「ゆっくり」になるということ。気長に待つということ。

今年最後のランチハーモニーでした。クリスマスメニューでしたので、デザート入り…一緒に活動している公明党の荒谷さんと…飾りつけをするのですが、生クリームをちょっとだけ絞り、小さなチョコレートを飾るという作業…悪戦苦闘しておりました。

 

「あー、ダメだ。」「ゔー。」とか言う同僚の姿を記念撮影しておりましたが、なかなか上手にできあがりました。月に1度ですが、お互いに議場にいるのとは異なる気分転換な一日にもなっていて、こうした作業で浮き彫りにされる性格というのか人柄を感じるひとときはとても楽しいものです。最終的には今日は83個のお弁当を作り、完売でした。今はもう「予約優先」にしているのですが、まずは30食、40食くらいから…とはじめて、あれよあれよという間にうれしい悲鳴とスタッフの人手を考えると少々頭の痛い数にまで到達しているとも言えます。「息長く継続できる活動にするためには」というのはこうした活動の課題だなと思っています。やれるだけやる、できるところまでやるというのは、とても美しく、理想なのですが、「継続するために」を考える時、息切れしてしまわずにやれるキャパシティを客観的に掴むことこそ求められるように思っています。

「一人暮らしの高齢世帯」…今後も増えていくと思っています。月にたった1度かもしれないけれど、私たちのお弁当を心から楽しみにしてくださることは本当にうれしい。

高齢者のみなさまの会話など小耳にはさんでいると、口には決して出すことなく「老い」を感じていること、また、いろんな動作にも時間がかかることを自覚し、「周りに迷惑をかけたくない」という気持ちが痛いほど伝わってくるのですね。誰もが年を重ねると辿っていく道のり…そう思いながら、それぞれの方の背負ってきた歴史なども感じるのです。「おしゃれ」のことも気にかけているんだなあとか、もちろん健康のことにはみなさんそれぞれが「人一倍」に気を遣っておられることも感じるものです。

「ゆっくりになるということ。」

人間はもともとゆっくりスピードから始まるんですよね。そして、だんだんといろんなことができるようにもなり、その人その人のペースはあるにせよ、ゆっくりから脱皮していく感じで…また、そこから、ゆっくりに戻っていくのかもしれませんね。そして、その最初のところ、徐々にスローペースになるところで、周りが気長に見守って支えていく感じかな。人間の一生とか、営みというのは考えてみると不思議なものだなあ…ということを頭の中でぐるぐるさせながら、ランチハーモニーの手伝いをしている私でした。

夕刻から、ハーモニーカフェ、ランチハーモニーを企画しているハーモニークラブの納会でした。会議をやるはずだったのに、いつもどおりゆるやかにみんながマイペースの集まりは、結局、最後…「一年間お疲れ様!」の労いの会にいつのまにか移行しているという…。「やりたいからやる。無理してやる必要はなくて、そもそも無理をしてやろうと思っている人もいない。」という居心地のいいメンバーです。年明けから、諏訪商店街の拠点についてはちょっと運営手法を変えていき、社会福祉法人のこばと会が主体となり、朝9時から夕方は5時くらいまで…「今日は学校ではない場所に行きたいなー」と思う子どもたちを受け入れる場所に衣替えしていく予定です。もちろん、保護者の方との連絡はとりつつで子どもの受け入れを実施してみる方向です。まだしばらくは試行になるかな。給食の代わりに子ども無料で「食」も提供する予定。

ゆっくり。気長に。

なかなか私にも縁遠さの感じることですが、大切ですね。心がけるの大事。なんか、せかせかしていて、子どもたちもいつも「待ってもらえていなくて」…という社会が子どもたちの気持ちをカラカラにしている気がするので。