「?」のやり方かもしれないなと。

今日と明日は決算審査の中で議会で取り組んでいる「事務事業評価」を行う分科会が開催されます。委員会ごとに評価をする事業を選び、各会派からの意見を踏まえながら、「評価シート」をまとめあげ、「議会の見解」として合意形成を図ったものを市長に提出する…というのが段取り。

ところが、分科会当日…つまりは、今日と明日に開催される分科会は議会のインターネット中継で見れるのですが、それがあまりにも形式的であって、私の所属する生活環境分科会(生活環境常任委員会がそのままスライドして、分科会になっているだけ)は午後から開催されたのですが、30分もかからずに終了。

委員長がこれまでの経過報告を行い、「評価シート」を読み上げるという作業で終わりとなってしまったからなのですが、市民目線で言えば、かなり「?」がついてしまうなと。本当は今日の分科会当日を迎えるまでに、「評価シート」全体を纏め上げる作業があるのですが、残念ながら、その過程が市民には共有されていない…可視化できていないのです。以前は、「全体を纏める」ところの意見交換に協議やら‥‥その合意形成過程をそのまま見せていたというか、分科会当日に行っていたために、可視化できていた部分もあったのですが、コロナ禍となり、なるべくスムーズ、短時間に会議を終わらせることに重きを置き始めてから‥‥決して、何かを簡素化しているとか、そういうことではなく、「評価シート」の作成から、意見調整など…事前に終わらせることを優先したための結果なのですが。

とはいえ、今日の分科会の様子をインターネット中継でご覧になった方がいると、まるで「え?何、これ?」になっているに違いありません。結構、苦労して「評価シート」のまとめ作業をやっているので、そのことを伝えきれないところには歯がゆさも感じますし、とても残念で、議会の活動…が誤解される可能性もあるなあと心配。

行政に対し「もっときちんと議論の過程を共有して」…とか言っている立場からすると、何とも言い難いというか、「他人のことを指摘する前に」とか言われてしまいそうだなあ…。

でも、早めにというか、早々と分科会が終わったので、けぇどの会所で開催されていた個展を見に行くことができた!松永悠一郎さんのやさしさあふれる作品。絵本「ならんだよ ならんだね」の原画を見ることができてうれしかった。印刷では出すことのできない淡い感じとか、あふれる繊細さがあって、やっぱり印刷とは違うなあと。絵に透明感を感じて、何だかとても癒される空間でした。しゃぼん玉でも吹きたくなるような、そんな気分になりまして。

そのあと、ベルブ永山のギャラリーへ足を運び、多摩白門会(中央大学の卒業生の会)主催の作品展も見ることができました。多摩稲門会(早稲田大学の卒業生の会)の方々からも出展していただいたようで、一緒に並べられていまして、いい交流だなあと感じた次第です。こうしたギャラリーでの展示ですが、壁に作品を吊るしたりなど…年を重ねてくるとなかなかの重労働になると伺っていて、実際にも「すごく大変で」というお声を伺います。市民の高齢化と共に、こうした作業を支援できるような部隊がますます必要になってくる気がします。

一年一年を重ねていくうちに、精力的な活動をしていれば、作品も蓄積蓄積されていく一方ですよね。画家さんとか、いろいろと作家さんにお話を伺うと、作品の保存には結構、苦労されているようです。小ぶり、小さめの作品なら良いのですが、絵画など大きなサイズになると置き場所の問題、ありますね。絵画だけでなく、写真も飾られていまして、思い出深い作品ばかりなんだろうなあと…眺めながら、一つ一つの背景を勝手に想像したりしていました。

今日も雨で、風も強くて…でしたが、一気に秋の訪れとなるのでしょうか。議会は今日に引き続いて「分科会」。私だけでなく、「このやり方だと市民がよくわからないし、市民に見えない」と気にされている方はいそう。それでも今回は決めたやり方があるので、それを変更することは難しく、来年度以降にまた宿題にしていくしかないかな。議論はなるべくオープンに‥。決して、隠すとかそんなつもりはないのですが、「見せない」ということで、議会が閉鎖的と思われることがちょっと心配。

夕方からは青少年問題協議会の諏訪地区委員会。久しぶりの会議でした。諏訪小学校が夏休み中にトイレ改修を行い、洋式化にもなり、とても清潔感溢れる場所になったよう。「トイレに行くのが苦手だった子どもが使えるようになった。」…そんな感想を聞けることがうれしい。よかった。