不便は「悪」なんだろうか。

畑から収穫してきたという唐辛子を分けていただいたので、ベランダに干しています。だんだんカラカラになってくるのかなと思って楽しみにしています。

このところ、不便であることが必ずしも悪いことではなく、むしろ不便であることが自分自身の脳の活性化には必要なのではないかと思っていて、「便利さの見直し」を考えながら、行動しているのですが、「何が便利」であって、「何が不便」であるのかの見分けもつかないくらいに便利になっている気がして、これ以上の便利さは必要はないのではないか?とか、便利を手放してみたらいいかもしれない?とか妄想しているわけです。

「ないものはない」を合言葉にしている島根県の海士町にはぜひ行かねばならないと思っているのですが、「あったらうれしい」「あってもいい」…でも、「なくても対応できる」…工夫するとか知恵を出すとか…その場面に向き合えることのほうが、つねに考え事をしているというか、頭が働いている状況になるのではないかとか思ったりするものです。

今日は午前中、午後、夕方と打ち合わせを挟みながら、いろいろお話を伺ってきたのですが、「不便であること」もまた私たちの暮らしにとって大事な場合もあるのではないかと感じた一日でもありました。

と考えた一日でした。アロマティカスを増やしたいと思ったのに素人作業でうまくいかず…もう一度、トライしてみようと思って、知り合いに株分けしてもらうことをお願いしてみよう。

現在進行中で生活環境常任委員会にて話題になっている人工電磁波「5G」問題に対する不安の声。これを受け止められるかどうかって、議会としても問われていると思うのですね。「国の安全基準は満たしていますから大丈夫です。」ではないという側面に目を向けていく必要があるのは、やっぱり、日本だけでなく海外各国の動向に学ぶ必要もあるから。最近は、とにかく「5G」だと宣伝もされていて、スピードが速くなる、だから便利になると言われているのですが、私の生活にはそれほどの便利さはいらないし、今でも十分なんですよね。大容量のデータを素早く送受信できなければならない場合もあると思っているので、そこを全否定するものではないのですが、人間そのものというか私の暮らしはもうこれ以上スピード化しなくて良いような感じ。「ちょっとくらい時間がかかってもいいじゃない」という寛容さというか許容しあえるほうが、マインドとしては心地いい感じがするのだけれど。

ついつい買ってしまったビスケットサンド。さらに美味しくなっているようなパッケージに変わっていたけれど、やっぱり、変わらぬおいしさがあるなと納得。夏に食べるアイスクリームもおいしいけれど、冬になると夏とは違って、ゆっくり味わって食べている自分がいる。明日は金曜日、終われば週末で…そして週明けから今年最後の定例会が始まります。