子どもたちを見守ることができる社会。

ピカピカ光っているわけではなく、傷もあって、不揃いで…でも、皮ごと食べれて安全なリンゴ。ぎゅっと甘酸っぱさが凝縮されていて、本当においしい。しばらく楽しめるなあ。「土にこだわる」…ここも私の関心分野ですが、虫がつきもので、どうも苦手。

さて、今日は議会だよりの編集会議、会派でのミーティングで情報交換をして、全議員研修。オンラインを活用しての初開催でしたが、私たちの会派は控室で全員勢ぞろいで視聴していました。講師は坪井節子弁護士。坪井先生のお話は過去に2度ほど伺ったこともありますが、子どもと向き合う現場の実感を踏まえた講演内容にはいつもながら納得させられるものでした。ちょうど、コロナ禍で子どもたちの不登校が増えていることがメディアでも大きく取り上げられ、特に女子高校生の自死が増えていることが明らかにされたこともあり、必要な支援が届いていない子どもたちの存在を感じながら、まだまだ不十分な制度、環境を整えていかなければならないことを強く考えさせられるのでした。坪井先生の関わってこられた「カリヨン子どもセンター」の活動をはじめ、全国にある子どもシェルターもその数は足りていません。シェルターに対する認知度も高いとは言えず、必要とする子どもたちにその情報が行き届いているわけでもなく、また、行き届いたところで、ニーズに対応できるような状況ではなく…。

こうしたところに目を向けて、もっと公的な支援をしていくことが求められるというか、税金が使われてほしいというのか…。

9月議会の一般質問で取り上げた児童館も、「今だからこそ」「今、改めて」…という視点から、その機能や役割に注目する必要を提案した(つもり)ので、少しでもその提案に共感してくれる人が増えるといいなあという感じでしょうか。今後、多摩市の子ども施策のなかで児童館がどう位置付けられていくのか、税金を投じて維持していくことへの市民の合意、納得度をどのように獲得していこうとするのか、そのために多摩市の「児童館ガイドライン」の作っていく方向に動いているので、アウトプットされていくものがどんな内容なのか今は大気中。子どもたちがシェルターに飛び込まなくてもよいように、シェルターがなくても大丈夫な社会を作りたいですから。

それにしても「子どもたちを見守ることができる社会」ってどんな社会であり、環境にあることが良いのでしょうか。これは、一人ひとり大人の中に答えがあると思っているのですが、ここには自分自身の子ども時代のことが投影されていく気もします。でも、やっぱり「認める」「認められる」ということが必要不可欠だと思うのですね。

 

坪井先生が「パートナーシップ」という言葉をあげられていたように、「大人と子ども」…対等な関係性という意味を私たち大人がどう理解し、心身にそのことを染み込ませているのかというのにも関わっているかな。子どもは大人の真剣さを理解し、そしてまた、大人は子どもなんだから、…表現あまり良くないけれど、「子どもを騙せる」と思ってはいけない。逆に言えば、わかっていて「子どもに騙される」ことはあっても良いのかもしれない。

「子どもは社会の宝」

本気で社会全体がそう考え、取り組めるようになるといい。NHKで藤井風の密着取材。「束縛からの解放」っていい言葉。明日もまた藤井風の音楽を聴きます。