コミュニティに参加するというハードル。

カーネーションも色によって花言葉が違います。赤も好きですけれど、個人的には淡い黄色のカーネーションが好きなのですけれど、花言葉を知ると…買うことに気がひけてしまいます。

さて、とある会合で、どんなコミュニティに参加しているのか?という話になりましたが、コミュニティに参加をするというのもなかなか一歩を踏み出すことに勇気がいるというのか、結構、難しいものだなあと感じたわけです。特に仕事一筋で、地域に関わる時間を持つことを考えもしなかった方が地域とのつながりを持つためにアクションを起こすためにはきっと背中をそっと押してあげることが必要なのではないのか?と思いました。

数年前と言うよりか、ずいぶんと昔には退職した男性向けに「お父さん、お帰りなさいパーティ」というような名前のイベントと言うのか、会合が行われて流行っていた時期もありましたが、今はそのブームもすでに過ぎ去っています。意外と…コミュニティに関わることをしなくても、上手に時間を過ごすことを楽しめる人も多いようにも思っているのですが、しかし、やっぱり他者と関わりあっての私たちのくらしではないのか?と感じることも多いです。実際に、コミュニティに参加して、日々の暮らしをより豊かなものにしようと活動されている方々を見ていると、そのことに納得させられます。

ところで、「開かれた○○」とかって、よく言いますね。「開かれた市政」みたいな言葉です。現状が開かれていないからこそ「開かれた市政」という言葉が生まれてくるのかもしれないなあと思うわけですが、同様に、私が所属する会派の名前「フェアな市政」と伝えると…「多摩の市政ってフェアではないの?」と尋ねられる不思議…。「フェアであってほしい」というのは誰しも共通に政治に対して思っていることだと感じているのでそのことを表現してみたのですけれど。今日もそんな風に言われたので、いろいろな受け止めがされるのだなあと…。市民の皆さんの想像力というのか、私たちのつけた会派の名前にちょっと注目されるとすれば、それはありがたいことです。

それにしても、「どんなコミュニティに参加しているのか?」という話題なのですが、やはり趣味でつながるということ、あるいは同じ大学とか、会社とか…そんな結びつきは強いなあと感じます。「地縁」はあまり人気がないみたい…。とは言え、「地縁」をつくりなおしていくというのか、防災・災害ともなるとやはり「地続き」というのが大切なんですよね…そのことをいかに市民に皆さんに伝えていくか…ここは悩ましいところ。伝え続けるしかないとは思うのですが、秘策は見つからないですね。

そしてそれと同じくして…。開かれた市政といい、開かれた市政にもっと市民にも参加してほしいと願っているわけですが、なかなか秘策が見つからず。投票率がなかなか上がらないままに、今度は国政選挙が控えているのかと思うと気が重くなる今日この頃です。市民にとっては物理的距離が近い市議会も心理的には距離がほど遠く、物理的には距離が遠い国会は…日々、何となくマスコミ情報で身近に触れているけれど、やっぱり別世界の様な出来事のようでもあり。遠ざけているのはどちらなのか?という話になるのかもしれませんが、やはり、単に「関心を持って!」というだけでは不十分でその先の一歩が必要なんでしょうね。

コミュニティの必要性は何となくは気がついていても、ちょっと覗いてみようかと思えばハードルの高さがあるとすれば…もしかすると、政治の現場も同じような感じなのかもしれませんね。ホントはコミュニティも政治も…暮らしの一部なんですけれど。