「問う」力。

堤未果さんの「デジタル・ファシズム」を手に取る人が多いようですね。電車内にも広告が掲示されていました。ある意味…「震撼させられる」というのか、自分自身の認識の甘さを反省しながらも読みましたが、「今だけ、金だけ、自分だけ」という強欲資本主義に絡めとられそうになっている事象を注意深く見ていかねばならないような気がしています。そして、堤さんが「問う力」が大事だということを最後のところで強調しているように、最近、「検索するな」を自分自身にも言い聞かせ、何でもかんでもすぐに検索しすぎないことも心がけています。その時にはやっぱり「図書館、必要だな」と再認識させられたりもします。

小学校3年生の時に、多摩市に引っ越してきた私は市役所のそばにあった昔の図書館本館が大好きでした。当時、子どもの足だと結構距離もあって、あと一息のところの長めの階段を上って、また、上り坂…歩いていくのに「近い」とは思いませんでしたが、「このくらい、遠くない」と言われて、いつも歩いて出かけていました。「昔の子どもは、もっと遠い距離を歩いて学校に行ってたんだから。」…とも言われていたことも懐かしく。週末になると図書館に行ってたのではないか?と思うくらい、図書館に通っていたような気がします。

ここ最近、「私は子どものころにどんな本を読んでいたか」を思い出し、今でも「この本は手元に置いておきたい」と思うものだけ書棚に飾ってあるので…それを手に取っています。「いかにも古いなあ」という本は茶色くもなっていますが、ひらがなだらけで懐かしいものもありますし、「子どものころ好きだったなあ」と思えるものを振り返る時間は結構有意義です。「読書の思い出」は今の自分にも大いにつながっている気がするのですが、やはり子供のころに読んだ本の印象が刷り込まれている感じもあるのです。

ということで、「つづりか方兄妹」…多くの人が貧しかった時代…とも言えるかもしれませんが、1950年時代を垣間見ることのできる一冊で、私はこの本がとても気に入っていました。今、読み直すと…余計に子どもたちに「生きる」を感じて泣けてしまうのですが、子ども時代にもまた、自分と重ね合わせながら、私の知らない昔の時代のことに想いを馳せるひとときを得ていたような気がします。今は、この時代の学校の先生たちの「志」も想像しながら、ついつい‘現在’とも比較してしまうわけですが、「学校のことは、どうぞ教師にまかしておいて下さい。」 そう言い切れる先生は今、どれくらいいるのかなあ。子どもを取り巻く環境は家庭の状況も含めて、とても複雑で、そして、子どもを支えるための仕組みも意外と多様であったりして…。

今の子どもは「アウシュビッツのことを知らず、『アンネの日記』とかも知らないで育つ子が多い」という話しを聴いたりして、ちょっとショッキングだったのですが、子どもたちに伝えなければならないのに、伝えきれていないことがもしかしたらたくさんある。そしてまた、「都合のいい情報」の取得に長けているインターネットの利用や活用では零れ落ちてしまう視点もますます増えていきそうですね。

いずれにせよ、「問う」力を持ち続けることが大事であることをしみじみと感じる今日この頃。ちなみに、「デジタル・ファシズム」の中に掲載されていた写真に私は衝撃的でした。