。

その日、その時間…その時だから、その時にしか表現できないことがたくさんある。ある意味、人生の一瞬一瞬がこうした作品に表現されていくような気がします。作品作りを通して、子どもは確実に成長していくんだろうなあと。

そして、私たち大人は子どもたちの数々の作品を見ながら、自分の若かかったころとも重ね合わせ、何となく子ども時代の自分とも対話をしながら、作品を鑑賞していくのかなあ‥‥と思ったりもします。子どもの表現にハッとさせられ、私自身も特に中学生の綴っている言葉に自分を振り返るひとときをもらえたことは何とありがたいことなのでしょう。

今日から2月。今朝は唐木田駅前で、中学受験の子どもたちを多数見かけました。いつの時代も子どもたちは一生懸命に必死に生きているんだなあ…そんなことを思った一日でもありました。