声かけをするということ。

今日は良く晴れて、昨日の寒さと雨が嘘のよう。選挙が終わり、一段落したこともあり、父が来ていますので、一緒に高尾山に登ってきました。それほど早くに出発しなくても、ケーブルカーを使えば、正午前には山頂に行くことができ、午前中で気持ちをリフレッシュして多摩市まで戻ることも可能な高尾山はお手軽に行くことができて、お気に入りの場所の一つ。

しかし、今まで何度も足を運びましたが、富士山がこれだけ美しく遠くに捉えられたのは初めてかもしれない。息をのむほどの姿はやっぱり神々しく、とても感激。休日とは異なり、混雑もそれほどではなかったのが幸いでした。

こうした場所で一生懸命「自撮り」をしている方々の姿を目にすると、ついつい声かけをしてしまうのですが、「いえ、結構です。大丈夫です。」と断られることもあって、「え、そうなの?」と思うのは私だけでしょうか。他人に声をかけるというのは、やっぱり難しいなあと思うものです。

街の中でも、「困っていそうかな」とか思ったところで、ついつい見て見ぬふりをしてしまうことも少なくありませんが、そもそも「声をかける」というよりも「声をかけられる」ことにも慣れていないのかもしれず。困っているような方を見かけたら、「大丈夫ですか?」とか「お手伝いしましょうか?」とお声掛けしてみましょう‥‥それが心のバリアフリーです…と言われて久しいと思っているのですが、スローガンだけが独り歩きしているようなことを実感しています。そもそも、周りに気を配ったりせず、自分自身の目的一目散に暮らしていると「困っている人がいる」ことにも気が付かないのかもしれませんが。

「声かけをする」「声をかけあえる」ような地域社会にするというのは、相当、遠くの目標なのかもしれませんね。

今後、ますます長寿化が進み、高齢者が増えてくると、間違いなく認知症の方も増えてくると思っています。早い段階で認知症の発症に気がつくことで、進行を遅らすことができたり、そのための薬も開発されています。ただ、日々、家族の見守りがなく、お一人暮らしを頑張っておられる高齢者の場合、少しずつ少しずつ認知症が進行していても、周りが気がつけず、見過ごされてしまう場合もあるのではないか…。そんなことを思い考えれば考えるほどに、自分自身の周辺をどう捉え感じていくのか、もっともっと感性を磨く必要があるなあと反省するばかりです。

それにしても、今日は夕方過ぎてもずっとお天気が良くて明るくて。一日を長く感じました。気が遠くなるようなことも、空模様でスッキリと晴れやかになったりするのはありがたいこと。明日からもこの天気続いてほしい…。