なぜ、手話を学ぶのか?

今日は公務がなく、穏やかに過ごせた一日。まだまだ秋のイベントは続くなあとスケジュール表を見るとちょっぴりゲンナリしつつ、次の休日には何をしようかと検討中です。

さて、今日は手話講習会の初級クラスにて、言語聴覚士の先生からの講演会がありました。きこえのしくみのこと学ぶと共に、難聴者のきこえはどんな状態なのか等を実際に体験してみたりと、聴覚に困難を抱えるということへの理解を少しは深められたような気がします。ちょっとやそっとで当事者の立場や気持ちを理解したなどと偉そうなことは言えませんし、「できるだけ理解しよう」と努力し続けるしかないのだなあとの想いをまた確認したひとときでもありました。

そして、先生が最後に「何のために手話を学んでいきますか?」と私たち受講生に問いかけをしたのがとても印象的でしたね。「何のために」。

ここは常に自分自身を客観的に見つめるためにも大事な問いかけ。私もよく自分に尋ねることとしています。一つひとつ、自分がやっている狭い領域のところに捉われてしまうと、ついつい取組んでいることの立ち位置など見失ってしまうこともありますし。なので、「何のために」という目標を再認識するとか再確認することはとても大切ですね。「その先に何があるのか?」を考えて、今を捉えてみると、意外とリフレッシュでいて、目の前にあるコトにもやる気を取戻せたりするものです。

ということで、私が手話をやろうと思ったのは、同じマンションに聴覚障害者の方がいらして、「災害の時の不安」を語っておられたからですね。マンションのコミュニティづくりの時に常に手話通訳者の方を同伴され、参加されていたから。「同じマンションに手話を使える人がいれば、通訳者の方にお願いをしなくても対応できるのにな。」と思ったからですね。でも、通訳者になるまでの道のりはまだまだ遠い…。でも、「挨拶ができる」というだけでも、ものすごく前進、挨拶ができるというのはうれしいことだなというのが実感です。

明日で10月は終わってしまうし、11月もあっという間に終わってしまいそうだし…。さて、とりあえず、頑張ります!